第54話 食事直後のヒルクライムはマジで辛い。で、やっぱりこうなる
「せっかく来たんだから、一本上って行こうか」
「そうね、せっかくだしね」
トシヤが提案すると、ハルカが乗ってきた。もちろんマサオは浮かない顔だ。出来るなら、ヒルクライムより緩く走りたいと言うのが本音だ。するとルナが彼女らしからぬ事を言った。
「今日は私はやめとこうかな。コレ、持って来ちゃってるし」
ルナはトルクレンチをバックパックから取り出して見せた。さすがのルナも重いトルクレンチを持ってヒルクライムに挑もうとは思わなかったのだろう。するとマサオが凄い事をさらっと言った。
「じゃあ、トシヤとハルカちゃん、二人で上って来るか?」
普段なら別に『凄い事』と言う程では無い事かもしれない。だが、厨二男子スイッチが入ったトシヤと乙女スイッチが入ったハルカはどうしても意識してしまう。先週、いや、ついさっきまでは妙な意識などせず、自然に振る舞えていたのに。まあ、トシヤはスパゲティを食べるハルカを見てかわいいなと思っていたみたいだが。
トシヤとハルカは顔を赤らめながら、頷く事も首を横に振る事も出来ず固まってしまった。
「それじゃ、やっぱり皆で上りましょうか」
トシヤとハルカに流れる微妙な空気を察知したルナが苦笑いしながら言った。これはマサオにとってダブルのショックだった。一つは結局ヒルクライムに挑まなければならなくなった事、そしてもう一つは密かにルナと二人になれると思っていたのが、そうはいかなくなった事だ。だが、それを顔に出す訳にはいかない。
「そんじゃ俺も付き合うか。ハンドル下げて、上りでどんな感じかチェックしなきゃだしな」
マサオが言い、結局は四人揃ってヒルクライムに挑む事となった。
「やっぱ峠を上らなくっちゃな。なんたって俺達はヒルクライムラバーズなんだから」
ヘルメットをかぶりながら精一杯強がって言うマサオの気持ちがルナに届く日は来るのだろうか? まあ、マサオの気持ちは届いてはいるが、ルナがそれに応えないだけの様な気もするけれども。だからと言ってルナを責めるのはお門違いだ。何しろマサオは好意を仄めかせてはいるつもりの様だが、はっきりと好意を伝えた事は一度たりとも無いのだから。
フレンドリー・ジェニファーズカフェを出て渋山峠に向かうトシヤ達だが、彼等は大きなミスを二つ犯していた。一つは食事を摂った直後だという事。そしてもう一つは既に昼を回っているという事だ。これから気温はぐんぐん上がる。トシヤ達は厳しい暑さの中でヒルクライムに挑まなければならないのだ。
峠のスタート地点に向かう途中、上り坂に入ったトシヤは下げたハンドルがそんなに低いと思わなくなった。上り坂では道の勾配に従って車体が上向きになり、平地と比べるとハンドルが高くなった様に感じるからだ。逆に下りではハンドルがより一層低く感じてしまって結構ビビってしまう事になるのだが。などと言ううちに渋山峠のスタート地点に四人は到着した。
少し広くなっている所に一旦ロードバイクを停め、小休止を取るのはお約束だ。足を着くと同時にマサオが早くも弱音を吐き出した。
「やっぱメシ食った直後は身体が重いな」
「カルボナーラの大盛りなんか食べるからよ」
瞬時にしてハルカのツッコミが入った。スパゲティは消化が良く、すぐにエネルギーに変わる優れた食材だが、生クリームと玉子を使ったカルボナーラは運動前の食事としては重過ぎる。せめて大盛りで無ければ……後悔するマサオだったが最早手遅れだ。
「まさか峠上るなんて思ってなかったからな」
グズグズ言うマサオにハルカは更に容赦無い言葉を叩き付けた。
「ごちゃごちゃ言わないの! マサオ君、ヒルクライムラバーズなんでしょ?」
フレンドリー・ジェニファーズカフェを出る時に強がって言った言葉が裏目に出た様だ。もっとも、そんな事を言っていようがいまいがココまで来た以上、上らずに帰る訳には行かない。マサオは重いお腹を摩りながらクリートを嵌め、スタートしたハルカとトシヤに続いた。
渋山峠のヒルクライムでは序盤の数百メートルでその日のコンディションが明確にわかる。今日は明らかに身体が重い。マサオは第一ヘアピンをクリアしたところで足を着いてしまった。後ろに着けていたルナもマサオに合わせて止まり、後ろから声をかけた。
「マサオ君、大丈夫?」
マサオは正直言ってあんまり大丈夫では無かったが、ルナに「大丈夫?」と聞かれたら返す答えは一つしか考えられない。
「すみません、大丈夫っす」
マサオの腹にはカルボナーラが入っているが、ルナは背中にトルクレンチというウェイトを背負っている。しかもそれは自分の為にでは無く、トシヤとマサオの為に持って来ているのだから「無理っす」なんて言いたくても言える訳が無い。
「そう、でもあんまり無理はしないでね」
ルナは優しく言うとマサオが回復するのを待つかの様にエモンダから降りた。
トシヤはトシヤで、第二ヘアピンの手前で失速、足を着いてしまった。だが、ハルカはそれに気付かずどんどん先へ上ってしまった。
「くそっ、またココまでしか持たなかったか」
悔しそうに呻くトシヤの額からトップチューブに汗が滴り落ちた。そう、前回上った時もこの第二ヘアピンでトシヤは足を着いてしまったのだ。だが、今回はスタートしてすぐに身体が重いと感じていた。次に本調子で臨めばもう少し先まで上れる筈。そう思い直してトシヤは汗を拭い、ハルカを追って再スタートした。
第二ヘアピンは結構な斜度で右に曲がっている。クリートを嵌めながら「こんなトコで止まるんじゃなかった」と後悔するトシヤの目に一台のロードバイクが路肩に寄って停まっているのが見えた。あのお尻、いや背中は間違い無い。
「ハルカちゃん、待っててくれたんだ」
トシヤの足に力が漲った。だが、この付近は10%前後の斜度が続く厳しい区間なのでペースは簡単には上がらない。ほんの数十メートルを必死に走り、ようやくハルカの前に出たトシヤはリアクトを脇に寄せると足を止めた。
「ありがとう、待っててくれたんだ」
トシヤが言うとハルカは照れているのを隠す様に素っ気ない言葉を吐いた。
「ま……まあ、初心者を置いていく訳にはいかないからね。ココからはちゃんと着いて来なさいよ」
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