第078話 戦乱の足音

 じめじめした梅雨が明け、日に日に暑さが増す七月上旬。

 ミンミンゼミの鳴き声が校内に響き渡り、夏のはじまりを感じさせる。


 授業が終わり、大崎葵おおさきあおいが部室へ向かう途中、下駄箱から靴を取り出す片桐康平かたぎりこうへいの姿を見つけた。


「あ、康平くん!」


 一緒に部室に行こうと思い葵が声をはったが、それに気付くことなく康平は、そのまま外へ出て行ってしまった。


 昇降口は、下校時間のため部活へ向かう学生や帰宅する学生たちでごった返し、このあとの部活やどこどこへ遊びに行く等の話声が至る所から聞こえてくる。


 そんな喧騒の中、葵の声が聞こえなくても仕方がないのだが、


「もうっ」


 と口に出した葵は、急いで下足に履き替え、康平の後を追うように駆け出した。


 昇降口を出ると、夏の暑い陽射しが照りつけていた。


「あれ、どこに行くんだろう?」


 部室がある方へ顔を向けると、周りの生徒達よりも頭一つ分高い康平の後ろ姿を見つけた。


 ただそれも、校舎裏へ続くピロティに曲がって入り、彼の姿はそのまま見えなくなった。


 彼らが通う黒校――黒殿くろどの高等学校――は、二人が出てきた校門側の一、二年生の教室がある第一校舎。

 そして、三年生の教室と音楽室や美術室等の技術教室がある第二校舎に分かれている。


 第二校舎の更に向こう側には、体育館、柔道場と剣道場があり、彼ら柔道部の部室は、体育館脇にある。


 校舎に沿って伸びる校内歩道を昇降口から右手に真っ直ぐに進めば部室に行けるため、第一校舎と第二校舎の間にあるピロティに曲がる必要はない。


 それ故に、康平が取った行動に、葵は疑問を抱く。


「ゴミでも捨てに行くのかな?」


 そのピロティを潜り抜けた先は、駐輪場、校務員の詰め所、ゴミ置き場と焼却炉があるだけだった。

 生徒がそこへ行く理由は、帰宅のために駐輪場か掃除当番が教室のゴミを捨てに行くことくらいしかない。


 柔道部は、個別で柔道場を所有しているため毎日練習がある。

 今まで休んだことのない康平のことを考えると、帰宅するとは考えられない。


「でも、ゴミなんか持ってたっけ?」


 康平の手には、ゴミ袋らしきものは無かった。

 気になったは葵は、彼の後をそのまま追うことにした。


「んー? 左に曲がったということは、ゴミじゃない。でも、校務員室な訳もないし……もしかして裏門側から部室に行くのかな?」


 ゴミ置き場は、丁度第一校舎の真裏で、ピロティを抜けて右側にある。

 その反対側には、校務員室と裏門があり、そちら側からも部室に行くことは可能だが、遠回りである。


 ちょっとした探偵気分で葵は、康平に見つからないように一定の距離を保ちつつ、気配を消しながら後をつけた。

 すると、駐輪場を通り過ぎ、校務員の詰め所の手前で康平が立ち止まった。


 葵は、慌てて駐輪場の手前で屈んで身を隠す。


「なんで隠れてんのよ、私……」


 そう言いながらも、顔だけそろりと駐輪場の衝立ついたてから少し出して康平の様子を窺う。


 おもむろに地面に置いた学生鞄の中から康平は、コンビニ袋に入った紙パックのような物を取り出していた。


「あれは……」


 目を凝らして見ると、その紙パックから白い液体が地面に置かれたお皿に注がれていることがわかった。


「クロ! シロ!」


 康平が野良ネコの名前を呼んだことで、葵は全てを理解した。


 クロとシロ、それらは学校に捨てられた子猫が成長し、そのまま学校に住み着いた猫たちの名前だった。

 名前でわかる通り、黒猫と白猫で、学生が適当に呼んでいたら、それが名前として定着していた。


 クロとシロは、お皿になみなみと注がれた牛乳を奪い合うように飲んでいた。


「なるほどねー。康平くんは見た目と違って心優しい少年だった訳ね」


 それを観察しながら未だ探偵気分の葵は、そんなことを呟いた。


 二メートル近くもある高身長、それなりに筋肉も付いており、がっしりとした体躯で一見怖そうな見かけにも拘わらず、柔道部の先輩たちにされるがまま、言われるがままの康平を弱虫と残念に思っていた。


 が、どうやらそれは葵の勘違いだったようだ。


 康平は、恵まれた体格のお陰で、既にレギュラーに抜擢されている。

 それは、非公式戦ではあるものの、入部して間もない彼のことを考えると凄いことだ。


 主将の内村や副主将の高宮には技術面で劣り、五回に一回勝てるかどうかだが、全国大会の常連である黒校柔道部に於いて、それは快挙と言ってもいいくらいである。


 そのせいで、やっかみから他の一年生より厳しいしごきを受けている。

 練習なら康平の身に着くことだから耐えてほしい、と葵は考えていたが、しょうもない使い走りまで文句を言わずにこなしていることは、また別の話だった。


 一年生だとしても、男なら言い返せばいいのにと思ったことは、一度や二度だけではない。

 だから、自分の意見を言えない弱虫と軽蔑していた。


 そんな康平の心優しい一面を知り、


「ふーん、先入観で判断しちゃいけないって言うけど、あながち間違いじゃないのね」


 と葵は、彼のことを見直した。


 牛乳が空になっても尚、ひとしきりお皿を舐めたあと、クロとシロが康平の足元にすり寄ってお替りを要求していた。


「相変わらず凄い食欲だね。一本じゃやっぱり足りないのか。ごめんね、明日は二本持ってくるから」


 屈んだ康平は、クロとシロを撫でながらそう言い、微笑んでいた。


「へー、あんな風に笑うんだ」


 康平の優しく笑った姿をはじめて見た葵は、それを新鮮に感じた。

 そして、そんな康平を応援したいとも思った。


 すると、立ち上がった康平が葵が隠れている方に向かって歩き始めた。

 葵は、慌ててその場をあとにしようとして、できなかった。


 何故か身体が一切動かなくなっていた。


「あれ、一体どうしちゃったの!」


 混乱していると、そこはさっきまでの黒校の校舎裏ではなかった。

 どこか古臭い木造の一室に葵は佇んでおり、康平の恰好が変わっていた。


 さっきまで制服姿だったのに、いつの間にか鎧姿の康平が目の前にいた。


「葵先輩、辛かったら僕たちと一緒に行きませんか? 僕が葵先輩を守ってみせますよ」


 と、真剣な眼差しを葵に向けていた。


「な、何なのよこれ!」


 見覚えのある場面に半狂乱の葵は、そう叫んだが、目の前の康平は答えない。


 一転、視界が暗転し、真っ暗闇の中に佇む康平にスポットライトのような光が当てられていた。


 そこには、葵だけに見せる無邪気な少年のような康平の笑顔があった。


 が、


「何で、あのとき僕と一緒に行ってくれなかったんですか?」


 と、突如として康平が血塗られたように赤色に染まっていく。


「何で見捨てたんですか? 助けてください、葵先輩」


 康平がおもむろに出した右手の指先からボタボタと血が滴り落ちていた。


「い、いやぁぁぁあああー!」


 ◆◆◆◆ ◆◆◆◆


 そう絶叫したところで、アオイは目を覚ました。


 アオイの身体はベッドの上にあった。


 激しい動悸がする中、発汗して全身が汗でぐっしょり濡れていた。


「今のは……何?」


 身だけを起こし、辺りを見渡すと、アオイの知っている部屋だった。


 そこは、パルジャ領主の敷地に併設されている兵舎の救護医務室だった。


 何故? と思い、アオイは記憶を探り思い出した。


「ああ、そうだ……私たち、黒いドラゴンに襲われたんだった」


 先程のコウヘイとのことが夢で、今が現実だと自覚した。


「そっか、生き残れたんだ、私たち……」


 その部屋には、全身を包帯でぐるぐる巻きにされ、その隙間から顔だけを出ているカズマサとユウゾウの姿もあった。

 ただ、二人は未だ目を覚ますには至っていないようだった。


 暫くすると、メイド服を着た女性が入室して来た。


 アオイが目覚めていることを認め、


「アオイ様! お、お目覚めになられたのですね!」


 と、一言。


 彼女は、アオイの返答も待たずに慌てたようにしてすぐ様出て行ってしまった。


 どうやら人を呼びに行ったようで、数分後、鎧姿の騎士たちが入室してきた。


 しかし、マサヒロと元冒険者の三人の他にジョン大隊長の姿が見当たらなかった。


 まさか! と最悪の事態を想像したアオイだったが、駆け付けてきた騎士たちからマサヒロとその三人は無事で、先に帝都に帰投したと聞いた。


 それから、ブラックドラゴンの姿を取ったオフェリアの襲撃から、既に一週間が経過していることを知り、アオイは驚愕した。


 つまり、治癒魔法があるこの世界で一週間もの間目を覚まさないほどの重症だった訳で、まさに生死の境をさまよっていたのだ。


 オフェリアのドラゴンブレスは強力で、あの場から離れていた本陣の一九人と第二陣の六〇人は無事だったが、その攻撃で第一陣の騎士たちは、全員――勇者パーティー以外の約一三〇人――が命を落とした。


 アオイについてきたジョンに於いては、彼女を庇うように覆いかぶさって亡くなっていたことを、彼の副長から聞かされた。


 私の後ろにいれば助かったかもしれないのに……とアオイは、


「ばかっ」


 と、それだけ言って泣いた。






 此度の遠征で勇者パーティーは――壊滅した。


 五年前の勇者も含めての全滅とは違い、今回は勇者全員の息があるものの、壊滅した事実は、到底受け入れられるものではなかった。


 今回の任務は、なにも有名な魔人を討伐することが目的ではなかった。

 単なる……単なる魔獣被害の救援が目的だった。


 ドラゴンがいたにしろ、事情を詳しく知らない者達からしたら、魔獣相手に壊滅したと不甲斐なく感じることだろう。


 その事実が周辺諸国に知られることは、それほど遠い未来の話ではない。


 それは、別の事件と共に世に知れ渡ることとなるのだった。


 ――聖女オフィーリアの失踪。


 つまり、彼女の死を意味していた。


 事実は、ヒューマンのフリをやめたオフェリアが魔族領に戻っただけなのだが、そんなカラクリだと誰が予想できるだろうか。


 サーデン帝国は、「聖女を守れなかった」という、禁忌にも似た不名誉なレッテルを貼られことになる。


 またしても、コウヘイの関係のないところで、ファンタズム大陸の歴史が勝手に動き出すのであった。

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