第006話 道具屋の少女
デミウルゴス神歴八四六年、六月二六日、復元――モーラの曜日。
黒猫亭の前に立った僕は、酔いが残った頭と凝り固まった身体を解すように夏の訪れを感じさせる強めの朝日へ向かって伸びをする。
「うぅーんっ、気持ちいいー!」
そこへ、心地よい風に乗って小鳥の囀りが耳に届く。本当に気持ちの良い朝だった。
「さて、宿代も確保できたし、どこまで一人でできるか試してみるかな」
ミスリルの大楯の売却代金と捕縛報酬で資金に余裕が生まれた。そのおかげで、黒猫亭の宿泊費一週間分を先に支払うこともできたのだ。さらに、壊れた……いや、壊してしまったベッドの弁償も済ませた。
残る問題は、僕自身の戦闘能力の再確認である。
先輩たち勇者パーティーの目があるため、拠点を帝都から移したいのが本音だ。それでも、この世界に召喚されてから一人で行動をしたことがない。戦闘は、パーティー行動が基本だったし、大規模遠征の場合には帝国の騎士や兵士が数百人規模で帯同していた。
つまり、一人でどこまで戦えるのか、僕自身が把握できていないのだ。
先ずは、宿代を先払いした一週間で自分の実力を確認し、今後の目標をどうするか決めることのにしたのだ。一人でも戦闘をこなせるようなら、宿代が無駄になったとしても帝都からさっさとおさらばするつもりである。
「目標、冒険者ギルド! いざ出陣!」
僕は、そんな恥ずかしい掛け声を誰に言う訳でもなく、これから待ち受ける冒険に夢を抱き一人歩き出す。
黒猫亭から冒険者ギルドへ直行した僕は、冒険者ギルドに入るなり手頃なクエストを探すためにクエストボードの前までやってきた。
マシューさんと飲み過ぎたせいで寝坊したから、時間帯が中途半端なのかもしれない。今日は、昨日ほど注目されることはなかった。
勇者パーティーに所属していたとき、訓練参加は自主性に任されていた。だからといって僕は訓練をさぼったことはない。魔力量ゼロの僕は、己の身体だけが頼りなのだ。柔道部のときと同様、日々鍛錬に勤しんでいた。
ただ、魔獣災害対策のために開かれる午後の会議のあとに実施していたため、朝はそんなに早くはなかったのだ。そう考えると、重役出勤と言われる類かもしれない。
マシューさんによると、勇者とは違い冒険者の朝はとてつもなく早いらしいのだ。
帝都サダラーンの北にあるサーベンの森の奥には、ダンジョンになっている遺跡がある。どうやら、帝都に籍を置く冒険者たちのほとんどはそこに潜るのだとか。
「やっぱり、ダンジョンより手前のサーベンの森で達成できるクエストがいいな」
ロックランクに設定されているクエストは、ほとんどが薬草採取関係だった。対して魔獣討伐のクエストは、討伐よりもその素材採取を目的としたものばかり。しかも、シルバーランク以上に設定されていたのだった。
いくら探しても目当てのクエストを見つけられなった僕は、昨日ミーシャさんから言われた通り素直に質問することにした。
「あのー」
「おはようございます、コウヘイさん。今日は、クエスト受注ですか?」
当初の塩対応は何処へやら、満面の笑顔で出迎えてくれた。思わずその笑顔に照れてしまい、顔がほんのりと熱くなる。
「あ、そうなんですけど。ロックランクに指定されている討伐クエストとかって、ないのでしょうか?」
「うーん、そーですね……」
ミーシャさんは、記憶を探るように唸りながら手元の書類を何枚か捲ってから説明してくれた。
「いまは、落ち着いているようで討伐関係は少ないようですね」
本来、討伐クエストが少ないことは平和を意味しているハズだ。にもかかわらず、とにかく腕試しをしたい僕にとっては非常に残念な話だった。
それが表情に出てしまったのだろうか。ミーシャさんが思い出したように補足してくれた。
「ただ、クエストとして発行されていませんけど、ゴブリンにウルフやボアといった害獣系の魔獣であれば常用依頼になっていますので、討伐証明部位を持って来ていただければ報酬が出ますよ」
害獣系の魔獣というのは、人を襲うだけではなく田畑を荒らすことからそう呼ばれているらしい。
「あ、そういう仕組みなんですね」
「そういう仕組み?」
「あ、いえ。こちらの話です」
ゲームやラノベの知識と照らし合わせて納得したなどど言える訳もなく、僕は笑って誤魔化した。
「ちなみに、討伐証明部位は、ゴブリンが右耳、ウルフとボアが右前足になります。さらにそれぞれ五匹ずつ討伐すればボーナスもありますので頑張ってくださいね」
おまとめポイント的なやつだろうか?
ミーシャさんの説明はとても丁寧で非常にわかり易い。それなら採取クエストを受けつつ、常用依頼の魔獣を狩ることにしよう。
そう思った僕は、冒険者カードを手渡してクエスト受注の手続きをお願いした。
「はい、回復草の採取クエストを登録しました。では頑張ってくださいね。あと、一人なのですからあまり森の奥には行かないように気を付けてくださいね」
「あ、はい。気を付けます」
「あーでも、ファイティングファングを素手で倒しちゃう位に強ければ、そんな心配は無用ですかね」
昨日の悪漢を引き合いに出して訂正したミーシャさんが舌をぺろっと少し出して微笑んでくれた。
やばい、ミーシャさんが可愛いすぎる……
「あ、いや、でも、気を付けることにします。そ、それじゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃいませ」
あまりの可愛さに少しキョドってしまったのが悔やまれた。それでもやっぱり、可愛い子にお見送りされるのはやはり気持ちが良い。
いままで、そういった女性たちの声援は、内村主将たち勇者に向けられていた。いうまでもなく、僕への声援は皆無だったのだ。
「それにしても、討伐証明部位とか切り取らないといけないのか……」
勇者の役割は、魔族や魔獣を討伐することだけ。つまり、ひたすら討伐して魔法袋に詰め込めるだけ詰め込み、定期的に城の担当官へ提出していたから、特段そういった作業をしたことがないのだ。
いまの僕は、その魔法袋もなければ証明部位を切り取るための刃物も無い。
僕は、色々と準備が必要なことに嘆息し、森に行く前に道具屋に立ち寄ることに決めたのだった。
――――――
北の門へ向かう道すがら見掛けた道具屋に入ると、狭い売場に所狭しと物が積まれるように置かれていた。
「へー、沢山あるな」
一応、種類ごとに纏められているようだけど、ごちゃっと放置されている感じで、種類も多く雑貨屋の方がイメージとしては近いかもしれない。
「あのー、すみませーん」
これは、自分で探すよりも聞いた方が早いなと思い、お店の人に自分の存在をアピールする。
「あのー、すみませーん」
反応が無いためもう一度叫んだけど、一向に人が来る気配すら感じられない。
「あーのー、すみませーん!」
「はいはいはい、聞こえとるよ。そんな怒鳴らんでも良いじゃろ」
三度目になってようやくカウンター奥の通路から床まである長い
聞こえているなら一回目で出てきてほしい。
「魔法袋と小型ナイフを……」
「ん、なんじゃ?」
やっとお店の人が出て来たのでお目当ての物を伝えようとして、その特徴的な容貌に言葉が詰まる。
年のころは、一〇代前半にみえる少女だった。肩先より少し長い輝く金髪。白目の部分も含めて透き通る緑の瞳をしており、日本ではまず見かけない容姿をしていた。
ヨーロッパに行けばいるかもしれないけど、僕からしたら珍しいことに変わりはない。さらに言えば、サーデン帝国人の一般的な見た目は、栗色の髪に茶色の瞳なのだ。しかも、横に広がる尖った耳を持っていた。
それが故、僕は覚えていたのだ。
「勇者召喚のとき、城の広間にいたよね?」
「おお、お主は確か……カダグリヨウヘイ!」
「ち、違う。片桐康平だよ」
名前を間違って覚えられており、すかさず僕はそれを訂正した。
「うむ、異世界の名前は聞きなれないから覚えにくいのじゃ」
「それよりも、なんできみがここにいるの? 親御さんの代わりで店番かな?」
そう言った途端、少女が持っていた杖が飛んできて僕の意識が刈り取られたのだった。
気が付くと知らない部屋のソファーの上に寝かされているようだった。ただ、僕の全身が納まらず、ふくらはぎから先が飛び出している。
「あれ、ここは?」
上半身を起こして顔を辺りへ巡らせると、草色の魔法士ローブを羽織った先程の少女の姿があった。
背の低い丸みを帯びたテーブルを挟んだ向かいの椅子に座っており、特徴的な尖った耳をぴくぴくと小刻みに動かしている。
「目を覚ましたか、コウヘイとやら」
「どうして僕は寝ていたの?」
すると、その少女は動揺したように
ああ、この子のせいなのか。というか、杖のようなもので殴られたのを思い出した。
「えっと、あれは、まーなんじゃろな?」
「殴ったよね?」
「ギクっ」
それを口に出して言う人をはじめて見た。
「あ、あれは、お主がわしのことをバカにするからいけないのじゃ。だ、だからわしは謝らんからな」
プイっと明後日の方向へ顔を向けて両腕を組んだ。
「ごめん、何が何だか事情がわからないんだけど……」
僕は、その少女を促して事情を説明してもらうことにした。
「事情といっても特にないのじゃが……」
「いやいや、あるでしょ。ほらっ、まだきみの名前も聞いていないし」
それに、年寄り臭い語尾が非常に気になる。
エルフ族の知り合いがあまりいないから断定できないけど、種族的な特徴であるハズはないだろう。帝国の数ある騎士団の一つに、エルフ族のような騎士団長がいたけど、ふつうの話し方だった。
「ふむ、確かに、それもそうじゃな。わしは、イルマ・ウェイスェンフェルトじゃ。気軽にイルマと呼び捨てにしてくれて構わん」
「そう、じゃあ、僕も呼び捨てでいいよ。それで、なんで僕は殴られたのかな?」
「いやっ、じゃから――」
「別にバカにしたようなことをした覚えはないんだけど」
同じことの繰り返しになりそうだったため、食い気味にそれを牽制したら、反論するようにイルマが語気を強めた。
「ば、バカにしたであろうに! わしを子供扱いしたではないか!」
「あっ! え? でも……」
原因が判明したけど、それは余計に僕を混乱させた。
だって、子供にしか見えないんだもん!
「なんじゃ?」
「いや、別に……」
心を読まれたのか、明らかにイルマの表情は曇っていく。子供扱いされたことがそんなに悲しいのだろうか。
「まったく、お主らヒューマンは人を見た眼でしか判断ができんのか」
大げさなほど肩を大きく上下させ、ため息を吐いたイルマが組んでいた足を組み替える。その際に、捲れたローブの隙間からすらっとした色白の生足が垣間見えた。
ただ、残念なことに、見た目が幼いため全然嬉しくない。むしろ、子供が大人ぶった仕草をしたように見えて余計に可笑しかった。
僕がそんなくだらないことを考えているとは知らず、イルマは説明を続けた。
「そもそも、わしが子供だったら、勇者召喚の現場におるはずなかろうて。よく考えてみるのじゃ、コウヘイよ」
「あ、確かに……」
「わしは、こう見えてエルフの賢者とも呼ばれておるのじゃぞ」
その得意げな顔のイルマを見て、僕は驚くというよりもまだ背伸びをするのか、と変に感心してしまう。
「賢者ってあの、賢者?」
「なんじゃ。信じておらんようじゃの」
「いや、だって、ねー?」
「何が、『ねー?』じゃ。わしは今年で六四八歳になる」
「はっ?」
年齢を聞いた僕は、さすがに素っ頓狂な声を出してしまった。
「そんな嘘だっ。エルフ族が長寿なのは知っているけど、精々二〇〇とか三〇〇だって聞いているけど……」
イルマは何を思ったのか、ニヤニヤと気味の悪い笑顔だった。
「それは、一般的なウッドエルフやダークエルフの話じゃよ。わしは、ハイエルフなんじゃ。千歳くらいなら余裕じゃて」
それを聞いた僕は思わず息を呑んだ。
その話が本当だとすると、賢者と呼ばれていると言ったのも、あながち間違いではないのかもしれない。いくらここがファンタジー世界であったとしても、日本の常識がまったく通用せず混乱してしまう。
「ん? でも、待てよ……もし、それが本当だとすると、あの日あの場所に居たってことは……まさか!」
子供の戯れに付き合っている感覚で楽しく話していた僕は、べつの可能性に気付き――驚愕した。
「じゃから、そうじゃと言っておろうに。それだけ生きておれば、自然と魔法知識が増えたもんじゃ。それ故、賢者と呼ばれるのもさして不思議ではないじゃろう。そうともなれば、ヒューマンたちの中にもわしのことを聞き及ぶ者がでてくる」
イルマの話を聞いている内に、少しずつ身体が震えていくのを感じた。
そして、耳を塞ぐようにイルマの話を拒絶する。
やめてくれ! それ以上聞くと確信してしまう……
「つまりじゃ――」
それでも聞こえた。
やめろ!
「態々わしの居場所を突き止めてまで――」
必死に隠していた感情が――
やめろ、やめろ!
「皇帝と――」
少しずつ這い上がるようにして――
やめろ、やめろ、やめろ!
「聖女が――」
心の奥底から湧き上がるようにして――
やめろ、やめろ、やめろ、やめろ!
「依頼してきよったんじゃ――」
ソレは溢れ出し、僕の中を埋め尽くした。
「勇者召喚をな」
やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろぉぉおおお!!
『つまりじゃ。態々わしの居場所を突き止めてまで皇帝と聖女が依頼してきよったんじゃ。勇者召喚をな』
それを聞き、何も考えられなくなった僕の頭が真っ白になる。
しかし、じんわりと真っ白なキャンパスを埋めるように真っ黒に埋まっていく。
まるで憎悪に塗りつぶされたように、真っ黒と――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます