《第十ハ章 麦酒祝祭は大騒ぎ》
魔王を討伐した英雄、勇者が暮らす村があるグラン地方、そしてその領地グラン王国の首都である王都のグラン城の玉座の間で王は満面の笑みで上機嫌だった。
王の息子、つまりユルゲン王子の縁談がめでたく成立したのだ。お相手の姫君も申し分ない。
だが、問題は……
「なにか国民の皆と祝えるような
城下町の広場を活用してなにか楽しめるようなものがあれば……音楽会? いやそれはありきたりだし……。
当日は各国の要人も祝いに駆けつけるから平等に、機嫌を損ねることのないように注意を払わねばならない。
ううむ、とグラン王は頭を悩ませる。
「大臣、なにか名案はないものか?」
「は、私もなにか案はないかと模索しておりまして、そこで歴代王の文献を
名を
「それだ! まさに今回の催しにうってつけじゃ!」
グラン王はすっくと立つと各国の要人に宛てる便箋の用意をするよう大臣に言い付ける。
「魔王討伐の英雄一行にもお出で願おう!」
グラン王が満面の笑みを浮かべる。
一ヶ月後、婚姻の儀当日、どこまでも透き通るような青空にぽんぽんと花火があがる。
その下では数張りの巨大
天幕の中心には木組みの台座があり、その上には麦酒の入った巨大木樽がでんと鎮座されている。木樽にはその国の紋章が描かれており、天幕の上にも同じ紋章の旗がはためいている。
台座の下には屋台が並び、その国の麦酒がなみなみと注がれたジョッキや名物料理がディアンドルと呼ばれる胸元がやけに強調された衣装を着たウェイトレスが客へと提供していく。
人々が肩を組みながら、祝いの唄を高らかに歌い上げる。
と、ラッパの音が響き渡ったのでぴたりと歌うのを止める。
見るとグラン城のバルコニーからグラン王が姿を現すと人々から歓声の声が上がる。
王がす、と手を差し出すとぴたりと静かになる。そしてよく通る声で国民に話しかける。
「皆の者、今日はわしの息子の婚礼を祝う、記念すべき日である。また、この
皆、遠慮はいらん! 思う存分飲んで食べて盛大に祝おうぞ!」
王の開会の言葉に割れんばかりの拍手が鳴り響く。
「ではこれより麦酒祝祭を開始する!」
王の開会宣言に再び拍手と喝采があがる。
「すごい人だかりねぇ……」
「だろ? 俺たちもいろんな麦酒を飲みに行こうぜ!」
グラン王から招待された英雄、勇者とその妻シンシアが天幕の下に設置された長テーブルに座る。
その周りで英雄を讃えながらジョッキががちんと音を立てて乾杯の音頭がそこかしこにあがる。
「お待たせ! 麦酒祝祭限定のグラン麦酒と葡萄酒よ!」
ウェイトレスが勇者とシンシアの前にジョッキとグラスを置く。
「乾杯!」とふたりがかちんと杯を交わす。
シンシアが静かにグラスを傾けるのとは対照的に勇者はごくごくと喉を鳴らしながら麦酒を呷る。
「っはーっ! やっぱ泡が美味いな!」
ぐいっと口に付いた泡を拭う。
「やっぱりここにいたか」
「シンシアちゃん、飲んどるー?」
馴染みのある声だ。振り返らずともわかる。
武闘家のタオと大魔導師ライラの、英雄夫妻がそれぞれジョッキを手にふたりの前に現れる。
「やっぱお前らも来てたか」と勇者がかちんとジョッキとグラスに合わせて乾杯する。
タオとライラが住むノルデン王国も祝いに馳せ参じたのだ。
なお、ノルデン王国は美食の国と謳われ、その天幕からは名物料理パエーリャの香ばしい匂いが漂っている。
「あれ? シンシアちゃんは葡萄酒なん? せっかくの麦酒祭りやさかい、飲まんともったいないでー」
「今は葡萄酒飲みたい気分なので……」
「ほなら、この麦酒飲んでみぃひん? ノルデン王国で流行ってる木いちご味の麦酒やで!」
木いちご味と聞いてシンシアが目を輝かせる。
「じゃあ、ちょっとだけ……」
興味津々のシンシアがライラからジョッキを受け取るとちびっと飲む。
「美味しい……! こんな甘い麦酒って初めて!」
「せやろ? 他にも青りんご味とか桃味のもあるでー」
シンシアが目を輝かせているなか、ぬっと巨漢が現れる。
「おーう、みんな集まってきとるのぅ」
ドワーフのアントンがジョッキを片手に、もう片手には料理が山盛りとなった皿がある。
「みなさんお久しぶりです」
アントンの妻、エルフのレヴィが音色を思わせる声で典雅な動きでぺこりと頭を下げる。
その美貌に周囲の客から老若男女問わず、溜息が漏れる。
「俺ぁのところからはこの
アントンが差し出したジョッキには黒い液体がなみなみと注がれている。
勇者が少し飲んでみると、その苦みにわずかに顔をしかめるが、後味は意外と飲みやすい。
「こんなスモークの味がする麦酒初めてだ! おまけに度数が高いな。これ」
「麦芽を
笑うアントンの隣に立つレヴィは葡萄酒のグラスを手にシンシアとグラスをかちんと合わせる。
「これでみんな揃ったようやね……っと、セシルちゃんがおらんか」とライラ。
「あいつは神官だからこの場には来れないだろ?」
そうタオが言う。
「あのー……私も来てます……」
全員、声がしたほうを向くと私服姿のセシルが立っていた。
その隣に初老の男が荷車を曳いている。荷車には樽がふたつ並んでいる。
「みなさん、お久しぶりです……」
「せ、セシルちゃん、神官なのにえぇの?」
「はい……確かに私は宗教上、麦酒は飲めませんが、葡萄酒や果物から造られたお酒などは飲めます。今回の麦酒祝祭で招待を受けたのですが、私の故郷の村の村長様がどうしても村の自慢の酒を持って行ってくれと……」
「おらの村の自慢の
「クワス?」
全員がきょとんとする。そこへセシルが説明する。
「ライ麦と麦芽を発酵させて造る飲み物ですよ」
セシルが樽のコックを捻ると麦酒に似た液体がジョッキへと注がれる。
「私は麦酒は飲めませんので、せめてこれを代わりにジョッキで乾杯させてください」
「セシルちゃん……えぇ子や。ほんまに……」
ライラがセシルの頭をよしよしと撫でる。
「んじゃ、これでみんな揃ったことだし、あらためて乾杯するか!」
全員がジョッキとグラスを手にする。
「平和と最高の
がちんと乾杯の音が上がる。
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♪さぁ乾杯だ! 乾杯だ!
ジョッキ飲み干せ。飲み干したら、また麦酒注げ。
泡を口につけて、みんなで笑い明かそう!
1,2,3!
音楽隊の演奏に合わせて人々が肩を組みながら歌い、ジョッキをがちんと鳴らして乾杯すると飲み干す。
勇者一行ももう何度目か分からないほど乾杯の音頭を取ると、これまた何杯目かの麦酒を喉に流し込む。
勇者、タオのふたりの顔はすでに赤く、シンシア、ライラ、レヴィの女性陣も頬に朱が差していた。
酒豪のアントンは
セシルはと言うとクワスや度数の低い林檎酒しか飲んでないためか、そこまで酔ってはいなかった。
「セシルちゃん、大丈夫なん?」
ライラがセシルに声をかける。セシルは限度を超えて酔うと酒乱になるのだ。そのため、ライラはそれを心配している。
ましてや今回はこの祭り騒ぎだ。衆人環視のなかで神官が酔って酒乱になったとあっては世間に顔向け出来ないだろう。
「はい。まだそこまで酔っていません。そもそもそんなに飲んでいませんし……」
セシルが樽の、ちょうど彼女の顔と同じ位置にあるコックを捻ると黄金色の林檎酒が勢い良くグラスに注ぐと、それを客に手渡す。
「けっこう勢い良く入れるんやね」
「こうするごどで余分なアルコールを飛ばすんでさぁ」
樽を運んできた村長が言う。彼は客たちにクワスを振る舞っている。
「へぇ」とライラが樽を見る。
今回はセシルちゃんが酔っぱらってまう心配はあらへんね……間違って強い酒を飲むこともありそうにないし……。
そうライラはひと安心する。
「しゃっ! もう一回乾杯の音頭とるぞ!」
ジョッキの麦酒を飲み終えた勇者が顔を赤くする。
「またかよ。何度目の乾杯だ?」
そう言うタオの顔も赤い。隣でもともと赤ら顔のアントンががははと笑う。
「ウチはまだまだイケるでー?」とライラがジョッキを振り回しながら言う。
そんな酔いどれ英雄一行をシンシアは据わった目で見る。彼女もまた顔が赤い。
「むぅ……あのバカはまた飲んでばっかりで……」
ぐいっとジョッキを両手で持つとごくごくと喉に流し込む。
「すごいですわ。シンシアさん」
頬に朱を差しながらうふふと笑うのはレヴィ。彼女もまた何杯目かも分からない葡萄酒を飲み干していた。
勇者一行も乾杯の音頭を取ると同時に一気飲みする。
全員がぷはぁとひと息に飲み干したとき、そばから声をかけるものがあった。
「さすがは勇者一行様、良い飲みっぷりですな。もし良ければシャンパンはいかがでしょうか? 勇者様方には大変お世話になっていますので……これは国王から
シャンパンを手にしたグラン王国の大臣がぺこりと頭を下げる。
「おお! こりゃ悪いな!」と勇者が目を輝かせる。
皆も願ってもないというふうに目を輝かせる。
「ただちに栓を開封します。む、こりゃ固いな……」
大臣がなんとか栓を開けようと苦戦する。と、いきなりぽん! と空気が破裂するような音が響いた。
弾丸のごとく飛んだコルクは林檎酒の樽のコックに命中し、いっぱいに回されたコックから黄金色の林檎酒が勢い良く飛び出すとそばに立っていたセシルの顔にかかる。
勢いが弱くなると、林檎酒で顔と服がびしょ濡れになったセシルがけほっけほっと咳き込む。
「こ、これはとんだ失礼を……大丈夫でしょうか?」
大臣がハンカチを取り出し、仲間たちが「大丈夫か?」と彼女に聞く。
「だ、大丈夫……です……」
そう言うセシルの口から
「あ……すごい……いっぱい出ましたね……」
「セシルちゃん、その台詞はいろいろとあかん!」
白い肌に朱が差した顔のセシルは官能的だ。これにはたまらず周りの男たちもごくりと生唾を飲む。
ひっく……。
その可愛らしいしゃっくりに勇者一行はぴたりと動きを止める。
セシルの別の人格が露わになる合図だ。
セシルは両手を前に出すととろんとした目で言う。
「濃ぃいの、もっと
聞き慣れない方言ながらも魅惑的な神官の言葉は男心をくすぐるには十分、いや十分すぎた。
「その林檎酒くれ!」
「おれにもくれ! あの子に飲ませてやるんだ!」
「おい! 押すなよ!」
わいわいと男たちが我先にと林檎酒の樽へと手を伸ばす。
「わわわ……」
村長が慌てふためく。と、男たちに押されて荷車の留め具が外れたのか、荷車ががらがらと音を立てて天幕の中心、あの巨大な木樽がある台座へとまっしぐらに勢いよく向かう。
「あぶねぇ! 逃げろ!」
台座の下の屋台から店員と客が逃げ出す。荷車は屋台に直撃し、そのままその勢いで台座にぶつかる。
台座がぐらりと傾いだので客たちは衝撃に備えるように耳を塞いで目を閉じる。
だが、台座はかろうじて持ち堪えた。客たちがほっとするのも束の間。
木樽がゆっくりと台座から離れるように地面へと落下したのだ。
木樽は直下の屋台をぺしゃんこにするとそのままごろごろと天幕の外へと転がり出す。
悲鳴が上がるなか、木樽は隣の天幕に突入すると同じく台座に激突し、また転がり、また隣の木樽を転がしていく。さながらドミノ倒しのように天幕が倒壊していった。
酔いが覚めた勇者たちは呆然と立ち尽くしていた。さっきまで盛り上がっていた祭りがまたたく間になくなってしまったのだ。
勇者一行は顔を見合わせ、一様に頷く。
ひとますこの場は「とんずら」だ。
酔い潰れたセシルをアントンが抱え、赤ら顔のシンシアを勇者が背中におぶる。
酔っているのかもっと麦酒を飲ませろ、と勇者の髪を引っ張ったり、首を絞めてくる。
「ちょっとぉ! どこ行くのよ? まだ飲み足りないんらけどぉ!?」
「いまはそれどころじゃねぇよ!」
そそくさとその場を後にし、ひとり残された大臣はシャンパンの瓶を抱えたまま気を失っていた。
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