第36話 あの女の笑い声が聞こえる

「報告! 報告です!」


 ぼんやりとする頭にキンキンと響く甲高い声が聞こえてくる。

 あれ、私眠ってたのかしら。いすず鉄工の社長室、デスクには大量の決算書類の束。私はそれらを枕にして泥のように眠っていたらしい。

 そのせいか体中がバキバキで、筋肉痛もして痛い。眠ってたはずなのに、眠たいし指一本動かすのもおっくうだった。


「社長! あ、いえ、奥様!」


 息を切らしながら現れたのはコスタだった。残り少ない頭髪が汗でへばりついているみたい。

 やだ、寝ぼけてるせいか変な事考えてるわ私。


「なに」

「お休みの所申し訳ございません。ですが、朗報です」

「……?」


 なんのこっちゃ。

 いけない。頭が働いてない。

 コスタはこっちの事なんてお構いなしな感じで早口でまくし立てた。


「お味方の勝利でございます! 敵軍の指揮官の大半を捕虜にしまして、撤退を始めたようです」


 その言葉を聞いた瞬間、私の脳内は活性化を始めていた。

 そうだ、戦争。戦争をしていたのだ、私たちは。

 その為に私たちは徹夜で、最大稼働で鋼鉄を作っていた。領内全てを総動員していたのだ。


「こちらの被害は?」

「少なくはないようですが、結果は重要です。勝ったのです。これからが忙しいとは言いますが……」


 コスタも具体的な損害率はわからないらしい。それでもサルバトーレ王国の勝利は間違いないようだけど。

 本当に、勝ったの? どうにも私には実感がわかない。


「……ゴドワン様の所へ行くわ。コスタ、手綱、任せてもいいかしら」


 他の面々は私と同じように倒れていた。今は休ませておきましょう。


「かしこまりました」


 コスタに馬車を任せて、私はゴドワンのもとへ。

 屋敷ではいまだ厳戒態勢が敷かれていたけど、屋敷内の空気は明らかに明るかった。

 勝手知ったる我が家にもなった屋敷を進み、私はゴドワンの部屋へと直行する。

 そこにはゴドワン、そしてアベルがいた。二人とも、ほんの少し目の下にクマができていた。


「いすず、起きたか」

「おはよう、アベル。おはようございますゴドワン様」

「あぁ、もう聞いたか?」


 私はあまりにも疲れているせいか、頷くだけで返事をしてソファーに座り込んだ。本当ならかなり失礼な態度なのはわかってるけど……。


「勝ったと、聞きました」

「あぁこちらの損耗率は五千。決して少なくはないが、敵方は指揮官の殆どを捕らえられ、自国まで撤退している。定かではないが、敵軍は一万と二千の損害らしい」


 かなりの激戦だったのかしら。

 でも、勝ててよかった……とは言い切れないわね。


「全軍を倒したわけでもなし、相手が降伏したわけでもないのですね?」


 私は無意識のうちにそんな言葉を発していた。何も考えてなかったけど、ふと思いついた言葉だった。

 するとゴドワンは一瞬だけ虚を突かれたような顔をしていた。


「その通りだ。この戦争、まだ始まったばかりだ。初戦はこちらが勝った。しかし失った兵士は多い。現在は各領地から兵を集めている。しばらくは続くとみるべきだな」

「だが、初めに勝ったのは大きいだろ、親父?」

「あぁ、死んでいった兵士には悪いが。五千の損害は我がサルバトーレにとっては手を噛みつかれた程度だ。痛いは痛いが、深手ではない。最大戦力五万、ゆえにな。しかし、あぐらをかくわけにもいかん」


 勝って兜の緒を締めよ。

 そんな言葉があったわね。


「しかし、勝ちは勝ちだ。敵も今すぐに行動には出られん。捕虜交換の交渉もあるだろうしな。いすず、ご苦労であった。各工場長にも伝えるが、今は休むと良い」

「そう、させてもらいますわ」


 実感がわかないまま、私の人生の大きなイベントが処理されていく。

 戦争。戦争ねぇ。


***


 屋敷のテラスに出て、使用人たちが持ってきた水を飲みながら、私は工場から排出する煙を眺めていた。

 休めとは言われたけど、できる限りの鋼鉄生産は続けさせている。全力稼働じゃないけどね。


「よぅ、なに黄昏てんだ?」

「アベル」


 サンドイッチを持ってきたアベルが私の隣に立つ。

 アベルはぱっと見は小ぎれいにしているが、頬などには小さな傷が目立っていた。戦争の最中、彼は鉱山を行き来してそこの指揮を執っていたと聞いている。


「あなた、体は大丈夫なの?」

「俺は上から指示飛ばしてただけだからな。実際に働いてる兵士や、お前さんたちよりは気楽さ」


 そうは言うが、絶対に無理してる。

 鉱山と一口に言っても、マッケンジーが所有する山は数多い。さすがのアベルもその全てを回ったわけじゃないだろうけど。


「なんだよ、浮かない顔だな。俺たちは勝ったんだぜ。こちらの用意した鋼の武器は敵の悉くを砕いたって聞くぜ。大量に用意した大砲の弾や盾も十分な活躍を果たしたと聞いている」

「実感、わかないのよね」

「……まぁ、それはわかる。俺たちは実際には戦ってないからな。だが、俺たちが用意したものが、勝利へと導いたのは間違いないぜ?」

「でも、まだ終わってないのよね。敵はまだ降伏してない……またきっと来るわ。いいえ、来なくても、叩きのめさないと」

「おっかねぇこというのな、お前」


 自分でもそう思う。だけど、ちょろちょろと突かれるのは嫌なのよ。

 それに私が思い描く未来の為には他の国ってちょっと邪魔かも。

 第一、国とは言うけど、現代人の私から言わせて貰えばこの世界の国って狭いのよね。大陸の殆どを収めるじゃなくて、大陸全てを収めてくれないと。そこに連合国家的に多数が参加してるならまだしも。


「敵対して、反乱の兆しがあるなら制圧した方がいいでしょう。それに、サルバトーレは慢性的な資源不足。今回は、本当にたまたま鉄があったからよかっただけ。それでも木材は足りないわ」

「まぁそうだな。今回、被害を被った国はこちらで併合するようだし、そっちの資源は手に入るが……」

「足りないわよ。戦争でしょ。もっと用意しないと。民を守るというのなら、敵を完膚なきまでに倒さないと」


 とにもかくにも資源。

 資源がいるのだ。鉄を作る、武器を作る、建物を作る、人々を養う。これ全て資源があっての話。狭い国の感覚で話して、そこで満足しちゃいけないわ。


「アベル。あなたそういえば、いろんな鉱山につてがあると言っていたわね?」

「あぁ? 殆どは俺たちの傘下になったが……」

「避難民たちから志願を募って労働力をそこにぶち込んで。これ自体はもう許しを得ていたはずよ。でも、待ってる余裕はないわ。今すぐにでも働かせて」

「おいおい、どうしたんだよ」

「どうもこうもないわ。戦時雇用よ。勝った、はい終わりじゃないってあなたも言ってたじゃない。戦争は終わってないの。これから始まるの。準備を整えていたものが勝つのよ。この休戦期間の間に私たちはさらなる鉄を作り出すの。全軍に渡せるレベルで。鉱山周囲にゲットーを作らせて、連中を雇用する。捕虜のうち、返さなくてもいい末端の兵士もいるのでしょう。そいつらも使いましょう。山の開発よ。大規模な開発よ。あぁ、休んでなんかいられないわ」


 時間はいくらあっても足りない。

 今は休め? そんなのんびりはしてられないじゃない。日本人を舐めないで。


「私はね、アベル。初めて会った時にも言ったけど、この程度で終わらせたくないの。鋼が作れるようになっただけじゃない。私はもっと上を目指す。その為には大陸統一が必須になる」

「……以前話していた巨大鉄道網って奴か」

「そうよ。鉄道を作るには邪魔ものは少ない方がいい。国中に張り巡らせるにはその方がいい。狭い、ローカル線なんてあとでもいいわ。いえ、作っておいて損はないけど、とにかくそういうものを作る余裕を生み出す為にも今は戦争に完全勝利する必要があるの。土地を確保する必要があるわ。働かせなさい。働かせて、資源を作るのよ」


 あぁ、楽しみだわ。

 未来は明るい。明日はもっと楽しくなるかも。

 戦争は嫌だけど、こうして起こっていると私たちの仕事ははかどる。そのころにはゴドワンの地位も確固たるものになっているはず。

 それに、製鉄業や鉱業は戦争がなくても仕事はある。むしろそっちの方が重要。

 どう転んでも私たちに損はない。確保した土地が大きければそれだけ私たちの仕事には需要ができる。

 しかも今は独占状態。


「二度目の人生だもの。好き勝手させてもらうわ」


 でも安心して。

 私がやろうとしてる事はこの世界全てにとって得になることだから。

 文明も進む。仕事も手に入る。平和に、なるのよ。


「さぁ、鉄を作りましょう。山を掘りましょう。私たちの仕事は永遠に終わらないわ。人間が生きている限りはね?」


***


 その日。

 王都中央にそびえる城の一室でグレースは寝汗と共に目が覚めた。

 幻聴だろうか。誰かの笑い声が聞こえた。


「どうした、グレース?」


 隣で寝ていたガーフィールド王子が眼を半分だけあけてこちらを覗いていた。


「凄い汗じゃないか」

「申し訳ありません……着替えてきます……」


 グレースはそそくさとベッドから降りると、隣部屋に移動して、新しい寝間着を用意した。

 そしてまた幻聴が聞こえた。

 甲高い女の笑い声だ。聞こえるはずのない声。届くはずのない声。

 それは間違いないマヘリアの声だ。

 死んだと思っていた、あの人の声だ。


「……明日、マッケンジー様は爵位があがる」


 それは休戦に入ってから数時間で決まったことだ。

 今回の戦いにおいて、マッケンジー領の働きは大きく、あれがなければ戦争はどうなっていたかわからないという。

 爵位があがるというのはほぼ前代未聞ではあるが、それだけの働きをしたのは間違いない。国中の鉄と鋼を行き渡らせた功績は重大だ。

 明日になればゴドワン・マッケンジーはこの国の製鉄業と山の大半を手に入れるだろう。

 それは同時に奥方であるマヘリア……いまはイスズと名乗っていたか。あの少女のものになる。

 グレースはそれがたまらなく怖かった。


「あの人は、人が変わった」


 どう変わったというのかは自分でも説明がしづらい。

 別人になったという認識はある。でも顔はどう見てもマヘリアだ。名前を変えている理由はおおよそ察しがつく。

 そして、彼女に自分がどう思われているのかも。


「きっと、恨まれている……」


 結果的に。自分はマヘリアを潰した。彼女の家を潰したから。

 恨まれて当然だ。

 いや、それ以上に。彼女の見る世界と自分たちの見る世界がなにか、決定的に違う気がする。

 グレースには彼女がなにを求めているのかがわからない。


「あぁ、聞こえる……あの人の笑い声が」


 あの人は、この国をどこへ連れて行こうというのだろうか。

 明日が来るのが、怖い。

 明日になったら、彼女は絶対的な権力を持つ。

 グレースにはそれが、わかるのだ。

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