転職先で初仕事

 そこはベッドとサイドテーブルと一脚のスツールだけが置かれた、小さな個室だった。

 目を覚ますとまず、伸ばしていたはずの髪が短くなっているのに気づいた。フルールはベッドの上で上体を起こし、肩にかかるかかからないかの短い金髪を触りながら、目の前に立つ二人の女を眺めた。

 どちらもシャツにスラックス。軍人風の雰囲気はあるが、軍装ではない。制服を脱いでいるだけか? それとも――。


「初めましてフルール・ホワイト隊長。私はリィ・シャン。こっちが部下のハイドだ。諜報と工作をやってる」


 背の高い方の女が、一歩前に踏み出して自己紹介をした。リィ、変な名前だとフルールは思った。長い黒髪は後ろで一本の三つ編みに編み込まれており、意思の強そうな狐目も髪と同じく黒い。分かりやすい東洋人の出で立ちだった。

 リィの後ろに佇む部下――ハイドは俯いたままで、顔はよく見えない。襟足だけ少し伸ばされた白髪は、まだ艶があるので老人のそれではない。生まれつきだろうか? 髪以外は特徴のない、健康そうな若い女。腕まくりをしていた。


「へえそうどうも」


 ぶっきらぼうに返したフルールに、ハイドが委縮するようにリィの背後に隠れた。「うわわ団長、怒ってますよこれ……」臆病そうな声はどこかで聞き覚えがある。

 苦笑を一つ。胸を張って真っ直ぐに立ち、リィはハッキリとした口調で語り始めた。


「ご覧の通り君の髪は頂戴して、遺髪として君の母国ピディアトに送った。我が国でも同様、敵国の英雄フルール・ホワイトを討ち取ったと報告されている。つまりフルール・ホワイトは死んだと誰もが思い込んでるわけだ」

「でもわたしは生きてるね。どうして?」

「君が生きてるのは私を含め、私と行動した私の仲間しか知らない。単刀直入に言おう。君を内緒で生かしてるのは、君を私の仲間にしたいからだ。君を隠し玉にできるなら、こんなに心強いことはない。共に戦ってくれないか?」

「ならわたしも単刀直入に言わなきゃだ。――断る! 寝返ってまで命乞いはしない!」


 ベッド脇に置かれたサイドテーブルに拳を打ち付け、フルールは叫ぶように言い放った。テーブルの上の花瓶が揺れ、飾られていた花が不安げに震える。

 分かりきっていた返答だろうに、ため息をついてリィが肩をすくめた。わざとらしい仕草だ。


「そうか、残念だ。……ところでハイド」

「はい」

「シスター・ディアナは今どこに?」

「おそらくピディアト王国で投獄されてます。帝国から賄賂を受け取り、戦争を招いた内通者の汚名が着せられるよう手配したので」


 まばたきを止め、開ききった双眸でフルールはハイドを見つめた。睨むつもりはなかった。ただ確認したかっただけだ。それなのに目が合うと、ハイドはびくっと肩をすくませた。


 ――昔のことを思い出したければ、頭の中に引きだしをイメージして、そこから探し物をするように、ありとあらゆるものを引っ張り出すと良い。

 ディアナが言っていたことだ。そのディアナは司祭から教わったと言っていた。


「きみ、あのときの配達員だね……」


 ディアナと最後に会った晩、彼女に道を訊ねたという新人の配達員だ。やはり配達員ではなかったらしい。あのとき殺しておくんだったな――。

 リィはスツールをベッドに寄せて腰かけると、フルールに視線を合わせた。彼女はフルールと目が合ってもびくりともしなかった。


「そういうわけだ、ホワイト隊長。私達には君に頼みたいことが二つある。一つ目は、ピディアト王国の次期王ミッシェル王子の暗殺」


 人差し指を立て、次に中指を立てながらリィが告げた。


「二つ目は、投獄されてるシスターの回収だ」


 どう、言えば良いのか――。少し考えてから、結局フルールは大きくため息をついた。肩を落として「あー」と気の抜けた声を上げる。自分には駆け引きなんて向かない。それにここにはベルもミッシェルもいない。

 よそいきの声を仕舞いこんで、いつも通りにうんざりと返事をした。


「汚いなぁ……。最低だよ人質とるなんて」


 どこから漏れたか知らないが、フルールにとってディアナが重要人物であると、目の前の女は知っているらしい。そしてこの余裕ぶった顔つきからして、フルールの本性――頭脳がものすごく残念なことも知っているらしい。

 自分でも分かるくらい露骨に嫌な顔をして、フルールは目の前の女を見つめた。


「お返事の前にさぁ、気になることが二、三あるんだけど、それは答えてもらえるの?」


 リィが頷いた。


「尽力しよう。言ってみてくれ。ただし長話になるほどシスターの寿命は縮まる」

「そこなんだよなぁ。ディアナはわたしと違って頭いいから、そう簡単にはハメられないはずだよ? どうやって内通者の汚名なんて着せたの?」

「ああ、そういえば聞いてなかったな。ハイド、どうやった?」


 振り返るリィと同じくフルールも視線を送る。ハイドは誇らしげに答えた。


「はい! シスタルカの刻印を押したワインをシスターに押し付けて、その後王城にチクりに行きました。シスターは賄賂を貰って帝国と内通してるって」

「馬鹿かお前!?」リィが立ち上がった。

「ふえぇ?」

「そんな怪しいワインすぐ捨てられるに決まってる! チクショウ、作戦は失敗だ!」

「いやぁ……多分それディアナ引っ掛かってるんじゃないかな」


 ハイドの両肩を掴んでいたリィが、勢いよくフルールを振り返った。フルールは少し照れくさくなって、目線を泳がせながら呟いた。


「昔、ディアナが読書に夢中になってわたしを無視する度に、怒鳴り散らしながら教会の物を壊して回ってたんだ。だから今では彼女、わたしがいるときは何よりもわたしを優先してくれるようになって……。だから多分あのときも、ワインよりわたしに夢中だった……」


 ぞっとした視線を二人分も浴びながらフルールは頬をかいた。


「えへへ照れるなぁ……」

「ふえぇこわい……」

「ストックホルム症候群だ……」


 ハイドを遠ざけた後にスツールも遠ざけて、少し距離を置いて座るリィに、頬を染めたままでフルールは訊ねた。


「でさぁ、もしわたしが寝返らないって言ったらどうなる?」

「今の流れでそういうこと訊くのか……。まあ、断れば君はここで殺され、シスターも見つけ次第処分されるだろうね。ピディアト攻略作戦は、彼女を内通者に仕立て上げたおかげで上手くいったんだ。後から騒がれないように口封じだよ」

「いよいよわたし、寝返るしかなさそうだなぁ……」


 サイドテーブルの花瓶を指で撫でながら、フルールは「じゃあもう一個」と続けた。


「もしわたしがディアナを回収したとして、その後はどうなるの? わたしを利用するのは分かるけど……ディアナはただのシスター。弱っちいし、おたくらの役に立てそうにないよ」


 まさか! とリィは噴きだした。


「多国語の翻訳に暗号の製作と解読までこなせる人が、役に立たないわけがない。――文通だけで仕事を請け負うピディアトの翻訳家には、私を含め多くの人間がお世話になってる。シスターは司祭の筆跡を丸ごと真似て仕事を引き継いだようだけれど、二代目に変わったとき私はすぐに気づいたさ。当時は利用者の間でも話題になったよ、前と比べて精度が上がったって」

「へえなるほど、全部知ってるってわけね。……でもなぁー、わたしはともかく、ディアナにまで危険なことはさせたくないんだよなぁー……?」


 いつかベルから習ったように頬杖をつき、フルールは上目にリィを見上げた。「お前の目力は男を瞬殺する」そう言われた通り、女性のリィには通用しなかった。


「悪いけれど、流石にその後のことは教えられないよ。君たちを仲間に引き入れた後は、面倒事をさせてこき使うつもりだから。今から不安を与えて断られたくない。――どうか今与えた情報だけで考えてくれ。ここで君らをみすみす殺すのは得策じゃないんだ」


 違うな、とフルールは思った。きっとリィが男だったとしても、フルールの目線には動じないだろう。直感で分かる。彼女は誠実さを持っている。それに、不器用さも。


「なんだか軍人らしくないね。冷たくないし、嫌味じゃないし……なんていうか、甘い感じがするよ。あなた」


 リィの返答はなく、かわりにハイドがくすりと笑った。


 さて、フルールに残された選択肢は二つ。

 リィの下僕になってディアナを迎えに行くか、彼女に刃向って自分もディアナも死ぬか――。

 愚問だ。


「しょうがない、人質にとられてる以上はディアナの安全が最優先だよ。王子の暗殺だっけ? いいよやったげる」


 意外とばかりにリィが目を丸くした。無言でじっと見つめられては、流石のフルールもなんだか気まずい。


「……え、何?」

「いやなんていうか、我ながらこうもあっさり引き受けられるとは思ってなかったから……ちょっと意外で」


 困惑した顔でスツールごとベッドに近づき、ジェスチャーを加えながらリィが再度説明した。


「あの、確認するけど。王子の暗殺だぞ? シスターを迎えに行くのはその後だ」

「分かってるよぉ! 王子殺しなんてディアナに見せらんないし」

「王子って言うと、国のすごく偉い人で。つまりそれを殺すのは――」

「もーうるさいなぁ! 要は悪いことでしょ? そのくらいわたしにだって分かってるよ……」


 立ち上がり後ずさるリィにハイドがこそこそと耳打ちする。


「やっぱり彼女ちょっと、頭がアレなんじゃないですか?」

「ああそうみたいだな。うん、いいや。その気になってるうちに行かせよう」

「了解です」


 その内容はフルールには聞き取れなかった。ハイドが退室し、むっとしてフルールはベッドから降りた。


「ねー今、すごく失礼なこと話してたでしょー?」

「馬を手配しようと話してたんだ。目立たないよう外套も用意する。いいか? 必ず、誰にも姿を見られないように全てを遂行してくれ。帰ってくるときはピディアトとシスタルカの国境にある森に向かうんだ。北西に湖畔があるから、そこの小屋で落ち合おう」

「りょーかい! だけどシスターが無事じゃなかったら、ただじゃおかないからね?」

「へえ、ただじゃおかない? 例えばどうする?」


 勢い良く突き出されたフルールの左拳を、想定内とばかりにリィが掴んだ。そのリィの腕に、あいた右手で力強く手刀を叩き込む。リィが反撃のために一歩踏み出した。その軸足を蹴りつけ、フルールは体重をかけて彼女を床に引き倒す。

 倒れる間際、視線を眼前の女から外すことなく、フルールは腕を伸ばして花瓶を叩き割った。床にぴしゃりと水溜まりが生まれる。


「――これと同じことを、わたしは死ぬまで、あんたの部下のできるだけ多くにやる」


 素手で握り込んだガラスの破片を右目の前に突きつけられ、リィは息を潜めた。リィに覆いかぶさる女はこちらを睨むでもなく、ただ一瞬の隙も与えまいと双眸を見開いていた。不必要な余裕など見せない。全神経を集中させている彼女の前では、息遣い一つが殺人の動機となるだろう。


 フルールの手から垂れた血が、リィの頬に垂れる。

 ハイドが再び部屋に戻ってきて声を上げた。


「お待たせしました、馬は手配しましたよーって、うへあ! 嘘、団長大丈夫ですか!? あわわこちらも怪我してるー!」


 なんでぇ~? と緊張感なくハイドが呟く。

 小さく笑ってフルールは立ち上がり、ガラスを握っていない方の手をリィに差し出した。何とも言えない笑みを浮かべて「どうも」とリィがその手を握り、立ち上がる。ガラスの破片を放り捨て、フルールはハイドを振り返った。


「これ外套ですけど……今必要なのは包帯ですかねぇ?」

「ありがとう。そこのシーツを裂いて良いなら包帯は要らないよ」

「わぁーワイルド……」


 ハイドから受け取った外套を纏い、リィが裂いてくれたシーツを手に巻き付け、フルールはハイドと一緒に部屋を出た。

 自らの新たなリーダーに薄く笑みを投げかける。


「じゃあ、行ってきます」

「あ、ああ。行って、らっしゃい……」


 ぎこちなく返してフルールを見届け、扉が閉まるや否や、無人の部屋でリィは屈み込んだ。


「…………はー、死ぬかと思った……」



 ***


 ぎゃあ、といった感じの間抜けた声を上げて青年は息絶えた。


 頭に一発で良かったはずなのに、事情を知ってしまったら彼の口から「ごめんなさい」を聞きたくなって、ついつい左腕をへし折って、右足に二発も撃ち込んでしまった。

 つまり人を殺すのに三発も使ってしまったわけだ。無駄遣いだと思う。でも仕方がない。


「――全く無茶やるよね、ディアナも。まあエリクとシンシアのためなら、わたしも同じくらいのことはするだろうけどさぁ」


 金髪ということしか覚えていない王子の死に顔を見下ろしながら、フルールは溜め息をついた。


 算段が外れた。内通者のディアナを探して国にやって来たら、なんと彼女は魔女扱いされて投獄されたらしい。友人の結婚式を強行して王子に魔女だと糾弾され、処刑すべきだと騒がれ、普通ではお目にかかれない牢屋にぶちこまれたのだとか。「この戦争は魔女のせいだ」フルールが国へ入ってきたとき、通りがかったピディアトの民が口々に言っていた。


「普通に監獄だと思ってたから、ちょっと予定が狂うなぁ。地下特別牢ってどうやって行くんだろ……」


 王城の最上階にある王子の私室。閉められていた上質なカーテンを少しだけ開き、窓から国を一望する。大した火事でもないのに逃げ惑う民。怒ったり泣いたりしているが、目立った死傷者は少ないようだ。

 あ、とフルールは呟いた。見慣れた厩の前で、禿頭の男が両腕を振り上げ怒っている。その手に握られた鎖――に繋がれている、金色の何か。


「……あれロザリオ? まさか――」


 部屋を出て階段を駆け降り、適当な階で窓から飛び降りる。馬を走らせれば、怒れる禿頭に追い付くのに時間はかからなかった。


「ふざけんなぁーッ! 馬を返しやがれクソ女ー!」

「そのロザリオどこで手に入れたの?」


 声をかけると男は派手に飛び上がった。こちらを振り返って驚愕を顔に浮かべる。

 彼に握られたロザリオを見てフルールは確信した。四つの先端に一粒ずつダイヤの埋まったロザリオは、育ての親が恋人に遺した物で間違いない。


「ひいい! 魔女の次は亡霊か!? どうなってやがんだこの国は!」

「さっさと答えろハゲ。そのロザリオの持ち主はどうしたの? 場合によってはあんたを殺すけど」フルールは銃を取り出した。

「どいつもこいつも物騒なことしやがって……あー、魔女だよ。あのイカれシスターだ! 純金だなんだと言ってこのロザリオを押し付けて、俺の馬を強盗していきやがったんだ! 銃で脅したんだぜ? あんなの買収じゃない脅迫だ!」


 銃で脅して馬を買収――。その光景が目に浮かぶようでフルールは苦笑した。


「あはは、それは災難だったね。ごめんねわたしのツレが」


 言いながら男の手からロザリオをひったくる。


「でもこれは返してもらうよ」

「いってえ!」


 じゃあね、と吐き捨ててフルールは馬を走らせた。後ろで男が騒いでいるが気にしないことに――いや、やっぱり駄目だ。良くない。

 大切なことを思い出して、フルールは手綱を引き男のもとへ馬を戻らせた。


「……ああ、そうだ忘れてた」


 フルールの片手に握られたままの銃を見て、男は顔をひきつらせる。


「おいおい待てよ! ここであったことは誰にも言わねえ! なんかワケありなんだろ? あんたを見たとか、シスターが脱獄したとか一切他言は――」

「やだなぁ、別にそんなことを言いに来たわけじゃないよ。早とちりで人を脅すなんて、わたしってば恥ずかしいことをしたから。ごめんね」


 決して姿を見られないように、というリィの指示は、このときすっかり頭から抜け落ちていた。しかし――。


「あんたわざわざ、それを言うために戻ってきたのか?」

「うん」


 一度は安堵の表情を見せた男が、銃口を向けられて再び青ざめる。


「ディアナに知られたら笑われちゃうから、殺さなきゃ安心できない」


 恋人への見栄とプライドのためだけに、フルールは男を撃ち殺した。

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