第18話 現実の形

「平和だな」


 甲板に寝転がりながら、俺は空を見上げた。ここで感じる空気の匂いは、あの空のように透き通るよう。

「空、に鳥か」

 青い空に、多数の鳥が飛んでいる。

(あの鳥は、何処に行くのだろう)

 そんなどうでも良いことを考えながら、静かな風を感じる。

(静かだ)

 本当に静かだ。五月蠅すぎる、ハッパーの奴がいないのもあるだろう。

 穏やかな海、緩やかな時間、通り過ぎる日々。

(平和だけど)

 世界の何処かでは、悲劇が今も起き続けているんだろう。などと、大袈裟な事を考えてみるが、凡市民的な俺には関係ないよな。

「ヒーローなんかじゃ、ない」

 世界を救ったり。

 巨大な悪に立ち向かったり。

 巨大な野望を目指してる訳じゃない。

「ただ」

 海を仲間と旅して、必死にあがいているだけの、取るに足りない人間。

「……それでもだな」

 俺はもの思いを止め、左手に持った本に目を移す。

 休息の時間を使って、何度も書かれた文字に目を通していく。

「……」

 読書はあんまり好きじゃないが、必要なら仕方ないよな。フィルの奴なら、喜んでやるんだろう。ジャンル問わず読書好きだからな、あいつ。しかし、読んだ本を色々な所に放置するのは……。

「読んだ本は、ちゃんと本棚に戻しましょう」


「誰に対して言ってるんですか?それ」


「うお!?」

 突然耳に入り込んだ声に、狼狽えてしまう。なんせ、その声の主に対しての言葉だったからな。

「言わなくても分かるだろ?」

 反射的に声の方向から体をずらして、俺は言った。

「分からないです。ちゃんと言って下さい、臆病船長」

 悪気もなさそうに言いながら、左から裸足で歩み寄ってくるフィル。珍しく、黒を基調にしたワンピースを着ている。

 歩く度に、スカートがひらりと揺れる。

(……いかん)

 開いた胸元に、太もも程度の長さのスカート。きめ細かい美肌によって、程良くむっちりした両足が美しく輝きを。

 目のやり場に困る!

 抜きん出た、美しさ。内面の禍々しさを覆い隠す、圧倒的な美のコーティング……!悔しいが、綺麗と言う他にないだろう。

 俺の対応は変わらないが。それはそれ、これはこれ。俺の中での彼女の立ち位置は、友人のようなもので、それ以上でもそれ以下でもない。

「お前だよ。冷血女」

「酷いこと言いますね……悲しいです」

 両手で顔を隠して、悲しむポーズ。おい、口が隠せてないぞ。

「事実だろ。あと、本は本棚にな。常識だぞ」

「……私も気をつけてはいるんですが、つい忘れてしまって」

「そういう時だけ忘れるのは、お前らしいな」

 普通に記憶力は良いくせに……。都合のいい奴だ。

「ごめんなさい。……愛してるから許して」

「根に持ってるよね?完全に」

 この野郎……どっかで聞いたような言葉を、嘲笑混じりに。あの時、俺の醜態を見て普通に笑ってたからな……。

「もってません。私、そんなに器が狭い人間じゃないので」

 少し顔をそらしながら、彼女は言う。

「殴ったのは?」

「器が狭い人ですね……」

 呆れた風のフィルは俺の顔を凝視する。

「……?」

 俺の顔は、腫れが大分治っていた。今では包帯が外れ、それなりに見れる顔になっている筈だが。

「見てて楽しいか?」

 その割には無表情だが。

「……別に」

 フィルはそう言うと、顔から目をそらした。

 まさか俺の顔が治って残念がってるとか……。ないよな?

「……貴方は、裏切った友人を恨んでないんですか?」

「え?」

 いきなり何を?裏切った友人って、レンドのことか?

(フィルの奴)

 なんでそんな事を聞くのか分からないが……。

「……そんなに恨んではないな」

 自分でも不思議だが、俺はレンドをそこまで恨んでなかった。あいつにも、何か事情があったのかもしれないし。結局、訳が分からないまま別れたしな。

「だが、今度あったら一発ぶん殴る。俺の尊い顔を崩した罪は重い」

 あの野郎のことだから、上手く逃げているだろう。

「あいつは、しぶといからな。今頃、楽しい音楽でも聞いて、航海してそうだな」

「……そうですね」

 一瞬、フィルの言葉が遅くなったような。

 気のせいだろう。

「そう、楽しい」

 広い海を旅していれば、悩み事とかも晴れるだろう。少なくとも、俺はそういう人間だ。

(何度も失敗してきたが……)

 能力が足りないので失敗は多い。他人からだけじゃなく、自分でもアホすぎると思う時もあった。

 俺の人生は、そういうものなのか。


(締まらないもんだよ。どうにも)


「……それは、共感できないですね。本を読んでる方が楽しいですよ」

 フィルは俺の顔の横に、膝を立てて座り込む。

「それこそ、共感できないな。退屈じゃないかよ」

「全然。私のおすすめの本を、貸しましょうか?本の良さが分かる筈です」

 少し強めの口調で彼女は言う。前にもそれを言われたが、やんわりと受け流したな。性に合わない、ジャンル関係なく。

「俺の方こそ、お前に紹介したい島が」

「嫌です。押しつけないでください。そういうのは、どうかと思いますよ船長」

「……理不尽だ」

「……フフ」

 少しだけ、彼女が楽しそうに笑った。フィルもこの穏やかさに影響されているのか。

「静かですね」

 ……いや、リアメルの時が余分だったんだ。本来は、そこまで辛辣でもない。

 なんだかんだで、平穏な時を楽しく過ごせる仲間。

 大切な存在。


「平和だな。本当」

 俺は、繰り返しそう言った。

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