10話目 ~夕闇の宴1 酒好きな者~

★一部、台風に関する話があります。苦手な方、不快になりそうな方はご注意ください

★日本神話と仏教関連の話が出てきます。あくまでも創作なので、信じないでください



*******



 土産物店が建ち並ぶ通りを、物珍しさから店を冷やかしつつ歩く。昔と比べて服装も髪型も、そして土産物や住宅の大きさは変わったが、この場所に住む人々の柔らかで温かい雰囲気は全く変わっていないことに安堵する。


 ――昔に比べて観光客は減ったな。


 ふと、そんなことを思う。

 前回来た時はもっと人々がたくさんいたように思うが、あの当時は激動の時代であり、心配事があれば神頼みをする者が多かった。今よりも貧富の差が大きかったことも理由のひとつだろう。

 周囲を見る限り、あの当時よりも人々の顔は明るいことから、そういった心配事はないのかもしれないが。


 土産物店の通りを抜けて脇道に入ると、住宅街になる。俺の目的地はその路地の最奥にあった。

 そのまま住宅街を抜けて最奥に到達すると、変わらずに佇む建物を眺める。

 鬱蒼と茂る森の一角に佇んだ一軒家は以前来た時となんら変わりがないことに安堵し、ここに来るのも久しぶりだなあと独り言ちる。小さく溜息をついたあとその縄暖簾をくぐり、すりガラスの嵌められた木造の扉を開けると、カランと野太い鈴が鳴った。

 マスターによるとカウベルという鈴の一種で、牛が首につけているものらしい。その野太い音に反応して中から店主たちの声と、集まっている客たちのざわめきが聞こえ始める。


「「いらっしゃいませ」」

「久しぶり」

「あら!」

「おや、お久しぶりですね。百年ぶりくらいですか?」

「もうそんなになるのか? あちこち行き過ぎたな」


 夫婦めおと神である二人に苦笑されつつ、丁寧に話されると俺も恐縮する。本来であれば、俺よりも彼らのほうが立場が上だからだ。

 だが、彼ら自身は古くからいる神だというのに俺たちあやかしを蔑むでも調伏ちょうぶくするでもなく、下界に降りてきてはこうして飯を食わせてくれる。これだけで穢れに塗れた俺たちあやかしは、さらなる闇に堕ちることなく、平常心でいられるのだ。

 まあ、その穢れも役目の程度にもよるのだが。


「お役目がありますもの。仕方ないですわ」

「そうだな」


 返事をしつつ、懐かしい店内を眺める。相変わらず人間たちが作ったものを店内に並べているようだ。

 ちなみに、この店に入れるのは役目を持っている者か彼ら自身が認めた者、不安や後悔を抱えながらも彼らに認められた人間。そして神々だけだ。

 確かに、俺たちあやかしには役目がある。嫌な役回りの時もあれば、人助けの時もある。

 それは契約だったり自分勝手だったりといろいろではあるが、基本的に神との契約に則って役目をこなしているのが、俺たちあやかしだ。とはいえ、あやかしからも堕ちて魑魅魍魎ちみもうりょう餓鬼がきに成り下がり、地獄へと落ちた奴らも少なからずいるが。


「今日は〝酒飲みの会〟ですか?」

「ああ。そうだ、役目はないか?」

「ありますよ。帰りに教えますね」

「すまぬ」


 マスターと話していると、奥のテーブルから声がかけられる。そちらを見れば、マスターが言った〝酒飲みの会〟の者たちが揃い、手を上げている。

 こっちに来いよと誘われ、彼らと一緒の席に着いた。

 マジックアワーとも逢魔が時とも言われるこの時間は、あやかし俺たちが集まり始める時間だ。この時間に働いて、日がとっぷりと暮れてから来る者もあれば、ここで飯を食ってから仕事に出かける者もいる。

 あやかしとはそんなもんだ。


「ずいぶんと久しぶりだなあ、オロチの」

「久しぶりだな、酒呑しゅてんの。役目であちこち行っていたのだ」

「終わったのか?」

「ああ」

「そうか」


 よかったなと、酒呑童子だけではなく、茨木童子いばらきどうじ天邪鬼あまのじゃく羅刹らせつ夜叉やしゃまでもがそういってくれる。その中でも異彩を放っているのが、悪路王あくろおうこと阿弖流為アテルイだ。

 彼の傍には鈴鹿御前や橋姫、女郎蜘蛛もいるが、全く相手にされていないのが笑える。阿弖流為にはれっきとした妻がいるから靡くことはないというのに、ご苦労なこった。

 そんな彼女たちを無視した阿弖流為は、俺に気づくと笑みを浮かべ、隣に座る。


「ずいぶんと久しぶりだね」

「ああ。なかなか役目が終わらなくてな……」

「それだけではあるまい?」

「……」

「沈黙は肯定と取るよ」


 ニヤリと笑った阿弖流為は、まずは一献と酒を勧めてくる。そしてそれぞれにも酌をするとお猪口を持ち上げ、全員を促す。

 いよいよ酒飲みの会の始まりだ。


「久しぶりの御仁と、久しぶりに全員揃ったことに乾杯」

『乾杯』


 お猪口を掲げて阿弖流為が音頭を取り、お猪口の中身を一気にあおる。キリリとした辛さの中に、ほのかに米の甘さが広がる。

 なかなかいい酒だった。

 どうやら願いが叶ったお礼として神社に奉納された酒をふるまってくれたようだ。今は吟醸酒が多いんだったか? 昔の酒に比べると格段によくなっていることで、つい昔を思い出してしまう。


 一番最初の役目は、頂点にいる神の弟がまっとうになるようにすることと、自信を持たせることだった。指定された土地で暴れ、その土地にいる姫を浚い、その弟に討伐されたうえで神から渡された剣をさり気なくその男に渡す、というものだった。

 その当時、確かに俺は嫌われ者である八岐大蛇ヤマタノオロチだった。好きで暴れていたわけではない、バラバラだった人間たちをひとつに纏めるための布石であり、嫌われ者になることで人間たちを導くという神々の思惑だったのだ。

 あの時は別になんとも思わなかったし、醜い自分の姿に嘆いてもいたのだ。討伐されることで醜い姿を消すことができるのであれば、神々の話にのってもいいとさえ思っていた。

 だから、上から指定されていたとある神の娘を次々に喰らい、最後に残った者が、年端もいかぬ娘だ。まあ、喰らったと見せかけ、他の神が別の場所へと移しただけなのだが。

 もちろん、彼女たちはひっそりと暮らして生きたと聞いている。

 そしてその神の娘たちの中で最後に出会った末娘が彼女――櫛名田比売クシナダヒメだった。

 とても可愛い娘だった。大人になれば、素晴らしい娘になるだろうと思っていた。

 できれば彼女と共にありたいと願ったが、彼女は元服前のわらべだ。そして俺は醜い八岐大蛇ヤマタノオロチ

 一緒にいられるはずもない。

 それでも、死ぬまでの間くらいは一緒にいられるだろうと思っていたのにそれは叶わず、櫛名田比売クシナダヒメは神の弟の髪を飾る櫛になるとともに、妻となった。


 悔しかった。

 寂しかった。

 俺以上に乱暴な男の妻になるなど、許せなかった。


 だが、これは神が俺と奴に与えた試練であり、予定調和。だから俺は、奴が用意した酒を浴びるように呑み、神々の指示に従って討伐された。

 そこに残ったのは、神が用意し、俺の尻尾に仕込まれていた神剣。天叢雲剣とも草薙剣とも呼ばれるものと、俺を斬った天羽々斬あめのはばきりだった。

 天羽々斬は俺を斬った時に天叢雲に当たり、切先が欠けたらしいが。

 そして俺は役目を終え、八つの首はそれぞれが仏法を守護する八尊の護法善神ごほうぜんしんとなった。

 ある時は仏の守護をして八部衆となり、ある時は竜神として八大竜王となり、神々から与えられた仕事をこなしていく。それが下界にいる人間たちに希望を与え、仏の世界に伝承を残し、神々の系譜とは違う仏教となって下界に伝わっていくことになったわけだ。

 それによって八部衆となった時、新たに天、龍、夜叉、乾闥婆けんだっぱ、阿修羅、迦楼羅かるら緊那羅きんなら摩睺羅伽まごからと名を与えられた。その中で俺は龍を賜り、それによりオロチとも呼ばれているわけだ。

 竜神の場合はそれぞれまた別の名前を賜ったが、俺は難陀なんだ竜王を賜る。

 いずれにせよ、神の弟によって死んだ俺は――俺たちは、神々が課した役割により仏教関連のものが多くなった。もちろん、神からの依頼もある。

 旱魃かんばつに喘いでいれば龍の姿となって雨を降らせ、仏教では護法の神として姿を見せることもしばしばだ。そんな中でも俺は、あの愛らしい姫を忘れることができなかった。

 それでも、いつしか姫を諦め、忘れ始め、今では遠い思い出となっている。

 ま、まあ「お前は幼女趣味ロリコンか?」と言われたのもあるが。

 確かに、あの当時は幼い歳で婚姻――結婚する者がいなかったわけではないが、今となっては禁忌に等しい想いだ。だからこそ、我に返ったというか縛られていたものから解き放たれたというか、そんな感情が生まれたのだから。

 きっと俺は、自身の気持ちを植え付けられ、操られていたのだろう。今の世にいう、ゲームの強制力にも似た力で。

 それを操っていたのは神々だろうとは思うが、今となってはもうわからない。


 会わなかった間、どうしていたのかと彼らの話を聞いたり俺の話をしながら、そんなことを考えていた。


「そろそろつまみを頼むか?」

「つうか、今さらかよ。先に頼んでおけよ」

「つまみより酒だろ?」

「酒に合うつまみがほしいよな」


 本当に今さらだと全員が苦笑したあと、それぞれが勝手に話し、マスターにつまみを頼む。

 昔のつまみは今ほど多くはなかった。そこは途轍もなく長い年月を使い、人間たちが食材と調理法を探し、最適解を見つけた結果だった。

 特に日本人は島国だからなのか、食に対して貪欲だ。

 毒にあたっただろう。痺れもしただろう。

 それらの経験を経て子や孫に伝え、口伝から木簡、紙へと書き加えられ、子々孫々に伝えられていった結果が、今なのだ。その伝えられてきたものを科学的に研究し、証明してみせるその気概も凄い。

 この地にない食材もあったが、年月が進むにつれて造船技術が進むと海を隔てた大陸へと渡り、そこから持ち帰ったり、逆に大陸の人間から伝わった食材もあった。いろんな食材が渡ってきたが、気候と土の関係で根付かなかったものも多い。

 根付いたものは自分たちの舌に合うよう交配を重ね、その味をより味のいいものへと追求していく。

 それらの努力が実った結果が、今に繋がるのだ。

 もちろんそれは、今も追及されている。その飽くなき挑戦と根性に、人間たちは凄いなと、素直に思ったものだ。


「お待たせいたしました。オロチ、酒のおかわりは?」

濁酒どぶろくはあるか?」

「ありますよ。今日、とてもいいのが届きまして。すぐにお持ちしますね」

「ありがとう」


 マスターが持ってきたつまみは、今や人間の世界では定番となった鶏の唐揚げとフライドポテト、枝豆とナッツ類、チョコレートだ。他にも刺身やキムチ、ジャーキーを頼んだ奴もいる。

 俺は枝豆とタコ唐、いかトンビとホヤ酢を頼んだ。それらが目の前に置かれ、同時に緑色の瓶に入った濁酒が三本置かれる。


「マスター、俺は一本しか……」

「散々無理させましたからね。そのお詫びと、しっかりとお役目をされたご褒美ですよ」

「そうか……ありがとう」


 マスターの心遣いがありがたい。確かに連続で役目を果たしてきた。その中には愚かにも神を罵倒し、傲慢に振舞う人間への天罰も含まれている。

 それはたった一人。本来であれば周囲は関係ない。

 だが、神々にとってはそれらは関係ない。周囲にも影響を与え始めてしまったが故に残酷に、そして無慈悲に愚か者の周囲を巻き込み、天罰を下すのだ。

 俺が負った役目のほとんどが、水を司る竜神としてのもの。つまり、水害がほとんどなのだ。

 関係者だけではなく、無関係な者を巻き込むが故に、穢れが発生する。

 その穢れを落とす意味でも、マスターが作った料理と神社に奉納された神酒みきを、俺たちに提供してくれている。

 それをありがたいと言わずして、なんと言うのか。


「今度は楽な役目ですから、安心してください。それが終われば、しばらく休めますよ」

「そうか……」


 マスターがそう言うのであれば、本当に楽な役目なのだろう。その後はゆっくりできるのであれば、この周囲を散策してもいい。


 ――楽しみだ。


 そんなことを考え、つまみと酒をあおった。


 そしてその帰り。


「今回の役目は、この海域にある、このふたつの台風を消してほしいのです」

「ああ……これだと連続で直撃になるのか」

「ええ。特にこの三つは悪神が作った台風ものですから」


 マスターに見せられたのは、日本列島の地図。その中でも南東に位置する領海のギリギリに、六つの台風がある。正確には、三つの台風と、台風の卵が三つだ。

 そのうち、台風がひとつと卵のふたつが自然に発生したものだが、残りであるマスターが赤ペンでバツ印を付けたものは、悪神と呼ばれる、日本に穢れと悪意をばら蒔こうとしている他国のかみの仕業だった。

 それを放置して列島まで来るようだと、非常にまずい。特に、日本列島に直撃しそうなコースにある卵のひとつと台風のひとつは、致命的だ。


「このふたつを消してください。こっちは悪神の国に直撃しますので、放置で構いません」

「……なるほど。わかった」


 マスターの言葉に、二人してニヤリと嗤う。

 確かに悪神が作った三つの台風のうち、ひとつはうまく風を操れば悪神の国に直撃するコースなのだから。

 まだ領海のギリギリ外にある台風たち。俺がその場所に行くころには、しっかりと領海内にあるだろう。

 この星に住む神々のルールのひとつである、〝他国に干渉しない〟という重要なものを破り、我が国に干渉したのだ。台風といえど、赦されることではない。

 もちろん、その悪神とて上司たる神がいるので、世界中の神が非難すれば、その悪神は神のルールに則り、消されるだろう。そもそも、悪神と名が付く通り、そいつは邪神と成り果てている。

 神々の時代だったのであれば邪神がいても問題はなかった。それすらも予定調和だからだ。

 だが、今は人間が支配する世の中だ。邪神は必要ない。


「報告はしておきますので、思う存分にどうぞ」

「ありがとう」

「いってらっしゃいませ」

「お気をつけてね」

「ああ。行ってくる」


 夫婦めおと神に見送られ、店の外に出る。すぐに龍の姿となって空へと舞い上がると、役目を負った場所へと向かう。

 すると、領海の外で悪神がギリギリと歯ぎしりをしながら、領海の境目を叩いている。つまり、神々が張った外国とつくにの悪しき者が入れない結界に引っ掛かり、中に入ることができず、悔しいのだろう。

 そんな悪神を睥睨へいげいしつつ、依頼のあった台風とその卵を消してゆく。同時に悪神が作った三つめの台風の軌道を風で修正し、大陸にある奴の国のほうへと行くよう、仕向ける。

 途中にある国も多少の被害を受けることになるが、そこはマスターがと言っているので問題ない。神々との連絡がしっかり取れていれば、自国を守護し、被害を最小限に抑えることができるのだから。

 それがわかっているのか、悪神の形相は凄まじい。


<オロチ、神気を当てておいてください。悪神の上司が引き取りに行くそうです>


 その時、マスターの声がするとともに、俺の体がマスターの神気で満たされる。咆哮と同時にマスターから授かった神気を奴に放つ。

 神気をもろに喰らった悪神は吹き飛ばされ、血を流してボロボロになった。そこに奴の上司と思しき神が現れ、奴の首をひっつかむと、俺に礼をして消えた。


「終わり、かな」


 ふぅ、と息をつくと、しばし台風の状態を見る。悪神が作ったもの以外は手心を加えるわけにはいかないので、見守るだけだ。

 少々大きくなりそうな予感がするものの、自然発生したものについてはどうにもならず、被害が予想されるのであれば、日本の神々が動くだろう。

 途中まで悪神が作った台風の様子を見つつ風で進路を整え、予定通りの進路に乗ると、その海域から離脱。日本の領海で悪さをしている外国とつくにの船に風と波を当てるというをして移動した。

 日本の漁船や、自衛隊という我が国の守護を担っている大きなふねには、海神わだつみの許可を得てから加護を与え、移動。途中で大陸の戦闘機とやらを見つけたのでこれまたし、さっさと自国に帰っていただいた。


「とりあえず、列島を一周するか」


 領海内を一周し、これといった問題もなく、マスターのところへと戻り、役目が終わったことを報告。


 昼間だったのだが……そこで、俺の伴侶となる人間の女と運命的な出会いを果たすのだが、それはまた別の話である。


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