第105話 作戦級魔法

 ワイバーンが着陸の際に巻き起こした砂塵に、ダリルとラルフが顔を覆っていると、女性騎士の凛とした声が響いた。


「総大将殿! 翼竜騎士団、第三中隊長のモーラ。伝令に御座います」


 その声の主は、ダリルの娘であるモーラだった。

 一般的な帝国人――栗色の髪、茶色の目――のダリルと全く似ておらず、後ろに一つ結んだ金髪に透き通るような碧眼で、この戦場では異質なほど美しかった。


 しかし、それが台無しになるほどポニーテールの金髪は、所々ほつれて乱れており、真っ白な肌やミスリルの胸当て等の着衣が魔獣の返り血で赤く染め上げられ、空中戦の凄まじさを物語っていた。


 そんな彼女は、翼竜騎士団のエースでもあり、この戦闘の主役でもあったのだ。


「翼竜騎士団は、これから作戦級魔法の行使に移行します」

「何だと!」


 ダリルが驚きの声を上げた。

 当然それは、そんな娘の有様ではなく、モーラが伝えた内容にだった。


 作戦級魔法は、一〇〇人単位で行使する伝説級を越える幻想級の大魔法のことである。

 それは、勝負を決めに行くことを意味していた。


「ま、待ってください、モーラ様! もう少しでコウヘイ殿が戻ってくるかもしれないのですよ!」


 ラルフは、コウヘイの強さを知っており、旗色が悪い中、一〇〇人もの騎士が詠唱で無防備になるリスクを恐れた。


 まだ賭けに出る場面ではないと、ラルフは考えていた。

 しかし、それはコウヘイの力を信じている者にしか通用しない理屈だった。


のことは、私もよく知っています。師匠が何と言おうが、この町で生まれ育ったことだけではなく、帝国騎士として民を優先します!」

「で、ですが!」


 ラルフは、モーラがコウヘイのことを様付して呼んだことに違和感を感じたが、それよりも、自分の提案が受け入れられないことに食い下がった。


 が、現在のコウヘイの強さをモーラはよく知らない。


「このままではじり貧です。地上の魔獣を一掃しない限り我々は負けます! この場にいない者に期待して何になるんですか!」


 そんなモーラの言い分は、何らおかしいものではなかった。


 コウヘイの話を聞いているダリルであっても、実際それを目にした訳ではない。

 いくら忠臣であるラルフからの進言であっても、目の前で死闘を繰り広げている騎士たちや背後にいるテレサの町の住民たちの命を賭けるに値する存在ではなかった。


 それに比べ、この押されたままの戦局にそろそろ変化が欲しいと丁度考えていたダリルにとって、その提案はリスクが高いが試みる価値が十分にあった。


「くっ、わかった……では、地上部隊はどうすればいい! エミリアンは何と言っている!」

「ああ、なんと……」


 ラルフは、自分の進言が聞き入れられず悔やむが、こればかりは仕方がない。

 総大将は、ダリルであり、ラルフはその従者でしかない。


 個人的な関係ならば、ラルフはダリルの副官にあたる訳だが、今回の防衛戦は帝都やガイスト辺境伯からの援軍を含めた共同防衛戦である。

 つまり、今回の正式な副官は、モーラの上司でもある翼竜騎士団のエミリアン・フォン・デュナン団長が務めていた。


 本来であれば、帝都から派遣された部隊の中から総大将が選出されるが、ダリルが総大将となったのは、元近衛騎士団長であり、テレサの領主でもあるという状況が、そうさせたにすぎない。


「団長は、ワイバーンやグリフォンの邪魔が入らないように蒼穹騎士団に牽制してもらいたいと仰っていました!」

「それなら冒険者部隊を前線に押し上げることで入れ替えできるな……では、地上部隊はどのタイミングで引けばいいんだ?」


 蒼穹騎士団は、ハーフエルフと噂されているジェフロワ・フォン・ジェローム団長率いる長弓や石弓等を主武装とした中距離支援に特化した騎士団である。


 それに魔法を合わせることで上空を飛ぶ魔獣を狙い撃つこともできるが、魔力消費が激しいため使いどころが肝心でもある。


 翼竜騎士団の団長、エミリアンは、今がそのときと判断したのだろう。

 そして、ダリルもそれを承諾した。


「今回行使する魔法は、『サンダーレインブラスト』です! 黒い雷雲が上空にできますので、それが上に広がりはじめたら撤退してください! 塔のように立ち上がって全てを覆いきってからでは遅いので、そのタイミングはお任せします。全体的に発光した後に発動するので、雲が光ったら目を瞑ってください。そうしないと……」

「知ってる! 目が潰れるんだろっ」

「そうです。では、私は準備に取り掛かります」


 モーラがワイバーンの手綱を握り直し、上空へ飛び立とうとしたとき。


「十分気を付けるんだぞ、モーラ」

「はい、お父様も」


 指揮官と伝令との遣り取りに徹していた二人であったが、最後だけは違った。

 父が娘を気遣うように、そして娘が父を気遣うように言葉を交わした。


「行ったか……早速伝令だ!」


 空高く舞い上がった娘を見届けたダリルは、各方面に伝令を飛ばした。



――――――



 各騎士団の連携が見事に機能し、モーラたち翼竜騎士団の選ばれた一〇〇人は、魔獣からの邪魔を受けず、順調に作戦級魔法の詠唱を完成させようとしていた。


 モーラがダリルに説明したように黒い雷雲が形成され、立ち上がりはじめた。


 それは、呪文の途中であるのだが、ほぼ完成といってよい状態だった。

 近くを飛んでいたワイバーンやグリフォンは、その雷雲から放電される微弱なサンダーを身に受け、黒焦げになり、少なくない数が墜落していった。


 そして、テレサの町を囲っている木柵付近まで地上部隊の撤退は、済んでいた。


「「「「「「「「「「サンダーレインブラスト!」」」」」」」」」」


 一〇〇人の発動呪文が重なり、その積乱雲が一度、全体的に発光した。


 それから間もなくのことだった。


 全てを照らしつくすほどの光量のあとに、幾千もの雷が魔獣目がけ落ちた。

 それは、大気をつんざく爆音を轟かせ、爆発を引き起こし、更に暴風が全てを吹き飛ばしたのだった。


 防衛に就いていた騎士や兵士たちは、味方が発動した魔法にも拘わらず、その十数秒間、目、耳や口という全身の穴という穴を閉じ、恐怖に耐えるしかなかった。


 サンダーレインブラスト――幻想級の大魔法は、まさに、文献上にある幻といわれる魔法であったが、モーラがそれを読み解き、翼竜騎士団の選ばれた一〇〇人を集めることではじめて成功する大魔法だった。


 その功績を認められ、モーラは若干一九歳ながら、今年中隊長の職に就いたのだった。

 その噂は、帝国の騎士団の中では有名で、その魔法の存在を知っている者が殆どであったが、それを目の当たりにしたのはみなはじめてだった。


 その暴虐な破壊活動が治まっても尚、身動きできずにいる者が殆どだった。


「せ、成功のようね!」


 モーラは、上空から地上の様子を窺いそう叫んだ。


「「「「「「「「「「おおおーーー!」」」」」」」」」」


 モーラの叫びに呼応するように、作戦級魔法を行使した魔法士たちも叫んだ。


 それを聞いた、地上部隊の面々もそれが終わったことに気が付き、目を開け目の前の光景を見にし、歓喜に叫ぶのだった。


 全ての魔獣を倒すまでには至らなかったが、飛行型魔獣の姿はなく、地上の残存数は、千を割っていた。

 しかも、生き残った魔獣は、全てが無傷ということもなく、少なからず今のサンダーレインブラストで傷を負い、弱体化しており、まるで威圧を受けたように全身を震わせていた。


 たった一撃の魔法で千以上の魔獣が死亡し、それ以上の魔獣が負傷していた。

 さすがは、作戦級魔法といわれるだけあって効果は絶大だった。


「よし、いいぞいいぞ。これなら勝てるぞ!」


 テレサ防衛陣営は、二千近くがまだまだ戦える状態で、ダリルは勝ちを確信した。


「まさか、モーラ様がここまでとは……」


 モーラ一人の力ではないのだが、ラルフは驚愕と同時に、小さいころから見ていた彼女の成長を感じ、嬉し涙を流していた。


 そして、掃討戦に移ろうかというそのときだった。


 どこからか、手を打ち鳴らせる音が全員の耳に届いた。


『いやいや……ヒューマンごときが、サンダーレインブラストを発動できるとは……』


 そして、そんな声が全員の頭の中に響いたのだった。


 サンダーレインブラストの影響で台風一過のような雲一つない青空が広がっており、その空には作戦級魔法を発動させた約一〇〇騎の竜騎士たちだけのはずだった。


 その集団の先頭でホバリングしていたモーラは、突如頭の中に響いた声の主を探すように辺りを見渡した。

 それはすぐに見つかり、頭上十数メートルの位置にその者は、


 黒を基調にしたサーコートに真っ黒なローブで身を包んだ全身黒ずくめの青年が、何も無い空中に佇んでいたのである。


 モーラの視線に気が付いたその青年は、モーラに近づくように歩を進めた。

 まるで、そこに階段があるかのように、段々と下ってきたのである。


「完全に誤算だよ……ねえ、これ、どうしてくれるの?」


 その黒ずくめの服装に映える白銀の髪にスカイブルーの瞳が印象的な青年は、モーラの一〇メートルほど手前の位置で立ち止まり、不敵な笑みを浮かべてそんなことを呟くのだった。


「え?」


 モーラは、異常事態を前に訳がわからず、そんな反応しかできなかった。


 ふつうに考えれば、ヒューマンにそんなことができる訳もないのだが、モーラは完全に意表を突かれていた。

 それは、モーラだけではなくその場にいた者全てに共通していることだろう。


 そして、ある種のプレッシャーを受け、身動きが取れなくなっていたのだ。


「決まってるじゃないか……このままだと僕がオフェリア様に殺されてしまう!」

「あ、あなたは何者!」


 ワイバーンのホバリングが不安定となり、身を揺さぶられながらもモーラは、必死に手綱を握り、その青年に背を向けないようにした。


「えー僕かい? 僕はね……教えないよ」


 その青年は、モーラを小ばかにするような返答をしたものだから、モーラはむきになって叫んだ。


「な、正体を明かしなさいよ!」

「嫌だよー。なんでこれから死にゆくゴミどもに僕の名前を教えなきゃいけないのさー」


 間延びした口調は穏やかであったが、その青年の言葉は、声音とは正反対で酷いものだった。


「死にゆくですって!」

「そうだよー。これからこのファーガルの手で殺される栄誉を受けられるんだ。感謝しなよ」


 え、バカなのこいつ? とモーラは、ファーガルがふつうに名乗ったことに対して、咄嗟に心の中で突っ込みを入れたのだった。


 当然、そう思ったのは、全員だろう。


「なあ、ラルフ?」

「はい、何でしょうか」

「アイツは、バカなのか」


 と実際ダリルは口に出したほどである。


 それが、ファーガルの耳に届かなかったのは、幸いだろう。


「そうだ。ねえ、きみはコウヘイって知ってる?」


 上空では、未だモーラとファーガルが上空で対峙していた。


 そこへいち早く謎のプレッシャーの呪縛から逃れた翼竜騎士団長であるエミリアンがモーラの元へ、ワイバーンで駆け付けようとしたのだが、それは事態をより緊迫させた。


「邪魔しないでよ」


 たった、その一言だけだった。

 おもむろにエミリアンに向けたファーガルの右の手の平から炎の塊が発射された。



 エミリアンは、突然のことで回避行動を取ることも出来ずに直撃を受け、炎を纏いながら墜落していった。


「だっ、団長おおおー!」


 モーラが悲痛な叫び声を上げた。


 地上で待機していた翼竜騎士たちがすぐさま助けに向かい、地面に激突される前にエミリアンの救助が間に合った。


 それを確認し、モーラはほっとしたのも束の間、直ぐにファーガルに視線を戻し、驚愕するのだった。


「あ、あなたは……ま、まさか……そ、そんな……」

「あ、あなたは……ま、まさか……そ、そんな……えっ、何だって?」


 モーラが驚愕のあまりうまく言葉にできない様子を、ファーガルは口真似してみせて、嘲笑うのだった。

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