第17話

 成人前の幼い少年が、『解呪ディスペル』なんていう高位の魔術を使おうとしていることにも驚きを隠せないが、それよりも僕の魔力を求められたこの状況をどうするか……


「どうしたんですか先輩?」


 少し離れた場所で待機してもらっていたリノが声をかけてくる。よし、おかげで勢いに流されることは無くなりそうだ。


「この子が『解呪』を使えるって言うんだけど、魔力が足りないらしくてね。魔力を分けてくれないかって頼まれたんだよ、そうだよな?」


「はい! このお兄さんなら優しそうだし、保有している魔力の量も多そうだったのでお願いしてました!」


 保有魔力を見れるのか……いや、だからと言ってこの少年がそうであるとはまだ確定できない。魔力を見る目には『魔導眼ウィザードアイ』と呼ばれる魔眼が有名だが、これは先天的な例もあれば、長い時を過ごした魔術師の目に宿るなど後天的な例もある。つまり、魔術に多少の心得さえあればまだ幼い人間の少年でもおかしいことではない。

 リノとの一瞬のアイコンタクトで、マリファさんがどこにいるのかもわかった。多分、もしもの時に備えて準備をしているんだろう。

 さて、どうするか……まずこの少年の目的が本当にゴーレムに付与されている術式の解除なら、協力するのもやぶさかではない。でも、この旅は僕一人の判断で行動してリノを危険にさらすわけにはいかない。もう少し様子を見るべきだ。

 そんな僕の意図を読み取ってくれたのか、リノが少年に話しかける。


「そうなのかぁ、君くらいの男の子で『解呪』の魔術を使えるなんてすごいな~! もしよかったら、お姉さんに『解呪』の術式見せてくれないかな?」


 そう言って、リノはペンと紙を少年に手渡した。

 できれば書けないでいてくれると嬉しいが……


「できました!」


「どれどれ~……すごいね~完璧だよ!」


 リノは少年の頭を撫でている。だが顔は僕の方を向き、その術式が正しいと首肯した。

 支援魔術の専門であるリノが言うのなら、間違いないのだろう。

 そもそも、リノも『解呪』の魔術を使うことができるが、このゴーレムにかけられた術式を解除しようとはしない。それは『解呪』という魔術が、習得するよりも使用する難度の方が遥かに高いからだ。

 決してリノの力量を低く見ているわけでは無い。だが、術式を解除するには『解呪』の術式を完璧に覚えているだけでなく、解除する方の術式もまた完璧に理解していなければならない。

 熟練者ともなれば飛んでくる『炎球ファイヤーボール』だろうと一瞬で術式を解析し解除することができるらしいが、それはあくまでも熟練者の話だ。彼女にはまだ実戦経験が足りていない。

 『解呪』の魔術の一般的な使い方は、魔術が原因の状態異常やダンジョンなどのトラップの解除……それすらも、かけられた術式を解析し、完全に理解しなければならないから難しい。そして、古代のモノになればなるほど難化する傾向にある。

 そして、今回のターゲットは古代の遺産の代表格でもあるゴーレムだ。物質で体を構築し、使用者の命令に忠実に従い、体を人のように動かすことができる。……いったい、どれほどの術式が詰め込まれているのか……


「お姉ちゃん、ちょっと見ててねー!」


 やはり、ゴーレムの術式を解除するなんて誰にも不可能だと僕の中で結論を出そうとした時だった。上機嫌な少年が無邪気な笑顔を浮かべてゴーレムに右手を触れる。

 まさか……! 脳が焼き切れるぞ!?


「『解呪ディスペル』!」


 少年が始動語を唱えた。魔術には始動語を口にする詠唱式と、始動語を省略する無詠唱式があるのだが……まずい、動揺しているせいか意識が他方にそれてしまう。まさか本当に、解呪してしまうとは……


 少年がゴーレムに触れた右手から、少しづつ少年の魔力が広がっていく。赤ん坊くらいの大きさまで広がった魔力の波はそこで止まってしまったが、その場所はボロボロと崩れていた。

 大人が殴ってもびくともしなかったゴーレムが崩れ始めていることに周囲の野次馬は興味を示したようで、少年を取り囲み始める。


「凄いな坊主! おい、こいつは一体どうやったんだ?」


「ねえねえ! 君ならこのゴーレムを片付けることができるの!? お願い! 今日中にはどうしても帝国に行かなきゃならないの! もう少し頑張ってくれない?」


「おい見ろよ! 本当にゴーレムの一部が崩れてるぞ! やったのはあのガキだ! お~い、金なら払うから早くやってくれぇ~」


 周囲がやんややんやと囃し立てるが、少年は魔力の限界が来ているのか肩で息をしていた。

 その少年の様子に気づいたのか、先ほどどうしても今日中に帝国に行かなければならないと言っていた女剣士が少年を気遣う様子を見せた。


「大丈夫? ごめんね、さっきはああいったけど無理しなくていいよ?」


「はあ、はあ……いえ、大丈夫です。これは、魔力が足りないだけなので、魔力を分けてもらえればすぐに全てのゴーレムを解呪できます」


「そっか、ねえあんた。さっきこの子に魔力を分けてくれないかって頼まれてたでしょ? 分けてあげたら?」


 その女剣士が僕の方を向いてそう言った。周囲の野次馬の視線も今は僕に向いている。


「そうだぞ! こんな小さい子がこれだけ頑張ってるんだから、あんたも少しくらい協力したらどうなんだ!」


 どっかの大男がそう叫ぶ。

 その言葉、そっくりそのままお返ししたい。だが、その言葉を皮切りにして周囲も、僕に協力しろよという半ば罵声交じりの言葉を投げつけ始めた。

 リノとマリファさんは火消ししようとしてくれているが、流石にこの大人数相手となれば焼け石に水だ。

 ……ここまでが全て計算通りだとしたら、大したものだ。


「……女剣士さん。貴女は魔力を分けてあげないんですか?」


 せめてもの抵抗として、僕に一番初めに協力を促してきた女剣士にそう語りかける。


「い、いや、アタシは魔力そんなにないし、だからもしもの時のためにとっておきたいから……その……」


 彼女もまさかこんな空気になるとは思ってもいなかったのか、若干オロオロしていて気の毒だったが、まあ、自業自得だと納得してくれ。


「義足のキミ! 早くその少年に魔力を分けてあげたまえ! キミ一人だけの都合じゃないんだぞ!」


「貴方はどうなんですか、魔術師様。僕と一緒に、あの子に魔力を分けてあげませんか?」


「えっ、私は、だな……その……そ、そもそも! あの少年から頼まれたのはキミではないか! 私は最初から話を聞いていたぞ!?」


 魔術師の青年は狼狽したが、すぐに開き直った。僕一人だけの都合じゃないってことは、貴方一人だけの都合ってわけでも無いんですよ、と指摘しようとしたがやめた。

 こんなことをしても無駄だし、それにこれはただの八つ当たりだ。

 大人数で寄ってたかって、間違った意見でも正当化しようとして、一人の意見や考えを踏み潰す。求められるのは同調のみ……思い返せば、王都でもこんな経験がたくさんあった気がする。あの時は耐えてそのまま従って、波風を立てないようにすることが一番だと思ってたけど……今は、どうしてこんなにイラついているんだろう。

 僕の心が荒んだのか? いや、騎士を辞めてからの日々は本当に充実していて、リノと旅をする日々に、僕は幸せを感じていた。

 なのに、なんでこんなに……この場の空気が……嫌なんだろうな。


「「「「……」」」」


 あれ? 急に静かになったな……? まぁ、うるさいよりいい。

 それ以上僕は何も喋らず、表情も変えず、少年に手を差し出した。


「……これでいいか」


「はい、ありがとうございます!」


 周りがそんな状況でも、この少年は元気に笑顔で僕にお辞儀をした。

 ……また、違和感を感じる。


 少年は僕の手を取り、小さく何かを呟く。


「『吸収アブソープ』」


 少年が始動語を口にすると、握られた手から魔力が抜け出ていくのを感じる。その勢いはかなり、速い。

 残魔力量が体感で九割……八割……七割……六割……五割……四割……を過ぎたあたりで僕はソイツの手を振りほどき、武器の使用が禁じられたこの場所で剣を抜いていた。


「先輩?!」


「ディヴァイン! ここでの武器の使用は禁じられているぞ!?」


 その二人の言葉に反応して、静かになっていた野次馬も口々に僕を非難し始める。だが、すまないな……


「それ、脚を失ってからじゃ遅いですよ?」


 僕の言った言葉に、リノとマリファさんはピタッと固まった。野次馬の中でも、僕の義足に気づいたものはその勢いを弱めている。


「禁じられていることを破って処罰されるなら、おとなしく処罰されましょう。……まぁそれも、僕が、ここにいる全員が生きていられたらの話ですが……」


 そこまで言って、僕はソイツの方を見る。僕に腕を振り払われた状態から動いてはいなかったが、口元だけは不気味に笑っていた。


「おかしな真似はするなよ? 俺が与えた魔力だ。『解呪』の魔術を使え、そうすれば何も……」


「『解呪』ですね? わかりました……はい、どうぞ」


「なっ!?」


 急に視界が下がった。

 橋に穴でも開けられて落とされたのかと思ったが違うらしい。地面も、義足もちゃんとあった。

 なら、奴が解呪したのは……!


「義足の歩行補正の術式か……!」


「ご名答! 脚を失ったとはいえ、君の剣技は脅威ですから……ゼロ・ディヴァイン殿」


 ソイツは俺の名前を知っていた。そして、俺の実力も……

 俺は剣を杖にしながら、片膝で立つ。


「お前は、誰だ?」


「私が誰か、ですか……そうですよね、失礼しました。こんな皮をかぶったままだなんて、失礼にもほどがありました」


 そう言うと、少年だった体をビリビリと破くようにして……中からは、執事服? のようなものを着込んだ老紳士が現れた。

 誰かの息を呑む声が聞こえる。


「いかがだったでしょうか? 演技力と変装には、あまり自身が無かったのですが……」


「……王都の劇場でも通用するレベルだったよ」


「ほっほっほ! それはそれは、お世辞でも嬉しいものですね」


 そいつは楽しそうに笑った。本当に心の底から楽しそうに……


「ゼロさんとはいつかお茶をしてみたかったのですが……残念です。私は、貴方を殺さなくてなりませんので」


 表情は笑顔のままだった。でも、ソイツからは猛烈な悪意と殺意が発せられている。

 後ろで何かが倒れるような音がしたから、きっと誰かが倒れたのだろう。本当の強者と出会ってしまった時、人種や種族問わず、全ての生物はプレッシャーに耐え切れず、逃げることすらできない。

 だから、武器を取り戦うことを生業とする傭兵が一番重要にしているのは、委縮してしまわないための精神力だったりする。


「俺を殺す目的はなんだ。ただ殺すことだけが目的じゃないだろ?」


 殺すと言っている相手にこの質問は無意味だと分かっているが、せめてもの時間稼ぎだ。


「これから死ぬ貴方に言っても無駄だと思いますが……まぁいいでしょう。貴方を殺害する目的は……いずれ、この地に再び降臨なさる魔王様の露払いをするためです!」


「魔王って、魔王は二十七年前に……」


「ええ、忌々しきあなたのお父様の手によって討たれました。しかし! 魔王様は甦るのです! 我々はついに! 死者の蘇生法を編み出した!!」


 人は昔から不老や不死と言ったものを求め続けていた。人間も、薬学と魔術を発展させて求めてきた。

 それならば、錬金術師たちが似たような死者の蘇生という夢を追いかけていても不思議ではないのかもしれない。だが、それはあくまでも夢の筈だ。理想の筈だ。それを追い求める過程で新たな発見があり、結局は至ることができない……


「金を生み出す研究など、我々には何の意味も無かった。魔王様あっての錬金術だったのだ!」


 そう叫ぶソイツの声は悲痛で……だが、すぐに愉悦に変わる。


「短いようで長かった二十七年間だが……復讐の時は近い。ならば、魔王様が降臨なさる前に、英雄の芽を摘んでおかなければならないと思うのは当然でしょう?」


 パチン! とソイツが鳴らした指に反応するように、五体のゴーレムが動き出す。

 ソイツはまるで本当の執事のように礼をしていた。


「申し遅れました。私、魔王様の元執事を務めておりましたセシルと申します。名前は憶えていただくて結構ですよ」


「そうかい、なら、俺も名乗ろう。王都騎士団の元一等騎士だったゼロ・ディヴァインだ。もう既に知っていたみたいだが、忘れてもいい」


「ほっほっほ! 立てもしないのに、よくそんな口がきけますね! その胆力は流石英雄の息子と言ったところでしょうか……ふむ、喋り過ぎましたね。ではいかせていただきますよ。やれ、ゴーレム!」


「『防壁プロテクト』!」


 振り下ろされたゴーレムの巨腕が、透明な防壁によって阻まれる。

 この魔術は、マリファさんのものだ。


「『歩行支援』!」


 続いて、駆け寄ってきたリノが、僕の義足に支援魔術を付与してくれる。うん、もう立てる。


「私は魔導技師ではないので、今施した『歩行支援』の魔術にも時間制限がありますし、オリジナルなので効果のほどはわかりません」


 なるほど、確かに歩行支援という魔術は初めて聞いた。


「もしかして、こういうことも予測してた?」


「はい、お母様が、こういう場合にも対応できるようにした方が良いと」


 なるほど、こそこそと何かやっていたのはこういうことだったのか、別に教えてくれても良かったのに……


「ありがとう、助かった。それじゃあ、リノはまた引き続きサポートに回ってくれ」


「わかりました!」


 リノは本当に頼もしくなった。いや、元からこういった場面では動くことができていたっけな。


「ディヴァイン! ぼーっとするな! そろそろ防壁が切れるぞ!?」


 マリファさんが杖を構えながら絶叫する。

 ゴーレムは力を弱めることなく押し続けているから、まあ、当然か。

 俺は零を構える。

 剣は上段に、間合いを図り、気を読む。マリファさんの防壁のおかげで心置きなく準備をすることができた。


「おい! なにして! 早く逃げ! くっ!? 破れる!!」


 ゴーレムの巨腕が防壁を砕き、僕に振り下ろしてくる力も利用する。


「久遠の剣―——五の剣『刃の極地』」


 迫りくるゴーレムの巨腕に零を当てると、何の抵抗も無く切り裂くことができた。

 ああ、これってもしかして……

 僕は、この戦いが意外と早く決着がつくことを予感した。

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