第15話   同乗者メル

 お客さん用の車両内がどのようになっているのか、セシリアは知らない。しかし従業員用の椅子よりはキレイで豪華なのだろうなぁと想像してしまうほどに、最後尾の車内は地味であった。


(季節の落ち葉より暗めな色彩ね……。まあ、従業員さん用のスタッフルームみたいなもんだし、こんなもんか)


 鮮やかな色彩にすると、日焼けなどで色落ちしたときに、塗り直したり、新しい布に張り替えたりしなければならない。その分の費用を考えたら、どうしても地味になってしまうのは、致し方ない。わかってはいても、セシリアはたまに、お客さんが見ている景色の方が美しいような気がして、羨ましくなってしまうことがある。


 車内をざっと見てみると、座っているスタッフさんは、たったの三人だけだった。


(わたしも座ろう。遅れないように緊張して歩いてたせいか、体がガチガチだわ)


 初めての列車。切符に記された座席へと、そろりそろりと歩いてゆく。座席の上部には、荷物を置く棚があり、セシリアは鞄を置こうか迷った末に、不安なのでそのまま持っていることにした。


 初めてだらけで、この座席が固いのか、それとも、どこもこんな感じなのかも、わからない。


 窓から外を眺めてみると、売店の売り子が商品の入ったケースを首から下げて、列車から下りてきたお客さんたちに売っていた。サンドイッチや、お土産クッキーの入った小袋などが売れている。


(列車の窓から外を見ると、こんな感じなんだ……なんだか、目線が高くなってて、変な感じね)


 セシリアは窓からの景色に熱中するあまりに、おでこをガラスに押し付けていた。その窓が、グイと斜めに動く。


「きゃあ! なに!?」


 窓が枠から外れてしまったのかと大慌てで離れるセシリア。やがて、窓の作りが回転式で開く仕掛けになっていると気づいて、おそるおそる、片手で押し開けてみた。


「ああ、窓、開くんだ……あんまり大きくは開かないけど」


「窓が開くのは、従業員用の車両だけなんだよ」


 聞き覚えのある優しい声に、セシリアは驚いた。慌てて立ち上がり、三人いるスタッフたちを見渡した。


「メル!」


「はーい」


 座席に座って、笑顔で片手を振っていたのは、美しい銀髪とミステリアスな紫色の瞳を、窓からの斜光で輝かせるメルだった。


 セシリアがすぐに気がつけなかったのは、小柄な彼が、前の座席の背もたれに隠れていたからだった。


「おはよう、セシリア。元気だった?」


 立ち上がる彼に、セシリアも歩み寄った。ちょうど列車がゆっくりと動き出して、よろけたセシリアの片腕を、メルが素早く手を伸ばして補助した。


「あ、ありがとう、メル」


「どういたしまして。こんなところで会うなんて奇遇だね〜。びっくりしたよ。どこまで行くの?」


「最北の終点まで。廃墟になってる劇場に、団長から呼び出されちゃったの」


「あ、となり、座る? 全席指定席だけど、まだ誰も乗ってこないみたいだから、自由に座っちゃお」


 そう言って、メルは窓際に詰めて座った。


「ええ? いいのかしら……じゃあ、次の駅まで、座らせてもらうわね」


 セシリアはおどおどしながらも、メルの隣に腰を下ろした。列車に乗るのが初めてで、勝手にこんなことをして良いのかと戸惑ってしまう。


「それで、セシリアは団長から呼び出されたんだって? 大変だねぇ」


「そうなのよ。いったい、どんな用事で呼び出されたのか、全然わかんないのよね。団長からの手紙が来たんだけど、具体的な内容は、何も書かれてなくて。とにかく行ってみるしかないの」


 セシリアは鞄から手紙を取り出して、広げてメルに見せた。


 受け取るメルの指先は、多忙に働いているとは思えないほど美しくて、すらりと長かった。両手で丁寧に広げ直して、黙読する。


「ふふ、スクイギー団長の字はきれいだね。独特なクセのある達筆なのに、こんなに読みやすいのも珍しいよ」


 メルは間近で見ると、恐ろしいくらい顔立ちが整っていて、丸みをおびた形の良い目と、うっすら上気するほっぺたの色合い、微笑む口角の角度まで、きっちりと左右対称であった。

 髪の質がやたら太くサラサラしており、日光が差し込んだ辺りがメタリックに輝いている。紫色の両目は、たまたま日の光でそのように見える錯覚が起こっているのか、ピカピカと点滅して見えた。


(……わたし、疲れてるのかしら?)


 思えば、セシリアはこんなに間近でメルのそばに近づいたことがなかった。彼女の地元では見かけたことがない特徴を持つ彼に、知らずのうちに偏見を抱いていたのかもしれないと、セシリアは反省し、全ては気のせいであり、こういう髪質の人も世の中にはたくさんいるのだと納得することにした。


「メルは、何をしに列車に?」


「ん〜? 衣装の生地をね、買いに行った帰り〜」


 メルが頭上を指さして、セシリアの視線の先を導いた。荷物を置く棚の上に、生地をくるくると巻いた筒状の荷物が五本、大きな手提げ鞄から飛び出していた。


「南側のお店まで行ってきたんだ。伸縮性の高い生地が手に入ったよ」


「メルは、衣装係なんですってね」


「うん。寸法や体重を計るのも仕事だよ。役作りのために、太ったり痩せたり、ムキムキに鍛えちゃう役者さんもいるからね」


「太ったり、痩せたり……? そんなことしなくても、最初からその役にぴったりな体型の役者さんに、任せればいいのに」


「どうしても、この役がやりたいって役者さんもいるんだよ。ロビンなんて、黒色の服じゃないとムキムキなのが目立っちゃうんだ」


「ムキムキだったの!? すらっとした細身に見えたわ」


「剣を振り回す腕だよ? 筋肉でパンパンに張ってるよ」


 ロビンの話をするメルは、楽しそうに目を細めていた。しばらくロビンの話は続き、セシリアは舞台の裏側を学んだ。


「セシリアは、最近どう? 原稿」


「あら? わたしが原稿を書いてること、あなたに話したかしら」


「少し前に団長と話す機会があってね、そのときに聞いたんだ。セシリアが、すっごくがんばってる、って。それで、原稿は採用されそう?」


「あ、うーん、たぶんなんだけど、今回の団長からの呼び出しの件、もしかしたら、原稿について言われるかもしれないの。まだなんにも確証はないんだけど、この前、大作を書いて団長に送ったばっかりなんだ」


「へえ! どんなお話を書いたの?」


 純粋な表情で尋ねられて、セシリアは、思わず顔が引きつった。現実にいる人をそのままモデルにして、書いてしまった原稿……しかも、物語の主人公の一人が今、目の前にいる。


(わたしったら、なんてことを……勝手に物語の主人公にされたら、わたしだったら不愉快だわ。それがどんなにステキなハッピーエンドでも、勝手に異国の王子様とキスして幸せな結婚なんて、したくないわ)


 だからって、とっさに壮大なウソをついてメルを楽しませるなんてこと、できない。窓の景色が矢のように家々の屋根を飛ばして見せる、それがセシリアに、いたずらに時間だけが過ぎてゆくのを視覚的に強調して思えた。


 メルの表情が、苦笑に変わる。


「言えない感じ?」


「……ええ、いえ、そんなことは、ないんだけど」


「なになに? 僕がモデルとか?」


 ぎょっとするセシリアに、メルは綺麗な目を不思議そうにパチクリさせた。


「どうしたの?」


「えっと……怒らない?」


「うん、きみが僕を悪者にして書き上げたんじゃないんならね」


 まるで、絶対にそうであると確信しているかのような笑顔だった。


 つられてセシリアも、少し困った顔で笑えた。


「ふふ、あなたは主人公の一人なのよ。ロビンさんと一緒に、この国を旅しながら冒険するお話なの」


「ええ? サーカス国なんて知り尽くしてる僕とロビンが、旅ぃ? どうしてそんな展開になっちゃうの?」


 わくわくしたように輝く紫の瞳に、セシリアは迷った末、とりあえず物語の始まりの部分だけを話してみた。ダンスの練習場の裏で一人、思い悩むロビン。そこへたくさんの洗濯物を抱えてメルがやって来る。パン屋の新作を食べる約束をする二人。メルの誘いにロビンがこっそり感謝するシーン。原稿に描ききれなかった景色や風の向き、近場の売店から漂うチュロスの匂いに、日差しの差し込む角度まで、細かく伝えた。


 話し終わる頃には、窓から見える景色に、だんだんと大きな建物が目立つようになっていた。


「どうして知ってるの? すごーい!」


 メルは目を丸くして、そう言った。


 セシリアは言われた意味がよくわからなくて、面食らった。


「え? な、なにが?」


「今度ロビンと、新作のパン屋さんでお茶する予定があるんだ。ロビンは根を詰め過ぎちゃう気質で、誰かが休憩に誘ってあげないと、絶対に休まないんだよね。何か悩んでても、誰にも相談しないし。今度のお茶する機会に、聞き出してみるつもりなんだ」


「そ、そうだったの」


「うん。ロビンと約束した場所も、ダンスの練習場の裏だったんだよ。僕はタオルとか、汚れ物の洗濯を請け負ってた。ちょうどランドリーが混んじゃってて、待たされたな〜。混むときは本当に混むんだよね」


 メルとロビンが約束を交わした景色が、そのまんまセシリアの原稿の通りなのだと言う。


 すごい偶然だと思った。


「ねえメル、ロビンさんが虚言の剣を持っていたけれど、まだ持ってるの?」


「うん、ずっと持ってるよ」


「食堂にまで持参してたわよね。それは、どうしてなの?」


「ああ、とっても大事な物だから、失くしたくないんだってさ」


 セシリアには、誰にも盗られないように用心しているふうに聞こえた。


「あの剣は照明の色をよく映すんだ。照明の色次第で、いろんな色に変化するんだよ。ロビンのお気に入りの小道具なんだ。次の舞台にも使うんだって」


「団長が、返してほしがってたけれど」


「ああ、うん、あの二人はよく剣のことで揉めるんだ。危ないから大事にしまって保管しておきたい団長と、キレイだから舞台に使いたいロビン、二人の意見はいっつも合わないんだよ」


「ふぅん……そうだったの」


 メルとロビンが二本の剣を持って、魔王オズを倒す展開は、話せなかった。


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