悪魔祓いと魔女6

 ** *

 アンジェラの妹、ステラのアトリエというのは、平屋建ての別荘のようなものだという。自由奔放だったステラが、自分だけのアトリエを造りたいと言って自ら設計し、全財産をはたいて造ったのだとか。

 アトリエの内部には生前の彼女の趣味で、様々なからくりが仕掛けられているという。


 アトリエへ向かう道中、アンジェラはロアの腕の中で淡々と事実を語った。


「私達シーラー一族は異能の家系で、私には簡単な呪術を扱う能力が、妹には生まれつき予知能力がありました」


 彼女らの両親が亡くなって以降、ふたりは屋敷で細々と、各々の稼業で生計を立てて暮らしていたそうだが、ある日突然、ステラがアンジェラに告げたのだという。


『私、もうすぐ悪魔に憑かれて死ぬみたい』と。


「回避は出来ないのかと尋ねたのですけど、どう足掻いても無理だと妹は笑っていましたわ。もともと変わった子だったけど、どうしてあの子、自分の死に対してあんなに明るかったのかしら」


『その日が来たら、お姉ちゃんの呪術で私をアトリエに閉じ込めてほしいの。そうしたらそのうち悪魔を退治しに教会から聖女様とその使い魔が村にやって来るから、その人たちを引き留めて、私を殺してもらって』


「貴女方が村に来ることは、妹が随分以前から予見していたのです。ステラがどこまで予知をしていたのかはわからないけれど、私が聞いたのはここまで。

 妹が悪魔に憑かれる日、私は約束通り、呪術で彼女をアトリエに閉じ込めました。万が一にでも外に出ないように、かなり強力な結界を張ったのですけど」

「……君の脚が動かないのはその代償で?」


 ロアが問うと、アンジェラは薄く笑った。


「お見通しでしたのね。片足の機能を代償にした大呪術だったのですけど、それでも期限付きで。本当は明後日まではもつはずだったのに、想像以上に妹の身体は悪魔と馴染んでしまったみたい。……新たな悪魔を精製して、結界の外に出した上に、自らも期限より早く結界を破ってしまった」


 この人間界では、悪魔は本来の生殖機能を失っている。彼らにとってここは、空気の合わない異界なのだ。

 それでも同胞を殖やす機能を持つ悪魔は存在するというが、それでもごく限られていると、以前ロアはサキュバスのリィから聞いた。


「シーラー家の異能の血が悪魔と適合してしまったんだろう」


 人間が悪魔に憑かれることはまま、あることだ。そのために悪魔祓いという職業が存在している。

 しかしあの一本角の鬼のように、外見の変異や瞬間転移、鬼火ウィルオウィスプ の使用など、悪魔としての能力を完全に振るえるほど悪魔と適合する人間は稀だ。

 あの鬼が言った通り、もともと人間であったロアの身体はそこまで悪魔として成熟してはいない。


「村で悪魔が少女達の心臓を食らっていると聞いて、恐ろしくなって。貴女方にも事情を秘したかったのはその後ろめたさからです。落ち目とはいえ私はシーラー家の当主ですから、特異能力のことや妹のことを教会に……国に知られたくなかった」

「君の処遇はきっとマリアが善処する。あの子は優しいから」


 坂を越えて、ふたりはステラのアトリエへとたどり着いた。

 アンジェラを抱えて走ったロアの息は、ひとつも上がっていない。

 その眼はただ、アトリエの扉の先を見ていた。


「正面から突破する。君はここで様子を見ていてほしい」


 ロアはアンジェラを入り口付近に下ろし、そのままドアを蹴破った。


「マリア!」


「思ったより早かったな、半端者」


 破ったドアの先、壁などのついたてがひとつもない開放的な空間の中、一本角の悪魔は待ち構えていたかのようにテーブルに腰かけていた。

 その奥、黒い皮張りのソファーに、マリアが横たわっている。

 結っていた髪はほどけ、ぴくりとも動かない。ぷらんとソファーの腰掛部分から垂れ下がっている腕からは、ぽたぽたと赤い血がこぼれ、床を汚していた。


「――貴様」


 瞬間、入口に身を隠しているアンジェラの背筋が凍るほど、空気が殺気立った。


「平和的な交渉をしたのにこの娘が暴れるからだ、少し黙らせて……」


 彼女が言葉を終える前に、ロアがその胸ぐらを掴んで床に押し倒した。

 悪魔は瞬時に部屋の奥へと移動するも


「ッ!?」


 その頬を思い切り殴られ、吹き飛ばされた。

 この建築物の中に唯一存在する柱にぶち当たり、悪魔は一瞬の脳震盪を起こす。


(――こいつ、さっきより動きが俊敏に)


「マリア!」


 一本角の悪魔が倒れている間、ロアはソファーに横たわるマリアに駆け寄る。

 マリアの外傷はほとんどない。二の腕に切り傷があるだけだ。

 流血しているせいか顔色は悪いが、息はある。気を失っているだけのようだ。

 ロアは短く、安堵の息を吐いた。

 マリアの白い手を取ろうとして、ロアは思い直し、手を伸ばすのをやめた。

 ただ一言だけ、言葉を零す。


「ごめん、不出来な使い魔で。

 君が眠っていてくれて良かった」


 ロアは悪魔に向き直る。

 紅い眼光は、より鋭く、魔的に煌めいた。

 マリアの前では決して見せない憤怒の形相で宣戦を布告する。


「……今度は絶対に逃さない」


 ロアは腰の銃を抜き、悪魔に向かって駆ける。


「舐めるな半端者が!」


 一本角の悪魔は両手を掲げ、青白い炎の球を作る。

 が


凍結フローズン!」


 身を潜めていたアンジェラが飛び出し、床に転がりながら叫ぶと、瞬間的に女の両手が凍った。


「っ、術士ィ!」


 ぐんと、ロアの手が女の角を握って柱に押し付ける。

 そのまま銃口を、女の胸の中心に押し当てた。


「消えろ」


 今度は迷いなく、ロアは銃の引き金を引く。

 銀の銃弾が女の胸を貫いた。


「ぐあああああああああああああ」


 女の胸に赤い花が咲く。

 天を突くような叫びを上げ、女は胸を押さえてその場に崩れた。


「……ッう、おぁ、え」


 嘔吐えづき、赤い血をまき散らしながら、女は床にガリガリと鋭い爪を立てる。


「銀の弾にすら耐性があるのか。本当に面倒な身体だな」


 ロアは平然と、もがく女を見下ろした。

 女は鮮血で汚れた口元を歪ませ、ロアを見上げた。


「……悪魔、らしくなってきたじゃないか」


 女の手が、ロアの足首に伸びる。


「人間に戻ろうなどと愚かしいことを考えるより、あの娘を利用して、こちら側につけばいい。貴様の居場所なら、私が約束しよう」


 女の言葉に、しかしロアは首を振った。


「私が約束を交わすのは、あの子だけだ」


 ロアはもう一度、女の首に向かって発砲した。

 女の手が、ロアの足からぱたりと離れる。

 が


「…………ふふふ、はははは! おろかなぁぁああ!」

「!」


 狂気的な笑い声と共に、轟(ごう)と女の身体が炎に包まれ立ち上がる。

 青白い炎に包まれたままの女の手が、ロアの首を掴んだ。


「この私が慈悲をくれてやったのに、無駄にしたな愚か者めぇッ! ここで消えるのは貴様のほうだ!!」


 ぎりぎりと、女の手がロアの首を絞める。


「使い魔さん!」


 アンジェラが呪術を再度投射するが、呪術らしい効果は何も表れず、悪魔はせせら笑い、より一層首を絞める手に力を込めた。

 が


「……貴様、何を笑っている」


 首を絞められているはずのロアの表情は、妙に涼しげで、しかも薄い笑みさえ湛えていた。

 違和感を覚え、女が手元を見ると、首を絞めている相手の首から、黒い蔦のような文様が自らの手に這い上って来ていた。


「拘束呪術……!」


 女がそれに気を取られている隙に、


「今よ! 蹴って!」


 アンジェラの言葉通り、ロアは柱の根元、不自然に出張っていた箇所を思い切り蹴った。

 すると


「!?」


 キリキリと歯車が音を立て、女の背後の柱が縦に割れて開く。

 からくりだ。

 柱の中には非常に細やかな金属のアームがいくつも畳まれていた。


 柱から、金属のアームが女の身体を迎えに行くように伸びる。

 まるで金色の蜘蛛の糸のようなそれは、器用に女の身体を絡めとり、柱に収納していく。


「う、ごけぬ……!」

「そのアームにはミズ・シーラーがもう一方の足を犠牲にした大呪術が組まれている。今のお前では破れないだろう」

「……ッ! おのれええッ!」


 女の叫びも虚しく、柱の蓋が、重い音を立てて閉まる。

 その様はまるで棺のようだった。


「――おやすみ」


 ロアが告げた途端、柱は一気に赤く燃え上がった。

 柱の炎は生き物のように屋根をつたい、建物全体に広がる。


 女の断末魔は炎で掻き消えた。


 ロアはすぐにソファーの上のマリアを抱え、アンジェラをも抱えて外に出た。

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