二話 Ice land


 ユーラシア大陸の中心にはあらゆる気候に影響されず、常に真夜中の様相を呈する地域が存在する。そこは通常人の目にも触れず、世界から隠されている場所、Comの支部の一つが存在し同時に第七研究室が設けられている場所でもあった。


 Comはこういった人の目に触れられない特殊な土地を見つけ出し、そこに支部を建造する。世界にはまだ人類が到達していない未開の領域があまりにも多く存在する。そうした場所には未見の怪物が生息しているものだが、Comにすればそれらもまた資源の一つでしかなかった。


 ──ユエシィの復活から一年。

 エスとユエシィはボイジャーの任から外れ、再び第七研に戻る事が出来ていた。

 この一年の間、新たなMOの回収や新装備の実験など以前と変わらぬ業務をこなす日々を送っていた二人だったが、彼らの不在の内にComにも変化が起きていた。

 それはComと同盟を結んだ幾つかの企業が現れた事である。

 企業同盟と呼ばれる新たな組織図はComを頂点とした三つの企業によって構成され、武力、物資、エネルギーのカテゴリにおいて台頭してきた新企業がComのMO技術と引き換えにComの活動の補助を行うというものである。


 そうした企業同盟であったが武力を提供する〈スタジィ社〉に属する這い狼部隊が任務に失敗したという報せを受け、Comはスタジィ社との合同作戦を立案した。

 選抜された人員はComからはエスとユエシィ、執行課の〈アイネン〉、スタジィ社からは這い狼の長〈ガン〉、狂う鳥部隊の二名〈ジェリコ〉〈カフス〉総勢にして僅か五名のみであった。


 這い狼と衝突した異質なアタッシュケースを所持する謎の男は旧アイスランドにいると調べがつくと、五人は既にその国へと渡り、今は作戦の開始日まで待機している状態である。


 空路が絶たれたこの国へは海路から上陸し、今は上陸地点の近くにキャンプを設置している。ここ十数年間、この地には人は存在していない。その理由はただ余りにも寒くなり過ぎた事に起因している。

 気温にしてマイナス99度。最早人の住める領域ではなくなった筈のこの土地に件の人物が滞在していると判明したのだ。Comと企業同盟はそこになんらかの組織が介在していると考え、彼らを送り込んだのである。


 ◇


 キャンプの一画、Comの開発した耐寒シールドに覆われた居住スペースでは簡易テーブルに置かれた端末を見つめる男が居た。ファーのついた濃緑のコートに身を包んだエスである。そこへ白いファーで首元を覆いエスキモー風の格好と帽子を被った銀髪の女性が湯気の立つカップを二つ持って現れた。


 「お疲れ様、なんか分かった?」

 携帯端末に保存されている這い狼の戦闘記録を鑑賞するエスの横にユエシィが来て言いながらカップの一つをエスへと手渡す。

 「正体まではわからねぇ。だがこれがMO技術に類するもんでも幻想兵装でも無いって事は分かる。……ってその辺はお前の方が詳しいだろ?」

 言ってエスはコーヒーを啜り、「美味い」と呟く。

 「うーん、まぁそうね……MO技術じゃない以上専門外ではあるんだけど、仮にこの鞄自体がMOって考えるならこういうものがあっても変じゃないっていうか……」

 存在の肯定をしようとする彼女の言葉はそれとは裏腹に妙に歯切れの悪いモノだった。そこが気になったエスは彼女の言わんとしている事を付け加えた。


 「MOを作ってるって事か?」

 「それも有り得るかもって事。実際私を戻した機械だってMOな訳だし、ああいうオーナメントも有るかもって思ったの」

 「ならこれもありのままを受け入れるしかないんじゃねぇって事か……」

 諦めたように頭の後ろで腕を組み椅子を傾けるエスの横でユエシィは難しい表情を作っていた。

 「それだけじゃ説明が付かないのよ、コレは……」

 両手で可愛らしくコーヒーを啜るが難しい表情のまま視線を映像の中の鞄に向けている。彼女の中ではこのジャケット男の持つモノが余程気にかかっていた。

 黙ってコーヒーを啜る彼女の様子がMOと対峙している時のものではない事にエスは気が付いていた。

 「ユエシィ博士、それに……エス部隊長」

 二人が黙って映像を凝視していると、そこへ黒の短髪で白地に黒のラインの入った革のコートを纏った男が割って入った。彼こそこのエス、ユエシィと同じくこの地に派遣された執行課のアイネンであった。


 「アイネンさん」

 ユエシィは難しい顔から一変普段の表情に戻り、現れたアイネンに反応する。エスも「よぉ」とカップを持った手を挙げて軽い挨拶をした。

 「ユエシィ博士、またこの男と会話をしていたのですか」

 博士と部隊長、階級にすれば少佐と伍長の様な関係性だがこの二人にはそう言った身分の差がない事をアイネンは腑に落ちないのか、エスの事をいつも見下した様に扱っている。

 エスはその事について特に気にした様子はないが、ユエシィの方はいまいち反応に困っている節があった。そういった事もありアイネンに対してはいつもエスが会話のきっかけを作り出す事が常である。


 「なんかあったのか?」

 いつもの通りエスが聞くとアイネンは僅かに表情を曇らせるが、すぐに会話を切り出した。

 「そこにいるスタジィ社の三人が今回の作戦について話があるそうだ。特にエス、君はまだ彼らに名乗ってもいないだろう。合同作戦なのだから今の内にそれくらい済ませておけ」

 少し先にある別のテントの下でスタジィ社から派遣されたメンバーがデスクに地図を広げて何やら話し合っているのをエスとユエシィはアイネンの肩越しに捉えた。

 「民間軍事企業って言うからもっとイかれたのが来るかと思ってたぜ」

 「何が来ようと貴様ほどのイかれなど居まい。兎に角行ってくるんだ」

 アイネンに急かされ、エスは「はいはい」と気怠げに向こうのテントへと去った。


 「ところで何を話していたのです?」

 会話の途中からただコーヒーを啜っていただけのユエシィにアイネンが問いかけ、ユエシィは「これですよ」と端末の映像を指差した。

 「ああ、例の」

 納得しアイネンも映像に目を向ける。

 彼もこの戦闘記録の閲覧は既に済ませ今回の作戦に臨んでいる。しかしユエシィとエスは未だにこの映像を見返してはああだこうだと会話をしているのも知っていたが、彼らがどこに対して疑問を抱いているのかは理解出来ていない。

 「博士は一体どこがそんなに気にかかるのですか? 私には単なる少し特異な武装にしか見えませんが……」

 アイネンはユエシィの横に顔を並べ、彼女との距離を詰めると怪訝そうに画面を見つめて彼女の意見を伺うが、そこには下心が多分に含まれていた。

 当のユエシィはそんなアイネンの思惑には全く関心を示さず、至って真面目に会話を続けた。


 「アイネンさんはMOについてどれほど理解されていますか?」

 漠然とした問いにアイネンは戸惑いを見せると、ユエシィはそれで察したのかアイネンの答えを待たずに話しを続けた。


 「MOというのは言わば『心の具象化』です。その人の希望、トラウマ、信念、信仰、好き、嫌い。それらが複合的に合わさったモノ。夢に似た性質ですが──それが実体を持って現出した存在の事を私達はMOと呼んでます。同様に幻想兵装が有りますが、アレは『心の欠片』であって心そのものじゃないんです、異能もそうです、あちらは『衝動』を基底とした力であって心そのものじゃない」

 「……それくらいであれば、私も理解していますとも」

 アイネンが言を返した直後にユエシィは言葉を続ける。

 「だからおかしいんです。心を持つ者がMOと化すのであれば、何かしらの形を持つはずがコレは言ってしまえば『現象』に近しい何かなんです……ホントに心から成ったのならば、こうはならないのに……」

 そうしてユエシィが再び思考を巡らせ始めたのを見てアイネンはかける言葉を失ってしまっていた。


 「まだやってたのか」

 呆れた様にエスが言って先程と同じ座席に腰を下ろし、冷め切ってしまったコーヒーを啜った。

 「ちょっと! それ私のなんだけど……」

  いつの間にか意識を戻していたユエシィがエスを咎める。言われてエスはカップを確認するとそのカップとは別に先程自分が席を立った時にデスクの端に置いたのだと思い出した。


 「すまんすまん」

 エスは雑に謝って手に持ったカップをデスクに戻すと、本来の自分のカップを取って口に運ぶ。

 「まぁ、いいけど……」

 ぼそ、とユエシィが呟くがエスは気にも留めていなかったがアイネンだけはそれを確かに聞いて腑に落ちていなかった。

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