第068話 死の砂漠谷の激闘の裏で

 コウヘイは、テレサ冒険者ギルドでエヴァと分かれたあと、ファビオから彼女の素性を聞き、心が揺れていた。

 そこで、アリエッタから討伐報酬の総額を聞き、あまりの金額に腰を抜かすこととなった。


 そんな、悪い話と良い話をどちらからエルサたちに説明しようかと、白猫亭へ向かう夜道を一人歩いていたコウヘイが頭を悩ましているころ。


 満月の光に照らされた勇者一行は、死の砂漠谷へと再び足を踏み入れていた。


「よし、できればあの丘の上に陣取りたい。みな急げ」

「「「「「おおー!」」」」」


 カズマサの掛け声に、騎士たちが足に力を込めて馬の脇腹を打ち、進む速度を上げた。


 斥候の話によると、その丘を越えた先に昨日討伐し損ねた魔獣たちが、パルジャへ向けて進行中とのことだった。


 し損ねたというより、完全な敗走状態――完敗だった。


 昨日の戦闘では全員逃げるのに夢中で散り散りとなり、結局パルジャまで帰還できたのは二四〇人程度で約七〇人が魔獣の餌食になったか、逃亡した計算になる。


 否、帝国屈指の近衛騎士団のことだから逃亡は無いだろう。


 それは、勇者たちがこの世界に召喚されてから、はじめての敗北だった。


 パルジャまで帰還したときのカズマサたちは、その事実に相当苛立っており、アオイを送り届けた近衛騎士団のジョン大隊長に強く当たっていたほどだった。


 その内容は、魔獣の異様な強さに関することが殆どだったが、撤退の際に最後尾の騎士たちが大分犠牲になったことに対し、カズマサはご立腹だった。


 何とも意外なことに、カズマサは殿を務め、騎士たちが撤退する時間を稼いでいたという。


 しかし、アオイを救うことを優先したジョンが撤退命令だけ下し、馬を急がせたことにより、騎士たちが我先にと敗走し、殿が機能しなくなってしまったのだ。


 その結果、孤立した騎士から魔獣に各個撃破され、その被害が拡大した。


 サーデン帝国近衛騎士団――

 帝国に数多ある騎士団の中で随一の精鋭集団で、皇帝を守る役目の彼らは、特別優秀な騎士たちだ。


 が、本来の役割は皇帝の盾であるため、軍団の中央にいることが常である。


 ジョン然り、その騎士たちは、撤退戦での殿を経験したことが皆無だった。

 とどのつまり、ジョンは命令の仕方を誤ってしまった。


 カズマサとジョンたちの遣り取りの様子を遠目にして見ていたアオイは、少しでも帰還してくる騎士たちがいないか、復旧作業中の城門前で遅くまで待っていた。

 それでも、結局その数は一〇人にも満たなかった。


 勇者たちが魔獣たちに攻撃を仕掛けたおかげでその日の夜は、パルジャへの魔獣襲撃は起こらなかったが、その代償はあまりにも大きすぎた。


 近衛騎士約七〇人の死亡または行方不明という結果は、そう簡単に容認できるものではない。


 たった三〇〇匹の魔獣を倒すために人間七〇人が犠牲となったのだ。


 割に合わないどころではない――まさに完敗だった。


 パルジャの衛兵たちが既に壊滅していたため、勇者一行が交代で物見を行い、翌日の日中は身体を休めることにした。


 そして、その夜――今夜。


 勇者たちは、あの魔獣たちを殲滅すべく、再び死の砂漠谷に進軍していたのだ。


 残りの魔獣、約五〇〇に対し、カズマサたちは一五〇人で行軍している。

 生存者は約二四〇人だったが、先の負傷で約三〇人は前線復帰が難しかった。


 では、残りの二個小隊、六〇人はどうしたかと言うと、側面攻撃をするために別行動を取っている。


 今回の作戦は全てカズマサが考えた案で、当初、ジョンは猛反対した。

 ただでさえ数で劣勢の勇者一行が二つに分かれるなんて考えられない、と。


 今までの魔獣を相手に考えれば問題ないかもしれないが、今回の魔獣の戦闘能力は、今までの倍と言っても過言ではないほどに強力だった。


 それは、別に一方的にそう決まった訳ではなく、この世界らしからぬ民主主義的な投票で決定された。


 民主主義国家で育った勇者らしいと言えば、らしいが、それに意味があったかは何とも言えない。


 アオイは、戦術などよくわからなかったが、彼女はジョンの案に投票した。

 その他は、カズマサ側についた。


 その結果、カズマサの案で二度目の魔獣討伐を行うことになったという訳だ。


 カズマサ、ユウゾウ、そしてアオイたちがいる一五〇人を第一軍。

 別行動の六〇人を第二軍とすると、第二軍にマサヒロと冒険者から引き抜いた三人の他に、アオイ以外の魔法騎士全てと、弓騎士を多めに配置して側面攻撃をするというのが、今回の作戦だった。


 カズマサは、前回の敗因を前線で倒しても倒しても次の魔獣が襲ってくるため、きりがないことを挙げていた。 


 その他の意見では、魔法士のイシアルから魔法攻撃を後方から撃つと前線の騎士たちに当たってしまう危険性があり、魔法士もやり辛いというものもあった。


 それらを総合的に考慮して側面から魔法攻撃などの遠距離攻撃を行うことで、前線の騎士たちを気にする必要がなくなる。


 更に、前線と中央の間にその攻撃を当てれば、前線も少しは休む暇ができるはずだという期待もあった。


 一応、理屈としては成功しそうだが、


「どうなることやら」


 と、アオイは懐疑的だった。


 アオイは、今回のことで、他国の人々や仲間を思いやる面を見せたカズマサを少し見直しもした。

 それでも、コウヘイへの仕打ちを帳消しにするほどではない、と考えは変わっていなかった。


 今回の戦闘で、カズマサたち三人に戦線離脱をしてもらう予定のアオイだが、できる限り魔獣の数を減らさないと、パルジャに残る民間人に被害が出てしまう危険性を危惧していた。


「先ずは目の前の魔獣たちをどうにかしないと……」


 完全に私情を持ち込んでいるアオイは、この戦場で危険分子でしかなかったが、彼女の拗れた感情を正すことができる人物は、残念ながらこの場にはいなかった。


 閑話休題。


 予定通り、少し小高い丘の上に陣取ることに成功した第一軍は、眼前の魔獣を馬上から見据える。


 しかし、魔獣たちが目前に迫っており、騎士たちは急ぎ隊伍を組み、突撃の準備にカチャカチャとミスリルの鎧の音をさせた。


 その様子に気付いた魔獣たちも進行速度を上げて向かってきていた。


 先ずは、弓を装備した騎士五〇人が前へ出て矢をつがえる。


「今だ、撃てえええー!」


 カズマサがそう掛け声をあげ、第一軍の弓矢が一斉に放たれた。


 うん、やっぱり駄目ね、とアオイがぽつりとため息交じりに呟いた。


 放たれた弓の約八割ほどが魔獣に突き刺さり、見事な命中精度であったが、殆どの魔獣はそのまま前進してきた。


 それに追撃する形で東側に布陣している第二軍からも矢が飛んでいき、少し遅れて魔法攻撃が前方の魔獣たちへと着弾し、盛大に魔獣を吹き飛ばすと共に砂塵が辺りの視界を覆った。


「くそっ、行くぞ。俺に続けえええー!」


 魔法攻撃によって発生した砂煙が晴れ、魔獣の様子を確認したカズマサは、悪態をついてから突撃を開始した。


 今の攻撃で倒れたままな動かなくなった魔獣は、ほんの数十匹程度だった。

 

 そして一〇〇騎による一斉突撃が開始され、新たな砂塵が舞う。


 死の砂漠谷の入口付近とは言え、砂が多めの地質のため馬の突撃スピードが思うようにのっていない。


 そのせいで前回も突撃を行ったのは出会い頭の一回だけだった。

 それを考慮し、小高い丘から突撃を行ったが、同じ結果に終わりそうだった。


 ただ、魔獣の強さを十分に理解しているため、前回のような狼狽え混乱するような状況に至ることは無かった。


 必ず複数で魔獣を相手し、突撃後の砂埃が治まったころに、少し離れた東側から複数の魔法攻撃が魔獣たちを襲い、再び砂塵を発生させた。


 魔法攻撃によって足止めをくらった魔獣たちは混乱していたが、魔法攻撃の射程から外れた魔獣たちの勢いが止まらない。


「それじゃあ、俺も行ってくる。大崎、回復は任せたぞ」

「はい、副主将」


 残りの一個小隊、三〇人を率いて押されている西側の左翼に突撃を開始をしたのは、ユウゾウだった。

 本来、彼は弓撃手なのだが、体力も高いため今回は前線を補強するため長槍を手にし、突撃の砂塵に隠れるように前線へと姿を消した。


 そして、ユウゾウたちが魔獣たちと衝突し、前線の押し上げに成功したころ。


「ジョン隊長、私も出るわ!」

「はっ、え、何を?」


 この小高い丘に残っているのは、二〇人しかおらず、本陣というにははばかれる数だが、本陣で戦いを見守っていたジョンは、アオイの発言に目を見開き驚いた。


「言った通りよ。光魔法で私も攻撃してくるわ」

「そ、そんな無茶です! おやめください」


 剣術も上手いが、本来治癒魔法士であるアオイが、いきなりそんなことを言えば驚くのは無理もないことだ。


 一見、カズマサの作戦が上手くハマっているように見えるが、じわりじわりと魔獣たちが第二軍の方へ足を向けはじめていた。


 マサヒロの上級魔法を受けて魔獣たちは絶賛大混乱中だが、魔獣もバカではない。

 知性は低いが、倒すべき敵というものを本能で理解している。


 だから、魔獣たちが第一軍の相手を放棄して第二軍にへ進路を変更しても、何ら不思議はない。


 アオイは、左翼側で攻撃魔法を放ち、第二軍への注意を逸らすつつもりでいた。


 今までのアオイであれば、そんな自分勝手な行動をとることはしないのだが、このときの彼女は、私情に囚われている上に、魔法の秘密に気付き慢心していた。


 既にアオイは、自分が練った作戦が成功する未来しか描いていなかった。


 その作戦の方が騎士たちの被害を抑え、魔獣の数を減らせる。

 ユウゾウに接近していた方が、戦闘後に治癒魔法を怠ったと言われないようにするためにも都合が良い。


 などと、アオイは考えていたため、前線に行く必要があった。


 治癒魔法の効果を調整できるようになったとは言え、それは昨日のことで離れていると微調整が難しい。


 微調整というのは、死なない程度の治癒魔法で留めるということで、ユウゾウにはさっさとご退場願うつもりでいる。


 当初の計画では、マサヒロにも負傷してもらう予定だったが、今回の作戦で第二軍には接近戦に特化した騎士が少ないため、下手をしたら死んでしまう。

 そのため、第二軍へ魔獣の注意がいかないように配慮すること決めた。


 一度は、みんなもろとも死んでしまえと思ったことが無いとは言えない。

 それでも、流石にそれはやり過ぎだと、アオイは考え直していた。


 万が一、カズマサたちが死亡し、アオイのせいであるとコウヘイに知られなくとも、その事実が残ることをアオイは、享受できなかった。


 それだけは……


 それだけは、私の望むところではない! と、アオイは作戦を頭の中で反芻しながら、馬の手綱を握る拳に力を込めた。


 適度に怪我を負って、無能っぷりを晒してもらうだけで良いの。

 むしろ、回復した先輩たちを康平くんの元へ連れて行って謝らせるのも良さそうね。


 と、アオイは、肉体的な苦痛の他に精神的苦痛を与えるのも良いわね、と頬が緩むのを感じていた。


 それでも康平くんに対する数々の仕打ちに対する代償としては軽すぎるけど――


「先ずは目の前の魔獣を減らすことが先決なのよ!」


 と、ジョンの制止を振り切り、アオイが前線へ向かおうとしたとき。


 暴風と共にそれは突然現れた。


 本当にそれは突然で、アオイはその正体を理解するのに空を見上げたままの姿で固まった。


「な、何よ、あれ……」


 その上空には、体長五〇メートルはあろうかという漆黒の鱗で身を包み、月の光に照らされて艶やかに黒光りした巨大なドラゴンが、同じく漆黒の翼を羽ばたかせて魔獣たちの頭上高く空中を飛んでいた。


 大分距離があるはずなのに、羽ばたくたびに発生する荒れ狂う風に長く伸ばした黒髪が舞い、アオイは乱れた髪を押さえた。


「一体どこから……」


 アオイの呟きは、そのドラゴンの羽ばたき音にかき消され、誰の耳に届くことは無かった。

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