悪魔祓いと女学院2
「……精気を奪う、石、ですか?」
その表情に十二分の嫌悪感と恐怖を示しながら、学院長は震える唇でマリアの言葉を反復した。
白いハンカチの上で、鶏の卵程度の大きさの青い石が光る。
先刻の施術でマリアが生徒の体内から取り出したものだ。
「悪魔が彼女に憑いていたというより、悪魔によって、この石を抱えさせられていたと言ったほうが正しいでしょう」
「なんと、おぞましい……」
学院長は顔を青くして、ハンカチで口を押えた。秘書の女性が学院長の背中に手をやり、「ではその悪魔は?」と代わりにマリアに尋ねる。
「精気を奪い、自らの糧とするためにまだ近くに潜んでいるはずです。悪魔は基本霊体のはずですが、物理的行動をとっていることからしても、この学院の内部の人間に憑いていると考えて間違いないかと。石ひとつが吸収できる精気は限られていますから、複数の生徒に仕掛けられている可能性もあります。他の生徒が同様の被害に遭っていないか確認すべきでしょう」
「ですが、どうやって確認を? 当該の生徒は記憶を随分曖昧にしていました。仮に他の生徒が同様の被害に遭っていたとしても、身体に異変が出るまで分からないのでは? それでは後手に回りすぎませんか?」
学院長の言い分はもっともだった。
「体調の悪そうな生徒からまず当たるとして、それ以外は生徒からの聞き取りを地道に行うしかありません。それが、今できる最善です」
マリアの言葉に、学院長はこくりと頷いた。
「教師たちにも生徒の体調面に目を光らせるよう言っておきます。おふたりには、諸悪の根源である悪魔を滅するまで、ここに滞在いただけるということでよろしいのでしょうか」
ええ、勿論ですと、マリアは頷いた。
* * *
「ええーー!? マリアと別行動!? なんで!?」
学院長の応接間を借りて軽い夕食をとったのち、マリアから今後の方針を聞かされたロアは絶望の余り叫んだ。
「どうしてもなにも、学院長の話を聞いたでしょう? 他の生徒に不審がられないよう学院内を探索するんですから、私は生徒に扮します。当然、寮にも所属しなければ不自然です。貴女は……生徒に扮するのは少し無理があるので、別の役割を担ってもらいます」
「まさか、教師? 女教師?」
ロアが目を輝かせるので、マリアは大きく辟易の溜息をつき、睨んだ。
「教師の免許なんて持ってないでしょう。ほとんど屋敷にひきこもってたんですから」
「すみません」
「貴女の役割は……これです」
そう言ってマリアが取り出したのは、作業用の皮手袋と工具箱だった。ロアは目を点にする。
「……なにこれ?」
「見ての通りです。貴女には用務員になってもらいます」
「用務員……!?」
「主なお仕事は、汚れた床の清掃や、夜間の灯りの管理等ですね。普段私がやっているような雑務です」
「……そこはかとなくマリアの意趣返しを感じなくもない……」
マリアは軽く咳払いして、軍手と工具箱をロアに預けた。
「というわけで、私は今夜から寮に入りますので、貴女も用務員室で寝泊まりしてください。このあと秘書の方が用務員室に案内してくれる手筈です。くれぐれもご迷惑をかけないように」
「え、うそ、今夜から離れ離れなの!?」
「連絡手段は基本、秘書の方を介してメモを使用してください。それでは」
ロアが不満をこぼす暇もなく、丁度秘書の女性が部屋に入って来て、ロアとマリアはそこで別れた。
** *
ロアが用務員室に連行される一方、マリアは学院長に先導されて、この学院の全生徒が生活する宿舎へと案内された。
ロマンデルク学院の敷地は広く、宿舎も学年ごと、3つの棟に分かれている。マリアが案内されたのは、2年生が生活する『スミレ』寮だった。
2階建ての寮の建屋は学舎と同様に木製で、構造を見ると年季が入っていることが見て取れたが、非常に丁寧に管理されており、床はワックスで艶めいていて、窓ガラスはもちろん、窓枠、壁の隅に至るまで清掃が行き届いていた。
「シスター……いえ、ミス・マグナス、本当に相部屋で良かったのですか? 部屋にはまだ空きもありますが」
「2年生は基本相部屋と伺っています。ひとり部屋だと浮いてしまいますし、それにルームメイトから学院の情報を聞き出せるのは願ったり叶ったりです」
そう言いながらも少し顔が強張って、緊張が見て取れるマリアの様子に、マクレガン学院長は微笑んだ。
「相部屋のミス・キャロルはとても活発で親切な生徒ですよ」
階段を登り、廊下の最奥の部屋の前で学院長は足を止め、ドアを軽くノックする。
「ミス・キャロル。入りますよ」
恐らく待っていたのだろう。部屋の中からすぐさま「はい」と返事があり、マリアは学院長と共に部屋に足を踏み入れた。
思いのほかドアの近くに立って待っていたのは、学院の制服である白いブラウスに赤のリボンタイ、濃紺のワンピースを纏う、マリアと同年代の少女だった。
少し短めの前髪に、金色の髪をふたつのおさげにした、純朴そうな少女だ。頬のそばかすが愛らしく、丸くて青いその瞳は新しいルームメイトへの好奇心で満ち、輝いていた。
「ミス・キャロル、こちらが今日から貴女のルームメイトになるミス・マグナスです。伝えていた通り、外からの編入性ですから、貴女が色々教えてあげてください」
学院長の言葉に、再び少女は真面目な顔で「はい」と答え、それを確認した学院長はマリアの肩に優しく手を触れてから、部屋を出ていった。
途端、少女は笑顔を満開にして、マリアに手を差し出した。
「はじめまして、私はアンナ。アンナ・キャロルよ」
「マリア・マグナスです。色々とご迷惑をおかけすると思いますが、どうぞよろしくお願」
「そういう堅いのはナシナシ! よろしくねマリっち!」
「マリ……?」
聞きなれない呼び方に戸惑うマリアの手を、アンナは両手でぎゅっと握り、ぶんぶんと大きく振るように握手をして、熱烈な歓迎をした。
「私のことはアンって呼んでね、皆そう呼ぶわ」
「わ、わかりました」
「そういう堅い言葉もなしなし、タメでいいよ~」
「タメ……? あの、いえ、私は普段からこういう口調なので、」
「そうなの? じゃあいっか。うちの学校、上流階級のお嬢様も多いから、皆お上品なんだよねえ。平凡な家の出って言ったら私と隣の部屋のリタ……マルガリータくらいかなぁ」
「いえ、私の家も一介の農家ですよ」
マリアの言葉は嘘ではない。マリアが持つ最も古い記憶には、田園風景が残っている。
「ほんとに!? 私の家も酪農家なの! 親近感~~」
再びブンブンと熱い握手を交わした後、ようやくマリアの手を離したアンナは、二段ベッドの上下どちらが良いかや、部屋にひとつしかないクローゼットの境界線の話を、息を吐く暇もなくすらすらと喋った。元来お喋り好きな娘なのだろう。学院長が『活発』と言っていたのをマリアは思い出していた。
ひとしきりアンナが喋り終えた後、改めてマリアは部屋を見回した。
角部屋なので窓は二つ。シンプルな木製の二段ベッド。勉強机が二つ、並んで置かれている。余分なスペースはほとんどない。
マリアにとっては孤児院時代に過ごした部屋を思い出させる――少し懐かしい、小さな部屋だった。
** *
ロマンデルク学院は、単位制の高校だ。
必修科目以外は、生徒が各々学習したい科目を選んで履修する。
マリアも昨晩、アンナの助言を受けながら、急ぎ仮初の学習計画を立てた。
「マリっちも1限目は史学だよね? 教室案内してあげるから、一緒に行こう」
昨晩の入浴から今朝の朝食に至るまで何かと世話を焼いてくれるアンナに恐縮しながらも、マリアは彼女と並んで寮を出、学院の建屋に入った。
学舎は木造3階建てで、中庭を囲うようにロの字型になっている。建物の形自体は非常に旧式だというが、こちらも寮と同じく綺麗に手入れされていて、マリアは心底感心した。
「あそこが理科室で、あの奥が調理室。あ、昼食は基本食堂なんだけど、天気のいい日はサンドイッチをテイクアウトして中庭で食べる子も結構いるよ。私はリタと中庭で食べることが多いんだけど、マリっちも良かったら一緒に……ん?」
移動する間もずっと喋りつづけていたアンナがその口と足を止める。前方にちょっとした人だかりが出来ていて、通路を塞いでいるのだ。
道を塞いでいる女生徒たちは、皆こぞって窓の外を見ている。
「ちょっとちょっと、何の騒ぎ? もうすぐチャイム鳴っちゃうよ?」
人だかりに割り込むアンに続き、マリアもそっとその中に入る。
「アン、見てよあの方。新しい用務員さんらしいんだけど」
生徒たちの視線は、中庭の植栽に水をやる人物に注がれていた。
マリアの眉間に一気に皺が寄る一方、生徒たちは黄色い声を上げている。
「背が高くて素敵……」
「綺麗な髪ね、でもお顔がよく見えないわ、こっちを向いてくださらないかしら」
「私、今朝廊下ですれ違ったわ! ロンディヌスで観た歌劇のスターみたいな美しい人よ」
「でも聞いて、重そうな脚立を涼しい顔で軽々と抱えていらっしゃったのよ。美しい上に逞しいなんて……王子様みたい」
彼女らの熱い視線に気づいているのか、大地色の長い髪を無造作にひとつに結ったその人は、如雨露を地面に置いて、彼女らのほうへと顔を向ける。
噂と違わぬ整った顔に、少女たちは恍惚の息を吐く。
ロマンデルク学院の用務員に扮したロアは、時計台のほうを指さして
『おくれるよ』
と、口の動きで彼女らに伝えた。
丁度その折、予鈴の鐘が鳴る。
少女らは小さな歓声と悲鳴を上げながら、ぱたぱたと廊下を走っていった。一方でマリアはじっとロアを見つめる――否、睨んだ。
せっかく用務員として潜入したのに、そんなに目立ってどうするのだと。
マリアの怒りに触れたのが分かったのか、ロアは口笛でも吹くような素振りで気まずそうに視線を逸らした。
「マリっちどうしたの、急がなきゃ!」
慌てて振り返るアンナに、マリアは頷いて教室へと急いだ。
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