第8話 春の宮島
今日の部室は、どことなく雰囲気が違う。
放課後に一番乗りした若葉は、部室の社会科室をぐるりと見渡す。
いつもの部室と違うもの。それは教室の隅に掲げられた、タペストリー状の中国地方の地図だった。
そこに多々良が、威勢よくドアを開けてやってきた。
「多々良先輩、これって授業で使った片付け忘れですかね?」
「何を言ってるんだね、チミは。先輩の温かい心遣いがわからないのかね?」
「いえ、全然わかんないです……」
さらに六実と阿左美も続けてやってきた。
部員全員が勢揃いしたところで、多々良がいつもの時刻表を片手に、今日の予定を伝える。
「今日はのぞみ33号よ。新神戸発十五時十八分、博多行き」
「お、いよいよ終点? 多々良」
「うーん、博多まで行くと下校時刻過ぎちゃうね。広島までにしとこうか」
いつものように時間に合わせて、椅子を並べた新幹線に乗り込み出発進行。社会科室ののぞみ33号は、定刻通りに新神戸駅のホームを離れた……ことになっている。
落ち着いたところで若葉は、さっき中断された件を多々良に繰り返し尋ねてみた。
「そう言えば多々良先輩。あの地図が心遣いって、どういうことですか?」
若葉が指差した中国地方の地図に、他の三人の視線が集まる。
そしてその質問に答えたのは、多々良じゃなくて六実だった。
「ははーん、そういうことね。多々良は昔ね、広島県と岡山県がどっちが手前かいつも間違えてたのよ。っていうか、ひょっとして今も自信がなくて、後輩の前で間違えないように掲げてたり?」
そう言ってニヤニヤと多々良を見つめる六実。普段の腹いせだというのを、ヒシヒシと感じる。
一方、珍しく耳まで真っ赤にして押し黙る多々良。どうやら図星だったらしい。
せっかくの機会なので、若葉も六実に加勢して多々良を煽ることにした。
「せっかくの心遣いですけど、わたしは大丈夫ですよ、多々良先輩。岡山が手前、広島が先です」
「ぐぬぬ……」
歯ぎしりしそうなほどに悔しがる多々良。そんな姿を若葉は少し可愛く思った。
けれども多々良はよほど悔しかったのか、地図の前まで駆けていくと全身を使って地図の前に立ち塞がり、悔し紛れに叫び出した。
「じゃあお前らは島根と鳥取、どっちが右でどっちが左かわかるのか!? どっちだよ、答えてみろー!」
(そりゃぁ、もちろん……どっちだっけ……?)
しばらくはふてくされていた多々良だったけれど、みんなでトランプや雑談をしているうちにそれも解消。広島駅に到着の時刻となった。
「さて、広島じゃけえ」
「毎度毎度言うのも疲れたんで、方言はもう好きにしてください、多々良先輩」
「ごめん、広島弁はよくわかんなくて、これだけ……」
「だったら、最初から言わないでもらえますか?」
さて、広島に降り立ったことになっている社会科室。
若葉は広島のことは全然わからなかったので、さっそく多々良に尋ねてみた。
「多々良先輩、広島って言うと何があるんですか?」
「広島かー、広島って言えば……。そう、あれがあるじゃないか。あれ、あれ、なんて言ったかなー。なぁ六実、なんだっけ、ほら道路を走ってる電車のこと……」
「路面電車でしょ?」
「いや、そうじゃなくてだなー。もうちょっと可愛い言い方があっただろう」
(今回の多々良先輩の悪だくみ、わかっちゃったかもしれない……)
多々良の狙いを察知した若葉。きっと、さっきの仕返しのつもりなのだろう。
興味が湧いた若葉は、六実がどう出るかを見守る。けれど六実も、それぐらいはお見通しだったらしい。
「あのね、多々良。あんたの考えてることぐらい、すぐわかるわよ。どうせ私に『チンチン電車』って言わせたかったんだろうけど……、そうは……」
「六実の『チンチン』いただきましたー!」
そう叫んでスマホを高く掲げた多々良。すぐさま、そのスマホの操作を始める。
六実の声で連呼される『チンチン』『チンチン』『チンチン』……。
それを聞いた六実は、満面の笑み……。けれども、その目は全然笑っていない。その冷酷な眼光は、「絶対殺す」とばかりに輝いていた。
「あー、はははー。冗談だよ、冗談。ほらー、消したよー。ちゃんと消したよー」
(多々良先輩でも空気読むことあるんだ……)
多々良は多々良で、棒読みの乾いた笑い声をあげながら必死に取り繕う。
今日の六実の怒りがどのランクかは若葉にはまだわからないが、かなり上位に入るだろうと察した。
そこへ、スマホの検索結果を見せながら割り込んだのは、空気を読まない阿左美だった。
「せんぱぁい、広島っていうとぉ、宮島っていうところが名所らしいですよぉ。ほらぁ、あきの宮島」
「うーん、あきの宮島かぁ……。今は春だからパスだね」
(その秋じゃないでしょ……)
多々良の返事はボケではないらしい。若葉が間違いを指摘しようとすると、先に六実がそれを正した。
「秋じゃなくて、安芸。広島の地名らしいよ。それに宮島っていうのも通称で、本当は厳島っていうみたい」
「だったら『広島の厳島』でいいじゃないかー!」
多々良が時刻表で調べたところ、山陽本線で二十五分かけて宮島口駅。その先は徒歩とフェリーだったので、所要時間はスマホで調べた。残念ながら、時刻表だけでどこにでも行けるわけではないらしい。
満潮の時は海の中、干潮の時はふもとまで辿り着ける大鳥居。
検索した厳島神社の写真の数々は、若葉たちが実際に行ってみたくなるほどに興味深かった。
「そう言えば、鳥居に石を投げて乗っかると、願いが叶うって言わない?」
「へー、そうなのかー。よく知ってるなー、六実。あたしたちもやってみよう」
話を聞くと、すぐにやりたがる多々良。
現実が見えていない多々良に、若葉は呆れながら問いかける。
「でも、多々良先輩。鳥居なんて、どこにもないですよ?」
「あれはどうだ? あれなら雰囲気近いんじゃないか?」
多々良が指差したのは、黒板の上にある校内放送のスピーカー。確かに壁から少し張り出して、確かに上に何かを載せられそうではある。
けれども所詮はスピーカー。鳥居の代わりになるはずがない。
「いやいや、あれじゃ――」
若葉は止めようとしたが、やる気満々の多々良の方が早かった。
多々良は黒板からちびたチョークを手に取り、スピーカーに向かって投げ上げる。
「えいっ! ……って。なんだ、簡単じゃないか。さぁ、みんなで願い事しよう!」
――パン、パン!
今度はスピーカーに向かって、威勢良く柏手を打つ多々良。その迅速な行動力には、若葉もついていけない。
(いや、これ鳥居じゃないから……。って、もうみんな祈ってるし……。叶うの? 願い事)
みんな多々良の勢いに押されたのか、両手を合わせて目を閉じている。
黒板の前でスピーカーに向かって拝む姿は、何か新しい宗教の儀式のようだ。
やがて各自の祈りが終わると、阿左美の質問をきっかけに願い事の発表会となった。
「せんぱぁいは、何をお願いしたんですかぁ?」
「私はみんなで、本当の旅行がしたいってお願いしたよ」
「あたしはこの同好会が正式な部として認められますように、だな」
六実の願いは納得だけど、多々良の願い事が思ったよりまともで驚く。耳を疑った若葉は、さらに深く追求してみることにした。
「多々良先輩は、どうして正式な部にしたいんですか?」
「決まってるだろう、備品としてリクライニングシートを買ってもらうためだよ」
――ああ、やっぱり多々良だなと、若葉は思った……。
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