第8話 楽園追放

 裁きの一蹴ドロップキック


 それが引き金となり、障壁は壊された。

 決して犯してはならない禁忌を彼等は犯してしまったのだ。

 それがもたらす地獄の業火をまだ彼等は知らない。


 が起きてしまう、僅か20分前。


「にしてもここに来て露天風呂に入れるとは思ってもみなかったな」


「ほんとな。こればっかしは〈エムブレム〉様々だよ」


 ノウトはレンと一緒に宿の沐浴場に来ていた。

 シャルロットが能力を披露したあと、リアの提案により宿に設備されていた風呂に入ることになった。言うまでもなく男女は別。

 タオルも支給してくれて、至れり尽くせりって感じだ。

 他の棚にある籠を見るに誰か他に入っている人が居るようだ。大衆浴場だから当たり前だけど。

 何やら戸の向こうから声もする。

 レンがその戸を開くと、頭を洗ってると目が合った。


「「あ」」


「げっ、お前ら。何だよ貸し切りかと思ってたのによー」


 げっ、はこっちのセリフなんだが。


「フョードル、五月蝿うるさいぞ」


「うーい」


 ジークヴァルトとシメオンが湯に浸かっているが見えた。


「ジークヴァルト達もこの宿に居たんだね」


「大きな露天浴場があると民に聞いたのでな。旅出の前に入っておこうと思ったわけだ」


 ジークヴァルトは頭にタオルを乗っけて、両腕を広げていた。シメオンは目を瞑って静かに湯に浸かっている。


「君達も早く身体を洗って入れ。極楽だぞ。フョードルも何時いつまでそうやってるんだ」


 フョードルが温泉の湯を桶で掬って頭から、ばしゃーん、と湯をかぶる。そしていつになく真面目な顔になり目を細めて言う。


「───おいお前ら。出陣の時だ」


「どうした、フョードル。元々やばかったが遂に頭がおかしくなったか?」


 シメオンが目を瞑ったままフョードルの頭の心配をする。


「いやシメオンお前辛辣かよ。そこの黒髪と青髪。お前らも今だけは協力しろ」


「俺の名前はクロガミじゃない。ノウトだ」


「俺はレンだよ」


「レン、ノウト。あれを見ろ」


 フョードルは3メートルは高さがありそうな木の壁を振り向かずに親指で示す。その壁の向こうからは聞き覚えのある声が聞こえた。もちろんそれは仲間たちの声だった。こ、こいつまさか、おい。


「お、お前、まさか、の、のぞ────」


 フョードルのいかれた考えを想像して思わずどもってしまった。

 彼がノウトの肩に両手を置き、目を合わせる。その目にはある一種の覚悟が見て取れた。凄い殺気だ。

 ノウトは気圧けおされてつい黙ってしまった。


「今やらないで、いつやるんだ」


「未来永劫やらねぇよ……」


「ノウト、来てみろ」


 フョードルはその木の塀に近付き、ノウトに向かって指をくいっ、として近くに来るようにジェスチャーをする。


「お前には聞こえないか? 花園の声が。楽園の歌が」


 そりゃもう、耳を澄まさなくとも聴こえる。

 壁の向こうから「セルカちゃんおっきいね~」「や、やめっ……! ……っっっ……やぁ…っ」「リアやめましょう! それ以上は流石に看過できないですって!」「まったくね」「いいぞー! やれやれー!」という声が嫌でも聴こえた。……ていうかリアあいつ何やってんだよ。


 この壁の向こうに裸のリア達が。


 いや何考えてんだ。

 倫理的に、というか道徳的にダメだろ。

 それをやったら人間として終わってるだろ。流石に。馬鹿か。馬鹿だろ。

 裸は魔皇ヴェロアだけで充分だ。

 フョードルと同類になるなんて最悪、最低だ。


「こんな薄壁一枚の向こうに広がる桃源郷。うっは、やるしかねぇ……!」


 ノウトはフョードルの肩に手を置き、頭を振りながら、


「フョードル、お前はもうダメだ。ジークヴァルト! フョードルを何とかしてくれ」


 ノウトは何とか自制を利かしてジークヴァルトに助けを乞おうと振り向く。

 しかし、そこでジークヴァルトは石畳の上に大の字で仰向けで倒れていた。


「……は?」


「ジークは逆上のぼせてぶっ倒れた。あとで部屋まで俺が運ぼう」


 シメオンが説明してくれた。

 にしてもだろ。のぼせてそんなになるか? 妙に静かだな、とは思ったが。


「ノウト、俺に任せろ」


 そしてどうやら彼はジークヴァルトの代わりにフョードルを制裁してくれるようだ。良かった。シメオンはおもむろに自らの肩にタオルを置き、


「乗れ」


 と言って片膝をついた。


「最初は行かせてやる。次は俺だ」


 理解出来なかった。何やってんだこいつ。

 誠実な男だと思っていたのに。

 ただの長身木偶の坊だこいつは。

 今にも木の塀をよじ登りそうなフョードルをノウトが代わりにぶん殴ってやろうと思ったその時、今まで口を固く閉じて何か考えていたレンが口を開いた。


「俺に行かせてくれ」


 ……ん? 思考が追いつかない。お前も何言ってんだ、レン。その参戦は意外過ぎて自分の耳を疑った。


「っておいレン! お前は止める側だろ!」


 レンはその口に人差し指を当てて声を小さくして話す。


「ノウト、良く考えてみてくれ。明日からはもう敵地に行かなくちゃいけない。こんなことが出来るのは今日、いや今しかないんだ」


「レン……」


「魔人領に行って生きて帰れる保証もないんだ。そのチャンスをノウト、君は逃すのか? 死ぬ前にシャルの裸を見られる唯一の可能性なんだ」


「………え、お前今なんて」


「レン、お前いいこと言うじゃねぇか。軽く惚れかけたぜ」


「よせよフョードル」


 レンとフョードルが手を合わせた。俺がおかしいのか? 俺が間違っているのか? ───いや、そうなのかもしれない。

 レンの言う通り、こうして楽園を拝める好機は今だけだ。

 正直に言って見たくないと言えば嘘になる。気にはなるけど、見るつもりは無かった。

 だけどみんなが見たいっていうならね。仕方ないよ。仕方ない。

 これが男って生き物だ。

 もう人間やめてもいいかな。


 負けたよ、フョードル。お前らの勝ちだ。

 俺は一度は止めたぞ、レン。

 シメオン、お前の次は俺な。


「だが待ってくれ。提案者の俺に先に行かしてくれよ、兄弟」


 フョードルは口角を上げ、満面の笑みで親指を立てる。


「しょうがないな」


「フョードル、早く乗れ」


 シメオンが促す。フョードルがシメオンの肩に足で乗り、壁に体重を分散させて器用にも姿勢を保っている。

 そして、シメオンも立ち上がる。しかし、フョードルはその壁の向こうを拝むことは出来なかった。高さが全然足りない。


「ダメだ。最低でもここにいるやつらみんなで肩車をしないと壁の向こうは見えねぇ」


 フョードルがシメオンの肩から飛び降りて言う。

 くそ。

 ここまで来たらやけだ。最後まで付き合うしかない。

 下からシメオン、ノウト、レン、フョードルの順番で肩車をする。

 意外と出来るもんだな。壁に手をつけば案外楽にバランスを保てる。

 上に二人も乗っかっているのに、想像よりも重くはなかった。それでも重くはあるけど。凄いのはシメオンだ。バランスを取りつつも重みに耐えなくてはいけない。


「よし、壁に手を当てて倒れないようしろ。立ち上がるぞ」


 シメオンの合図で彼が立ち上がる。

 そんな時だった。


「貴様らぁ! そこで何をしてる!?」


「うおっ!?」


 ジークヴァルトの怒号が宿中に響き渡る。

 もしかしたら城下町中にも響いたかもしれない、そんなレベルの声量だった。


 木製の壁の向こうから戸惑いの声が聞こえる。


「え? なになに」


「ジークどうした!? なんかあったの!?」


 リアの声、次はおそらくフョードルのパーティにいた赤髪の少女、レティシアの声だろう。


 やばい。倒れる。何とか体制を保つ。ここで倒れたら最悪頭を打って死ねる。ジークヴァルトの方を確認する。

 彼は走ってこっちに向かっていた。

 その勢いだと俺たちにぶつからないか?

 そう思っていた矢先、ジークヴァルトは両膝を折り畳んでジャンプ。

 そしてその両足を一番下にいるシメオンの背中に向かって突き出そうとする。


「せりゃッ!」


 ドロップキックだ。


 しかし、何を思ったのかシメオンはそれを躱そうとした。

 それが終わりの始まりだった。

 シメオンはジークヴァルトのドロップキックを避けることには成功したがバランスを保ち続けることは出来なかった。

 ドロップキックは見事、壁に命中。


「っ!?」


 姿勢を崩した四人は意図せず壁に全ての体重をかける。


『うわあぁああ゛あああ!』


 障壁は破壊された。


『きゃああああああ!!』


 女性陣の悲鳴。


 ばっしゃあああん。


 水に打ち付けられる音。


 いったた。死ななくて良かった。上手く湯に飛び込んで衝撃は和らげた。


 ん? ……湯?

 それはどっちの─────


 顔を無意識に上げるとすぐそこにはリアやシャルロット、フウカ、セルカ、レティシアの姿が。

 女性陣一同が立ってた。

 タオルで身体を隠そうとはしていたが、なにぶんタオルの面積が小さいので見えるようで見えない、というか見えないようで見える。そんな感じだった。

 リアと目が合う。


「や、やあ」


 リアは泡を食った顔でこちらを見下ろしていた。


「……っっ!」


 すると、その隣に立っていたレティシアが殺意の篭もった眼でこちらを見下し、手を翳す。


 その瞬間、とてつもない熱さを感じ、視界が赤く染った。


 熱い熱い熱い熱い。いや、熱いじゃなくて痛いかもしれない。


 これは絶対に湯の熱さじゃない。


 もっと別の。


 炎だ。炎。

 突然、炎が巻き起こった。


 血と肉の焼ける匂いがする。これは誰の匂い? みんなの? いや、俺の?


 いや痛過ぎてもう。熱くて痛い。呼吸が出来ない。


 あっこれ死ぬやつだ。


 そう悟った直後に意識を失った。

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