第37話 護衛任務終了前夜
「タッくん起きて今すぐに」
「……了解」
アリアに起こされて目を覚ます。もう着いたのか。
ヘリポートに着陸。アリアは搭乗口から俺の手を引いて弾けるように飛び出し、研究室内を急ぎ足で進んでいく。
「はい、この部屋で脳波その他諸々計測するからねー。タッくんは動かずに座ってくれてればいいからー。あ、そこのヘッドギア的なのは着けておくように」
そう言い残し、アリアはすぐ近くのコントロールルームへ入っていった。
そうしてアリアにデータを取られること二時間。
ようやく解放され、今はアリアの私室で休憩をとっている。
無論アリアは今さっきとり終えた俺のデータの整理等で手を絶え間なく動かし続けている。
何回か観察して分かったが、アリアの作業には二パターンある事が判明した。
溢れ出すアイデアを猛烈にアウトプットするパターンと、頭の中で固まっている、定着しているものをただアウトプットするパターンだ。
後者の作業をしている時が話しかけるチャンス。今まさにその作業に移行しつつあったため、すかさずアリアに声をかける。もちろんアリアのお気に入りの銘柄の紅茶を用意してから。
「お疲れ様。ほら、紅茶でも飲んで休憩をとったらどうだ?」
「うん、そうさせてもらおうかな。お砂糖たくさん入ってる?」
「心得てる」
「さっすがボクのタッくん」
「お前のじゃない。それより、アリアに聞きたいことがあるんだが」
「ん、なんだい?」
「……レア一人を生け贄にするような、残酷な計画を立案したのは、お前なんだよな?」
高級そうなイスに深く腰掛け、長い足を組みながら紅茶を飲むアリアに率直にそう尋ねる。
この行為が無意味だという事は承知済み。国単位の計画で阻止しようがないし、この計画の必要性も理解している。なにより当事者のレアが受け入れているのだ。
それでも、聞きたかった。
普段とは声音が違うであろう俺など意に介していなさそうに、アリアはいたって普通に、何でもないように答えた。
「そうだよ。ボクが考案した」
「……そうしないと、世界が救えないからか?」
「まあ一時的に悪魔の数を減らす事しかできないんだけどね」
「残酷だとは思わなかったのか? 人間を一人犠牲にするんだぞ?」
自分でもなぜこんなに語気が荒くなっているのか分からない。レアの事になると自制がききにくくなる。
「残酷だとか残酷じゃないとか言ってられないんだよ。ボクたちに残された時間は少ないんだから。普通の人間が束になっても果たせない役割を、レアくんなら一人で担える。本人もとっくの昔にこの計画を了承してるし、倫理委員会にも話は通してある。例え血の通った人間じゃないだとか罵られようが、やらなくちゃいけないことってあるんだよ。……それに、世界を救う事を切望している君も、この計画の重要性が理解できるだろう?」
なんでこいつはこんなに飄々としていられるのか。やはり頭のネジが数十本抜けているとしか思えない。
「理解はできるが納得はできないんだよ、アリアの言っている事は。……なんで、レアだけがそんな目に遭わなくちゃいけないんだ。なんなんだよ、悪魔を引き寄せる体質って」
黒いストッキングに包まれた長い足をぷらぷら揺らしながら、イスとともにその場で回りはじめたアリア。説明する時に歩き回ったりするが、これは座ってる時のそれだな。
「それについては推論の域は出ないし証明のしようも無いんだけど、信じさせるには十分な情報が集まってきてるんだよね。簡単に言うと、レアくんはいわゆる『巫女』の血筋ってやつだね。今はかなり血が薄くなってるから先祖帰りか、それとも悪魔の出現率の上昇に伴って発現したか。ここで言う『巫女』は、神の力を代行して悪魔を鎮める役職、ってとこかな。前にも話したかもしれないけど、大昔からマクスウェルの悪魔が一定周期で現れていた可能性が高い。その悪魔を身を持って消滅させていたのが『巫女』だったと考えられる。有名なのは卑弥呼かな。で、記憶を選り好みしない悪魔が唯一好むのが巫女の記憶ってワケ」
「大昔からそんな事が続いていたのか?」
「おそらく、ね。ただ程度は違ったと思う。初代がいつ現れたか定かではないけれど、その初代はほんの少しの記憶を喰わせる事で多くの悪魔を消滅させられていたはずなんだ。それと時代ごとに現れる悪魔の数も違ったはず。巫女によって大半の悪魔が根絶できた時代もあれば、根絶しきる事ができずに文明が滅びた事もあるだろう。今で言う『エクシス』を使っていた時代だってあったはずだ」
「今、この時代はどうなんだ」
「レアくんのような巫女を用いても悪魔を倒しきれない上、現れるマクスウェルの悪魔の数もうなぎのぼり。お察しの通り、終わりが近い」
「それじゃあレアは犬死にじゃないか!」
かつてこれほど大きな声を出した事があっただろうか。
知らず知らずのうちに拳を握りしめ、手の平の皮膚を斬り裂かんばかりに爪が食い込んでいる。
そんな俺を前にしても、アリアは涼しい顔で淀み無く言葉を返してくる。ただ、流石にもうイスを回してはいない。
「そんな事は無いさ。一時的に悪魔を減らせば、体勢を整えられる。人類が滅亡するかもしれない危機だ。生産できるだけのエクシスを生産して、用意できるだけの想起兵を用意して、人類と悪魔の全面戦争、に、なるはずだった」
「はずだった?」
「タッくんの、記憶の逆流現象。これのおかげで何もかもが変わった。今までその可能性に気付けなかった事が腹立たしいよ。明日、レアくんとタッくんに、変更、改訂された計画を説明する」
「今じゃダメなのか?」
「また明日レアくんに説明するの面倒くさいし、何よりまだ政府の承認が降りてないからね。あともう少しだけ資料をまとめてから政府の人間に会いに行って今日中に納得させる。新しい計画を承認させる」
相当切羽詰まっているな。計画実行の二日前にその内容をガラッと変えると言うのだから当然時間は無いか。
計画を変更したとしても、それでもレアはやはりすべての記憶を失ってしまうのか。
それが気になって聞こうとしたが、口を開きかけたところでアリアの白衣の胸ポケットからけたたましいアラーム音が飛び出してきた。
「まーた悪魔ちゃんの出現かー」
そう言いつつ端末をちょろっと操作し、すぐに作業に戻っていく。
「行かなくていいのか?」
「時間が無い。精度は落ちるけどデータ収集は無人機に任せた。グレード2が数体出現しただけだから現場の想起兵だけで十分そうだ。だからタッくんはそろそろ帰ったらどうだい? ヘリはいつでも出せるよう言ってあるから。また明日レアくんと一緒に呼ぶからよろしくねー」
アリアはそそくさと机の書類をまとめ、どこか別の部屋へ行ってしまった。
仕方ない。気になる事は全部明日に聞く事にしよう。
放置してある食器を片づけてアリアの私室を出て、自力で迷路のような研究所を脱出し、ヘリポートまでたどり着く。
パイロットに行き先を告げ、離陸。
すっかり夜になっていて、空を見ると黒い空間の中にいくつか瞬く星が見えた。
そんな星を眺めながら、もの想いに耽る。
レアについては何かと尋ねたが、俺自身の事は後回しにしてしまった。
アリアは確かに言った。記憶の逆流現象、と。
今も思い出せるこの記憶は、俺が過去に失ったものなんだ。
バイクの振動。父親の背中。
これは明瞭に思い出せる。なのに、女の子との記憶は不明瞭な部分が多い。顔も名前もはっきりしない。
女の子との記憶を思い出すと、楽しい気持ちや嬉しい気持ち、その他様々な感情が渦巻く。女の子との思い出の最後には決まって切ない気持ちが呼び起こされるが、その最後が一番不明瞭でやきもきする。
今は護衛任務、それに付随するアリアからの任務に集中しないと。
護衛任務は明日まで。最後まで気を抜かずレアの記憶を守り、かつ質の良い記憶の蓄積に励む。
ぐぅ、とお腹が鳴った。
そういえばまだ夜ご飯を食べていない。屋敷に戻るのは二十二時過ぎだろうし、もしかしたらレアが冷蔵庫に夜ご飯を入れておいてくれてるのかもしれない。なくても自分で作るか。
ヘリは二十二時にぴったり到着した。
屋敷の周りで護衛に当たっていた想起兵に悪魔が現れなかったか確認した後、俺と入れ違いでヘリで帰ってもらう。
マクスウェルの悪魔との戦闘、記憶の逆流のせいで心身共に疲れ切っている。
もう夜ご飯、食べずに寝ようかな。
このまま風呂場に直行しようと、屋敷の扉を開けようとしたところで。
「おかえり、タクト」
俺が扉に手をかける前に扉が、開いた。
俺との記憶を失ってからはしなくなった行動。
久しぶりのそれに、なぜだか笑えてきてしまった。
記憶を失おうが関係なく、レアはこうなんだな。
そんなレアを見て、なんだか大切な事に気づけそうな気がした。
「ただいま」
「ご飯、温めてくる」
そそくさと屋敷に引っ込んでいったレアに、もう風呂に入って寝るつもりだった、なんて言えない。
先ほどまで疲労で食欲が無くなってしまっていたが、なぜか食欲が湧いてきたし、いいか。
自分の部屋に戻って部屋着に着替え、リビングへ行くと、夜ご飯がばっちり用意されていた。
テラテラと光っているビーフシチュー。立ち上る湯気が食欲をかきたてる。
俺はレアにお礼を言うのを忘れてかきこんだ。
優しい味付け。柔らかい肉の食感。
ただひたすらに美味しい。空腹だったのもあり、ものの一分で完食してしまった。
「おかわり、いる?」
「頼む」
間髪入れずに答える。普段は食べ過ぎないようにしているが、今日は我慢できなかった。
二杯目はがっつかずにゆっくり食べる。
そのためさっきより余裕ができ、レアの様子が自然と目に入ってくる。視線を感じるから気になる、と言った方が正しいか。
レアは俺が食べている様子を観察するように、いつもの無表情顔で見てくる。俺のスプーンの動きを追うように、大きな蒼い瞳が動く。
「あの、そんなに見られるとちょっと」
「……美味しい?」
「それはもう。すごく美味しい」
「そう」
いてっ。レアのやつ、テーブルの下から俺のすねにトーキックを喰らわせてきた。
「なんで今俺は蹴られたんだ?」
「偶然。謝る。ごめん」
「そ、そうか」
どうすれば偶然で足が勝手に動くのか。
だが今は食べるのを楽しんでいるためそんな事は気にならない。添え物のコンソメスープの味の濃さも絶妙だ。こちらもおかわりしよう。
二杯目を食べ終わり、さらに半杯おかわりしたところで流石にお腹が一杯になり、ごちそうさまを言う。洗い物は俺がやると主張したが、レアに却下されてしまった。
艶のある真っ白な髪を後ろで一つにまとめながら食器を洗っているレアを見ながら、どうお礼をしようか考える。
いや、考えるまでもないか。
洗い物が終わってテーブルに戻るレアに、こう一言かける。
「チェスでもしようか」
「……タクト、疲れてる。無理しなくていい」
「一局ぐらいなら平気さ。明日で護衛任務も終わりだし、ゆるく話しながらやろう。ほら、さっき洗い物してもらってる間にチェスセット持ってきたんだぞ。いつも通り俺が黒、レアが白な」
ガンガンガン。今度は連続でレアのつま先がぶつかってきた。なんなんださっきから。
この不可思議な行動は一体。レアの行動は分からないことだらけだ。二カ月強経っても謎な事が多い。
護衛任務は明日で終わり、か。
感慨に浸りながらレアとチェスをする。心なしか俺もレアも駒を動かすのがゆっくりになっていた気がする。まるで別れを惜しむように。
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