第41話 ダウンヒル ハルカのお尻を追いかけろ!

 トシヤはハルカに食らいついて走った。さっきマサオとルナがなかなか上って来ない事を心配して下った時は、あっという間に引き離されてしまったが、今は少しゆっくりめに走ってくれているのだろう、トシヤはハルカになんとか着いて走る事が出来ていた。


「目線をカーブの奥に……だったっけ」


 トシヤはルナに言われた事を思い出しながら目線を遠くに置こうとするが、どうしても前を走るハルカのお尻に目が行ってしまう。だが、これが逆に功を奏した。ハルカに言われて車間距離を長めに取っていたのでトシヤがカーブに入る時にはハルカがクリッピングポイント付近に、トシヤがクリッピングに付くとハルカは次のカーブの入口に居た為、上手い具合にトシヤの目線は良い感じのライン取りが出来る方に向いていたのだ。


「何か、楽に着いて行けるな。ハルカちゃんがゆっくり走ってくれてるからかな?」


 ハルカに引っ張ってもらう形でトシヤはスムーズに、しかも一人で走っている時よりも速く渋山峠の下りを駆け抜ける事が出来ていた。


 マサオもまた、ルナのお尻を追う事で結果として目線が理想に近い形で移動し、トシヤと同様にスムーズで、尚且つ速いダウンヒルを堪能していた。もちろん速いと言ってもルナとしてはかなり抑えて走っているのだが。


 同じ道のりでもヒルクライムは長いが、ダウンヒルはあっという間だ。標高はどんどん低くなっていく。基本的にはブレーキは軽くかけっ放しで、ヘアピン等のキツいカーブの手前ではブレーキを握る手に力を加えなければならない。トシヤの腕がパンパンになり、握力が失われて来た頃、右のヘアピンの内側に車の屋根がチラッと見えた。ハルカとの間接キスを思い出し、走行風で冷やされたトシヤの頬が熱くなったが、今はそんな事を考えている場合では無い。ハルカの減速に合わせてトシヤもブレーキをしっかり握ってヘアピンに侵入すると、既にブレーキをリリースしたハルカは次のカーブを目指していた。


 そんな調子で軽快に下っているうちに左カーブを抜けると道が広くなり、センターラインが引かれているのが見えた。その先には第一ヘアピンが待ち受けている。それを抜ければカーブも勾配も緩やかになるのでブレーキを握る力もそんなに強くなくて大丈夫だし、舗装も綺麗になるので暴れようとするハンドルを押さえる必要もなくなる。緊張から解かれたトシヤはハルカがチラチラと振り向いてトシヤを見ているのに気付いた。

 もちろんハルカはそれまでに何度も振り返ってはトシヤがちゃんと着いて来ているか確認していたが、単に瞬間的にチラッと見るだけでしか無かった。それが今は何かトシヤの様子を観察している様だ。

トシヤは余裕を見せようと左手を挙げてハルカに振って見せた。するとハルカの口元に笑みが浮かんだ。トシヤはそれをハルカが微笑みかけたのだと思い、笑顔で応えようとした。しかしトシヤの笑顔がハルカに届く事は無かった。ハルカは前を見て加速し出したのだ。とは言ってもハルカはペダルを回してはいない。単にブレーキを握る手の力を弱めただけだ。だが、静かにハルカのエモンダはトシヤから離れ、あっという間にカーブの向こうに消えた。


「うわっ、ハルカちゃん、速っ!」


 トシヤもブレーキを開放するとリアクトは重力に引かれて加速を始め、サイコンのスピードを示す数字はどんどん上がっていった。さすがにこのスピードでカーブを曲がるのは怖いとトシヤがブレーキレバーに少し力を加えて減速しながらカーブに侵入し、目線を遠くに置く様に意識しながらカーブをクリアすると、その先にはゆっくり走りながらチラチラと後方を覗うハルカの姿が見えたかと思うと、また加速してカーブの向こうに消えた。


「ハルカちゃん、遊んでるな……」


 思いながらもトシヤは無理にハルカに追い付こうとはせず、自分の怖くない範囲でスピードを調整ながら下り、それを繰り返しているうちにガードレールが無くなり、道の横が山肌から畑へと変わった。それと同時にハルカは遊ぶのを止めてゆっくりめのスピードをキープし、そしてヒルクライムのスタート地点、ダウンヒルのゴールである信号が赤なのを見て、ゆっくりと停止した。


「楽しかったわね」


 ハルカが振り返って、続いて止まったトシヤに言うが、遊ばれたトシヤとしては複雑な心境だ。


「ハルカちゃん、遊んでたろ?」


 トシヤが口を尖らせるとハルカは心外だといった表情で応えた。


「えーっ、トシヤ君、そんな風に思ったんだ」


 ハルカによると、トシヤを引き離したのは遊んでいたのでは無く、比較的安全な区間でトシヤがどれぐらい下りで着いて来れるかを試していたらしい。待っていたのも、おちょくっていた訳では無く、完全に千切ってしまうとトシヤが無理をしてオーバーペースにならない様にという気遣いだったのだ。


「そうだったんだ。色々考えてくれてたんだね」


 自分の思い違いを恥じる様に、また、ハルカの気遣いに感謝する様にトシヤが言うと、ハルカは意外な事を言い出した。


「ダウンヒルって楽しいわよね」


 その言葉にトシヤは戸惑った。ハルカはヒルクライムが好きでは無かったのか? もしかしたらハルカはダウンヒルの方が好きで、実はダウンヒルの為に我慢して好きでも無い坂を上っているのか? すると信号が青に変わった。


「ココで停まってるのも何だから、先にコンビニに行って待ってましょうよ」


 言うとハルカはペダルを踏んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る