3 少年
黒樹は、時々遠くを見るようにぼんやりすることがある。
楓も、そんなときには黒樹に声をかけない。黒樹のこのときが終わるまで、そっと同じ空間にいて、一人の時間を過ごしている。
黒樹の過去など、楓は知らなかった。聞いたこともなかったし、聞こうと思ってもいない。なぜなら、今までそうだったから。深く関わることはしない。それが、楓の生き方だった。
今までは、それで良かった。
そのせいで、トラブルに巻き込まれそうになることもあったけれど、上手くかわして生きてきた。
「(踏み込む距離感がわからない……)」
眉間にシワが寄りそうになるのを抑えて、黒樹から視線を引き剥がし、雑誌に目を落とす。
なぜ、黒樹が遠くを見ているのか、そのとき何を考えているのか、正直気になる。
しかし、そこに踏み込んでしまうと、黒樹は自分の隣からいなくなるような気が、楓にはしていた。
「なにか?」
ぼんやりしていたと思った黒樹が口を開いて、楓は動揺を隠せなかった。
「あ……いや、」
黒樹は、相変わらずの無表情で、こちらを見ようともしない。黒樹の興味は、楓には向かない。
「なら、一人にしてくれる?視線がうるさいよ、さっきから」
「…………ハイハイ」
答えた声に、隠しきれなかった苛立ちが篭もり、それにまた、楓は苛立っていた。小さくため息をついて、自室へ引っ込む。
「……なんだよ。視線感じてんなら、なんか教えてくれたって……」
愚痴をこぼして気がついた。身勝手な言い分だ。何も聞かないのは自分なのに、黒樹を責めている。
「(こんなとき、兄貴ならどうするんだろう……)」
* * * * *
神社の秋祭りは、小さい頃から遊びに行った、楽しみにしている催しの一つだ。
出店が並ぶ境内から神社前の通りは、歩くだけでワクワクした。夏休みが終わり、秋がきたことを実感する。
祭りのときには、舞も納められる。更に、奥の社、樹李たちのところへ行けば、そこでも特別な舞を海吏と海雷が見せてくれるし、父・杏須が一緒の頃は、特別な料理も出してくれていた。今も、少しの料理と相変わらずの舞で、彼らは楽しませてくれている。
いつもなら、心の底から楽しみにするのに――――――――今、竜の頭の中を占めているのは、秋祭りではない。
夏の、あの日々の思い出。
そして、大好きな――――――――。
「父さん……」
呼んでみても、答える声はない。
あのとき、確かにいたのに。この大木の下で、言葉を交わしたのに。
良い季節だ。秋は、暑くもなく寒くもない。鍛錬していても心地よい空気がある。
今、社では良太が樹李から魔術の勉強中だ。達也は、海吏に稽古をつけてもらっている。
「なにをサボってんだよ」
正面に影がさす。見上げれば、声の主、海雷がこちらを見下ろしていた。
「サボってない。稽古を受ける場所があくのを待ってんの」
「ものは言いようだな」
海雷が、正面から隣に移動する。
「二人とも熱心だな。お前と違って」
「良太はなにやってんの?魔術の勉強って、やったら魔術が使えるようになるの?」
「ならないな」
「……ならないのか」
良太は「仕組みが分かれば、助けになる」と話していた。
「(話を聞いて、魔術の仕組みなんて分かるものなのか?)」
「良太は頭いいからな。お前と違って」
「いちいち言い方がムカつく……」
「やれることはやっとかないと、納得できないんだろ?二人とも」
「……それ、暗に無駄だって言ってないか?」
「無駄じゃないだろう?そこから得るものがある」
竜は、驚いたような顔をして、海雷を見上げた。それにすぐに気がついて、海雷は眉間にシワを寄せた。
「なに、その失礼な顔は」
「うっかり尊敬しそうになった」
「お前ねぇ、仮にも人生の先輩に……」
「得るものかぁ」
それが何なのかわかるのは、まだまだ先なのだろうと、社の中の二人を見つめて竜は考えていた。
* * * * *
「あの……」
説明が一区切りついたところで、良太が、遠慮がちに口を開く。
「それで結局、あそこでサボってるのはどっちなんです?セイリュウでいいんですか?」
樹李は、目を丸くした。
「リョウタは、そう思う?」
「2年いなかったことを差し引いても、あれは竜じゃないように感じる。時々、竜になるときもあるけどね」
「すごいな。その通りだよ。基本はセイリュウが表に出ていて、リュウの記憶を共有している」
「二人を別にすることは?」
「あの術をかけたアンスさんがいない今、難しくはあるけれど、不可能じゃない。ただ……」
「ただ?……あ、そっか。狙われているセイリュウと同じ姿だとしたら、」
「そう。得策じゃない」
そこで、良太は気がついた。
「あのヒト、もしかして自分の娘を守ろうとしてその技を使ったんじゃないの?」
呆れたような顔をして、良太は、杏須の姿を思い出していた。少年のような、彼女の父親の姿を。彼は、家族を大切にしていた。
これも、家族を守るためだったのかもしれない。
「それもあったのかもな。大切なものを守るために、魂を残していったんだから」
そう答える樹李は、表情も声も柔らかく穏やかだ。
良太は、呆れ顔のままでため息をついた。
「樹李さんは、優しいですね」
「俺?」
樹李が、不思議そうな顔をしている。それもそうだ。今話題にしていたのは、樹李のことではなく杏須のことなのだから。
「優しいですよ。お人好しというか。俺は、そんな風に思えないし、あいつを諦めることもできない」
樹李は、苦笑いを浮かべた。
「優しさじゃないさ。あの子のそばにいて護ってやるには、諦めるしかないんだよ」
「護るため?」
「俺たちは、精霊だ。この地を護るために生まれてきている。恋しい思いは、俺たちを限りある生命へ姿を変えてしまう。ただの人間になってしまうんだよ。今はまだ、その時ではない」
良太は、樹李の言葉をじっくりと噛み締めた。その決断をすることが、どれほど苦しいものなのか、どれほど辛いことなのか――――ただ、彼女を護りたいという思いのために。
「やっぱり、お人好しですよ……」
面白くないと言うような口調で、共有してしまった辛さと苦しみを隠して、良太は小さくつぶやいた。
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