星屑拾いのコブラ 

春之之

第一章 夢迷いしアリエス王国

第1話 盗人孤児と黒髪の騎士

 一人の少年がお小遣いを溜めて本を買った。


 少年は家まで我慢できず、誰にも見つからない裏路地に隠れて本を開き始める。


 『冒険王ヘラクロス。屈強なる肉体、聡明なる知恵、勇猛なる精神。その全てを以って、拾弐之国を駆け巡った大英雄也。


 第壱之国、夢想の国也。英雄、百数えて覚醒す。


 第弐之国、豪傑の国也。英雄、拳一つで到達す。


 第参之国、幻影の国也。英雄、自らを超越す。


 第肆之国、矮小の国也。英雄、邪龍を滅却す。


 第伍之国、原初の国也。英雄、立国す。


 第陸之国、冥府の国也。英雄、是を脱出す。


 第漆之国、均衡の国也。英雄、正義を成す。


 第捌之国、黄金之国也。英雄、是を獲得す。


 第仇乃国、荒野之国也。英雄、是を疾走す。 


 第拾之国、採録之国也。英雄、是を以って、根源を至す。


 第拾壱の国、聖水之国也。英雄、聖杯を以って神代へと至る。


 第拾弐の国、安寧の国也。英雄、彼の地にて下界と別離す――。これから語るは、その英雄の軌跡で或る。』


  ――『ヘラクロスの冒険』冒頭より抜粋。


 少年が序文を読み終えた時、町から何やら賑やかな声が響く。


「またいつものお兄ちゃんかな! 見に行こう!」


少年は本を閉じて、騒動の先へと向かう。






 オフィックス王国。国民数およそ二万人弱。豊かな地と水源に恵まれた国である。この国を取り囲む巨大な円形の城壁。国の中央にそびえ立つ王城。その中央にある王室は多くの書物に囲まれ、自身の尻尾を加えて円形になっている蛇の敷物が床一面に敷かれている。城主オフィックス王、王室にある大きな机の上に大きな紙を広げ、そこに書かれた文書を指でなぞる。


 <この国を脅かす者あり。彼の者、この国において大化をもたらす。星の巡り魚の刻、大群を引き連れ、攻め入られるは、王の終焉を意味する>


「王、この予言をどう受け止めましょう」


オフィックス王は文書をなぞり終えた後、椅子の背もたれにゆっくりもたれかかり、溜息を吐く。側近の男は王の考えを問う。


「ふむ。私は予言など迷信だと考える男だが、何度もこう、不安を掻き立てられる物言いをされてしまうと、何か対策を打ちたくもなるというものだな」


 この予言は、何度も訪れているのだ。側近の者は占い師などに王権の未来を示唆してもらっている。


 最初の方こそ無視をしていたオフィックス王であったが、四度目辺りから眉間に皺を寄せ初め、自身の危機を抱き始めた。そして今回の予言が七度目である。


「しかし、対策と言いましても……」


 側近の頼りない声に王はたくわえた髭を撫でおろしながらため息を吐く。


「この国、オフィックス王国は、犯罪も数えるほどしか起こらず、外壁『ウロボロス』により、敵対するものを寄せ付けないようになっている。村の子どもにも農村を手伝わせることで作物も良好。これほど完璧にしている国に大化が訪れるなど、滅びの始まりだ。迷信だとしても何か手は打ちたいのだがね……」


「敵対者は『ウロボロス』で守られているとして、ならば大化の原因は内部にあると言うことでしょうかね」


側近が少し呆れたような物言いで王に語りかける。王もそれを聞いて溜息をこぼす。


「あぁ、そういう方向で考えると、一人心当たりもいるしのう……」


 しばらくして、二人が言葉を発さなくなった時、何者かが扉の奥から勢いよく足音を鳴らしてこちらに近づいてくる音が、王室に響く。その者が扉を開けると、無礼のないように、礼節を保ちながらも慌てたような表情をしていた。着ている鎧の重々しい音が届く。


「オフィックス王よ! ご報告があります!」


 側近は王の後ろに回って、兵士が入ってくるのを待つ。王も一度大きく溜息を吐いた後、一度軽く咳こんで、扉の前で待つ兵士に声をかける。


「良い。入れ」


兵士は扉を開けて、少し緊張した様子で教えられているのであろうマナー通りの手順で身体をこちらに向けて一礼する。急いでいたからか、顔は汗がにじんでおり、訓練をしていたのか、鎧も傷と汚れが目立つ。所作よりも鎧をしっかり丁寧に洗ってほしいものだと王は辟易した。王室に汗の臭いが漂う。


「はっ。ご報告します。また『あの子ども』が盗人を働いているとの報告が」


「……はぁ。あの子どもがいなければ我が国オフィックスも平和なのだがね」


 王は溜息を吐きながらそんな愚痴をこぼした。『あの子ども』は、町の地理を完全に把握し、優れた身体能力を活かし、騎士たちや商人たちから颯爽と逃げてゆく。だからこそ半ば野放し状態になっている。それに全ての事柄は当の本人を捕まえなければ始まらない。王が処罰を決定することできない。そのことをこの兵士は知らないのかと、王は辟易とした。


「それで? 我々にどうしろと? あの少年を捕まえてこなければ我々はどうすることも出来ぬことを貴殿を知っていると思うのだが?」


側近は呆れたように慌てた兵士に問う。兵士は慌てながら、申し訳なさそうに口をもごもごさせながら、報告する。


「そ、それが……。止めたのですが……スタージュン卿が彼を追っていると……」


兵士の申し訳に発言した言葉を聞いて、側近と王は二人して溜息を吐いた。今日何度目の溜息だろう。と王は少し薄くなった髪をゆっくりと撫でた。


「彼の正義感も嫌いじゃあないのだがねぇ……。いかんせん、我を通しすぎだ」


王室の窓から微かに国民の怒号と悲鳴が聞こえてきた。




 「こらぁー! この糞ガキ! 泥棒だ! 捕まえてくれ!」


八百屋、果実屋、呉服屋。さまざまな店が並ぶ町中に響く怒鳴り声。大根を片手に通りで叫ぶ一人の男。その声の先には両手にたくさんの野菜を抱え、息をあらげて走る少年の姿。少年は、成人女性と同じほどの体格で、ニヤリとした笑みを浮かべながら、人と人の間を潜り抜けていく。少年の手からトマトやらキュウリやらが落ちていく。


 少年が颯爽と駆けていく姿に婦女子は悲鳴を上げ、子どもたちは目を輝かせ、男たちは野次を飛ばす。


「また出やがったのか!」


「今度こそ捕まえてやる!」


少年の目の前にガタイのいい大男と、細身の若い男。二人は少年を引き留めるように手を広げて少年を待ち構えている。


「よっと」


男たちが捕まえるように前のめりになるタイミングで、少年はまるで壁を飛び越えるように高くジャンプした。男たちは体勢が崩れてその場で転倒して、少年を睨みつける。


 少年は片腕と胴体で野菜を挟みながら、もう片方の手バナナを持ち、歯で皮を向いて、貪るようにバナナを口に放り込んで、飲み込む。


「そんなんじゃ、俺は捕まらねぇよ」


少年は食べ終えたバナナの皮を倒れている男たちに投げつけてそのまま逃走する。倒れた男の一人の頭に投げられたバナナの皮が乗る。


「だぁ! くそっ! また逃げられた」


後ろの方から八百屋の親父の嘆き声が聞こえる。少年はその言葉を聞いて勝利を確信して、そのまま少し先を歩いて、建物と建物の間の路地へと入っていく。


 入り組んだ路地を走り、角で右へ、左へ何度も曲がっていく。途中で睨む猫を追い払い、ぶくぶくと太ったネズミが素通りしていく。


「ふぅー。ちょこちょこ落としたが、こんなもんだろ」


少年は自身の拠点である路地と路地の間にある少し広いスペースにたどり着く。ここは日差しがしっかり入ってくる上に屋根にも上りやすく、大分奥で人が入ってくることはないに等しい。少年にとっては理想の住処だった。


 少年は、両手に持っていた野菜たちを地面にそっと落としていく。路地の端にある麻布のところまで行き、少年はそれに手を突っ込む。中には干し肉が入っていた。


「これで二、三日は安心かな」


少年は干し肉を思いっきり食いちぎり、さっき奪った野菜の中からキュウリを思いっきり噛む。少年は、干し肉やきゅうりを食べながら、さっき落とした野菜を拾って、干し肉を入れていた麻布の中へと突っ込んでいく。


 肉とキュウリを食べ終え、少年は麻布の中からひょうたんを取り出す。それを口に含み、中に入っている水をがぶがぶと飲む。勢いよく飲みすぎて首筋に飲んでいた水が滴る。


「ぷはぁー。一仕事終わった後の水は格別だぜ」


 少年は床に寝転ぶ。家の間の路地だから、屋根が邪魔で空もほんの少ししか見えなかった。それでも、ここの隙間風は心地がよいので、少年の縄張りとなっている。


 少年は身体を起こして建物の上を、誰にも気づかれぬよう、慣れた慎重さで登っていく。


 屋根に登った少年はそこから町を眺めた。良く晴れた青空と共に見えるのは自分が立っている建物よりも高いところに位置する国王さまの城。そしてこの街一帯を囲っているように立っている大きな壁。この国の人たちはみな幸せそうだが、あの壁が、自分たちを閉じ込めているようで、少年は釈然としない。


少年は屋根で大きく深呼吸をした後、ゆっくりその建物を下りていく。少年は麻布から帽子を取り出してこれをかける。拾った帽子のせいで頭のサイズがあっていないからか、頭がすっぽりと入ってしまっている。その後、さらにジャケットを着こんで、堂々とした態度で町の中へ出ようとする。彼はいつもこうして変装をして盗んだものや拾ったものを換金し、その金で買い物をしているのだ。安い変装のようでもあるが、これが案外気づかれない。少年の顔をまじまじと見る人間はあまりいないからだ。だから彼は怪しまれないように堂々と買い物をするだけで、全てが上手くいく。たまに悪だくみをしている者から材料調達を頼まれることもあり、少年も、家はないが、それなりの金を所有している。


「おい。貴様」


 家の間の道を出ようとした時に、首元に刃物が少しあたり、思わず後退する。首を触ると少し傷ができていた。手に少しだけ血がついている。少年の目の前には白い制服を来た男が剣を持って立ちふさがっている。


「あの、どうしたんでしょうか?」


少年は一般人を装うように少し怯えながら話しかける。この白い制服は王様のところの騎士団の恰好だ。目の前の男はその白い服装の似合わないはだ色の肌と濃い眉と黒髪をしていた。


「貴様、歳はいくつだ」


「十七です」


 嘘である。少年は自分の歳を知らない。今日の暦が何日なのかは国民たちの会話でなんとなく掴むことが出来ているだけ、自身の誕生した日などまったく持って知らないのである。


「そうか。では、なぜこのような細道から姿を出した?」


「これから向かう茶屋にはここを通った方が近道だからですよ」


 これは本当である。少年は集めた金でこの近くの喫茶店に行こうとしていたのだ。その店ではメニューを頼み、お金を先に払って、座っているお客さんにパンと珈琲を提供する店だから、盗み食いもできないシステムになっている。しかし、少年はそこのサンドウィッチと、モルカという牛乳と、カカオ豆炒ったものに砂糖を混ぜて甘くしている飲み物を初めて味わった時から気に入っているので、お金が集まったらここに行くようにしている。


「なら重ねて問う。貴様の名はなんだ?」


少年は警戒心を強める。そして少年はその質問の意図を考えていて、騎士の質問に答えるのが少し遅れてしまった。


「こ、コブラっていいます」


少年は少し前に偶然拾って読んだ動物図鑑の中で読んだ蛇の名前を男に向かって恐る恐る答えた。騎士はまだその剣を鞘に収めることはない。このまま走って逃げることを少年は考えた。しかし、変装用の衣装はこれ一着なので、ここで逃げてしまえば湯浴み室や喫茶店に足を運べなくなってしまう。


「ほぉ、では。貴様は十七歳の少年、コブラ。という名で、これから近くの喫茶店に通うためにこの道を使った。と言うことだな」


少年は黙ってうなずく。


「そうか」


騎士は刀を収めた。少年はバレないように安堵の息を吐いた。


「では、失礼します。騎士さま、お疲れさまです」


少年はそのまま騎士を横切って去ろうとする。その時だった。少年の腕を突然騎士が掴んだのだ。


「では申し訳ございませんが、あなたを捕らえさせてもらいます。ここに来る前、十五歳の少年たちに対しての毎年行われている農業区画への労働議事録を調べておきました。二年前にコブラと言う名前の少年の記載はない。仮に、貴様が労働登録をしていないというなら、それはそれで大罪だ。そしてお前が名前を偽っているのだとすれば、噂の盗人を働いている少年ということも言える」


 騎士の目は真剣だった。少年は何度も振りほどこうとしたが、騎士の力がそれを許さない。少年には、二年前以降にこの街に引っ越してきたという言い訳を使うことはできなかった。少年でも知っている。この街に、別の国民が入ってくることは決してありえないということを。


「ちっ、ここまでかよ」


 その言葉の直後、少年は足で思いっきり騎士の股間に蹴りを放つ。その蹴りは見事に騎士の股間をとらえ、騎士は苦痛のせいでその場でしゃがみこんでしまった。少年は今のうちだと言わんばかりに帽子を投げ捨て、そのまま走っていく。


「ま、待て!」


 騎士の声を無視して少年は元々いた麻布のある場所まで走り、その麻布の中身を入れて包んで持つ。干し肉や今日盗った野菜や換金した金の全てが入っている。あの騎士に見つかったとなればいくら道が入り組んでいるここだとしても、明日には全てを調べられてしまう。


「くっそぉ……また拠点を探さねえと」


少年は荷物を持ってそのまま屋根に上る。そして屋根から屋根に飛び乗って移動していく。なるべく人目につかないように心掛けているが、下から何かざわめきが聞こえるところを見るに、何人かの人間に目撃されてしまっていることは確実だった。


 少年は水路のあるところまで行き、そこでそっと屋根から降りていく。目が会った女性が降りてきた少年に驚いて軽い悲鳴をあげた。それに驚いた少年は水路に浮かんでいる子船を見つけてそれに荷物を降ろして自身も乗り込み、流れないように結んである紐を切る。


 小舟は水路の流れに任せて進んでいく。ここの街の水路は町の中央にある湖に向かってアリジゴクのように流れていく。このままではさっき目があった女性が騎士に報告されたらもう先回りされてしまう恐れがある。少年は荷物を持って船から小道まで飛び降りて、人に会わないように恐る恐る隠れることができそうなところを探す。ちょうどいい小道を見つけて、そこへ向かって小走りで向かう。


「やはりきたな」


少年は驚いた。小道から伸びる腕に逆らうことが出来ずに自分の腕を掴まれてそのまま身体が中に浮いて、地面に叩きつけられ、騎士に上から押さえつけられていた。騎士は懐から鉄でできた錠を少年の両手首に装着した。


「これまでの度重なる窃盗、労役の不参加。色々罪はある。ともかく一度、国王の元へお連れするぞ。えっと……本当の名はなんだ」


押さえつけている騎士は少し困りながら問う言葉に少年は悔しそうに歯ぎしりを立てた。


 少年は答えることが出来ないのだ。本当の名などを持ち合わせてはいないのだから。


「言葉は通じるはずだが、仕方ない。さっき嘘で名乗ったコブラを使わせてもらおう。それでは、国王の元へ来てもらうぞ。コブラ」


騎士は少年が逃げないように弱らせるためなのか、少年を立たせた後、思いっきり腹部に向かって拳を放った。その痛みで少年がよろめいたのでそのまま騎士は少年を持ち上げて国王の元へと向かった。


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