GO EAST! ~東に向かって走れ~

「ハルカちゃん、ちょっと待って」


 トシヤは『ちょっと待ってね』と言うハルカに『ちょっと待って』という言葉を被せる様に言ったのだ。そしてママチャリのカゴからサイクルジャージを取り、ハルカに渡した。


「これ、ハルカちゃんの分のジャージ」


「あ、じゃあお金払わなきゃね。いくらだっけ?」


「いや、マサオからお金は大丈夫だって言ってもらってるから」


 マサオが言ったのは『トシヤがハルカにサイクルジャージをプレゼントしたことにしておけ』ということだった。しかしトシヤはマサオの意に反し、バカ正直に本当のことをハルカに伝えたのだ。するとハルカは静かに言った。


「そう、マサオ君はトシヤ君が私の分も出したことにすれば良いって言ったのね」


「う……」


「ふふっ、やっぱり」


 言葉に詰まったトシヤを見てハルカは笑った。

 ハルカは全てお見通しだったのだ。もし、トシヤがマサオの策に乗って自分からのプレゼントだということにしていたらハルカに軽蔑されていたかもしれない。そう思うとゾッとすると共に本当のことを話して良かった心の底から思うトシヤだった。


「わぁっ、かわいい!」


 サイクルジャージの背中にプリントされたネコのキャラクターを見てハルカが目を輝かせて声を上げた。このネコのキャラクターはハルカのイラスト(と言うかラクガキ)をブラッシュアップしてデータに起こしたものだ。これぞまさに自画自賛と言ったところだが、無邪気なハルカの笑顔の前ではそんな事は瑣末な事だ。


「うん、かわいいね」


 頷いて同意しするトシヤが口にした『かわいい』という言葉はネコのキャラクターよりも寧ろハルカに向けられていたりするのだが、もちろんそれはハルカには秘密だ。


 新しいサクルジャージを着てロードバイクでライドと洒落込みたいところだが、生憎ハルカのロードバイク禁止令はまだ解けていない。ハルカは空のボトルとサイクルジャージを置きに家に入り、出て来て言った。


「じゃあ、今度こそ行こうか」


「よし、行こう」


 ハルカの声に答えたトシヤだが、どこに行くかはまだ聞いていない。だが、そんな事はさしたる問題ではない。行き先なんてどこだって良い、大事なのは『ハルカと二人で行くこと』なのだから。


 ママチャリはスピードこそあまり出せないが、ゆっくり走る分には軽快な走りを楽しめる乗り物だ。ハルカの後に着いてゆるゆると走っているうちにトシヤは周りの景色に見覚えがある事に気付き、ボソッと呟いた。


「この道って……ハルカちゃん、渋山峠にでも行こうってのか?」


 そう、トシヤとハルカが走っているのはトシヤが渋山峠に行く時の道(ルート)なのだ。


「ははっ、まさかな」


 自分のバカげた考えを笑い飛ばしたトシヤだが、もしかしたら……ということもある。そこでトシヤは信号で止まった時、後ろからハルカに声をかけた。


「ハルカちゃん、この道って渋山峠に行く道だよね?」


「うん。そうだけど、それが何か?」


 ハルカは『それがどうした?』とばかりに笑顔で頷いた。こんな反応をされれば「ママチャリで渋山峠を上ろうなんて言わないよね?」なんて男として言えるわけが無い。


「いや、上ったら気持ち良いだろうなって」


 澄ました顔で言うトシヤだが、実際のところは格好をつけているだけだ。なにしろヒルクライムで『気持ち良い』のは上りきった後だけで、上っている途中はただただ『しんどい』のだから。


「そうね、早くエモンダに乗りたいな」


 言うとハルカは意味ありげに笑った。


          *


 更に走ること数分、トシヤとハルカは国道から川沿いの道に入った。このまま東に進めばどんどん山が近くなり、いつもなら『これから渋山峠を上るんだ』と気分が盛り上がる。だが、今日はちょっとばかり勝手が違う。そう、今日はヒルクライムの武器となるロードバイクに乗っていないのだ。


「まさかママチャリでこんなところまで来るなんてな……」


 遠くに行く時は電車やバスに乗るのが普通だったトシヤはロードバイクを手に入れるまでは自転車でこんな遠くまで来るなんて考えたことすらなかった。しかも今日乗っているのは通学用のママチャリなのだ。予想だにしなかった自分の変貌ぶりにトシヤは思わず声を出して笑ってしまった。そんなトシヤにハルカが不思議そうに言った。


「どうしたの?」


「いや、何でも無いよ」


「ふーん……変なの」


 誤魔化す様に言うトシヤにハルカは訝しげな顔をしたがすぐに気を取り直して言った。


「まあ良いわ。早く行きましょ。私、お腹空いちゃった」


 お腹が空いているのはトシヤだって同じだ。


「うん、行こう!」


 二人はペダルを踏む足に力を込め、スピードをほんの少し上げた。


 川沿いの道を走り、広い国道を横切れば渋山峠はもう間近だ。いつもなら心が躍るところだが、乗っているのがママチャリなのでテンションは今ひとつ上がらない。


「あーあ、リアクトで来てたらなぁ……」


 トシヤ目の前にそびえる山を見て恨めしそうに呟いた。すると前を走っていたハルカはスピードを緩め、チラっと振り返った。


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