リディアの戦士 ~追憶の中で~

神月

序章



 何が間違っていたのだろう。

 どんなに考えても答えは出ない。

 連日の雨でぬかるんだ土を踏み締め、終わりのない森をたった一人走り続ける。 どこに行くのでもなく、ただ腹の底から燃え上がってくる黒い炎を消し去りたくて、心を静めたくて、駆け続けている。

 頬から顎に流れ落ちる水が、天の恵みのものか、自分のものかも分からなくなるほど、自分が分からなくなり、心が悲鳴を上げている。


「どうして、どうしてっ……!」


 振り絞ろ出てくる声は、まるで他人のもののように掠れて馴染みがない。

 体力の限界で、次第に足は走る事を止めて歩き出し、最後は膝を付いて両手を大地に付けた。


「何で、どうして、何でなの!」


 口から出た自分自身に向けた問いに、応えてくれる者はいない。大地につけていた手を強く握り、目の前で開くと泥で汚れていた。

 まるで自分の心を体現しているようだ。


「僕が弱いからいけない? 強くなければ意味がないの?」



 暗雲なる空からは無情な雨しか降ってこない。


 これが、恵みの雨?


 みんなを救う命の水?


 人の大切なものを奪ってでも必要なもの?


――馬鹿げている。


 手に泥がついたまま、歩き出す。

 向かった先は枯れたはずの大きな滝がある崖の上。ほんの数日前までは、楽しい遊び場として見ていられたけれど、今ではただの風景にしか見えない。


「君が、いなくなったからかな?」


 隣に座り笑い合った二人は、もうここに来る事も、笑いかけてくれる事もない。

 怒りは涙と共に身体の外に流されてしまい、後には空虚感だけが心の中に居座った。

 考える事も、悲しむ事も止めて、心を氷結し想い出に蓋をする。


「もう、僕にできることは何もないんだ」


 全てを失ってしまった自分には何の価値もない。増水し泥を含んだ激流が水飛沫を上げて滝つぼの中へ落ちていく。


 まるで龍の怒りの如く。


 激しい水流は、自分の体よりも大きい樹木を滝つぼの中に飲み込み、川底の尖った岩々で次々と叩き割っていく。


 後に残るのは無残な欠片。


 弱きものが淘汰されるのは自然の摂理。


 樹木が破壊されていく光景をぼんやり眺めていると、コトリと胸の中のピースが咬み合った気がした。


「そうだ、僕には力がない。だから守れなかったんだ」


 大切な妹を、友人を、一族の信頼をーー。


 立ち上がり、滝つぼを見下ろすと、まるで深淵なる闇の入り口が開いているような錯覚になる。


「――――っ。強くちゃ、意味がないんだ」


 足を一歩、前に踏み出し宙を踏む。身体の四肢の自由を水に奪われながら、少年の魂は闇の中へと堕ちていった。




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