第12話 タクトの手帳

 八月一日から屋敷に来て今日で二七日目。もうすぐ一ヶ月が経つ。

 一向に悪魔が現れる気配は無い。

 おかげでレアと穏やかな時間を過ごす事ができた。

 最初にこの任務についた時、まさかここまでレアと関わる事になるだなんて思いもしなかった。


 もっと事務的な生活になると思っていたのだが、レアが意外にユニークなやつで、その言葉、行動に驚かされる事が少なくない。おかげでこんな閉塞した生活でも退屈せずにいられる。

 まあ基本はお互い読書してるだけなんだけど。最近はレアが遊びを提案する事が増えてきたけど、まだまだ読書の時間の方が多い。

 見たところによるとレアは小説二割、学術書八割くらいの割合で本を読んでいる。知識を増やすのが好きなようだ。小説のジャンルは、最近まで推理、ミステリが多かったのだが、ここ一週間ほどはラブコメ、恋愛モノが多くなってきている。一定周期で変わるのかな。


 学術書はジャンルに関係なく読みあさっているようで、昨日は宇宙工学の本を読んでいたかと思えば今日は調理学の本を読んでたりする。

 俺は小説八割、学術書二割というレアとは正反対の割合になっている。

 小説は適当に選んでいて、学術書はマクスウェルの悪魔やエクシスに関するものだけ。


 俺とレアの読んでいる本が被る事は滅多に無いが、数日前、レアが読んでいた小説のタイトルが気になって、レアが読み終わった後すぐに読んだ。

 次の日、レアがその本を読んでいて、なぜ一度読んだ本をもう一度読んでいるのだろうと不思議に思っていたら、背表紙に『2』という数字があり、シリーズものだと気付いた。

 それからレアが読み終わっては俺が読み、を繰り返している。現在六巻目。まだまだ続きそうだ。

 俺たちは今まで本の感想を言い合う事はしなかった。けれどこの作品だけはたまに言い合ったりする。といっても「あのシーン、良かったな」「そうね」とか、「あの展開は燃えたな」「そうでもなかったわ」「そうか」とかみたいに一瞬で終わるんだけども。

 コンコン、と控えめなノックが部屋のドアから聞こえてきた。


「タクト、七巻、読み終わった」


 俺が後追い(?)している事をレアも知っているから、こうやって読み終わってすぐに渡しに来てくれる。


「ありがとな。早速読ませてもらうよ」

 単行本ではなく大きめのハードカバー本を受け取る。

「…………」


 レアは本を渡しに来ただけですぐ戻ると思ったのだが、なぜか無言でドア付近に立ったままだった。

 視線の先には、俺の机の上に置いてあった緑色の手帳。

 俺の記憶の記録帳だった。

 さっきまで読んでいて出しっぱなしにしていたそれを、じっと見つめている。


「気になるか、これ」

「うん」


 俺は過去の自分にあまり興味が無い。別人のように感じてしまうから。きっとこの感覚はレアも持っているだろう。

 過去の自分が喜んだ出来事。悲しんだ出来事。その大半は失われ、他の記憶は無秩序に残っている。

 しかし過去の自分を知るのは必要な事だ。なぜなら、今の自分の考え方、何気なく取っている行動、それらの元を紐解くヒントになるから。

 それほど記憶を失っていない者なら自分の過去を記した記録帳を他人に読ませるのをためらうだろう。


「読んでみるか?」


 でも俺にはためらう理由など無い。だから読んでみるよう勧めてみる事にした。まだまだレアの感情は読みとれない事の方が多いが、今回は読みたそうにしているのがなんとなく分かったからな。


「いいの?」

「ああ」


 俺は手帳を手にとってレアに差し出す。レアは、ゆっくりとそれを受け取った。


「今読んでもいい?」

「どうぞ。ベッドかイスにでも腰掛けて読んだらいい」


 レアは机に向かい、姿勢正しくイスに座って読みはじめた。

 俺はベッドに腰掛けてその様子を眺める。さっき渡された小説を読もうか迷うが、今はやめておこう。その代わり、超絶微糖コーヒーでも飲んでおく事にする。

 舌に慣らすように口の中で転がしつつちびちび飲んでいく。

 レアは一定のペースで一枚一枚丁寧にめくって読んでいた。きっと、読み終わるのに時間はかからないだろう。


 俺が、裕福な家庭に生まれた事。学童期は何不自由なく過ごした事。はじめに父親が俺の前から去った事。次に母親が去った事。その後、想起兵になって戦いの日々に身を投じた事。

 他は生年月日、現住所、連絡先等の記憶が失われた時に困らないよう個人情報が記載されているくらいだ。読んでもきっと面白くはないだろう。

 俺の境遇は、今の時代ではさして珍しいものではない。少なくとも俺の周りではちっとも珍しくは無かった。想起兵には俺みたいな境遇のやつがごろごろいるからな。


 俺なんかより、レアの境遇の方が遙かに壮絶なものに違いない。境遇を比べる事は無粋かもしれないが、客観的に見てもそうだろう。

 当時の俺がどう思っていたかは分からない。もしかしたら、自分が世界で一番不幸な人間とでも思っていたのかもしれないが、今となっては知る由も無い。


 ものの一〇分程度でレアは読み終わってしまった。レアは読み終わった途端に目を閉じ、まるで彫像になってしまったかのように微動だにしなくなる。声をかけるのはためらわれたため、再び動き出すのを待つ。

 読んでいた時間よりも目を閉じていた時間の方が長いんじゃないかと感じはじめた頃、ようやくレアはゆっくりと目を見開いた。


「ありがとう。あなたを見せてくれて」


 イスに座ったまま首を傾け、俺の目を見ながらレアはお礼を言った。


「どういたしまして」

「ちょっと待ってて」


 レアはそう言い残して唐突に部屋を出て行った。何をするつもりだろう。とりあえず待つとしよう。手帳を引き出しの中にしまい、残りのコーヒーを飲み干したところでレアは戻ってきた。緑色の手帳を持って。


「レア、それって」

「わたしの記憶の記録手帳」


 驚いた。それは俺の手帳と全く同じに見えたから。偶然同じものを使っていたとしたらすごい確率だ。単に似ているだけだと思うけど。


「このタイミングでそれを持ってきたということは」

「そう。わたしはタクトを読んだ。だから、タクトもこれを読むべき」

「別にそんな大仰に考えなくてもいいんだぞ」

「もしかして、読みたくない?」


 そう聞かれ、逡巡する。

 俺の記録帳を読んだ事に負い目を感じて無理をしている、という事はないだろうか。

 そういう風には見えないが、レアは表情がほとんど、というか全く動かないから判断し辛い。

 読んでみたいかみたくないかで言えば、読んでみたい。記憶を失う前のレア、これまで歩んできた軌跡。


「無理してないか?」

「全くしてない」

「なら……読ませてもらおうかな」

「ん」


 小さく頷いたレアは机の上に手帳を置き、使用人のようにイスを引いて座るよう促してきた。

 素直にそれに従ってイスに座り、レアから受け取った手帳を開く。

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