第22話 困ってる奴は放っておけない質なんだ。
仄暗い部屋に仄かに甘い匂いが漂っている。
部屋を照らす証明は最小限の明るさで微かに、ほんの微かに部屋を輝かせていた。
その部屋にいたのは勇者と魔皇だった。
勇者と、魔皇。
相反する二人。
でも、何処かで繋がっていた、ふたり。
ここまで、本当に長い道程だった。
何度だって、泣いて、怒って、悩んで、歩いて。
そして、やっと辿り着けた。
ヴェロアに会うことが、ノウトの中で大きな一つの指針だった。
なんだか考えているともっと泣きそうになるので、感慨に浸っているのはこの辺りにしておこう。そんなノウトだったが、彼は未だにヴェロアの頭を撫でていた。角には触れない。触れたらダメだ、と本能が叫んでいた。
ヴェロアの頭を撫でていると不思議と胸が安らぐような、そんな気持ちになった。背徳感と安心感が同時に胸の中で押し寄せてきて、心が、気持ちが、胸が、一杯になる。
ヴェロアがノウトの腰に手を回して、顔を埋めてから随分たったような気がする。まあ多分、相対性理論みたいな感じで早く過ぎたように感じただけだと思う。
「ヴェ、ヴェロア。もう、いいんじゃないか?」
「あと、少しだけ。もう少しだけ……こうしていたい。……だめか?」
「い、いえ」
ノウトは何故か敬語になってしまった。そんなノウトにヴェロアがふふっ、と少女のような笑顔で笑った。
ノウトとヴェロアはどういう関係だったのだろう。本当にただの上司と部下みたいな関係だったのか。この様子だとそれ以上深いところまで行ってしまっているような、そんな気がする。
いや、そんなことは、ないかな。
自分は記憶が戻った時、どんな思いをするのだろう。
その時、悲しいのか、嬉しいのか、切ないのか。
思い出さなきゃよかった、なんてことはないと思うけど思い出した後に自分がどうなるのかは想像もつかない。
「これじゃ、魔皇の威厳も……なにもないな」
ヴェロアが弱々しい、囁くような小さな声で呟いた。
「そんなことはないよ。………ヴェロアは、……ずっと俺の心の支えだった。ずっと心のどこかでヴェロアを探してたんだ」
ノウトの喉から、自然と言葉が出てきた。まるで記憶が失われる前のノウトが今のノウトの背中をそっと押しているようだった。
「それで今日、初めてこうして本物のヴェロアと会えて、胸がぎゅって締め付けられるような気持ちになって……、それで……、……」
ノウトはこれ以上喋れないくらいに胸の奥から溢れてくるものがあって、言葉が詰まってしまった。
「ははっ」
ヴェロアがノウトの身体から手を離して笑った。
「ごめん、やっぱり、俺。ヴェロアの知ってるノウトと違うよな……」
「いいや、そうじゃない」
ヴェロアはノウトの目を見据え、優しい笑顔で、言葉を紡いだ。
「お前は変わらないな、って私はそう思ったんだ」
「………」
その言葉に何だか、ぐっと来るものがあって、心から、胸から、何かが溢れ出して止まらなくなった。
「ノウト」
「……ん?」
「ここに座れ」
「え、ああ、わかった」
こわごわとした様子で、ベッドに腰掛けるヴェロアの隣に座った。ヴェロアは「ノウト、」と言ってから、言葉を繋げた。
「魂とは何か、分かるか?」
「たま、しい……?」
「心と言い替えてもいい。もしくは命、だな」
「……そうだな………」
咄嗟に考えついたことを口にする。
「思い、とか?」
「ははっ。やけに抽象的で詩的だな」
「ごめん、咄嗟に思いついたのがそれで」
「いや、いいんだ。それは存外答えに近い。正解と言ってもいいな」
ヴェロアはノウトの目を真っ直ぐと見て、
「魂は記憶だ」
はっきりと、そう言った。
「人は記憶を積み重ね、それを生と成して生きてゆく。経験が人を作り、過去が人を成す。記憶が人を繋げて、記憶が人の思いを結ぶ」
ヴェロアの言葉ひとつひとつが胸を穿つように、ノウトの中に入っていった。
「記憶なしに、人は生きているとは言えないだろう。人に忘れられればそれは死と同義だ。そして、……記憶を失えば、それはその命の終わりを指している」
ヴェロアとノウトはかつて仲間だったという。ただその頃の記憶は一切ノウトにはない。ほんの少しもそんな記憶はないのだ。つまり、ヴェロアの知っているノウトは死んでしまった、ということになる。
「だから、私はあの時……ノウトは、……死んでしまったのだと、そう思ったんだ。それに、ノウトの中での私は死んでしまったのだと、そう、思ってしまったんだ」
ヴェロアはノウトを見て、微笑んでみせた。
「───でも、それは違った。記憶を失ってもノウトはノウトだった。ノウトの私に対する態度は前と同じだった。ノウトは、どんなときも自分より他人の事を想っていて、人の為に、仲間の為に行動する。私の知っているノウトそのものだった」
ヴェロアの言葉が心に重く響いた。
「………でも、俺」
だが、胸の中のわだかまりが心で燻っていて、それがついに口から、心から、溢れ出してしまった。
「──人を……殺してしまった。優しくなんて、ないよ。……最低なんだ、俺は。ヴェロアの知ってる俺とは、違うよ。……違うんだ」
溢れ出して、止まらない。
ヴェロアはそんなノウトの肩を抱いてにかっと笑った。
「それは、……皆を、思っていてくれたからだろう?」
その笑顔に胸が打たれるような気持ちになって、徐々に頭の奥にかかる霧が晴れていく。
「皆の思いに、無理やり応えようとしていたのだろう、ノウトは」
「無理やり、……なんかじゃないよ」
「……強がらなくていい。……私があの時、あんなことを命じなければ、こんなことにはなっていなかった。すまない、ノウト」
ヴェロアはその長い睫毛を瞳に被せた。
「随分と……無茶をさせてしまった。ノウト一人に、重荷を背負わせてしまった」
そして、顔を上げて、胸を張った。
「もう、お前一人には無茶はさせないぞ。これからは私も───いや私達も一緒だ」
ヴェロアはにっと笑ってみせた。
「………ありがとう、ヴェロア」
ノウトがそう言うと、ヴェロアは心の底から安心したような顔をして、───前側に崩れるように倒れ、
「ヴェロア!?」
床に倒れ込む寸前でノウトがヴェロアを抱きかかえた。声を掛けても返ってくる言葉はない。
どうして。なんで。さっきまで、ちゃんと話して、元気にしていたじゃないか。笑顔で笑っていたじゃないか。
───いや、本当に……元気、だったのだろうか。
ノウトに分からないように無理をして隠していたのではないだろうか。くそ。本当に俺は、何をやっているんだ。
ノウトはヴェロアの身体を抱きかかえてたままベッドに移動させた。
口元に手を当てると確かに息はしていた。脈もちゃんとある。
ノウトには、ヴェロアが突然倒れたことの解が分かりようもないので、部屋を急いで飛び出して、
「メフィ!! ヴェロアが……!! ………って……」
そこにはメフィも、アガレスも、ましてやリアもいなかった。
全く知らない人物が二人、そこには立っていた。両方共に女性だ。
一人はメイド服を着ていて、その顔は無を体現していると言っていいほどの無表情だった。ただその頭には、なんと、獣の耳が付いていた。猫の耳だ。見るとスカートから尻尾が伸びている。
そしてもう一人はフリルの付いた少女らしい服を着ていた。肌は病的に白いが、その頭には角がなかった。その代わりに、耳が長く、その先がとんがっている。フリルの少女はノウトの声を聞いた瞬間、いきなりノウトに抱きついた。
「センパイ!!」
揺れる髪が鼻を掠めたその瞬間、胸の奥まで涼しくなるような、自然で爽やかな香りが頭の中を眩ませた。
「ずっと会いたかったんですよ〜センパイ〜!!」
翡翠色の肩まで落ちた髪に、整い過ぎた顔。
記憶を手繰らせると、引っかかるものがあった。
「き、君は、もしかしてスピネ……!?」
「エッ!? センパイもしかしてスピネのこと覚えててくれたんですか〜〜?」
「え、いや、そうじゃなくってヴェロアが言ってたから……」
いや、そうでもなくて!!
もう一人の話の通じそうな、いかにも真面目そうな人に言おうと声を張り上げる。
「ヴェロアが───魔皇様がいきなり………あれ?」
既に彼女はヴェロアの部屋に入っていったようだ。それに着いていくように部屋に入っていこうとすると、スピネに首根っこを掴まれて、無理やり制止させられる。
「おまっ、何するんだよ!?」
「いやん、センパイ怖い〜」
この緊急事態にこんなお気楽な奴に絡まれると流石のノウトもイラッと来ないでもなかった。思わず手を出しそうになるのをぐっと堪える。
「なんか、……俺が入っちゃいけない理由があるのか?」
「魔皇様のお部屋に入って一緒にお着替えを手伝って、お身体を拭きたいって言うなら、もう止めないですよん」
「……っ」
虚を衝かれたが、考えてみれば当たり前の話だった。そうか、さっきの女性はヴェロアの部屋に入って介抱をしようとしていたのか。医者でも女性でもないノウトがヴェロアにそんなこと、不躾過ぎて出来るわけがなかった。
「ま、止めたのはセンパイを独占したいってのもありますケド」
やばい、何かが沸点に達しそう。抑えろ、抑えろ。
「それで、魔皇様は大丈夫なのか?」
「はい、もちろんですー。ただ眠りに落ちているだけだと思うので〜」
「いやでも、いきなり倒れたんだぞ?」
「魔皇様は今、常時寝不足みたいなものなんですよ〜。〈神機〉の使用プラス魔力の使い過ぎプラスノウトセンパイの見張りプラス他国との会談プラス連邦への対処エトセトラ〜〜」
スピネは捲し立てるように言葉を連ねた。
「で、でもさっき普通に起きて、………」
「ノウトセンパイの声を聞いて無理矢理起きたんでしょう。もう、相変わらず察し悪いんですねセンパイは」
そう言ってから、スピネは「まぁ、センパイに心配させまいと魔皇様も伝えてなかったと思うので、ノウトセンパイが知らないのも仕方ないとは思いますケド」と付け加えた。
そんな中でノウトと話していたのか。申し訳なさで胸が一杯になる。そうだ、魔皇が暇なわけがない。ノウトに構っている暇なんて普通ないはずだ。溜息を吐きそうになるのをなんとか抑えた。溜息をついてしまうと、自分を、ひいては周りを人物をも否定してしまうような気がしたからだ。
「そうだ、リアとかメフィはどこ行ったのか知ってるか?」
「ああ、そうでしたぁ! メフィス様から
メフィの声真似をしているようだったが、恐ろしい程に似ていなかった。本人がいたら怒られそうなくらいだ。
「と伝えてくれ、って部分いるか?」
「完璧にお伝えするのがスピネのお仕事なので」
「な、なるほど。まあ、わかった」
ノウトはズボンのポケットに入ったハンターケースの懐中時計を取り出して、蓋を開いた。
短針が11を、長針は34を指している。
「ってことは14時半くらいか……」
懐中時計をポケットに閉まってから、スピネに向き直った。
「助かった。ありがとう、スピネ」
「いやん、ノウト様に初めてお礼言われちゃいました〜〜」
「えっ、過去の俺、スピネに礼言ったことないの?」
「ああ、よく考えてみたらありました〜〜。そう、……あれは今から91日前のことでした。それは篠突く雨の降っていた森の中。スピネは雨宿りをしながらそこら辺に成っていたフルーツをむしゃむしゃと食べていました。そしてスピネは果実の種を「いやごめん、話聞くより記憶戻した方が早そうだ、それ」
ノウトはながながと語り出すスピネの言葉をぶった斬った。
「いやん、センパイつめたいですぅ〜」
そして、スピネがノウトにまたしても抱きつく。控えめに言って綺麗で可愛いスピネにこんなことをされてドキッとしないわけあるはずがない。だが、さすがに理性を優先させて、スピネを離そうとした。
そんな時だった。ガチャリ、と音がして、背後の扉が開かれ、中から猫耳の生えたメイドが現れる。後ろ手に扉を閉めて、猫耳メイドが無表情のまま口を開いた。
「お熱いですね。ひゅーひゅー」
完全に棒読みだった。無表情で棒読み。もうやる気のなさしか感じない。
「いや違うから」
ノウトは冷静にスピネを引き剥がした。ぶーぶーと文句を垂れるスピネを無視して猫耳メイドと目を合わせる。
猫耳メイドはノウトを死んだような目でぼーっと見ている。そして、ゆっくりと口を開いた。
「ノウトきゅん。お久しぶりですね。ご無事で何よりです」
「ノウトきゅん!?」
青天の霹靂にも程がある。思わず自分の耳を疑った。
「……? 何か変でした?」
「いやいやいや!! なんか明らかにおかしいとこあるだろ!」
まさか過去の俺がこの子にこう呼べって指図したのか!? 俺のことはノウトきゅんって呼んでくれ、って!? いやだ! 知りたくなかった! そんな過去知りたくなかったよ!! と頭を抱えて脳内で「ノウトきゅん」という強烈なワードを繰り返していると、
「ノウトきゅん、どうしたのですか?」
猫耳メイドがノウトきゅんに───いや、ノウトに顔をこれでもかってくらい近付けた。鼻が触れそうになったあたりでばっ、と距離を取った。
「ノウトきゅんかわいい〜〜」
「お前は違うだろスピネ!!」
スピネはてへっと舌を出して見せた。不覚にも可愛い。いや可愛いと思うだけでイラつきはする。イラつき八割可愛さ二割のポーズだ。
なんでノウトが猫耳メイドの子に「ノウトきゅん」と呼ばれているかは怖くて聞けなかった。
「ああ、そうでした。ノウトきゅん、記憶を失われているのでしたね。失礼しました」
猫耳メイドの子はスカートの裾を持ち上げて、上目遣いで口を開いた。
「私は魔皇様のお世話を務めさせて頂いてます、メイドのシファナ・フーロと申します。改めてよろしくお願いします」
「ああ、こちらこそ宜しく」
「そして〜〜。スピネはノウトセンパイのお世話をさせて頂いてます、スピネ・ルクストで〜す」
「嘘です。ノウトきゅんにはお世話する人なんかいません」
「ネタばらしが早いよ〜シファナ〜」
「驚きで一瞬だけ心臓止まったんだが……」
「それは大変です。今すぐ蘇生術を」
シファナが突然ノウトの服を剥ぎ取ろうする。
「いやものの例えだからさ! スピネもお前! ノってくんなよ!」
シファナとスピネに上裸にされそうになっているノウト。いやどんな状況だよ。しばらくしてからようやく剥ぎ取るのをやめてくれた。シファナは冗談とか通じないタイプの人らしい。今後シファナには冗談とか言わないようにしようと胸に刻み込む。
「ノウトきゅん、冗談なら冗談と早く言ってください」
「言ってたが!?」
「うふふ〜〜楽しいですね〜センパイ」
その様子を見ているとふと疑問に思うことがあって、それを声に出した。
「その、さ。前の俺と違ってて違和感とかあったりしないのか?」
ノウトがそう言うとシファナとスピネは同じように首を傾げて、
「ノウトセンパイはノウトセンパイですよっ」
「ノウトきゅんはノウトきゅんです」
二人揃って、今のノウトを肯定する。胸に温かいものが込み上げてくるのを感じる。その思いを心の奥にしまい込む。そうでもしないと感極まって泣きそうだからだ。ああ、俺、ほんと涙腺弱いんだなぁ。
「それで、魔皇様の様子はどうだった?」
「はい。寝不足を問題としないならば、特に問題はありませんでした。ずいぶんと安心されたお顔で眠っていらしたので、余程ノウトきゅんに会われたのが嬉しかったのだと思います」
「そ、そう。それは良かった」
なんだか、嬉しいような、切ないような、複雑な気持ちになる。
「それで、ノウトセンパイ。帝都を回られるんですよね?」
「まぁ、メフィの言ってた時間まではそうしようかなって思ってるけど。そうだ、リアはどこにいるんだ?」
「えっと〜、リアって方はメフィス様のおっしゃっていた『小娘』のことです?」
「多分、いや絶対そう」
「それなら、西尖塔のバルコニーにいると思いますよ」
「バルコニー……。悪い、そこまで案内してくれるか?」
「もっちろんです」
スピネは「きゃぴっ」と言いながら了承した。
すると、シファナがノウトに向かって腰を曲げた。
「ノウトきゅん。申し訳ございません。私は持ち場を離れられないので、ここで」
「ああ、それなら仕方ないよ。ありがとうシファナ。魔皇様のこと頼んだ」
「はい」
「じゃ、ノウトセンパイ、こっちです〜」
スピネがシファナに手を振りながら、スキップをする。ちょっと転びそうで怖い。
廊下をこつこつと歩いていく。螺旋階段をぐるぐると下りて、一つ下の階に降りてから、とある扉を指さした。
「こちらですよ〜、センパイ」
「ありがとう、スピネ」
「いえいえ〜」
スピネは手を大きく振ってみせる。
「あ〜あ、こんなセンパイを見れるのもこれで最後かぁ〜」
「……えっ?」
「メフィス様が『ノウトにはあの小娘と一緒に回らせてやれ。おぬしは着いていかなくていいからの』っておっしゃってたんですよ〜」
「メフィが……?」
「これ言うなって言われてたんですけどね〜。つい言っちゃいました、てへっ」
スピネがおどけたような顔をして舌を出す。
「それじゃあ、ファイトです! センパイ!」
その言葉を最後に、スピネはフッとその場を去った。
メフィとスピネが何を思ってそれを言ったのか、ノウトには分からなかった。
扉に手を掛けて、開けると、風がその扉の外から入ってきて、少しだけ肌寒かった。
そこを出ると、屋外だった。バルコニーと言われていたから当然だろう。少しだけ太陽が眩しい。見渡して、彼女の後ろ姿を捉えた。
そこに、彼女がいた。
銀色の髪を揺らして、佇む彼女が。
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