ハルカを襲った悲劇

「お待たせ」


 5分も経たず店から出てきたトシヤがマサオに声をかけた。もちろん手には買ったばかりの冷たいスポーツドリンクのペットボトルが握られている。


「早かったな。もう良いのか?」


 マサオは驚いた様に声を上げた。それほどトシヤは短時間で店から出てきたのだ。もう少し店内で涼んでも良さそうなものなのに……


「ああ。暑かったろ? お前も早く行ってこいよ」


 笑顔で言うトシヤにマサオは意味ありげな笑顔を返して言った。


「おう。んじゃ、ちょろっと涼んでくるわ」


 マサオが言ったと同時にトシヤのサイクルジャージの背中ポケットでスマホがブルブルと震え出し、トシヤが慌ててスマホを取り出した。


 期待のこもった目でマサオが見ている前でトシヤがスマホを確認すると、画面には『ハルカちゃん』と表示されている。お待ちかねのハルカからのメッセージだ。トシヤは晴れ晴れしい顔でメッセージの本文を確認したのだが、その顔はみるみるうちに暗くなっていった。


「ハルカちゃん、暫くロードバイク乗れなくなったって……」


「ええっ!? ハルカちゃん、どうしたんだ?」


 しょぼくれた声でボソッと言ったトシヤに素っ頓狂な声でマサオが尋ねた。それにしても『暫くロードバイクに乗れない』とは穏やかではない。いったいハルカに何があったというのだ……?


「実はハルカちゃんな……」


 トシヤが難しい顔で口を開いた。

 何のことはない、ハルカは夏休みに補習を受けなければならないほど成績が悪かったのを親御さんに怒られて、ペナルティとして補習期間中はロードバイクに乗る事を禁じられただけだった。


「なんだそんな事かよ、びっくりさせやがって」


 呆れた声のマサオにトシヤはこの世が終わるかの様な悲愴な声で言った。


「でもよ、一週間は一緒に走れないんだぜ」


 マサオはトシヤの言葉を聞き、ますます呆れてしまった。いや、気持ちはわからないでもない。しかし、夏休みは始まったばかり、まだまだこれからなのだ。最初の数日間一緒に走れないからと言ってそこまで悲観するコトは無いだろう。

 そして根本的な事をマサオはトシヤに尋ねた。


「一緒に走れないったって、会えないワケじゃ無いんだろ?」


 そう、別にロードバイクに拘る必要は無い。せっかくの夏休みなのだ、楽しみ方は幾らでもある。だが、トシヤは所在なさげに答えた。


「そんな事言ってもよ、何て誘えば良いかわかんねぇよ」


 トシヤはロードバイク無しだとハルカを誘えないと言うのだ。何を情けない事を言ってるんだ……とトシヤの答えにマサオは深いため息を吐き、呆れた声で言った。


「あのなぁ、夏休みなんだから自転車乗る以外にもするべきことは山ほどあるだろうが」


『夏休みにするべきこと』それはトシヤはハルカと、マサオはルナとの仲を深めることだ。その為には会う機会を作らなければならないのだが、マサオはルナに連絡先をまだ教えてもらっていない。だからトシヤの協力が無ければ夏休み中にルナを誘えない、ルナと会うことが出来無いのだ。

 もちろんそれはトシヤも重々承知ではある。しかし、良い感じになっているとはいえ、まだ告白していない……いや、良い感じになっているからこそハルカをロードバイク以外の名目で誘うなんて事は『彼女いない歴=年齢』のトシヤには恐ろしく高いハードルだ。


「そんなん言われてもなぁ……」


 依然としてウダウダ言い続けるトシヤ。するとマサオは焦れた様に語気を強めた。


「何言ってんだよ、せっかくハルカちゃんと良い感じになってるんだ、山以外にも行きたいトコがあるだろーが。例えばプールとか」


 トシヤも健康な男子だから女の子の水着姿を見たいと思うのは当然だ。恥ずかしがる事は無いのだが、トシヤは煮え切らない態度で言った。


「簡単に言ってくれるけどな、どんな風に誘えば良いんだよ?」


 それを言われると辛い。返す言葉が無く首を捻るマサオだったが、ここで引き下がってしまうと今後の展開に期待が持てなくなってしまう。そこでマサオはトシヤの欲望を呼び起こす作戦に出た。


「お前はハルカちゃんの水着姿を見たくないのか?」


 思いっきりストレートに言ったマサオにトシヤは一瞬たじろいだが、マサオ相手に格好つけても仕方が無い。


「そりゃ、見たいに決まってるだろ」


 トシヤとハルカが同じクラスだったら水泳の時間にトシヤはハルカの水着姿を見る事が出来ただろう。しかし残念な事に二人は違うクラスだ。だからトシヤはハルカの水着姿を見た事が無い。馬鹿正直に答えたトシヤにマサオは更に煽る様な事を言った。


「そりゃそうだろうな。それに考えてみろよ、二組の男共は見てるんだぜ、お前がまだ見た事が無いハルカちゃんの水着姿を。悔しいと思わないか?」


 これまた妙な事を言い出したマサオだが、その言葉によってトシヤの心に変化が生まれた。


「そうだな。よし、プール行くぞ! ハルカちゃんとルナ先輩誘って!!」


 トシヤの嫉妬心(あるいは独占欲)、そしてスケベ心を上手い具合に突いたマサオの作戦勝ちだ。それにしても何とまあトシヤは単純な男なのだろう……って、男なんてこんなモノか。ともかく事が思惑通りに進んだマサオはうんうんと頷きながら仕上げに入った。


「そう来なくっちゃな! よし、早速ハルカちゃんを誘えよ。『プールのタダ券が四枚あるんだけど行かないか?』ってよ」


「タダ券が四枚? マジか!?」


 思いっきり食いついたトシヤにマサオはドヤ顔で頷いた。

この提案が無かったら打つ手が思いつかないままに大事な夏休み最初の一週間を無駄に過ごしてしまったかもしれない……そう思ったトシヤは素直に従うことにした。


「じゃあ早速メッセージ送るわ」


 言うとトシヤはスマホを取り出し、ハルカに向けてメッセージを打ち、送信アイコンをタップした。



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