【お題】:宝石箱
空の箱
――内緒だよ。
彼はそう言って、私をある場所に誘った。
骨董趣味が昂じ、古美術商達の間でも噂の稀少種蒐集家。それが彼だ。
まだ年端もいかぬ風体の彼がたった一人で住まっている屋敷はそれ自体が第一級の骨董品とも言えるほど。内部は己が百年の時空を越えてしまったかと錯覚するぐらい、生き生きとした骨董たちが所狭しと並んでいる。
骨董にさして詳しくない私でもわかる。これは一級品だ、とんでもなく状態がよい、まるで今ここで作られたかのように……。値をつけるとしたら、一体いくらになるのだろうか。
「君は、これらをどうやって手に入れたんです?」
形のよい唇が歪む。微かに鳴る鈴のような含み笑いが耳についた。
「ねぇ記者さん、モノ語りは後にしない?見せたいものがあるんだ」
「なんですか?勿体ぶって」
「ふふ、さあこっちにどうぞ」
先導する彼は私を洋室の扉へ招き入れる。扉の向こうに見えたのは長い机と九つの椅子。机の上には何も盛りつけられていない皿とグラス、スプーンやフォーク、ナイフやナプキンといったテーブルコーディネートが全て整っている。
「ああ、それはセルワルド製の食器たちだよ。きれいでしょ?」
「セルワルド!?レナウン皇族御用達の!?」
「そうそう。これはその御下がりだよ」
御下がり、それは即ち皇族から直々に賜った、ということか。この屋敷といい骨董といい、ただの子供が所有するにはおおよそ不相応な代物。一体彼は何者なのか。
「色々聞きたそうな顔をしてるね。そろそろ頃合いかなあ」
いいよ、教えてあげる。その前にこれを見てくれる?
彼が差し出したのはちょうど両手に収まるぐらいの小さな箱だった。材質は木だろうか、ダークブラウンの落ち着いた風合いで表面には長寿の象徴である霊鶴と霊亀の彫刻が施されている。彼が頷いて見せるので私はそれをそっと開けてみた。
赤いベルベットの布が貼られた中には何も入っていない。いたずらだろうか?
「《グラナティス》っていう石があってね。太古より魔法の力を持つ石としてもてはやされていたのは知ってる?」
「ええ、確か不死族が管理していたという不老長寿の石ですよね?その欠片をレナウンの皇族の祖先が譲り受けて皇国繁栄の礎を築いたとか……」
「さすが!研究都市からいらした記者さんは違うね。……でもね、その話はちょっと違うんだ」
「え?」
思わずすっとんきょうな声を出した私を見て彼はニヤリと笑う。
「真実はこうさ。昔、ある人間の女が人間の男に恋をした。男は国政に不満を持ち、クーデターを起こそうとしていた。力を欲した彼のために女が求めたのは《グラナティス》、魔法の力を持った宝石だ。女は男のために単身不死族の国を訪れ、交渉の末に《グラナティス》の欠片を譲り受けた」
その箱は女が欠片を収めた箱だった。
彼は私の手にした箱を指差した。しかし、見ての通り箱は空であった。
「察しの通り、話には続きがある。女から欠片を受け取った男はその女を殺してしまった」
「な、なぜ……」
「さあ……。その女が、実は不死族と親交を持っていた一族の生まれであったらしいから利用したのかもね」
でも、女は男を心底愛していた。刺された瞬間も、今際の際までずっと……。
「それを哀れんだのが彼女に欠片を渡した不死族だった」
「それは……その、不死族は……」
「不死族の彼は女を生き返らせるため、自身が譲った《グラナティス》と、それを奪った男を探すことにした」
私は鳥肌が立った。悪寒で震えが止まらなくなった私の目の前で、彼は独白を続ける。
「男は見つけられなかった。《グラナティス》で長命になったとしても人間はいずれ死ぬからね。でも脈々と続く子孫なら見つかった……」
男はレナウン皇国の皇帝となり、数々の女たちと関係を持っていた。だが、現皇帝は《グラナティス》を持っていない。恐らく、その女たちが孕んだ子のうちの誰かが《グラナティス》の欠片を受け継いでいるんだ。
そこまで言って、彼は私を振り返った。
「ねぇ記者さん、貴方の名前は?」
「わ、私は……」
「ううん、知ってる。《レナウニル》、レナウン初代皇帝の第三十七子を祖先に持つ皇帝の遠戚だ。そんな貴方に聞きたいことがあるんだ」
「僕の《グラナティス》をどこへやった?」
気がついたら屋敷の外にいた。目の前に微笑んでいるのは例の蒐集家。だが、私はどうして自身がここにいるのか全く思い出せなかった。
すると、彼は私の唇にそっと人さし指を当てて鈴の音のようなあの声でささやく。
「内緒だよ」
その声と共に私の意識は闇に落ちた。
「また振り出しか」
そんな声もまた聞こえたような気がした。
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