† 〜日常〜


 顔を洗い、朝食を妹と済ませた後、シンは約束通りザギの家へ向かった。ザギの家はシンの家から斜め向かいにあり、目と鼻の距離にある。

 家の外装はどの家も全く同じ石造りになっているが、内装は住んでいる家々によって異なり、ザギの家は殺風景なシンの家に比べると、華があり家族の暖かさで詰まっていた。

 暖色の敷布の上に丸い木のテーブルが置かれ、その上には朝食後なのか、ザギの作品らしき歪な形のコップが四つほど置かれている。

部屋にはザギやザギの兄が散らかしたと思われる布や衣服が散乱し、何故かは分からないが土や木の板などの家の中にあるまじき物まで見え隠れしていた。

 自分たちにも両親がいればこんな風な内装になっていたのだろうか。時間を惜しむあまり趣味を持たず、ただ必死に働いてサラの負担にならないように、家の中には物を置かず、埃を掃けば掃除は終わりになるように心掛けてきた。


(でも、この家を見ると、何か温かいな)


 ぼんやり思考の波に没頭していると、シンはザギの母親に上着を剥がされた。

肌寒さで我に返ったが一歩遅く、おばさんはシンが行動するよりも速くに腕を掴み、手に持っていた服を袖に通して、シンを瞬時に着替えさせた。


「あ、あの……。おばさん」


「ん~~、やっぱり少し緩いかぁ。まぁ、少し捲って縫っちゃえばいいわよね。どうせ成長期なんだし、すぐに伸びるわ」


 独り言を呟くおばさんに、シンは溜息混じりに息を吐き出して周囲を見回した。先ほどから気になっていたが、ザギの姿が見えない。ザギも成人の儀のために隣の部屋で静かにしているのだろうか。

 シンがつい隣の部屋との境を見つめていると、おばさんに朝、ザギに叩かれたような平手を背中に喰らわされ、前のめりになった。


「った!」


「ほら! こっちは自分で履いとくれよ。……それとも、あたしが脱がせてあげようかい?」


 手渡されたのは着替えさせられた上着の対となり得るズボンだ。おばさんは手の指を細かに動かし、目をまるで狩人のように鋭利なものに変えて迫ってきた。シンは顔を赤くし、額に青筋を立てて、後退した。


「自分で履けます!」


 おばさんは「そうかい、そうかい」と笑い飛ばし、テーブルに置かれていたコップを持って家を出ていった。共同の水場で洗いに行ったのだろう。

 シンは肩を竦めると、ズボンを履き変えた。

 全身を正面から見る事はできないが、それでも立派な服という事は分かった。安易な見た目に反し、生地の糸、一本一本が丁寧に細かく編まれ、長袖長ズボンにも関わらず、通気性がよく夏でも着れそうだ。


「着れたのか?」


 声を掛けたのはおばさんではない。シンが振り返り見ると、よりきめ細かな模様の入った服を着たザギと、その後ろに隠れるように顔だけ出した妹の姿があった。


「ザギ!」


「ふ~ん。意外とシンプルなのを身こなすんだな、シンって」


 爪先から頭の頂点まで見回すように眺めると、ザギは自分の顎を指先で軽く触った。


「だから言ったでしょ? ザギさんみたいな模様の入った服よりも、何も無い方がお兄ちゃんには似合ってるって」


「そうだな。さすがはシンの妹だ。兄貴の特徴をよく捉えてるぜ!」


 頭を乱暴に撫でられて照れ笑いをする彼女に、シンは面白くない感情と自分だけ取り残された感が拭えず、中途半端に顔をゆがめたまま固まっていた。


「ん? どうした、シン。せっかく、お前のために母ちゃんが成人の儀の服を作ってやったって言うのに、不満か?」


「いや、そうじゃない………って、やっぱりこの服ってそうだったの?」


 薄々、感付いてはいたが、敢えて考えから除外していたものだ。どの家も、自分の子供の晴れ舞台の時は自分の子供を優先するため、他人の家の子供を気に掛ける事はないと思っていた。

 だが、そうではなかった。ザギの母親は、シンのことを気に掛けていてくれた。いつも、妹の事を頼んでばかりなので、あまり迷惑を掛けたくはなかったが、正直なところ嬉しい。


「後、これも必要でしょ?」


 手渡されたのは、木の細い板に両端に穴をあけて紐を通し、腕に巻くことができそうな腕輪だった。 

 木の板には絵が描かれ、木の側面近くには細かな文様があり、中心には“リディアの戦士”と、“リディアの戦士”に祈りを捧げているような少女がいた。


「これは?」


「家族が一人前だって認める証。お兄ちゃんの家族はわたしだから、わたしが作ったんだよ?」


「中央の絵は、俺が描いたんだぜ」


 胸の奥が熱くなり、込み上げてくる激情に涙腺が緩んでシンは顔を伏せて涙を耐えた。先ほどまで感じていた孤独が、自分の中の小さな自尊心が粉々に砕かれていく。不快感はなく、こそばゆい何かが身に沁みて、シンの心を大きく揺さぶりに掛ける。

ザギは愉快そうに、シンの顔を覗き込んできた。


「何だ? 泣くほど嬉しいのか?」


「! 違う」


「なら、その水は何だ? 青春の汗って奴か?」


「……それって、どっちも同じ意味なんじゃない?」


 呆れて溢れそうになった涙も、引っ込んでしまった。


「そうとも言う!」


 腕を組み、堂々と言い放つザギに、シンは妹と目を合わせて、どちらからともなく笑った。

 妹の優しさ。ザギの心遣い。ザギの両親の家族の暖かさ。

 これ以上ない幸せの時を、シンは改めて感じていた。



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