第3話 そんな顔、しないで。




 シェバイア、ニールヴルト間の国境上空付近を彼は西に向かって飛んでいた。その下には森林が広がっている。

 彼は言うなれば、人類の存亡を掛けた戦いに赴いたはずの勇者だ。

 勇者というのは聖なる女神に選ばれた、魔人を滅ぼすべく生まれた存在である。その一人ひとりが〈神技スキル〉と呼ばれる異次元的な能力を所持している。その〈神技スキル〉を用いて、魔皇の首を持って帰ることが勇者の使命であり、命題なのだ。

 しかし、彼は世界の理に則ることなく、魔皇を殺そうとしなかった。彼は魔皇の協力者なのだ。

 そんな彼に課せられた命題は『勇者全員を説得し、魔皇を殺させないようにすること』。


 さて、そんな彼だが、その容姿はこの世界の人間の誰が見ても悪魔と答える、そんな様相だった。

 身体のそこらじゅうから黒い羽根を生やしていて、辛うじて顔のパーツは羽根の隙間から覗き見えている。

 そして、その背中からは人外を象徴するような一対の大きな黒い翼が背中から生えていた。

 彼の姿を見たら誰もが恐れ慄き、許しを乞うだろう。その恐ろしき様相は悪魔のようでいて死神のようにも見える。勇者だと言われても下らない冗談だと嘲笑され侮蔑されるに違いない。


 は風を切り、空を飛んでいた。それも一人の勇者を抱えて。

 何人もの勇者に囲まれて悪魔がとった行動は一人の勇者を人質に取って逃げることだった。

 嗚呼、なんて卑劣で、悪魔的なんだろう。

 悪魔最高。悪魔万歳。


「……なんてな」


 俺だって好きでこの姿になった訳じゃない。あのとき、気付いたらこうなっていたんだ。

 どうして、こんな姿になったのか。俺は何者なのか。これ以上犠牲を出さない為にも俺は自分が誰なのか知らなければいけない。


 ノウトは考え無しに逃げて、今こうして空を飛んでいる訳では無い。自分という存在を確立して制御する為にある場所に向かっているのだ。

 そのとある場所というのは言わずもがな、魔人領の事だ。

 自分の記憶の元を辿るために魔皇であるヴェロアやその他のノウトの過去の仲間に会いに行くことに決めた。

 封魔結界を越えたその向こう魔人領。何でも、ノウトに限っては失われた記憶を取り戻せるらしい。


 この姿じゃ勇者と協力するなんて無理難題だ。


 それに皆がフェイが起こした大災害をノウトが起こしたと勘違いしている。誰もフェイが起こしていたことを見ていないのだろうか。

 まぁ、実際に起こしていたというより遠隔操作に近く、フェイの姿が見えたところで彼が起こしてるとは思わないか。

 実際フェイはノウトが殺してしまったが為に、あの災害の犯人はもうこの世に居ないわけで。そうなると必然的に悪魔的な容姿をしたノウトが犯人となってしまうわけで。

 まぁ、それは自分も例外ではなく、もしも自分が相手側の立ち位置にいてもノウトが犯人だと思うだろう。

 人はまず第一に見た目で物事を判断する。本能的に視覚情報を念頭に置いて考えるのだ。

 でも、もう少しでいいから話を聞いてくれても良かったんじゃないだろうか。スクードは突然殴りかかってきたし、ダーシュは何の躊躇いもなく神技スキルを使ってきた。

 そんなにこの姿は醜いだろうか。恐ろしいのだろうか。

 鏡とかでまだ顔は見ていないが、この背中に生える黒い翼だけで容易に想像は出来る。


 俺は化け物だ。化け物になってしまったんだ。


 胸が痛くなってくる。苦しい。何が勇者と協力するだよ。こうなったら土台無理な話だ。

 無論、平和的解決が一番正しいという自論は以前から変わっていない。しかし、こうなってくれば話は別だ。

 フェイの起こした惨劇をなすり付けられたノウトが今更何を言っても遅い。口頭ではもはや何も解決しない。


「……どうしたもんかな」


ノウトは気を引き締めるように両手と両翼に少し力を込めた。

 いつの間に生えていた翼は元からそこにあったかのように、言うなれば元来そこにあって然るべき手足のように自由に動かせた。

 飛び方は翼が教えてくれた、なんてキザな台詞言いたいわけじゃないけど実際、飛ぼうと思えばそれに翼が呼応して自分の身体を空に飛ばしてくれるんだ。

 でも、皮肉なもんだよな。翼のせいで逃げるはめになったのに、翼がないと逃げられないなんて。


 両翼を大きく羽ばたかせる。すると「ん……」と両腕の間から吐息が漏れた。少しくすぐったい。

 胸の中で眠っていた彼女が目を覚ましたようだ。彼女はノウトが人質に取った勇者だ。しかし正しく言えば人質に取った、というのは語弊がある。

 そもそも彼女は不死の身体を持っているわけで、人質としてはあの場では全く機能しない。だがそれを知っているのはノウトだけだ。それを利用した結果が今の現状だ。胸の中に抱かれたリアが顔を見上げる。

 ノウトは進行方向に注意を払いながらも、顔を下に向けて彼女の方を見た。


「起きた?」


「……ノウトくん?」


「よく俺だって分かったな」


「だってノウトくんはノウトくんでしょ?」


「……なんだそりゃ」


 リアの言動にはいちいち驚かされる。俺を見た他の人達は口を揃えて悪魔と罵り、足並みを揃えて敵意の目を向けて来たのに。


「リア、起きてすぐで悪いけどリアの〈神技スキル〉で俺の怪我直してくれないか?」


「もちろんいいよー」


 すると、ダーシュの刃によって刻まれたノウトの傷がたちまち癒えていく。

 これはリアの神技スキル、《軌跡イデア》だ。

 さっきまで傷はどうしてたかというと、傷口に羽根を生やして出血を抑えていた程度の応急処置しかしていなかった。


「てか何これたっか! ごめん、今どんな状況?」


「あー、そうだなー……」


 ノウトは口篭って、返答を窮した。

 他の勇者と敵対関係になった、なんて言いづらいだろ……。まあ、今は正直に言うしかないけど。

 無意識にリアから目線を逸らして前を見た。目の前に広がる星辰の数々が恐ろしい程に鮮明で、綺麗だった。


「今の俺の姿を他の奴らに見られてさ」


「あーなるほど……」


「えっと……察した?」


「うん。察した。それでその後どうしたの?」


「あの災害を俺が起こしたって思われちゃって。で、殺されそうになったからリアを人質にして逃げてきた」


「ふふっ。わたしを人質にって……。少し笑っちゃうね」


「いや笑いどこじゃないからな」


「わたしが死なないってノウトくんにしか言ってないのが功を奏した感じだ。よかった」


「まあな。結果的に逃げられたけど、この状況がいいとはあまり言えない、よな……」


「全然いいじゃん」


「いや良くはないだろ。他の勇者を説得することがほぼ不可能になったんだぞ?」


「ノウトくんが生きてるなら、わたしはいいかなって」


「お前、それ──……」


 ───と何か言葉を連ねようとしたがなんだか恥ずかしいし、馬鹿らしいからやめた。今はそんなこと言ってる場合じゃない。


「ねえ。これって何処に逃げてるとか決めてるの?」


「ああ、勿論決まってる。とにかく西に向かってるんだ」


「もしかして、魔人領に行こうとしてるの?」


「おお、よく分かったな」


「そりゃあ、ノウトくんの本当の居場所だしね」


「記憶がないからなんとも言えないけどな。帰巣本能ってやつかも。冗談だけど」


「ふふっ。それで、そっちに行って何か策あるの?」


 そう聞かれると少し困る。しかし、ノウトは如何にもな面持ちで話す。


「聞いて驚け」


「うん」


「特に策はない」


「やっぱり……」


 リアは知ってた、みたいな顔でこちらを見た。


「全くないっていう訳じゃないけどな。その策を練りに向かってるわけだし」


「まぁ、現状一番正しい判断かもね」


「だろ?」


「さすがノウトくん」


「あんま褒めてないだろそれ」


「うん」


「えっと、………あれ? なんか、怒ってる?」


 リアは頬を少し膨らませていた。


「別にぃ」


 いや完全に怒ってるだろ。何処かで地雷を踏んでしまったようだ。


「わたしのこと無視してフェイくんにがむしゃらに突っ込んでったのが、ちょっと許せないかな〜」


「ご、ごめん。俺、あの時自分を見失ってて……」


「ふふっ。ごめんごめん。怒ってるのは冗談」


 リアは冗談めかしく口元を覆って笑った。


「ノウトくんは私を守ろうとしてたし、君が無事だから良かったよ」


「生きてるって点では、な」


 二人で空を飛びながら会話していると、下方では森が途切れて湖が見えた。湖面は二つの月を映し出し、金色の光を反射していた。それは星空を映し出す巨大な鏡のようだった。


「綺麗だね」


「ああ、ほんとに。……翼がなけりゃ見られなかった景色だな」


「ふふ。そうだね」


「……よしっ」


 ノウトは何かを決心したかのように声を発してから、翼を畳んだ。そのまま上空から斜め前方向に滑空する。眼前に広がる湖面が徐々に近付いてきた。


「ひゃっ……」


 リアがノウトの胸の中で目を閉じて縮こまる。流石のリアもこれは怖いようだ。

 なんだか俺は全く怖さを感じなかった。すっごい気持ちいいんだ、飛ぶのって。

 湖に突っ込みそうになるその寸前でブレーキを掛けるように両翼を広げた。ぐっ、とスピードを落として徐行したままなんとか落下しないように翼を羽ばたかせて飛行する。

 湖面とノウトの姿勢が平行になるように飛ぶ。その間は50センチあるかないかくらいだ。手を伸ばせばすぐに水に触れることが出来る。


「ほら、リア」


 ノウトが声をかけるとリアが目を開けた。


「わあ……」


 リアが目の前の光景に思わず言葉を失う。ノウトもそれに倣って口を噤む。リアは手を伸ばして水面に触れる。しゃーっ、と水しぶきを上げて波紋を生み出しながら突き進む。


「ねえノウトくん!」


 リアは手を引っ込めて、こちらを見てから大声で話した。


「なにっ?」


「なんか今、すっごい楽しくて、すごい幸せっ」


「何だよっ、急に」


「ノウトくんは、楽しくないの?」


「いや、不覚だけどすっげぇ楽しい」


「でしょ?」


 リアがいつかと同じような無邪気で無垢な、あどけない笑顔で笑ってみせた。ノウトは何だか顔が緩んで変な顔になった気がしたので、照れ隠しをするように翼をはためかせて上昇する。

 リアを抱える両手を離す訳にはいかないのだが、そろそろ疲労がやばい。


「なぁ、どっかで降りて休んでいいか?」


「もちろん。疲れさしてるの私だしね」


「リアは俺が勝手に連れ来たからさ。一応、気ぃ遣うってるんだよ、俺」


「それ、自分で言うかなぁ。ふふっ、別にいいけど」


「よっし、じゃあ湖の近くの木陰で少し休むか」


「りょーかい」


 ノウトは方向を左方面に変えて飛翔した。そして足元に湖畔が来るあたりでゆっくりと降下する。

 突如として生えたこの両翼の扱いにももう慣れたものだ。頭では覚えていないんだけど、身体が覚えてるって感じ。

 湖のほとりに足をつけ、ようやく地に足をつけられた開放感に浸る。

 リアを腕から解放して、ノウトは地面にうつ伏せになって倒れた。出来れば仰向けになりたかったが、翼が邪魔で出来そうになかったのだ。


「あー、疲れた……」


「お疲れ様、ノウトくん」


 リアは両膝を抱えて木に背中を預けるように座り込んだ。


「リアもお疲れ。ほんと色々あったな。あれ全部昨日の夜に起きたことなんて信じられないな」


「ね。なんかトラブルばっかりって感じだった。ちょっと興奮してあんま寝付けそうにないかも」


「わかる。なんか、目ェ冴えちゃったな」


 ノウトは身体を起こしてリアの方向を見遣る。


「じゃぁ、そうだな。色々あったし一回情報を整理してみるか」


「そうだね。お互いたくさん聞くことありそうだし」


「じゃあ、まず俺から質問」


「どうぞ」


 リアが手のひらを上にして腕をこちらに向けた。


「リアがあの桟橋で俺を待ってた時何があったんだ?」


 それは昨日の夜更けにリアとノウトが二人だけで話すためにした約束の場所に何故かフェイがいた事を指している。

 だが、どんな経緯でフェイがそこに行ってリアがどう襲われたのか、それは想像は容易だが実際どうなのか、ノウトは知らなかった。


「えっとね。わたしがあそこで座って待ってたらね。急に首に違和感、というか激痛が走ったの。それで手を動かそうとしても出来なくて、首が真っ二つに切られちゃったことに気付いて。そのあと目を覚ましたのはノウトくんと一緒に空から落ちた時かな」


「ということはそれまでフェイの仕業だって分からなかったのか」


「そうそう」


「目を覚ます前のさ、再生してない時の記憶とか何も無いのか? リア、不死身なのに全然再生しないから凄い俺焦ったんだけど」


「ほんと? 心配してくれてありがとね。それがさぁ、全然なに一つ覚えてないんだよね。その再生出来なかったってことも分かんないし。空白の期間があったみたいなそんな感じかな」


「そうか。それは仕方ないな。リアがそう言うってことはリアの再生を止めてたのもフェイの能力ってことになるのか」


「そういうこと、だね」


 リアは複雑そうな顔で頷いた。


「………そのさ、戦闘中にフェイが言ってたこと聞いてたか?」


 リアが足を伸ばして、手を膝の上に乗せる。


「えっと、ごめんね、わたしあの時熱くて痛くってノウトくんを治すことしか意識割けなかったからあんまり聞けてなくって」


「いや、謝ることじゃないだろ。あの時はほんと助かったよ。リアが居なかったらフェイを止められなかった」


「どういたしまして。それで、フェイくんは何を言ってたの?」


「それが────」


 ノウトはリアにフェイが言っていたことを覚えている限り、全て話した。

 フェイは〈運命〉の勇者などではなく、全ての勇者の〈神技スキル〉を使える〈異界〉の勇者であるということ。勇者にはそれぞれ女神が憑いていて、その女神から力を分けてもらうことで勇者は〈神技スキル〉を使っているということ。

 そして、フェイは俺をこの姿にするためにあらゆる悪事を働いて俺に負担を与えていたということ。

 加えて、これは推測に過ぎないが、他の勇者の矛先をノウトに向けることもフェイの作戦の一つだろう。

 昨晩のフェイ戦ではフェイを殺すことしか念頭になかったため、その時はどうでもいいと思っていたが、改めて考えるとこれほど重要な情報はない。

 ノウトがリアに全てを話し終えた時、彼女の顔は蒼白に染まっていた。


「わたしのことを魔皇の協力者なんて言ったのもそのためだったのかな……」


 彼女はうつむき気味に呟く。


「………結果的には全部俺のせいなんだよな。俺がいなかったらフェイもあんなことしなかっただろうし───」


 リアは何を思ったかノウトの方へ鼻と鼻が触れるくらいの距離まで近づいた。


「そんなこと言っちゃだめだよ」


「ご、ごめん」


 突然リアに距離を詰められたので、戸惑ってそんな拙い言葉しか口から出なかった。


「ノウトくんを大事に思ってる人は君が思ってる以上に多いんだから」


 リアは俺の手を握って笑顔で語る。その顔を見ていると、随分と気持ちが安らぐ。何故だろうか。分からない。


「……悪かった。もう言わないから。俺がいなかったらなんて」


 ノウトがそう言うとリアは微笑み、俺の手から手を離した。その時、ちらりと視界に映った自分のに違和感を感じてしまった。


 ノウトは自分の〈エムブレム〉に目を向けた。

 夜の闇の中、それは金色の光を帯びながら朧気に輝いていた。

 その間は一センチくらいの同心円の二つの円。一センチの隙間には不可解な幾何学模様が幾つにも連なっている。

 そしてその円の中心にすっぽりと収まるように五芒星がある。

 しかし、じっ、と見えていると何か違和感があった。左手甲を顔の前に持ってくる。やっぱりそうだ。

 ノウトはリアの方を向いて、声をかける。


「リア、ちょっとお前の〈エムブレム〉見せてくれ」


「エムブレム?」


 リアの反応を待たずに彼女の左手を掴んで眼前に持ってくる。

 そこにはノウトのそれと同じように朧気に光る〈エムブレム〉があった。だがやはり、以前との相違点が確かにそこにあった。


「リアも同じだ……」


「えっ!? 何が……?」


 リアは手を引っ込めて自分の顔の目の前に左手を持っていった。


「あれ……? 何か前と形が違う気がする」


「そう、前はちゃんとした五芒星だったんだ。でも、今はその角が一つ光を放ってない」


「ほんとだ……」


 今のノウトとリアの〈エムブレム〉は五芒星の角一つが光を失い、その角は星を象る外形線のみが微かに光を帯びているだけとなっている。

 これってどんな意味があるんだ……?


「……ごめん、わたしすっごい嫌なこと予想しちゃった」


 リアは顔を少し俯かせ気味に話した。


「なんだ? 言ってみてくれ」


「パーティを決めた時にさ、確か手を繋いで円陣を組んだでしょ?」


「ああ、その時に〈エムブレム〉に変化があったのは覚えてる」


「それで私達、勇者のパーティって五人って決まってるじゃない……?」


「…………あ」


 気づいてしまった。この時点ではあくまで予想だが、当たってるはずだ。この想像が間違っていて欲しいと願う。

 ノウトは震える声で予想を口にする。


「───俺達のパーティの誰かが、……命を落としたってことか……?」

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