死神と運命の女7
「……名前も素性もすべて偽りね」
ホテルのラウンジで、エレンは負傷した左手をさすりながら溜息をついた。
彼女が眺めているのは、拘置所でカルロス・ケニーの遺体を確認した後、彼と最後に会っていた件の女の資料を写させてもらったものだ。
資料上の名前は『オニキス・ガレット』、年齢は二十八、首都ロンディヌスの商家の娘ということになっているが、ガレット家に問い合わせたところ、ガレット家の子供は長男一人だけで、娘はいないとのことだった。
テーブルを挟んで向かいに座るマリアも、浮かない顔をして呟く。
「アリシア、という名前も本名かどうかは分かりませんが、あの特異能力は厄介です。あの女はそもそも人間なのですか?」
マリアの隣に座るロアは、穴の空いた服をいじりながら肩を竦める。
「悪魔ではなさそうだったけど。それに関しては
「誰が『わんちゃん』よ! テンダーよ、エレン・テンダー! わざとよね!?」
エレンが顔を真っ赤にして怒るのを見て、ロアは「失礼」と悪びれる風もなく笑った。そんな彼女の脇腹を、マリア・マグナスは嗜めるように肘で小突く。
「それでミス・テンダー、貴女の見解は?」
「残念だけどあの女は人間よ。特異能力を複数扱う時点で化け物クラスだけど。あの手の輩は『特異能力者犯罪対策局』に任せたほうが無難だわ。……まあ、そこの悪魔は異様に気に入られちゃったみたいだから、逃がしてくれるかはわかんないけどね?」
先刻の犬呼ばわりの意趣返しとばかりに、エレンは意地悪な視線をロアにぶつけた。そもそもエレンは死神と呼ばれる魂食いの悪魔の情報を収集するためにカルロスに接触を図ったのだ。カルロス亡き今、あの危険な女を好き好んで追ったりなどしたくない。あれは関わってはいけない女だと、エレンの勘が告げている。
「大体なんであんた達がここにいるの? あんたの師匠、本部のお偉い方を殺して逃げてるみたいじゃないのよ。あんたの身分だってどうせもう剥奪されてるんでしょう?」
元来エレンはクレセント・J・マグナス神父のことをよく思っていなかった。その弟子であるマリアに対しても、修道女として積み重ねてきた善行は認めるが、悪魔を使い魔とする点ではやはり相容れない気持ちでいる。
「私たちは、師を探すことを約束して教会に復帰しました。ここに来たのは貴女の補助をするようにとミスター・ガトーから指示を受けたからです。書面もここに」
そう言ってマリアがポケットから出したのは、紛れもなくロンディヌス副支部長の印がついてある公文書だった。
「なんで私の補助なのよ。……散々煽っておいて、あのオカッパ、やっぱり食えないわ」
「同様のことをベネリクト支部長も仰っていました」
でしょうね、とエレンは目にかかった前髪を払う。
「でも、それなら話は早いわ。私達のここでの仕事はもう終わり。『死神』とやらの情報が掴めなかった以上ここにいる意味はないんだから、明日にはロンディヌスに帰って、あの女の件だけ報告に上げるわ」
「そうですか。では私とロアはもう暫くイアロに滞在します」
マリアの言葉に、エレンは一瞬耳を疑った。
「ちょっと!? いきなり上の命令に背いてどうなるかわかってんの!? 今度こそ除籍どころか追われる身になるわよ!?」
「背くわけではありません、貴女がやり残した仕事の後始末をするのです。補助には変わりないでしょう?」
エレンは険しい顔をした。
「……ちょっと待って、まさかあの女のことを調べるつもり? あれは教会の範疇外よ、あんた、ロンディヌスの吸血鬼事件で懲りてないわけ?」
かっかしているエレンに対し、マリアはいたって平然としていた。
「しかしミス・テンダー、一般の警察にあの女を捕まえられる力があるとは思えません。広報すらされない可能性があります」
そこにロアが口を挟む。
「この国は特異能力案件について秘匿する傾向が強い。ロンディヌスの事件だって、ジェフ・ウロボスのネクロマンサー能力については一般に公表はされなかった」
「でもそれは、市民の不安を煽らないようにっていう配慮でしょ?」
マリアは首を振る。
「いいえミス・テンダー、それは体のいい情報統制です。十年くらい前でしたか、人体実験を行っているというリークがあって閉鎖された国の医療施設がありましたよね」
エレンは頭が痛いとでも言うように、自らのこめかみに両手の指を当てて回す。
「あの、国が秘密裏に特異能力者を軍事利用しようとしてたっていうあれでしょ? あれも色々マスコミが話を盛ってどこまで本当だったのか結局わからな……いや、まさかこれも情報操作とか言うんじゃないでしょうね?」
「有り得る話です。戦後増加した特異能力者による犯罪ですが、牢に入ったあとの彼らの処遇は一般権限では閲覧することができませんでした。今なお国は彼らの利用を諦めていない可能性があります。そういうわけで、信用できない人たちに任せてみすみすあの危険な女を放置することは下策です。それに……」
「ミス・ラシエンヌ、あの女の能力に察しはついていないのかな? 君が一番に襲われたわけだけど」
ロアの言葉にエレンは「あんた私に恨みでもあんの?」と噛みついたあと、
「あの女の能力ですって? 瞬間移動に超越した身体能力、それだけでもぞっとするのにあの鉄壁の防御力……他にもまだ何かあるっての?」
エレンは包帯を巻いた左手をさすりながら、彼女の言葉を思い出す。
『――その素敵な力、私に頂けるかしら?』
「……やだ、ちょっと待ってよ。そんなわけない。そんなの、規格外(チート)じゃない」
エレンの顔が青ざめる。
「君の想像は間違いじゃないよ。彼女は他人の能力を奪う、もしくは複写できる。イアロの悪魔、カルロス・ケニーが何らかの特異能力保持者であったなら、彼女はその力も手に入れた可能性が高い。むしろそれが目的だった可能性もある」
ロアの推測に、エレンは最悪の事態じゃないと大きくうなだれた。
ロアとマリアは、ここで一旦エレンと別れ、自分たちの部屋に向かった。
** *
イアロで一番マシだと言われているホテルの部屋は、それでも少し、残念なものだった。
壁紙の上部が少しめくれているのはまだいいにしても、シャワールームの鏡が大きくひび割れているのには流石のマリアも少し驚いた。
ただ、宿の重要な要素であるベッドだけは、小さいながらも清潔に保たれていたので、少し安堵しマリアは腰かける。隣のベッドに目をやると、先にシャワーを済ませたロアは既に横たわり布団に潜りこんでいた。
「具合悪いんですか?」
「ううん。大丈夫だよ、怪我も治ったし」
ロアはそう言うと寝ころんだまま掛け布団をとり、負傷した箇所をぽんぽんと叩いてみせた。
マリアはその様子を見てほっと安堵の息を吐く。
「私を庇って怪我をするのはもうやめてくださいね」
「それは約束できないなあ」
ロアは暢気な声でそう言って、再び布団をかぶる。
マリアはむ、と眉を吊り上げてロアのベッドに移り、その掛け布団を引っぺがした。ロアはびっくりして目を丸くする。
「ど、どうしたの?」
「……いえ別に」
マリアはただそれだけ言うので、ロアはにこりと笑って問う。
「一緒に寝たいの?」
「ここのベッドは狭いので結構です」
「……そう。お邪魔虫、今ならいないのに」
ロアが残念そうにそう言うと、マリアは屋敷での一件を思い出して赤面する。
「……今は仕事中なので」
マリアがそう言うと、ロアはそうだね、と苦笑して再び布団に潜った。
マリアも自らのベッドに入る。
「……ねえロア、以前から思っていたのですが」
「うん、なに?」
軽く寝返りを打って、ロアは少し眠たげな眼でマリアを見る。
「ミス・テンダーに対してやたら辛辣なのはどうしてですか?」
「え?」
マリアの問いが意外だったのか、ロアの目が再びぱちりと開いた。
「確かに、貴女にとって彼女の第一印象はあまり良くなかったかもしれませんし、彼女の貴女に対する態度にも刺があるのは分かります。けれどそれにしても態度があからさまと言うか。貴女がそこまで人を邪険にするのは珍しいというか」
ロアは、基本的に女性に対しては誰にでも優しい。ロアのそういう部分に対してマリアがやきもきすることはこれまで何度かあったが、その逆のパターンはほぼ皆無だったと言っていい。
ロアがライア・ロビンソンに向ける表情ともまた違う。
マリアが知るロアの顔の、どれとも少し違うのだ。
そんな側面を、他の誰かに向けていることが妙に居心地が悪いとマリアは思ってしまった。
「そんなに冷たく当たってる?」
「ええ。『ミス・ラシエンヌ』は品性的にもどうかと思いますよ。……まあ、以前私が彼女の嗅覚を「犬のよう」と喩えたので、人のことは言えませんが」
「……じゃあ改める。ごめん」
反論するのかと思いきや、ロアはそれだけ言って再び顔を背けた。
なんだかその素直すぎる態度も、マリアにはしっくりこない。
「謝るならミス・テンダーに言ってくださいね」
「……うん」
結局ロアはそのまま寝入ってしまったようなので、マリアは少し悶々としたまま眠ることになった。
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