0話目 ~胃袋を掴まれ、捉まった~

 その日、わたしは逃げていた。

 真っ白な髪と赤い目。それ故に親兄妹に気味悪いといわれ、虐げられてきた。

 ご飯もほんの少しだけ。


 そんなわたしの待遇が改善したのは、神の生贄として捧げられることが決まったから。


 今まではボロボロの着物を着せられて、家の蔵に隠されていた。

 蔵から出ることは叶わなかったけど、ボロボロだった着物が綺麗なものになり、体は毎日磨かれ、髪も綺麗に洗って梳かれた。

 最初、わたしにはなにが起きたのかわからなかった。ただ待遇が改善されたんだと嬉しかった。

 だけど、わざとなのか、あるいはわたしが蔵に閉じ込められているのを知らなかったのか、外から『山の神の生贄に……』という言葉が聞こえてしまったのだ。

 それだけで、わたしの希望は打ち砕かれた。


 この山間やまあいにある小さな村では、不作が続くと山の神に生贄を捧げる習慣があった。

 ここ数年は不作続きで、とうとう来年は税が払えなくなりそうだということで、生贄を捧げることが決まったという。


 ――どうしてわたしなの? 髪が白いから? 目が赤いから?


 その当事はアルビノなんて言葉はなかった。場所によっては神の子として大事にされるところもあると聞いたけれど、この村は逆だった。


 ――生贄なんて嫌だ! もっと生きていたい!


 唐突に、そう思った。だからわたしは出されたものをきちんと食べ、蔵の中を歩き回って体力をつける努力をした。

 生贄になるのは、来年の春。今は収穫が終わったばかりだから、あと半年ある。それまでに必ず逃げてやる――そう決めて。

 そして、逃げる機会はきっとたった一度だけ。それも人の目がある昼間じゃなくて夜。

 絶対に逃げてやる――そう決意した一月ひとつき後、その機会が訪れた。


 その日は月がなかった。そしてわたしが逃げると思っていなかったのか、蔵の扉は普段から鍵がかけられていなかったうえに、少し開いていたのだ。

 ネズミ捕りの猫が出入りしていたから、余計かもしれない。

 しかもなんの偶然か、猫がそこから出ているのを見て、扉が少し開いていると気づいたのだ!


 ――逃げるなら今だ!


 そう思ったらすぐに行動していた。隠しておいた果物や干し飯ほしいいを包み、それを腰に巻き付けてきつく縛る。

 着物は地味な色合いのものを着た。

 藁の草履を手に持って、そっと蔵から出る。すると、猫がまるでわたしを待っていたかのように、小さく「にゃあ」と鳴いた。

 空を見上げれば満天の星。月がないからよく見える。

 そして雲が少し出ていて、絶好の逃げ日和。

 猫がわたしを先導するように歩きだし、なんとなく猫のあとをついていったほうがいいような気がして、ついていく。

 すると蔵から一番近い柵に近づき、そこから出ていく猫。そのあとを追うように、小さな体を利用してそこから這い出ると、藁草履を履く。

 そして走り出した猫を追いかけ、一目散にその場から逃げだした。


 ――できるだけ遠くへ、そして捉まらないように。


 そう祈っていたのに、小さな体のわたしだと逃げる距離はたかが知れている。

 猫を追いかけて時々果物を食べ歩きしながらも休憩を挟み、どれくらいの時間逃げたのだろう……走ったことがなかったわたしは足が縺れてしまい、転んでしまったのだ。


「いたいっ」

「にゃ!?」


 転んだ拍子に足首を痛め、膝からも血が出ていた。歩こうにも痛くて歩けず、その場で蹲る。

 わたしが転んだとわかったのか、先を行っていた猫が戻ってきた。そして動けなくなってしまった私に寄り添うよう、ぴったりとくっつく。

 動けなくなって寒く感じていたから、猫のぬくもりはとてもありがたかった。


「あり、がと。あったかい、ねこちゃん」

「にゃ~」


 頭を撫でてあげると、ごろごろと喉を鳴らして目をつむる猫。色の名前はわからないけれど、違う色が三つある猫だ。

 こういうことも知りたいなあ。

 話すことはできても、文字というものを知らなかったのだ、この時のわたしは。

 猫が三毛猫というのも知らなかった。

 生き延びても知ることができるとは限らないけれど、生きていればなんとかなる――そう思った時だった。

 猫が「にゃぁん」と、わたしが聞いたことがない、甘えたような声で鳴く。そしていきなり腕を掴まれ、捉まってしまった。

 全く足音がしなくて、気づかなかった!


「いやっ! はなして!」

「大丈夫だから。俺と一緒においで」

「え……?」


 力の限り暴れようにも足が痛くてできず、腕だけでも動かそうとしたけれど、捉まれた腕はびくともしなかった。

 捉まったら連れ戻されて棒で打たれると思っていたのに、聞こえてきた声は聞いたことのない、とても優しげな男の声だ。

 男の言葉に顔を上げると左目のところに傷があり、綺麗な着物を着た人がいた。右目は長い前髪のせいで見えない。

 瞳はとても綺麗な琥珀色。


 ――怖い……だけど、懐かしい。


 唐突にそんな感情が浮かんだのだ。それに、わたしの横にいた猫がその男に甘えるよう、頭と体を擦りつけているのが見える。

 悪い人じゃないのかな……。


「さあ、行こう」

「え? ど、どこ?」

「俺の家」


 そう言った男の言葉と同時に、いきなり景色が一変する。

 今まで森の中にいたはずなのに、綺麗な建物がある場所にいたのだ。しかも、お日様が顔を出している。

 森の中を彷徨っていたから、朝が来ていたことにも気づかなかった。


「え? え? なんで?」

「それはそのうち説明するよ。さあ、ご飯にしよう」

「ごはん……。……あっ」

「ふふっ。さあ、こっちだよ」


 果物や干し飯を食べたはずなのに、ご飯という言葉に反応してお腹が鳴ってしまった。恥ずかしくて、顔が熱くなっていくのがわかる。

 そんなわたしの様子を微笑ましいとばかりに見る男はわたしを抱き上げ、建物のほうへと歩いていく。


 ――ここはどこなんだろう?


 木造の家というのはわかる。前に蔵から見えた、村長むらおさの家よりも大きい。屋根はわたしが知っているような藁葺きの屋根だけど、とても立派だった。

 柱も太くて、わたしがいた粗末な蔵よりも大きいし、とても立派。


「さあ、おいで。まずはご飯を食べよう。それからお風呂に入ろうか」

「おふろ? なあに?」

「ああ……そうか、この時代はまだお風呂ってないんだった」

「じだい?」


 男がなにを言っているのかわからない。あとで教えてあげると言われ、まずはご飯を食べなさいと膳をすすめられた。

 男と同じものがのっているけど、わたしと男ではその量が違う。きっとわたしが食べられる量を用意したのだろう。


「さあ、いただきますをして食べよう」

「い、いたらきましゅ?」

「い・た・だ・き・ま・す、だよ」

「い、た、ら、き、ま、しゅ」

「うーん……いきなりは無理か。ゆっくり覚えようね」

「あい」

「じゃあ食べよう」


 話す機会がなかったからなのか、正しい言葉が言えなかったけれど男はそれを許してくれて、一緒にご飯を食べることにした。

 困ったことに男が持っている二本の棒をどうやって使うのかわからない。だから見よう見真似で持って食べようとしたけど、うまくできない。


「うう……」

「慣れていないから仕方がないかあ。今日はスプーンとフォークを使って食べようか。お箸の練習はあとでしよう」

「ふ、ふぉ? すぷ? おは、し?」

「それも教えてあげるよ」


 にっこり笑った男がキラキラ光るものをどこからか出して、それをわたしの膳にのせる。そして手を握り、使い方を説明してくれる。


「これなら、たべる」

「だろう?」


 「さあ、お食べ」と言われ、ゆっくりご飯を食べる。村で食べたのよりも白くて、あったかくて光ってて、噛み締めたら甘い味。こんな美味しいご飯は食べたことがない!

 蔵で食べていたご飯の味なんか霞んでしまったし、食べていたのはまあるくなっているものだった。


 隣を見ると、猫も一緒にご飯を食べている。だけど、土と同じ色のものを食べていて、そんなものを食べさせて大丈夫なのかと心配になる。

 そんなわたしの視線に気づいたんだろう。男は大丈夫だと教えてくれる。


「カリカリってやつでね。これは猫用のご飯なんだ。だから、食べても大丈夫」

「かりかり……。しら、ない。わたし、たべる?」

「それはやめたほうがいいかな? 猫のご飯がなくなっちゃうから」

「あい」


 そうか、猫用のご飯なのか。

 この時のわたしは、村の外は進んでいるんだとしか思っていなかった。だけど、あとになって未来から取り寄せたと聞いて、なんて非常識な……! と思ったのは内緒。


 ご飯を食べたあと、お風呂というものに入った。入れてくれたのは女の人。

 たっぷりの温かい水がたくさん使われていた。木からとてもいい匂いがする。

 そういえば膝を擦りむいたことを思い出した途端、そこと足首が痛くなって、つい泣いてしまった。

 お風呂からあがってすぐ、女の人が説明してくれて、男が私が痛いって泣いた場所に手を当てた。すると男の手が光り、痛みがなくなったのだ!


「おお……? いたく、ない」

「気づかなくてごめんね。怪我してたんだね」

「だい、じょぶ。もう、いたい、ない」

「そうか。じゃあ、お箸持つ練習をしよう。そして文字の勉強もね」

「う?」


 男に抱き上げられて、ご飯を食べた部屋に行く。畳というところから草の匂いがして、とても落ち着く。

 それからお箸の持ち方と文字の読み方、書き方を少しずつ教わった。

 毎日時間を決めて、少しずつ。それ以外は男と一緒に家の庭を散歩したり会話したりしていた。

 そのおかげなのか、私も途切れ途切れだった話し方がきちんとしたものになった。

 正しい言葉を使えるようになった。

 一番嬉しかったのは、男が作る料理を食べられることだ。とても美味しいのだ、男が作った料理は。

 胃袋を掴まれるとはこのことなのかと、あとになって思い知った。


 そして私は成長し、今も男とずっと一緒にいる。逃げようとは思わないほど、しっかり胃袋を掴まれ愛情をもらった私。

 おい、としか呼ばれなかったわたしに、名前もくれた。男がくれた、特別な名前。

 そして彼が神様だと知った時、わたしは彼とずっと生きていくことを選択する。


 ほんの少しといえども、離れるのが嫌だった。

 「また会えるから」と言いながらも、とても寂しそうな顔をした彼。


 そんな顔をさせるくらいなら、ずっと一緒にいようと決めた。

 そんな彼と一緒に始めたのは、喫茶店。どんな料理も作れる彼がマスター兼料理人となる、落ち着いた雰囲気のお店。

 どこかで拾ってきたのか三毛猫のおたまが、白猫と黒猫を連れてきた。悪戯をすれば、しっかり猫パンチで指導する三毛猫。

 そんな姿にも癒される。

 二匹は〝しろ〟、〝くろ〟と名づけられた。


 長い――とても長い時間の中で、時には早く、時にはゆっくりと流れる時間。

 今は新たな神となる子を授かり、とても幸せだ。


「「いらっしゃいませ」」


 今日も今日とて、悩みを抱える人間が、店の暖簾をくぐる。

 悩みを持つ人間が、やり直すきっかけをつくる、特別な店。

 やり直すのも、同じ道を辿るのも、本人次第。


 慈悲はたった一度。それを生かせるかどうかは、本人次第の店。


 どこかの町にある、どこかの神社。そこは神様夫婦が経営する、人生のやり直しができる店。


 レジのところに座り、コーヒーを飲み、料理を頬張る客を見つめるのだった。



 ***



 彼女が逃げてきた村にて。

 俺は怒り心頭だった。


「さて。俺の嫁を虐げてきた自覚はあるか?」

「ひ、ひいぃぃ! お、お助け、を!」

「なぜ助けなければならない? 他の村は神の花嫁を大事に育て、しっかり神に渡したというのに……お前たちはなにをした? 蔵に閉じ込め、気味悪がって虐げただけだろう? しかも妖怪を神だと信じ、生贄に捧げようとした」

「え……よ、妖怪!? そ、それに虐げるような者はここには……」

「白い髪、赤い目。それだけ言えばわかるだろう?」

「……っ!!」


 彼女の産みの親や兄弟姉妹を見やれば、ガタガタと震えるばかりだ。村長むらおさにつぐ実力者故か、彼らの家には蔵があった。

 彼女はそこに閉じ込められていたと、俺の花嫁を探し出し、助けだした三毛猫のおたまが教えてくれた。

 そして村長むらおさは知らなかったのか、驚愕の目で見ている。


「え……? 生贄にするのは、確かにこの家の者で、女子おなごとしか……」

「その女子おなごが白髪赤目の子だったのだよ」

「な、なんてことを! 大事に育てようとしてたところを病にかかって死んだと聞かされていたから残念に思っておったのに……おぬしらは! さっさと引き取っていれば……!」

「知らないでは済まされない。調べもしなかったんだから、連帯責任だ」

「そ、そんな!」


 おたまが助け、俺が連れ帰った子ども。子どもは俺の運命の花嫁だった。

 この地域一帯を治める俺の花嫁になることが決まっていた子どもだ。

 地域ごとに必ず一人生まれるアルビノの子。地域の子が天寿を全うすると、すぐ同じ地域に次の子が生まれる。

 といっても、それはとても長い期間で、子どもによっては相手を嫌うこともある。

 だから子どものうちに神に預け、興味を持ったら結婚という形をとっていたのだ。


 アルビノの子の寿命はとても短い。そして病に弱い。

 だからこそ、神域に連れていって育てるのだ。

 花嫁になることによって寿命が伸びたり、子によっては自分で選択し、永遠に一緒にいることを決めるから。


 そんな神々の約束を破ればどうなるか――


 神罰が下るのは当たり前だ。


 人間を喰らって成長した妖怪をほふり、その穢れを村中にばら撒く。これだけで、植物も人間も生きていけない。

 外と交流することをしなかった村は、どうして植物の育ちが悪いのかわからなかった。いわゆる連作障害なのだが、交流していればわかる情報だ。

 すべては余所者を受け入れなかった村長むらおさと、住民の自業自得。


 そして神罰が下された半年後。その村の住人は散り散りになったものの、自身が余所者を受け入れなかったことが跳ね返り、彼らはその村に受け入れられることなく、道端で野たれ死んでいく。

 特に酷かったのはアルビノの子がいた家だ。

 村から出ることができず、細々と畑を耕そうとも、野菜や草の芽が出ることはなかった。

 穢れのせいで、木や草が枯れ、果物すらも採れなかった。


 ガリガリにやせ細った彼らは、最期は野生動物に血肉を食われ、墓に入れられることなく野ざらしにされた。


「あなたに言う必要はないですね」


 帰宅して、おたまと一緒に昼寝をしている子どもの頭を撫でる。


「ここから出たいならまた・・探せばいいだけですが、できれば俺と結婚して、ずっとこの屋敷にいてほしいですねぇ……」

<大丈夫にゃ。この子はきっとここにいるにゃ>

「そうだといいんですけどね」


 猫又でもあるおたまが、子どもの顔をペロペロと舐めながら俺に話しかけてくる。


 ずっと俺の側にいてほしい――


 その願いは――叶うことになる。


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