オムニバス小説 ラブオールⅢ 40-0
鷹香 一歩
第1話 娘と父とバッハ会長
「あなた、ほら電話よ。帆夏(ほのか)から」
「どういう風の吹き回しだ? 珍しいな」
桜田武士(たけし)と妻の千秋はテニスコートのベンチで休憩を取っていた。
「もしもし、帆夏か。何かおねだりか?」
「あ、お父さん。娘の帆夏は、こういう風の吹き回しよ」
「なんだ、聞こえていたのか。母さん、通話口、押さえてくれなかったんだな」
「ほら、他人(ひと)のせいにしないの。お父さんの口癖でしょ」
「一本取られたな」
「一本じゃなくて二本目よ」
高校1年になった娘の帆夏は機嫌がよさそうだ。父親との電話も完全に娘のペース。
「お父さん、農協とかに顔が利く? JRでもいいんだけど」
「父さん、顔はな…」
「『大きいけど、広くない』とかはNGワードよ」
帆夏は、父親の言葉を先回りして“食い気味”に遮った。スピーカーで聞いていた千秋が口を押えて笑っている。武士は笑いを取るのは諦めた。
「知ってる職員はいる。残念ながら、JRにはいない」
「あのね、岩手に乗馬をするために農業高校に通っている変わった友達がいるんだけど、田んぼアートで町おこししたがってるの」
「男の子か、女の子か?」
「そこ大事? ちなみに女子よ。安心した? 乗馬女子、かな」
「田んぼアートなら、各地で町おこしやってるじゃないか」
「相変わらず、アッタマ堅いなぁ。バラバラにやるんじゃ意味ないの。まとまらないと」
「まとまる?」
「話、長くなるから続きは後で家に帰ってから。じゃぁ」
帆夏は武士の返事も聞かず、一方的に電話を切った。
「よかったわね。帆夏からあなたに電話なんていつ以来かしらね。家でも続きがあるっていうし」
「それは下心があるからだろ。自分の思い通りに動いてくれる“アッシー君”だよ。電話だって、オレのスマホじゃなくて、お前のに掛けてきた」
「懐かしいわね、“アッシー君”。でも、ちょっと嬉しいでしょ。頼りにされて」
「まあな」
武士は、スマホを千秋に手渡した。
鶴ヶ丘高校のグラウンド。プールの脇にあるテニスコートでは社会人がテニスを楽しんでいる。顧問を務める教諭の負担軽減のため去年から週末の部活動を減らし、予約制で地域に開放された。桜田夫妻も抽選に当たれば、月1回ペースで利用しいる。
「どれ、そろそろ切り上げるか」
「何だかんだ言って、帆夏のこととなると目の色変わるんだから。ホント、しょうがないわね」
「どうせ親バカだよ。娘バカ。あいつが生まれた時からな」
2人は夕飯の食材を買うために近所のスーパーに向かった。
キッチンでは、珍しく帆夏が千秋を手伝っている。リビングではTシャツに短パン姿の武士が、缶ビール片手に衛星チャンネルで野球中継を見ていた。
「毎日毎日、面白い?」
帆夏の問いに、武士は一瞬、返答に困ってしまった。
「正直、テレビの中継はそんなに面白くない。たまに球場の音だけの実況も解説もない企画もあるが、試合数は極数試合だ」
「学生時代もデートの多くは野球場だったのよ。神宮がほとんどだったけど。西武球場もギリギリ、ドームになる前だったから行ったわね、所沢」
「講義やゼミが早く終わる時な」
「東京ドームじゃないんだ」
と帆夏。素朴な疑問だった。
「お父さんは、球場の雰囲気が好きなのよ。開放的で、ナイターだとまだ陽が残っている中で始まった試合が、次第に闇のにわり、グラウンドがスポットライトに照らされた舞台のようになるの」
「ナイターなんて言うのは日本だけさ。ナイトゲーム。マスコミもいい加減だよな。週末の昼間の試合はデーゲームって呼ぶくせに、夜はナイター。おかしいだろ」
武士は少し酔いが回ってきたようだ。
「お父さんは、素人ながらにこだわりがあるのよ。2020年の東京オリンピックで福島のあづま球場が野球とソフトボールの会場になったでしょ。で、球場を人工芝に改修するんだけど、猛反対なの」
「当たり前だろ。メジャーでは人工芝なんて過去の遺物さ。アウト・オブ・デート。時代遅れだな」
「散々な言い方ね」
「クッション性がないから、長い目で見ると選手の腰や膝、足首にも悪影響が出る。だからメジャーのほぼ全てのボール・パークは天然芝を敷き直している。日本は一周も二週も遅れているんだよ」
「日本は何で天然芝に戻さないの?」
「これさ」
武士が右手の親指と人差し指で輪っかを作って見せた。
「お金か」
「人工芝は排水面で優れているから、試合のスケジュール管理が楽なんだよ。しかも資金力のある球団は、屋根までかけた。大きな台風とかを除けば、基本的に中止がない。予め準備する弁当も無駄にならないから、食品ロスにはいいけどね」
「ビールの売り子さんの人件費もね」
食事を取りながらも、親子談議は続いた。
「何といっても最優先すべきは、選手のコンディションだよ。雨が降ってるのに大変とかじゃなくて、足腰に疲労が溜まったりケガしたり。メジャーを見習わなきゃ」
「でも、福島でプロ野球やるのって、年に数回でしょ」
「だからこそ人工芝じゃダメなんだ。主に使うのは高校生。春、秋の地区大会や県大会の主会場になるから、勝ち上がった力のある有望選手の利用が多くなる。メジャーに行った大谷翔平や菊池雄星は岩手の花巻東高校出身。大魔神・佐々木主浩や斉藤隆は宮城出身。ダルビッシュ有も高校は宮城だし。将来、福島からメジャー・リーガーが現れることも夢じゃない。だからこそ、無理させちゃダメなんだよ」
「なるほど、一周回って天然芝に改修するなら確かに二度手間ってことか」
「宮城の楽天パークも2016年に天然芝に張り替えた。甲子園球場を管理している阪神園芸の仕事さ。東北だって天然芝でいけるんだよ」
「ふーん。そういうことなんだ。楽天の三木谷さんは一周送れないでメジャーを見てるってワケね」
楽天の三木谷浩史社長のことは帆夏の世代でも知っている。
「後で聞くけど、帆夏の友達が田んぼアートで連携しようと考えてるのなら、父さんはあづま球場を人工芝にしないことを訴えようかな」
「でも、もうすぐ工事始まるんでしょ」
「大丈夫だよ。新たな天然芝の工事は内野とファール・グラウンドだから、来年だって間に合うさ」
「そっか。全面改修じゃないのね」
「ハッキリ言うと、IOCのバッハ会長は元々ドイツのフェンシングの選手だし、コーツ副会長はオーストラリアの元ボート選手だから、野球やソフトボールには興味ないんだよ。次のパリ大会では正式競技にするつもりもないと思うよ」
「だから、大会がスケジュール通りに進行できる人工芝に決めたんだ」
帆夏も納得した。
「選手ファーストじゃなくて、本部ファーストね」
「母さんダメだよ。大きな声で言っちゃ」
「聞こえるわけないじゃない。ドイツにもオーストラリアにも」
テレビの野球中継は、武士が贔屓にするチームの劣勢で、後番組のドラマに変わった。
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