ラ・ラ・ランド 「関係を維持する」

 今回は転機を「常識」に頼ってはいけないのではないか、というお話です。


●プロット概要

1. 主人公ミアは女優になるため、何度もオーディションを受けるが失敗ばかり。


2. 友人とのパーティの帰り、ピアノの音に惹かれてクラブに入ったミアは、ピアニスト、セブに出会う。軽いBGM演奏に飽き飽きしていた彼はジャズを弾き、バイトをクビになる。彼は声をかけるミアを無視して出て行く。


3. 別のパーティでミアはセブに再会する。二人は最初の印象や、なかなか夢が叶わない焦りから互いにとげとげしく接するが、踊ったりするうちに少し心を通わせる。ミアのスマホにグレッグからの着信があり、二人は別れる。


4. ミアのバイト先のカフェに偶然セブが訪れる。セブはジャズへの情熱と、自分のジャズクラブを持つ夢を語る。彼は演技の研究と称してミアを映画に誘う。


5. ミアには付き合っているグレッグという男がいた。うっかり映画とグレッグとの夕食会のスケジュールがぶつかってしまう。夕食会で聞いた、ピアノの音色が引き金になり、ミアは夕食会を抜けだし、映画館に行く。二人はキスをする。


6. 二人は同棲をするようになった。ミアは脚本家を目指そうとする。セブはミアを経済的に支えるため、自発的に知り合いのキースのバンドに参加することにする。セブは夜の仕事が多く、二人の生活はすれ違い始める。


7. キースのバンドがメジャーになる。演奏を聴きに行ったミアはセブがジャズを演奏していないことに困惑する。


8. ミアの一人芝居の脚本が完成する。セブはサプライズパーティを用意していたが、仕事の方向性の違いからけんかになり、ミアは出て行く。


9. ミアの一人芝居。まばらな観客。セブはうっかり撮影のスケジュールが入っていて来られない。芝居が終わった後、ミアは酷評する客の声を聞いて落ち込む。帰ろうとしたところ、駆けつけたセブに会う。傷心のミアはセブを残して実家に帰る。


10. セブはミア宛ての電話を受ける。ミアの一人芝居を気に入ったプロデューサーが彼女をオーディションしたいという内容だった。バンドを脱退したセブは一人芝居の脚本に残されたヒントを元に彼女の実家に駆けつけ、失敗を恐れて怖がるミアにオーディションを受けろと言う。


11. オーディションを受けたミアは、何でもいいから自由に話せと言われ、夢を追う人の情熱を歌い、合格する。撮影所はパリ。二人は変わらぬ愛を確かめ、別れる。


12. 五年後。女優として成功したミアは別の男と結婚し、子供をもうけた。偶然入ったジャズクラブでセブに再会する。その店はセブの店だった。セブはもし自分が夢を諦めてパリについて行っていたらどうなっていたかを想いながら演奏する。


●「関係を維持する」

 お約束的な障害が三つ使われています。大事な用事に他の用事が重なってしまう(5,9)、というのがまず一つです。ただ単に、ぶつかっちゃって困った、では効果的とは言えません。決断が難しい選択にする必要があります。5はミアにとってグレッグかセブか。9はセブにとって仕事か恋人か。どの選択肢も十分重要性を表現した上で究極の選択を迫るようにしましょう。


 良い選択をする場合には困難を乗り越える描写が必要です。またその決断を促すようなキューがあることが多いです。5のピアノの音がそれです。反対に悪い選択をする場合にはそれほど努力は必要ありません。9では他のバンドメンバーの都合や、契約によって、ミアの芝居に行かないことを選択するハードルが下げられています。もちろん逆の言い方をすれば、芝居に行くという選択をするには相当高い困難を乗り越える必要があるということです。


 二つ目は相手と釣り合う自分になりたいという、内面的な足かせです。プロットを見れば明らかですが、常にどちらかが相手に対してかすかなコンプレックスを抱えています。ラスト以外に二人とも同時に成功しているという描写はありません。そうなってしまうとこの障害は機能しなくなり、結婚、ハッピーエンドで物語が終わってしまうからです。


 三つ目は多忙により会えず、孤独やストレスを募らせる、という障害です。カップルをこの状態にすれば、些細なことから相手を傷つける言葉になり、一気に関係を危機にさらすことができます(8)。上記三つはどれかが欠けると説得力が弱くなってしまうので、使う場合はセットで使いましょう。


 ところで、関係を維持するために努力しているのは常にセブだということに気づいたでしょうか。金のためにやりたくない音楽をやる(6)。パーティを用意する(8)。実家までミアを追って行く(10)。二人とも努力しなければ、関係は維持できない。制作者がこめたと思われる、このメッセージは正しいと思います。自作に活かす場合は、いつも助けられている方が勇気を出して相手を助ける、という描写を取入れて、成長を描くと良いと思います。


 さて、賛否両論があるラストシーン(12)について述べます。筆者はもちろん感情的なことを書くつもりはありません。ただ、賛否両論がある理由は、ミアの心変わりを「常識」に任せて省略してしまったところにあると思います。セブも夢を叶えたとはいっても、一介のジャズクラブの店主と売れっ子女優では釣り合わない。常識で考えれば分かるでしょ、と制作者に言われるのは「面白さ」の定義を破壊します。「人(に類するもの)が困難なことをやる」のが「面白さ」です。普通はそうなるでしょ、というような概念を入れることによって因果の繋がりを途切れさせてはいけません。この作品では、常識に任せた結果、11までの出来事が12の原因であるとは必ずしも言えなくなってしまいました。つまり11までと12は独立した別々の出来事と捉えることが可能になってしまい、これが感動を削ぐ原因になったのではと考えます。成功するにしても失敗するにしても、主人公が自分の意志で困難に立ち向かった結果、とすべきでしょう。


●「奪い取る」

 この作品の場合は、大きな夢を叶えることが「奪い取る」対象です。ミアについてはオーソドックスにきっちり描かれています。9が脚本術で言われる、ミッドポイント(最大の危機)でしょう。11でのミアの歌は感動しますね。


 対してセブの夢はどうかというと、彼は最初から突出した演奏技術があったので、ジャズクラブの店主くらいならなんとかなる「だろう」という感じで処理されてしまい、12での彼の成功に対する感動はあまりありません。この「だろう」にまた「常識」に頼ってしまっている欠点が見えています。


●「俯瞰する」

 「常識」に頼ることによって、意図せずして11までと12は因果関係の薄いイベントの羅列になってしまいました。「俯瞰する」はそのようなイベントの間に隠された意外な関係性を提示して、すべてを一気につなげる手法ですが、この作品の場合はその関係性にあたるものは「常識」です。これでは視聴者をびっくり仰天させるには、あまりにもインパクトが欠けています。


●ミュージカルという表現方法について

 アマゾンプライムのレビュー欄に興味深いものがありました。劇中で二人の歌う歌の歌詞の中に破局を匂わせるような歌詞があった、というものです。筆者はどうしても歌とドラマを無意識に切り離してしまうので気がつきませんでした。これは私が悪いのか、ミュージカルという表現方法のせいなのか、分かりません。皆さんはどうでしょうか。


●まとめ

 主人公が常識を打ち破るさまを味わうのが創作物を享受する楽しみならば、物語の展開を常識に頼ってしまうのは良くないと思います。悲劇を成立させる要件の一つに「こうなるしかなかった」というものがあります(だから「リア王」はリア王がバカすぎるから悲劇じゃないと批判する人がいます)が、それに倣って丁寧に因果を描くことを心がけたいものです。

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