第091話 嘘か誠か

 デミウルゴス神歴八四六年――七月三〇日。


 コウヘイたちと時は変わらず、七月の第六週の最終日――月が替わる数時間前。


 マルーン王国との国境がほど近いトラウィス王国領東部。


 一帯が草原地帯で魔獣の姿は少なく、貿易商人がよく利用する街道も整備されていた。

 草花や小動物の楽園といえるような自然が広がっており、とてものどかな地域。


 それは、かつての話。


 それも今では、突如として現れた真円の湖の畔は、大地が焼かれ黒ずんでおり、見渡す限りが焼け野原だった。

 そこは、生物の存在を感じさせない死地となり果てていた。


 それは、魔人オフェリアの癇癪かんしゃくによって引き起こされた破壊活動の痕跡で、半球状に抉り取られた大地に地下水が流れ込み、湖と化していた。


 ただ、湖と言ってもその水は濁っており、その水面に映り込んだ月はくすんでいる。


 その畔に、衣服が汚れないように布を敷いて座り、勇者パーティーの三人が焚火を囲んでいた。

 今後どうすべきかを話し合っているのだが、その表情はそこに写し出された月と同様――陰気な重い色をしていた。


 それを嘲笑うかのように夜空を覆う星々と月が、冷たい明かりを灯す。


「間違いなくこれはヤツの仕業だろうな」


 ユウゾウの呟きに、カズマサとアオイは焚火の炎を見つめたままで答えない。

 その話はわかり切っていることで、今はその話ではない。


 ユウゾウもそれをわかっているためか、返答を待たずに続けた。


「おまえたちは本気なのか?」

「……ああ」


 やっと口を開いたカズマサだったが、短く答えるのみだった。


「そうか……しかし、死ぬぞ、間違いなく」

「わかっている」


 カズマサの決意が変わらないことを確認したユウゾウは、それ以降何も言わずおもむろに立ち上がる。


 一度、アオイにも視線を投げていたユウゾウは、それにカズマサと同じ考えだという風にアオイに首を左右に振られてしまった。

 途端、現在帯同している翼竜騎士団が設営した彼用の天幕の方へ、そのまま何も言わずに歩き去った。


 暫くその様子を窺っていたアオイだったが、ユウゾウが天幕の中に姿を消すと、焚火の炎に視線を戻し、風に揺られて形を変えるそれを、ただただ眺めていた。


 火の粉が舞い、パチパチッと薪の水分が破裂する渇いた音が、残された二人の間に流れる沈黙を際立たせる。


 闇に際立つ炎に視線を向けたままのアオイは、唐突に口を開いた。


「主将?」


 一瞬、間があってから。


「……なんだ?」


 カズマサも視線を固定したまま、アオイを見ることはしない。

 炭化した木の棒で地面に何かを描きかけては、靴底で消してを繰り返していた。


「なんで……どうして、こうなっちゃったんでしょうね?」


 その手を止めたが、抽象的な質問のせいか、カズマサは答えない。

 と言うよりも、答えられないのだろう。


「あ、別に答えを求めていないので、無理に何か言わないでも良いですよ。これからは、私の独り言、なので……」


 呼び掛けておきらがらも答えを求めてはいないのは確かだった。

 それでも――誰かに聞いてほしかった。


 本当は、コウヘイに聞いてほしいのだが、彼の居場所はわからない。

 だから、アオイはコウヘイを探しに行くつもりである。


 だから――


「陛下に今回のことを報告したら、康平くんを探しに行こうと思ってるんです」


 突然、そんな話を切り出されれば、カズマサが驚くのは当然だろう。


 が、


 そうはならなかった。


 カズマサは、そう言われるのがわかっていたとでもいうように静かに返した。


「……そうだな。俺もそうしようと思う」


 沈黙の後の意外な返答に、アオイは身体ごと向きを変えてカズマサを見た。


「なんだ? そんなに驚くことか」


 吊り上がった目尻のせいで悪い印象を与えがちなカズマサだが、驚いたアオイの目を見つめ返したその表情は、微かにはにかんでいるようだった。


「いえ、だって……」

「ああ、なるほどな。大崎、おまえは何か勘違いをしているぞ」


 まだ何も言っていないのだが、アオイが言わんとしていることにカズマサは気付いていた。


 アオイは小首を傾げ、勘違いとはどういうことです? と、カズマサに目で訴えた。


 すると、答え合わせをするようにカズマサがゆっくりと話し始めた。


「片桐に対する今まで俺たちがやってきたことを言っているんじゃないのか?」

「――! そ、それは……」


 カズマサのその表情は、アオイから快く思われていないことに気付いている様子だった。


「いいんだ。実際、それを止めなかったのは俺だし、それに乗ったのも俺だ。ただ、悔やまれるのは真意を理解しきれなかった俺が悪いんだよ」

「済みません。話が見えないんですけど……康平くんを危険な目に合わせないようにパーティーを追放したことは聞きましたけど、真意とは何ですか?」


 コウヘイに対する数々の酷い仕打ちには意味があったとでも言いたいのだろうかと、あのブラックドラゴンに対し、カズマサが言ったセリフを引用してアオイは尋ねた。


「ん? ああ、これは大崎には言っていなかったな」


 顎に手を添えて考え込むような仕草をしてから。


「そうだな……片桐を見て、どう思う?」

「え!」


 どうって言われても、それは当然――


「こ、康平くんですか? そ、そうですね。大柄で口数が少ないので少し怖いというか、とっつき難いですが、ふとしたときに笑う表情が可愛かったり、動物を世話したりと優しい一面があるなーなんて思います」


 アオイが一息にそう言い切ると、それを聞いたカズマサがいきなり軽く噴き出した。


「なっ、何で笑うんですかっ!」


 何かおかしなことを言ったかな? と、アオイは自分の勘違いに気付いていない。


「い、いや、悪い悪い。別に男としてどう思うかを聞いた訳じゃないんだ……と言うかやっぱり、大崎は片桐のことが気になっていたんだな」


 その途端、アオイはリンゴのように真っ赤になり、顔面が熱くなるのを感じた。


 焚火の炎が近いとかではなく、質問の意図を勘違いしていたことに気付き、己のセリフを恥ずかしく思ったのだ。


 ただ、それだけでは終わらなかった。


「ふーん、通りでおかしいと思ったんだよ」

「え、何がです?」


 カズマサから訝しむ視線と共にそう言われ、アオイは、「まだ何かあるのかしら?」と思い当たる節が全くなかったため、そう聞き返すしかなかった。


「いや、ほら……あれだよ、あれ。パルジャへ向かっていた際にお前が片桐のことをだとか言っていただろ。もしかして、今回の件が終わったら、俺たちに黙ってパーティーを抜けるつもりだったんじゃないのか?」


 ギクっ!


 アオイの心境は、まさにそんな感じだった。


 図星を指されたアオイは、咄嗟に言い訳が思いつく訳もなく、沈黙をもって回答とした。


「なるほどな。まあ、当然と言えば当然だよな」


 アオイの反応からカズマサは、自分の予想が正しかったことを確信した。


「ただ……ただそうじゃないんだ。俺が言いたいのは、勿体ないと思わないのか? と聞いているんだ。恵まれた体格のくせに、変なところで怖気づいたり、わざと手を抜いて勝ちを二、三年に譲ったりする性格のことを言っているんだよ」

「あはは、そ、そうですよねー」


 真面目な顔に戻ったカズマサの説明を聞き、勘違いを笑って誤魔化してから、アオイも同意した。


「べつに内気なのは構わない。それは、経験を積めば自信がついて解消されるしな。ただ、あの優しさは邪魔だ。というか、俺たちに失礼だ」


 それに頷きアオイは、カズマサの話に耳を傾ける。


 ほうほう、それはどういうことかな、と。


「勝負の世界で、優しさは必要ないんだよ。手加減されて勝っても全然嬉しくない。それどころか、余計に腹が立つってもんだ。だから、雄三と話して俺ら三年が嫌われ役をやって反骨精神を鍛えるつもりだったんだ」

「つまり、今まで酷い仕打ちをしていたのは、康平くんのためだったと言いたいんですか?」


 話の筋は通るが、どうも胡散臭い。

 今までのアレがわざとだと言ったなら、先輩たちは大した役者だ。


 そんな感想からアオイは、胡乱な目つきでカズマサを見た。


「信じてないだろ?」

「いえ、そんなことは……」


 口では否定しながらも、「信じられる訳ないでしょ!」とアオイは、心の中で盛大に突っ込みを入れる。


「俺は片桐に期待してたんだ……まあ、それはいい。片桐が想像以上のお人好しだったのも計算外だったが、最大の誤算は、雄三が本気でぱしってたことだな」

「本気? 高宮副主将は、康平くんのためじゃなかったと?」

「そういうことだ。俺も三日前に知った」


 えーーーー!


 それを聞いたアオイは、呆れてものも言えない。


「な、なんだよ……」

「高宮副主将とは親友だと思っていましたけど」

「そうだよ。だから俺も驚いている。そもそも、さっきの片桐のためだと言って厳しく当たることを提案してきたのは、雄三からだからな」


 はあ、なんとも間抜けだこと。

 要は、内村主将は、上手いこと共犯にされていた訳だ。

 しかも、尤もそうな大義名分を信じて――


 そんな感想を抱きつつアオイは、最近の二人の様子に言及した。


「だから、最近ぎくしゃくしていたんですね。てっきり、中級魔族討伐の件で揉めているのかと思っていましたよ」

「それも原因の一つだが、恥ずかしながらそういうことだな」


 カズマサは笑っていたが、その表情は寂しそうだった。


 そんな俯いたカズマサの様子を見ながらアオイは、意識を取り戻したあの日の出来事に考えを巡らせるのだった。

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