第88話 マサオとルナ
時は少し戻る。マサオは第二ヘアピンを抜けた後、足を少し休められる所ぐらいまではトシヤに食らいついていたのだが、また勾配がキツくなった時、トシヤがハルカから離れるに従って遅れ出し、フラつき始めた。
「マサオ君、危ないわね……」
後ろを走るルナが呟いた時、マサオは荒れた舗装にハンドルを取られて大きくバランスを崩した。
「危ない!」
思わず声を上げたルナの前でマサオは右のクリートを外し、足を着いて何とか落車は逃れた。
「くっそー、ココまでか……」
大きく息を吐きながら呻くマサオをルナが追い越し、前に止まった。
「マサオ君、大丈夫?」
振り向いて優しく言うルナの声にマサオは悔しそうに頷いた。
幸いマサオが足を着いたのは直線で見通しが良い所だった。ココなら脇に寄っていれば危険は少ないだろう。ルナがエモンダを道の脇に寄せるとマサオもルナに倣い、のろのろとプリンスを脇に寄せた。
「落車しなくて良かった……私がもっと早く止めるべきだったのよね。ゴメンね、マサオ君」
申し訳なさそうに言うルナにマサオは首を大きく横に振った。
「止めなかったってコトは俺が『まだ行ける』って思ってくれてたんっすよね? 恥ずかしいっすよ、その期待に応えられなくて」
マサオが息を荒げながら言うとルナの顔に笑みが浮かんだ。
「さすがはヒルクライムラバーね」
笑顔で言うルナにマサオは不満そうに言い返した。
「またー、ルナ先輩、俺達はヒルクライムラバーズですって」
マサオはこんな状態でも自分とルナが仲間だと強調したいみたいだ。だが、ルナは笑顔のままで更に言った。
「ううん、私が言ってる『ヒルクライムラバー』はマサオ君のコト。初めて一緒に上った時もそうだったけど、あんなにフラフラになっても足を止めようとしなかったでしょ? 私だったらとっくに足を着いちゃってるもの」
根性があると褒められて内心喜んだマサオだったが、ルナは一言付け加えた。
「でも、疲れきって落車する寸前まで意地を張って足を止めないのは自分が危ないだけじゃ無く、他の人を巻き込む危険もあるの。だから無茶はしないでね」
喜んだのも束の間、痛いところを突かれてマサオはしゅんとしてしまった。だが、そんなマサオも更に続くルナの言葉で元気を取り戻した。
「安全第一で峠を楽しんで上る。それが私達ヒルクライムラバーズなんだから」
単純なものでマサオはすっかり気を良くしてボトルケージからボトルを引っこ抜き、スポーツドリンクを喉に流し込んで言った。
「もう大丈夫っす。さあ行きましょう、もちろん安全第一で!」
再スタートしたマサオとルナ。ルナはココからはマサオの前を走る事にした。後ろを気にしながら走って、マサオが着いて来れない様ならペースを落とし、それでも辛そうなら止まろうと思っての事だが、マサオは意外にもルナに遅れる事無く頑張って着いて上っている。
駐車場のヘアピンが見えるとルナが左手を横に出した。駐車場に入るというハンドサインだ。マサオは「まだイケるのに……」と思ったが、安全第一と言った手前従わざるを得ない。ルナに続いて駐車場に入り、プリンスを停めた。
駐車場の奥は草が生えた斜面となっていて、その斜面の上を道が走っているのだが、その道は駐車場を囲む様に弧を描くヘアピンだ。駐車場の東側は道路と面一だが西側の斜面はマサオの頭より高く、坂の強烈さを物語っている。
「こんな道を自転車で上ってるのかよ……」
それは第一ヘアピンでも第二ヘアピンでも思った事だが、こうやって止まって眺めるとその思いは一層強まった。もちろんこの辺りの斜度は10%超だ。
「ココまで来たらあともう一息、今日は足着き二回ね」
強烈な坂道を呆然と見上げるマサオはルナの声に振り返った。ルナもエモンダから降り、ボトル片手に道を見上げている。
「綺麗だ……」
マサオは思わず呟いてしまった。ルナの格好はもちろんピチピチのサイクルジャージにビブショーツ。身体のラインがそれはもうはっきりと見て取れる。その上暑いものだからサイクルジャージのジッパーは下げられ、メッシュのインナーシャツが肌に貼り付き、スポーツブラがうっすらと透けて見えている。
もちろんそれらは見られても構わないモノなのだからルナは気にしてみいない様だが、汗ばんだ素肌は艶かしく、マサオはルナに見蕩れてしまった。そんなマサオを不思議そうな顔で見るルナ。マサオは悩んだ。
――聞こえちゃったよな、今の…… どうする? 言っちまうか? ルナ先輩が綺麗だって。俺はルナ先輩が好きだって……――
だが、マサオの悩みも虚しくルナは言った。
「そうね、綺麗ね。でも、展望から見る景色はもっと綺麗よ」
「そうっすね。じゃあ、あとひと頑張り行きますか」
拍子抜けしたマサオだが、この時ルナの頬がホンの少し赤くなっていた事に気づかなかったのは大きな失態だ。どうせ胸元ばかり見ていたのだろう。何しろルナの胸はハルカの残念な胸とは違うのだから。
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