第024話 暗躍する影

 とっくに夜の帳が落ちたころ。


 魔導ランプが朧げに灯る薄暗いとある礼拝堂に、幼さが残る少女の姿があった。

 真っ白な襟を立てた上衣、裾が広がった祭服に身を包んだ彼女は、膝を突いて神々に祈りを捧げている。


 唐突に、凛とした声が響いた。


「首尾は?」


 ステンドグラスから差し込む月の光に照らされて神々しくも見えるその少女は、祈りの姿勢のまま一切身動みじろぎさえしない。


「お、恐れながら申し上げますと――」


 声を震わせて言葉を詰まらせたのは、その少女とは正反対に全身真っ黒な服の上に真っ黒なローブに身を包んだ青年だった。まるで、神前に跪くように身をこわばらせる。


「失敗したのね」


 少女の声音は静かでありながらも、青年の身を正させるのに十分な力がこもっている。


「はい、どうやらスキルに気付かれてしまったようで……」


 言い訳をするように青年が発言すると、その少女から膨大な力の波動が放たれる。


 その力の一端に触れた黒ずくめの男は、全身冷や汗をかきながら必死に懇願して許しを請うた。


「ああ、ど、どうかお怒りを鎮めください。どうかお許しを……」


 必死な言葉が、礼拝堂にこだまするように響く。


「べつに怒ってなんかいないわ。ああ、可哀そうな、ファーガル。そんなに震えなくていいのよ」


 ファーガルと呼ばれた青年は、さらに震えを大きくさせた。


 ああ、このお方は全てお見通しなのだ、とファーガルはこの先自分の身に何が起ころうとも抗えないことを覚悟し、真っ黒に染まった瞳を覆うように瞼を固く閉じた。


「言い訳は無用よ……失敗には死あるのみ」

「力なきものは力あるものの仰せのままに」


 冷たく言い放った少女に対し、ファーガルは魔人の掟を述べて覚悟を決める。

 あとはもう、そのときがくるのを待つのみだった。


 しかし、そのときは中々訪れない。


 このじれったさがファーガルに生への執着を思い起こさせるが、彼にはどうすることもできない。


「でも……」


 少女は、祈りを捧げる姿勢のまま静寂を破り言葉を続ける。


「これまでのあなたの忠義に免じて、今回は許してあげるわ」


 ファーガルは、その言葉に命が繋がったことの安堵よりも、彼女への忠誠を強めたのであった。


「言葉は無用よ。行きなさい」

「はっ」


 ファーガルが何か言う前に少女は、そう言って下がらせた。


 礼拝堂には少女のみ。


「まったく……インターミディエイトのくせに使えないわね。始末するのは簡単。でも、内乱でこの先どうなるかわからないし、手駒は多い方が良いから仕方がないかしら」


 少女は立ち上がり、礼拝堂のステンドグラスを眺めながら今後の計画を考える。

 瞬きの直後、コバルトブルーの瞳は真っ黒に染まった瞳へと変化する。


「アドヴァンスドたるこの私が、ヒューマンと仲良しこよしするのにもいい加減辟易するわ」


 その少女は、魔王ドランマルヌスの命によってヒューマンを演じているだけに過ぎない。


 魔王は、その強大な力の割に穏健派魔王と言われており、積極的にヒューマンとことを構えようとしないせいで魔族界から不満の声が挙がっている。

 それよりも、表立って魔王に進言できるほどの力を持った魔族がいない方が問題かもしれない。


 彼女は、ヒューマンから上級魔族と恐れられる力を有するアドヴァンスド魔人であり、力が物を言う魔族社会でトップフォーに数えられる強者であるにもかかわらず、魔王ドランマルヌスとの力の差は歴然だ。


 そもそも、魔王の力を凌ぐほどの強者は、誰一人として存在しない。

 他のアドヴァンスド魔人たちも彼女と同様に言われるがまま命令に従っている。


 そう、これまでは――


 実の所、数日前から魔族領は内乱状態に突入している。つまり、魔王に反旗を翻す存在が突如現れたのだ。


 魔族領から遠く離れた地にいる少女に詳しい情報は伝わって来ていないが、不安定な状況下で勇者たちが魔族領に進軍してきたら、少なからず魔族がダメージを負うのは想像に難くない。


 しかも、全種族の中で魔法の扱に長けた魔人を脅かすスキルを持ったコウヘイの存在が邪魔でしかない。


 いつも固まって行動していたのに、突然コウヘイが単独行動をし始めたという情報を得た。


 願ってもない好機だ。


 故に、コウヘイの元へ刺客を送ったが、どうやらファーガルは失敗してしまったらしい。

 彼女の最大の失敗は、いつでも始末できると考えた力ある者特有の慢心からだった。


 ただそれも、いまさら過ぎたことを言っても完全に後の祭りである。


 その少女は、至上命題として引き続きコウヘイが完全に覚醒する前に阻止するつもりだが、


「さて、どうしたものかしら……」


 魔王ドランマルヌスの命に従ったままヒューマンとして潜伏を続けるか、新興勢力に肩入れして己の力を示すべきかと思い悩むのであった。



――――――



 夕食を済ませた僕たち三人は、食後のティータイムと洒落込んでいる。

 イルマは、ティーカップを持ち上げてハーブティーの香りを楽しむように目を細める。すると、エルサがイルマの仕草を真似するように目を細めてティーカップの縁に鼻を近付ける。


 エルサはいったい何のつもりだろう。


 指名手配されている現状、問題が山積みなのだ。

 そんな和んでいる場合ではないと思いつつ、僕はイルマに尋ねた。


「で、これからどうするかなんだけど。イルマは、訓練に丁度いい場所を知らないかな?」

「うむ、そうじゃなぁ……いくら魔法が使えるようになったとはいえ、地力が全然じゃから。やはり、ダンジョンに潜るのが一番じゃよ」


 僕もダンジョンでの訓練が効率良いと思う。

 勇者パーティー時代に、僕は訓練の一環としてサーベンの森の奥にあるダンジョン――大深度迷宮――に潜ったことがある。


 大深度迷宮は、各階層が迷路状になっており、下へと潜っていくに連れて複雑になる。しかも、進めば進むほど魔獣の強さと出現頻度が上がるため段階的な戦闘訓練にはもってこいなのだ。

 ただ面白いことに、五〇階層より先はその法則が崩れて弱い魔獣しかいなかったり、だだっ広いホール状の階層があったりと不可解な造りになっている。


 まあ、僕とエルサでは、冒険者ランクの縛りで五〇階層より先に進むことはできないけど、低層であっても魔獣がわんさかといる。

 低層なら通路が狭いため囲われる心配が少なく安全だろう。魔獣が多い分、短時間で手っ取り早くお金も稼げるのだ。


 ただそれも、指名手配される前であれば可能だった話。


「いや、イルマの言うことはわかるよ。僕だってダンジョンが手っ取り早いと思うし。でも、もう帝都にはいられないから……顔バレしてない場所がいいんだよね」

「はいはい、はーい。それなら、予定通りわたしの里に行こうよ」


 威勢のいい声をあげたエルサから「ね? 名案でしょ」とキラキラとした瞳を向けられ、僕は罪悪感からどう説明したらよいかと言葉を詰まらせた。


「あー、それなんだけどさ……」

「何か問題があるの? ベルマン伯爵領にもダンジョンがあるんでしょ? そこでランクを上げればいいじゃん」


 奴隷解放の儀を終えたら、エルサの里に行ってからベルマン伯爵領管轄のダンジョンに行く計画をしていた。

 エルサはそれを思い出して提案してきたに違いない。


「そうしたいのは山々なんだけど。ほら、僕たちって指名手配されてるじゃん」

「うん、そうだね」

「いや、『うん』じゃなくて……」

 

 無邪気なエルサの笑顔がこのときばかりは少々煩わしい。


「あのね、エルサ。ベルマン伯爵領に行くには、先ず、帝都の東にあるアーディティ川を越えなくちゃいけないんだ。身隠しのローブがあれば大丈夫だとは思うんだけど、万が一橋の門を閉じられていたらそこでアウトなんだよ」


 アーディティ川は、帝都の北東部最終防衛線とされている幅数十メートルにも及ぶ大きな川。流れが急なため架かっている橋でしか行き来ができない。

 いまは、北方三国――マルーン王国、トラウィス王国、ウルエレン王国――と同盟を組んでいるため形骸化しているものの、橋の両側には砦がある。しかも、帝都から馬で一日もしない距離だから封鎖されている可能性が非常に高いのだ。


 商人の交易ルートであるため封鎖までされる可能性は半々。けれども、指名手配の内容に魔族との手引きが含まれている以上、やはり封鎖されていると考えて慎重に行動するべきだろう。


「それに、上手くそこを突破できたとしても、ベルマン冒険者ギルドには立ち寄れないんだ。ベルマン地方は特に魔獣災害の頻度が高くて、そこの冒険者と共同作戦を何度かしているから面が割れてるんだよ」

「そっかー、じゃあ、腰を据えて活動できない訳か……」

「ごめんね、エルサ」

「ううん。大丈夫」


 エルサは、大丈夫と言いながらも下唇を突き出して残念そうにしている。

 僕がエルサを慰める言葉を探していると、イルマが言った。


「ふむ、てっきり北を目指すのかと思っておったが、そうじゃないんじゃな?」


 イルマは鋭い。あらかた僕の考えを予想していたようだ。


「いや、本当は北を目指していたよ。国が違くても冒険者ランクは引き継がれるらしいし、トラウィス王国で昇級を目指すことを考えたんだ。最終的には、マルーン王国に拠点を移してエルサの病気に効く薬草を採りに行きたいなってさ」

「はぁー、これまた壮大な夢をみておるようじゃのう」


 イルマの言う通りだ。僕の話は夢物語と言われても否定できない。異様に長い名称の解呪草かいじゅそうは魔族領にあるため死の砂漠谷を越えなければならないのだ。


「いや、わかってるって。さっきイルマに経験不足を言われて僕の考えが無謀だって気付いたし、冷静になって考えたら川を渡れない可能性にも気付いたんだよ」


 指名手配されていると知ったとき、僕は驚いたものの、身隠しのローブさえあればどうにかなると考えていた。

 けれども、葵先輩には気付かれていたのだ。姿を消せる理由までは知らないようだけど、その事実を知られている時点で対策を講じられてしまう。


「だから、南のバステウス連邦王国に行こうかなって考えてる」


 サーデン帝国とバステウス連邦王国は、十数年前に停戦したらしいけど、未だに国交は復活していない。それならば、僕たちに対する追手が掛からないと考えたのだ。


「ふむ。それなら、南の辺境に新しくダンジョンができたらしいぞ」

「南の辺境?」

「うむ。連邦王国との国境が近いから最悪は直ぐに拠点を移すことも可能じゃ」


 エルフの賢者と言われるだけあって、イルマは色々と情報通なようだ。それに、僕が心配している帝国の追手のことも考慮に入れてくれていた。


「それに若いダンジョンじゃから、それ程強い魔獣もおらんようじゃし、新しく仲間を募るにもうってつけじゃろ」

「ああ、それね……」


 先程もその話になったけど、丁度食事が終わって片付け始めたので有耶無耶になっていた。


「僕もできることなら仲間を増やしたいけど、魔力を吸わせてくださいって言って『はいわかりました』って言う冒険者はいないと思うんだけど」


 正直、そのうたい文句で仲間になる人は変態でしかないと思う。


「あとは、冒険者が無理となると……」


 残るは奴隷と言いかけ僕は、エルサの視線に気付いて口を噤む。


「何を言っておるのじゃ。アレはかなりいいもんじゃぞ。一度、騙してでもいいから吸収させれば、みんなコウヘイの言いなりになると思うぞ」

「何を言ってるんだよ、イルマ!」


 風の短剣の使用回数や身隠しのローブの代金だけに関わらず、どんな魔法が存在するのかイルマを訪ねる機会が増え、いつの間にか魔法の訓練の帰り道に毎日寄るのが日課になっていた。


 その都度、僕は訓練の状況を話してアドバイスを貰ったりしていたのだ。


 エルサが魔力を吸収される感覚を説明したところ、イルマが興味本位に頼んできたので魔力を一回だけ吸収したことがある。

 イルマは少女の見掛けだけど、六四八歳の婆さんである。僕がその場面を思い出した途端、イルマの恍惚とした表情と漏れ聞こえた声が鮮明に蘇り背筋に寒気が走った。


 僕の人生の中でもトラウマになるレベルの記憶だ。


「まあ、それは冗談じゃよ。だからわしが付いて行くとしよう」

「そうか、冗談だよね。うん良かった……ん、何か言ったかな?」


 色々なことがありすぎて今度は幻聴が聞こえたような気がする。


「じゃから、わしもコウヘイたちに付いて行くと言ったのじゃよ」

「はい?」


 なぜそうなるんだ? 意味がわからない。


「なんじゃ、不服か?」


 イルマは、その年齢だけあってかなり博識で魔道具も作れる。

 魔法眼調べでエルサの数倍の魔力量があることもわかっている。

 正直、イルマが仲間になってくれるならかなり心強い。


 けれども、そんなうまい話がある訳ない。


 僕は、本心を確かめるためにイルマから聞いていた話を例に挙げて言い返した。


「い、いや不服とかそういう問題じゃなくて、この店とかどうするんだよ。エルフの里に飽きてサーデン帝国までやって来て帝都に店を構えたんじゃないの?」

「うむ、その通りじゃ」

「ならなんで?」

「コウヘイたちに付いて行った方が面白そうじゃからの」

「……お、面白い?」


 予想外な理由に、僕は首を傾げる。


「そうじゃよ。無詠唱魔法なんて思ってもいなかったしのう。歴史上の勇者だってそんなことをした者はおらん。コウヘイに紋章は無いが、本物の勇者よりよっぽど勇者らしいと思うのじゃが」


 イルマは、ここ数百年よりもここ数日の方が刺激があって楽しかったと補足し、


「なんなら夜伽の相手をしてやらんこともやぶさかではないぞ」


 とふざけたことを言ったためどこまで本気なのか判断に迷う。


 それでもやはり、イルマは僕の言葉を信じてくれる数少ない人物であり、エルサもイルマの能力を認めている。


 結局、イルマの決意は揺るがず、明日から三人で行動を共にすることが決定したのだった。


「うむ。そうと決まれば、店仕舞いの準備じゃ」

「「おおー」」


 イルマの掛け声に応じた僕とエルサが店内の物を片っ端からイルマの魔法袋に放り込みはじめる。


 順調に進んでいた片付けは、やがてイルマの自慢からはじまった魔道具解説から遊びに発展してしまう。散らかしてしまったせいで余計に時間が掛かったものの、日付が変わる前にベッドだけを残してきれいさっぱり片付いた。


「いやー、物が無くなると結構広いんだね」

「はは、そうじゃな」


 イルマの乾いた笑いに、べつに他意はないんだけどな、と僕は思いながらも敢えて訂正はしない。イルマはどうやら片付けが苦手なようである。ただそれも、何でも収納できる魔法袋のおかげで問題なく片付けが完了したのだから文句はない。


「じゃあ、明日に備えて寝ようか」


 僕は、魔法の鞄から厚手の敷物を取り出して床に広げる。


「コウヘイ、何をしておるんじゃ?」

「え? 何って……」


 はっ、まさか!


「明日からは、しばらくベッドで寝ることはかなわんじゃろう。身体を休められるときに良質な睡眠をとるのは冒険者の基本じゃ」


 イルマが尤もな理由を述べながらローブやワンピースを脱ぎ始め、エルサもそれに倣って胸当や腰鎧を外していく。


 なぜか僕に拒否権は無かった。


 結果、黒いキャミソール姿のイルマと一糸まとわぬエルサに挟まれ、ベッドの上で眠れない夜を過ごさざるを得なくなってしまったのだった。


 日本で高校生をしていては絶対に経験できない状況に、この世界の貞操観念はどうなっているんだよと、文句の一つでも言いたくなる。そんなある意味拷問に近い仕打ちを受けながらも、僕は意識を切り替えてこれから先の冒険に想いを馳せる。


 不安がまったく無いと言ったら……嘘になる。


 が、自分でも意外なほど心配はしていない。

 

 先輩たちのやっかみのせいで濡れぎぬを着せられはしたものの、いまの僕はいままでの僕じゃないのだ。

 つまり、魔力が無いせいで役に立たなかったどころか、それを甘んじて受け入れていたゼロの騎士ではない。


 いまの僕は、スキルのおかげで魔法が使えるようになり、エルサの苦しみを和らげられる。仲間のためになっているのだ。しかも、僕とエルサの相性は、当初期待していた以上に抜群だった。

 さらに言えば、賢者と呼ばれるほどのイルマも仲間になったのだ。


 この状況でこれからの冒険を期待しない方が嘘だ。


 この三人であれば、きっと――いや、絶対強くなれる!


 そう確信した僕はこれからの覚悟を静かに口にした。


「ゼロの騎士とはもう呼ばせない」


 それから僕は、ゆっくりと瞼を閉じるのだった。

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