Ready−2
おいしそうな匂いが、鼻をついた。
まぶたを閉じたまま、セイリュウは自分が一体どうなったのかを考えてみる。
「(要って奴と戦って勝てなくて……逃げてる途中で意識が飛んじゃって……?)」
布団の感触とあたたかい部屋と、おいしそうな匂い。
セイリュウは、ゆっくり目をあけた。
木の天井が見える。誰かの家なのか、それとも、何かの施設の一室だろう。
「(どこだろ、ここ……)」
起きたばかりでぼんやりとしているセイリュウに、近づいてくる足音が聞こえてきた。部屋の前で止まり、木の扉が開かれる。
そちらに顔を向けていると入ってきた男と目が合った。
「おや、お目覚めですか?」
穏かな笑顔で語りかけてくる。
伸びかけのストレートのショートヘアは、きれいなうす茶色をしている。風にサラサラとなびきそうな、やわらかな髪。
笑顔に細められた瞳も、形よく、穏かで人当たりのよさを強調していた。
どこかで見たことのある顔をしている。
「おかげんはいかがです?」
「だいぶいい」
「それはよかった。何か食べます?おなかすいたでしょう?」
「あんたが、助けてくれたの?ありがとう」
ベットに半身を起こして礼を言うと、男は軽く笑った。
「あなたを拾ったのは、僕じゃありませんよ。身体のキズのほうは、治療させてもらいましたけど。あなたを助けたのは……あの子たちです」
男が示したのは、窓の外。
すぐ横にある窓に、年もまばらな子どもたちが、張り付くようにして中の様子をうかがっていた。
「……あれ、何?」
「ここに通ってる子どもたちですよ。
男は、窓の外の子どもたちに、右を指差して合図を送った。
すると、子どもたちは、一斉に右方向へ駆け出す。
しばらくの後、「バタンッ」という派手な音と「ドタドタ」とローカを走る音がして、部屋の前でピタッと止まった。
不審に思っていると、礼儀正しくノックする音がする。
「どうぞ」
男が笑顔で答えると、扉がそっと開かれた。
さっき、窓に張り付いていた子どもたちが、入り口から中をうかがっている。
セイリュウも子どもたちも、お互いに顔を見合わせたまま、どうしたものか悩んでいた。
「あの、オレのことを助けてくれたんだってな。ありがとう」
少々引きつった笑顔で先に口を開けば、子どもたちの顔がパッと輝いた。元気よく中に入ってきて、ベッドの傍に陣とる。
「もう大丈夫?」
「元気になった?」
「熱とかは?」
「手も痛くない?」
「足は?」
「どっか苦しくない?」
「背中は?」
「ヒリヒリしない?」
「たあちゃんの魔法はすごいんだよぉ!」
「すぐ痛くなくなっちゃうんだぜ!」
「体も軽くなるしなー?」
質問の嵐に答えることもできず、あっけにとられていると、男が、子どもたちの後ろからストップをかけた。
「こらこら。そんな一度に聞いたって、答えられないでしょう?」
男はそれから、セイリュウのほうを見て、穏かに微笑んだ。
「何かご質問は?」
「たぁちゃんって、誰?」
誰ともなしに尋ねると、子どもたちが一斉に振り返り、男を指差した。
男も自分を指している。
「たぁちゃんは、僕です。
「おねーちゃん、なまえは?」
元気いっぱいに訊いてきた女の子に答えようとして、セイリュウはふと思った。
「よく女だってわかったな」
生れてこのかた、一目見ただけで女だとわかった人などいない、というのが、自慢にならない自慢の一つなのだ。かけられる声なら、「お姉ちゃん」ではなく「お兄ちゃん」。
「たぁちゃんが言ってた!」
「そうそう。女の子だって」
言われて、セイリュウはようやく気がついた。着ていた服が違う。
服に向けていた視線を環に向けると、申し訳なさそうに笑っている。
「すいません。ずいぶん汚れていたもので、上だけでも、と思って着替えさせてしまいました。あ!でも、ホントに上だけですから」
「いや別に、いいけど」
「ねぇ!」
枕もとにいた男の子が、セイリュウの服の裾をひっぱった。
「あぁ、名前な。オレは、セイリュウだ」
すると、一人の女の子が自分を指して元気に口を開いた。
「わたしね、わたしね!」
今度は、自己紹介の嵐が始まると察して、セイリュウの笑顔が引きつる。
と、そこへ、環が、子どもたちとセイリュウの間に割って入った。
「はいはい。自己紹介は、また明日!今日はもう遅いですから、早く家に帰りましょうね」
子どもたちからは、不満げな返事が帰ってきた。
環は、子どもたちを追い出すように、廊下へと追いやる。
「ちょっと、玄関まで送ってきますね」
ローカに出たところで振り返ってそう言うと、環は扉を閉めた。
にぎやかな一団が去り、部屋はとたんに静かになる。
子どもたちの騒ぐ声を遠くに聞きながら、改めて部屋を見渡した。
シンプルなサイドテーブルに、おしゃれなランプがひとつ置いてある。首の部分は金属で、カサはガラス製。ステンドグラスのような細工になっている。
半身を起こしているベッドの、セイリュウの足方向の壁際に、背の高い水色のペンキで塗られた木製のチェストがある。
その傍に、同じ色の丸テーブルと、イスが三脚。
床は、白い板がはめられていて、全体的にきれいな部屋だった。
「(ここに通ってるって、病院か?学校か?)」
薄暗い窓の外は中の光が反射してよく見えないが、どうやら広場か空き地のようである。
子どもたちの声がしなくなって、しばらくすると、環が部屋に戻ってきた。
「起きれますか?家の中を少し、案内したいんですけど」
「うん」
セイリュウは、ベッドから出て、環について部屋を出た。
長いローカは、右に行けば行き止まり、左は突き当たりで左に折れている。
「前の部屋は食堂です。昼食はここで、子どもたちととります。その隣がお風呂で、奥の二つは客室です。トイレはこっち」
ローカに出て、同じ並びで左にトイレ、右に大部屋が二つ。
「朝と夜の食事は、リビングでしましょう。こっちです」
ローカを突き当たって、左に行くと、玄関が見えた。
突き当りには、部屋が二つ。
玄関を入ってすぐの部屋が、リビングだった。
隣の部屋の扉には、つたないひらがなで「ちえのもり」と書かれた紙が張ってある。「ちえのもり」に疑問を感じながら、環に続いてリビングに入る。
入って正面に窓が二つ。左手の壁に、他の二つより少し大きめの窓がひとつ。
部屋の、中央より左寄りに応接セットがあり、その下には、絨毯が敷いてある。
絨毯と同じ淡い黄色のカーテンと、部屋の隅に広場に向くようにして置かれた白い机と、床の木の色が、とても合っている。
扉の正面に、寝ていた部屋にあったものと同じ、水色の木製の丸テーブルとイスがニ脚置かれていた。
そこで、環がイスを引いて待っている。
「どうぞ」
セイリュウは、扉を閉めて、環の引いてくれた壁側のイスに座る。
「ちょっと待っててくださいね。今、食事持ってきますから」
「手伝うよ」
ついていこうとすると、環が笑顔で振り返った。
「今日はいいですよ。座っててください」
「うん……」
素直に環を見送ったあと、イスに座り直して気がついた。
「ん?今日は?」
数分後、食事を運んできた環と、向かい合って食べ始めながら、さっきの言葉の意味を聞き出すタイミングを図る。
「嫌いなものとかあります?食べられないものとか」
「や、基本的に何でも……」
「そうですか」
「あのさ!さっき、今日は、手伝わなくていいって言ったけど、あれ、どういう意味?」
手を止めて、じっと環を見る。
「どういう、と言われても、そのままの意味ですけど?」
訊かれた意味がわかっていないのか、それとも、わかっていてとぼけているのか、きょとんとした顔で答える環に、セイリュウは、がっくりと肩を落とした。
「そうじゃなくて!オレ、ここに住むの?」
「あれ?もしかして、目的の場所とか、会いに行く人とかいるんですか?」
答えに困った。探している人がいる。会いたい人もいる。
「いないわけじゃない、けど……」
「けど?」
訊き返されて、答えに困った。
環は、その姿を見て優しく微笑んでいる。
環も食事の手を休めた。
「もし、場所がわからないとか、迷ってることがあるとか、何か、会えない事情ができた、とか、そういうことなら、ここにいてくれてかまいませんよ。そのほうが、僕も助かりますし」
環の柔らかな雰囲気に、セイリュウは、心がほぐれていくのを感じていた。
「じゃあ、そうする」
「子どもたちも喜びます」
環の笑顔を、どこかで見たことのある気がした。思い出せないもどかしさが、セイリュウの心に残る。
しかし、何より青竜の心を支配していたのは、目の前の料理の美味しさだった。
幸せそうな顔をして目の前の料理を平らげていくセイリュウに、環が思わず吹き出した。
「あ、すいません。あんまりおいしそうに食べるから、つい……」
笑いを堪えようとする肩が揺れている。
食事の間も、その後も、環はよくしゃべった。近所の商店街の人たちのこと、環園にやってくる子どもたちのこと。
楽しそうに話す日常の愉快なできごとに、セイリュウもつられて笑っていた。
初めて会ったはずの環を、疑いもせず、普通に接している。不思議と、怪しいとは感じない。
優しくて、しっかりしていて、頼もしくて、安心する笑顔と心の落ち着く雰囲気をもったいい人――――それが、環に対する、青竜の第一印象だった。
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