† 〜サラsaid〜
久しぶりに、島の人たちの笑顔を見る事ができた。
祭りの時のような喧騒な光景に思わず頬が緩み、想い人を探してしまう。見知った人は沢山いるのに、その人だけがどうしても見つからない。
諦めて大好きな果実のジュースを口にする。下界で飲める最後のジュースだ。
「シンの妹だな」
頭上から降ってきた言葉に、頭を上げてその人を見る。初めて見る顔だった。
「俺はお前の兄の師というべき、人間だ」
「お兄ちゃんの、お師匠様?」
「ああ…………」
胸が熱くなるのを感じた。初めて自分は、自分の知らない兄の知る人物に会えたのだ。それはつまり、自分の知らない兄の顔を見る絶好の機会だ。
何から聞き出そうか考えていると、その人は不機嫌そうな顔のまま海へと顔を向けた。
「お前は、いいのか?」
「え?」
「このまま、海神の伴侶となって」
その人の横顔に兄の横顔が重なって見えた。自分がどんなに大丈夫だと言っても、兄は最後まで自分自身を信じられず、誇りを捨て、禁を犯してまで、敵対する相手に頼み込み、捕まった。
大好きな兄が自分を守るためだと言って、行動した結果が今の状況。彼はその事を聞いているのだ。サラは少なくなったジュースのコップを軽く揺らして波立たせた。
「私は伴侶になるよりも、お兄ちゃんが私の言葉も、お兄ちゃん自身の力も、信じてくれなかった事が悲しかった。お兄ちゃんはいつも私のために色々してくれたけど、本当は隣で一緒に頑張ろうって言って欲しかったな」
自分の事を吐露したのは初めてかもしれない。今まで、こういう事を言える人が周りにいなかったからと、彼が兄に似た雰囲気を持った人物だったかもしれない。
顔も口調も、何一つ似ていないのに、どこか似ていると断言できた。
「お兄ちゃんは、誰よりも優しくて強いのに、自分ではそんな事ないって、気付いていない鈍感さんなの」
クスクスと笑いを漏らすと、彼は怪訝な顔でこちらを見ていた。
「お前は」
「?」
「どうして、笑っていられるんだ?」
不思議な事を尋ねられた。
「どうしてって、笑うのは自然な事でしょ?」
「………これから、お前に不幸が襲うと分かっていて、どうして笑えるのかと聞いている」
思わず「あぁ」と納得してしまった。
島の人間は、雨神様の伴侶となる人物が不幸になると分かっているが、自分たちが死ぬよりはマシだと考える人の方が多い。身近な誰かではなく、身寄りのない赤の他人の自分を心配してくれるのは、世話を焼いたごく少数の人間だけだというのに、この人は違う。
やっぱり、どこか兄に似て心の優しい人だという事が分かった。
「別に不幸になる訳じゃないよ」
満天の星たちが瞬く漆黒の絨毯に、綺麗な黄色い円が描かれていた。戦いの球にも似たそれに向かって手を伸ばして、手の平に乗せる様に見つめる。
「だって、私があそこにお嫁に行く事で、お兄ちゃんを助ける事ができるんだもん。お兄ちゃんが幸せに生きていけるなら、私、これ以上の幸せはないよ」
それに、と、少し頬に熱を帯びるのを感じながら、コップに下唇を付けて視線を落とす。
「ザギさんが、言っていたんだ。私たちがいなくなっても、またこの島に戻って来れるように、道標を造るって」
「道標?」
「石像の事だよ。職人さんの間ではね、死んだ人の魂は海に行って、風と一緒に帰ってくるんだって、それで、石像が魂の目印になるから、また三人で逢えるねって話し合ったんだよ」
難しい話はよく分からなかったが、そんな感じの事をザギと兄が話していた。だから、自分がこの島からいなくなっても、また戻って来られるのだと信じていられる。
大好きな兄と、大好きなザギの三人で笑って話し合える日が来るのだと、信じていられた。それに……。
「ザギさんが言ってた。ザギさんは自分に与えられた仕事を楽しくできてるけど、お兄ちゃんはまだ、その楽しさを知らないって」
毎日、傷だらけになりながらも、無理に笑っている兄の姿を思い出しては、胸に縛り付けられるような痛みが走り、下唇を軽く噛む。
「だから、お兄ちゃんも、お兄ちゃんのやっている事が楽しいって思えるようになったら、私、またここに帰ってくるんだ。それでお兄ちゃんと笑って手を繋いで、ザギさんに逢いに行くの!」
三人だけの秘密の場所で、待ち合わせをして。
そう考えるだけで、胸を縛り付けていた紐がスルリと解けて、今度は熱を帯びて踊り出す。
しばらく、自分の中の想像に耽っていると、急に頭を撫でられて、彼は背中を向けて歩き出した。
持っていたジュースを砂浜に置き、彼の背中に向かって叫んで止める。
「あの!」
無機質な彼の瞳が、こちらを向く。
それに臆することなく、兄に似た彼に向かって、一番、言いたかった事を口にした。
「私は、お兄ちゃんのやった事を、否定しないよ。不器用で、頭が固くて、融通が利かない性格でも、優しいお兄ちゃんが、大好きだもん。だから」
伝えて欲しい。
罪人となってしまった兄に、この言葉を。
聞き終えると、彼は身体ごとこちらに向けて小さく頷き、また踵を返して歩き出す。
これで全てを伝えられた。
自分に残された時間も、もう終わりを告げることとなる。
「そろそろ、時間じゃ」
村長に声を掛けられ、自分もまた彼に背を向けて海に向き合った。
「はい」
短く返事をし、用意された小船へと向かう。途中、砂浜に置いたコップが視界の隅に入り、まだ飲みかけだったなと、どうでもいい事で考えを紛らわす。
古い木の板で造られた小船は、今にも沈みそうな外見をしている。少しでも強い風が吹けば、バラバラになってしまうだろう。
それに乗り込み、両手の平を合わせて祈りを捧げる。船は波に乗って動き出した。
瞼の裏の暗闇に、大切な人たちの姿を映して恐怖を紛らわせる。
「…………お兄ちゃん」
最後に一目でいいから逢いたかったと、唇を噛み締めて胸の痛みに耐える。
島に雨が降ることよりも、彼が心の底から笑ってくれる日が来る事だけを、少女は祈り水平線の向こうへと消えた。
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