第二幕 十一話 Exile




 たった二人。この広過ぎるエントランスには今やたった二つの生命だけが、転がっている。冷ややかである筈の壁も床には熱どころか、本来ある冷たさすらも無い。無音ならぬ無温・・がこの城の内には詰められている。訪れる者に不快な感覚を与える仕組みの一つだが、それが今は幸いに働いていた。


 たった二人。これまで床に臥していたガンとアイネンは外界に広がるのは極夜の極寒だというのに、凍死も凍傷も起こさず無事に覚醒する事が出来ていた。


 「ぐぅ……! ユエシィ博士、エス、Mr.アイネン、無事か……?」

 呻きながらガンは身体を起こす。直接的なダメージを負ってはいないが、頭の中にこべりついた狂気の残滓・・・・・を振り払おうと彼女は首を振った。『頭の中に何かが残った』という段階で彼女は精神汚染を受けたと判断する。それが軽度で済んでいるのは、ガンだけではなくアイネンもだった。それは二人にとって不幸中の幸いとも言うべき事だろう。

 「無事、とは言い難いがな……」

 アイネンもまた同様に頭を振るっていた。

 彼も同様の精神汚染を受けたのだろうと彼女は察して、あと二つあるべき声が無い事に気付いた。

 「博士とエスは……」

 周囲には死体は無い。かと言って相手が相手である。無事な証拠も無い。彼女が考え得る最悪は二人とも連れ去られたという事である。だが、彼女はその『最悪』を前提とした。

 「Mr.アイネン、二人は連れ去られた可能性が高い。私は救出に向かうが……」

 そこで言葉を濁すのは盗聴されている可能性を考慮した上か、とアイネンは推量しそこを踏まえて彼は彼なりの意図を含んだ返答を行う。

 「無駄だ・・・。私も同行する」

 

 「了解だ、ならやる事は一つか」


 こうして二人きりで話す機会などほとんど無かった筈だが、対処に窮する場面になれば元々〈雇われ〉のアイネンと職業軍人であるガンはスムーズに意思の伝達が可能だった。


 二人は大階段に目を向ける。

 階段の先は左右に別れており、そこには侵入者を分断する意図を感じさせる。この城の建築様式は元より侵入者を想定した造りだと思わせる部分が細部から滲み出ている。ただ広いだけでは無い。通常、人は何かとの線引き、即ち境界線を無意識に判別する事が出来る。個人差はあれど大抵の人間はパーソナルスペースがあり、対人においても境界線を引いて自身と相手との分別を行う。だが、今この広大な空間にあるのは無意識に対する逆理を用いていた。


 境界を認識させない・・・・・・・・・・・結界。それをこの世界に現存する技術では〈矛盾闕界パラドクスバンド〉と呼ぶ。結界の技術は魔術の領域の業だが、既に希少技術となったらそれらを行使するのは一握りの組織だけである。神秘によって守られるのは神秘だけという事を理解する者達だけが結界を扱う。

 それでもその技術を諦められない者達も同様に居た。物事に明確な線引きを曖昧な機能で運用するそれは正しく神秘。


 『曖昧で明確な境界』という結界のコンセプトは意識させずに・・・・・・神秘とそうでないものを隔つ為であったが、諦められなかった者達は逆理を用いて結界の性質と真反対でありながら結界という技術を成立させた。

 矛盾闕界パラドクスバンドの効力はそれを熟知している者以外にはまず感知されない。効力は『排斥』という特性のみに特化した結界とは異なり多岐に渡る。成立に際し複雑な条件が必要となる。


 無意識によって発動する結界は人に意識させる・・・・・事で成り立つ。それは確かに従来の結界とは真反対の性質である。意識させずに人を退けるというのは超然とした力の作用があるがそれはやはり不自然で・・・・・・・、そこに気付く者はいる。だから極めて自然で、心理の隙間に付け入る矛盾闕界は『二律背反』の特性を持つ。

 故にこの場においての矛盾闕界は境界を作らない事で境界を作る・・・・・・・・・・・・・・事である。そこに立つ者は無意識の内に『ここに留まって居られなくなる』と働き掛けていた。


 多少の違和感を抱くアイネンを他所にガンは先行して大階段へと進んだ。

 階段の先、二手に分かれた道先は本来あるべきその先を漆黒によって隠匿されていた。見えるべき姿が無く、これが次なる階層に繋がっているとは到底彼女には思えなかった。

 「二手に分かれよう」

 左右で階段の先が別の場所・・・・に繋がっていると気付いた彼女はアイネンに提案する。


 彼女が示す階段の先を覗き見てアイネンもまた同じ懸念を抱く。

 「とことんタチが悪いようだな……ここの連中は」

 「お前達程じゃないだろう? 正面から異常を発してくれてるだけまだマシじゃないか。どこに繋がってるか分からない階段に、留まる事の出来ない場所・・・・・・・・・・・。罠として仕掛けるなら最高の組み合わせだが、私には分かる。これは罠じゃない、余興だ。奴ら・・の計画の事なぞ知った所では無いが──気に食わん」

 憎悪混じりに笑みを浮かべるガン。彼女がアイネンの懸念を一つ増やした事には気付いてはいなかった。

 「言うな・・・。どうせ行かなければならない事に変わりない。私は右から行く」

 言って彼女を置き去りにする様な形で、アイネンは右方に待ち構える漆黒の中へと姿を消した。

 やはりこの漆黒は別の場所に繋がっている。ガンの耳には彼が階段を昇る足音は聞こえなかった。

 「成る程な、次元断層を使ってるのか。それなりに金のかかる技術の筈だが……」

 彼女も同様に左方の漆黒に足を踏み入れる。考察などせずとも直接確かめれば良い。彼女にはその度胸があった。


 階段は漆黒の中でも続いていた。

 後方を見れば、まだ三、四段しか昇っていない筈だったが既に元来た道は無く、無限の漆黒が続いている。うっすらと見える足元の階段だけが彼女を確かにしている。こうした趣向を用いる精神性について彼女は理解を示す事は無いが、あの男エンヴィリオの享楽的な空気を思い返せば何となくの想像が出来た。

 「単なる遊びのつもりなのか……!」

 怒りが沸き立つ。同胞をことごとく殺したあの男はただの享楽でこれ程の事を起こしたのか。彼女の怒りはあの男へと収束している。その復讐心をエスに指摘された事など忘失してしまっていた。


 ──長い階段はじきに終わりを迎える。鈍い光を視界の先に捉えて、彼女は殺意を剥き出しのまま、光を抜けた。



 ──馬鹿な。

 眼前に聳え立つ、灰色の建造物を見上げて彼女は心の内で現実を否定しようとする。通り抜ける乾いた風、生物を感じさせない無機質なビル群、複雑に絡んだ路地、灰色の空に彼女は覚えがある。

 

 馬鹿な。馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な、馬鹿、馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な。

 

 ここは、スタジィ社だ。

 過去や未来、異世界でも無い。ただの現在のスタジィ社だ。

 送り返されたのだ。今来た次元断層のトンネルも光を抜けた時点で消失しあそこには戻れない。乾いた空気を受けて、よりその事を実感させる。スタジィ社の門前で立ち尽くす彼女を見張りの社員達が発見するのは直ぐだった。

 「這い狼か」

 彼女を発見した一人が感情の起伏を感じさせない口調で口にした。

 見張りの一人が門の向こうから彼女に声をかける。しかしアイスランドに出征している彼女がこんな所にいる訳が無い。見張り達もそうした疑問を抱きながらも今目の前にいる人物を無視する訳にはいかなかった。


 「なぜ貴女が此処にいるのか」

 見張りは拳銃を彼女に向けて質問する。その見張りの背後では他の見張り達がエルガ工房製の自動小銃を構えている。彼ら見張りにとって現在彼女が此処にいる状況は不審でしか無く、彼らから疑念を向けられている。彼女もスタジィ社のそうした徹底した懐疑心を知っている。この後、自身がどういった方法で情報を搾り取られるという事も。


 「答えろ」

 拳銃で彼女の額を小突こうとして、見張りは一歩彼女に近付く。その瞬間。見張りは唐突に門と衝突した。

 正確にはガンの怪力によって門に引き寄せられたのである。

 「おい、この門を開けろ。今すぐにだ」

 掴まれた一人、その背後に控える見張り達の間に緊張が走る。発砲するべきか、否か。その判断を今、彼女と対話している一人に委ねていた。

 「開けろ」

 憤怒を宿した眼と声。だがスタジィの見張りがその程度で要求に応える事は無い。掴まれた見張りの身体からはめきめきと骨が軋む音が発されていたが、見張りは悲鳴どころか呻き声すら上げずに彼女と対面していた。


 「許可出来ない。任務の放棄に対して我々は処罰の執行も業務内容に含まれている。その疑念が晴れない限り、行動には制限が掛けられている」

 既に何本も骨が折られているだろう見張りは平然と彼女に返答する。

 「……了解した」

 俯き渋々見張りのやり方に彼女は了承し、見張りの腕を手放す。

 「では、拘束させてもらう」

 見張りの一人が彼女に向けて特殊な形状の銃を向ける。形状記憶合金で造られたワイヤーを射出し、どの様なサイズの相手であろうと拘束を可能とした装置である。

 としゅ、という音と共にワイヤーが放たれ、彼女の体を容易く拘束する。


 「見張りスネイクより支部長へ伝達致します。任務放棄の疑惑がある社員を確保しました」

 耳元に指を当て、通信装置を起動する見張り。直ぐに通信は終わり、彼女の連行が開始された。

 見張り達に囲まれ彼女は自身の所属する組織に疑われ、連行される。仄暗い感情が彼女の内で蠢くのを彼女は感じた。


 ──何故だ。受ける扱いなど理解していたというのに、何故私はこれ程までに怒りを抱く。懐疑心が? 裏切られたとでも感じているのか? 私がか? 馬鹿げている……だというのに否定出来ない……この感情に委ねてしまいたくなる……駄目だ、理性を、保て。

 

 「クソ……ッ」

 彼女はそんな呟きを残して、スタジィ社の中へと連れられていった。

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