第十四話 理想郷
『劇団いぬのさんぽ』が公演を再開してからしばらく『鉄の国』の観光業は安定している。
今日は公演期間の一区切りということで劇団員たちで打ち上げを開くことになった。
年中無休で公演をするわけにもいかないと、空き日は劇場を旅芸人や野良の劇団に貸し出すことにした。
屋外での公演を禁じられ劇場至上主義になった港町からはじかれた彼らは、『鉄の国』にいつくと飲食や売店を開業して観光地を盛り上げた。
観光地に酒場、宿場は必須だがその役割を旅芸人たちが担うことでドワーフたちに負担をかけずに済んだ。
一時乱れた治安も、警備の専門家であるノロブや腕っ節の強いオーヴィルの活躍で守られている。
港町の劇場では観られないような過激なパフォーマンスや幅広いテーマの作品が楽しめる場所としても話題になっている。
そんな酒場の一軒で『劇団いぬの散歩』は内々の宴会を楽しんでいた。
貸し切りの店内で団員たちはそれぞれのスタイルでくつろぐ。
一杯目を空にしたノロブが自分の演技に対する感想をイーリスに求め、ニィハがそれをニコニコとしながら眺めている。
リーンエレは相変わらず輪の外にいてアルフォンスを撫でつけていた。
「エマさんどこいったか知ってます?」
酒場のすみで一人、ジョッキを煽りながら楽器をもてあそんでいるオーヴィルにギュムベルトがたずねた。
「お母さんだろ? 知らんなぁ」
千秋楽を終えてかるく劇場の片づけをしてから酒場に移動、乾杯までは確認できたがいつの間にかいなくなっていた。
「あいつ、どこに行──」
「ただいまーっ!」
気になって探しはじめたタイミングで、なにごともなく帰ってきた。
元気の良い声に振り返るとエマはドワーフの手を引いている。
「……て、あれ?」
「えへへ、帰ろうとしてたから強引に連れてきちゃった!」
なかば力づくで酒場に引きずり込まれたのは作家名ペルペトーラ・ジオ・チンチン伯、ドワーフ娘のジーダだ。
「誰ですかこの人は、えらく馴れ馴れしいんですけど……」
「あたしはあなたのこと、よく知ってるよ!」
エマが現在の姿に実体化するまえはジーダと暮らしていた。
人間について学ぶため人間学者のドワーフに接触し、その恩返しとして一度命を落とした。
実体化が解けるとその存在は人々の記憶から抹消されてしまう──。
そのあいだの記憶に齟齬が生まれてしまうが、いくら考えても結論がでないのでいつしか考えるのをやめてしまうのだ。
もちろんジーダは忘れていて「ファン?」と、いぶかしげにたずねた。
「べつにウチの人間にファンがいてもいいだろ……」
イーリスが自分の向かいの席にジーダを手招きする。
「──見に来てくれたんだ?」
港町で一番の売れっ子作家が言ってみれば片田舎の小さい劇場に足を運んだという状況。
「里帰りのついでです……ワたしにもお酒を」
競合相手ではあるが知らない仲ではないしと席に着いた。
「ユンナは連れてこなかったの?」
「あの子はいま引っ張りだこなので」
ユンナはもともと『劇団いぬのさんぽ』の女優だったが現在は独立している。
ジーダとのコンビで有名になった彼女だが、最近は直接話す機会はほとんどなくなってしまった。
部屋にこもって劇団に配るための本を書く毎日、ユンナとの接点は稽古場に見学に行った時に挨拶をする程度だ。
「で、どうだった?」
開口一番、舞台の感想をたずねた。
売れっ子作家を相手にその話題を避ける手はない。
「実際、舞台装置は見事でした。場面転換のスムーズさには感動を覚えましたし、さすがはドワーフの装置です」
以前より舞台効果の演出に優れた劇団だが、装置の進化によって見応えが増した。
それらはエルフやドワーフの手が加わったものであり容易には真似できない。
新鮮な体験は素直に楽しめたし刺激になった。
「──しかし、相変わらず極めて退屈な自己満演出アンド脚本でしたね」
楽しめたが、相変わらずジーダの理念に反した内容だった。
彼女の目指す作劇とかけ離れていて受け入れられない。
「いいでしょ、観たいものを選択するのは客なんだから」
いつものことだが反応がかんばしくないことにイーリスはむくれた。
「港町とちがってここには選択肢なんて無いでしょう、しかも観光とセットになってる。せっかく遠出したんだからから観ていこうってそれだけです」
皆一度は観る、刺さった者だけがリピートする。
イーリスはそれでいいと思っているが、そこがジーダの認められないところだ。
劇団員たちはまた始まったといった表情。
「あのドワーフ……」
殺気立つリーンエレをギュムが「まあまあ」となだめた。
イーリスとジーダ、初対面から二人が顔を合わせるとかならずこうなる。
そして真逆の主張をする二人の縁がなぜだか切れない。
「言うほど評判悪くないもん!」
優れた舞台美術、魅力的な役者、特別な環境での鑑賞と満足度は高い。
しかし絶賛とは言いがたく、熱狂的なファンもいれば厳しい批評もあるといったところだ。
「あなたの演劇は『鉄の国』の制作の一環なんだからより観客を気持ちよくさせるべき、求められるものを提供すべきなんじゃあないですか?」
「それはボクより向いてる人がやればいい、それぞれが得意なことをやるべきだ」
「流行りに便乗しないのは怠慢ですよ」
「流行りものを見せとけば喜ぶなんてのは観客を見下してる!」
「求められたものを踏襲して超えるのが腕の見せどころでしょう!」
熱を帯びていく二人の討論に、横で気持ちよく飲んでいたノロブがつっかかる。
「やれやれ、祝いの席にきて批判ばかりとは礼儀を知らないドワーフですね」
長い稽古を経てやりきったことに満足している、そこに水をさされていい気はしない。
参戦しようとするノロブをイリーナがいさめる。
「いいんだよ、演劇の打ち上げってそういうもんだからっ、て、おまえ結構いってるな……」
「公演あとはなぜだか酒が進みます」
口を挟みはしたが機嫌は良さそうだ。
客が楽しむ一時間半のために数ヶ月の稽古を積んできた。
面白いと信じてなければやり遂げられない。
演者が「つまらないだろうな……」と思いながら取り組む公演は地獄だ。
たとえそうであっても与えられた『役』を愛して入れ込めることが役者の資質である。
演者にとって作品は半身だが観客にとってはしょせん他人、それくらいの温度差がある。
感想はすべてだが、演者がそれを受け止めるのは過酷なことだ。
イーリスはノロブを無視して話を戻す。
「いまの主流ってけっきょく記号化だろ。母親は母親っぽい発声で、少女は少女らしい発声で、色っぽい女は色っぽい声を出して喋る」
ジーダも即座に切り返す。
「説明をはぶいて観客に即座に理解させることができますからね」
これは誰なのか、いま何をしているのか、なにが言いたいのか、疑問がチラつくと作品は楽しめない。
だから平均値に寄せて表現することで、直感的に理解できるように記号化する。
「でも本当の母親も少女も色っぽい女も、そんな声だしてないじゃん」
その言葉にギュムはニィハの言っていたことを思い出す。
言葉は便利な道具だが印象を平均化させる、それは本質とかけ離れている──。
「それのなにが悪いんです。伝わりやすい分かりやすい共有しやすい、より多くの人が楽しむためにそれはもっとも必要な技術です」
ジーダは断固として譲らない。
そういう作品でなければ支援者を獲得できないという事情もあるが、万人が楽しめる作品が正解でなくてなんだというのか。
必要なのはリアルではなくリアリティ。
「──あなたの脚本はその役割を放棄しているとしか思えない」
「人間からかけ離れたキャラクターの見せる勇気や愛が切実だとは思えない、だってそれって記号化された感動じゃんか」
記号化が進むとどんどん本来の姿から乖離していって究極的には感動までもが記号化されてしまう。
それは『お約束』と呼ばれて楽しまれているが、その予定調和をはたして感動と呼べるだろうか。
「──感動や興奮も反射でしかなくなって、せっかく物語に触れても感情の機微も分からない、それが物語のためになるのかって話だよ」
「傲慢です、物語のために演劇を作ってるんですか? 観客のために作れよ!」
「観客のためなら選択肢は多い方がいいだろ!」
青という言語のない国の人にとって明るければ白、暗ければ黒で空が二色しかないように人は言語化できないものは認識できない。
それが必要だとは言わないが、空の色をそれこそ十色でも百色でも認識できるようになる手段が演劇鑑賞だとイーリスは考えている。
「──物語は未知との遭遇でありたい、発見があって欲しいんだ」
「もとめてない、余計なお世話、伝わらなかったらなんの意味もない! 過酷な現実を一時忘れるための物語でしょう、学びを与えようなんて傲慢です!」
分からなかったという感想をもたれたら、それは楽しませることに失敗したということだ。
多くを楽しませたら次の機会が与えられ、そうでなければ次は無い。
『鉄の国』という独壇場を得たイリーナにはそれが分かってない。
「──流行りものは総じてダサいですよ、地面に額を擦り付けるような行為ですからね。けれど他人の足を舐める覚悟もなく成果を得ようなんて、そんな甘えた考えで世界を変えられるわけがない」
港町での演劇は脚本に検閲が入る。
悪人は海賊か、異種族か、異国人、あるいは貧民でないといけない。
男は強く、女はか弱く、商人ギルドは良い協力者でなくてはならない。
厳密に指定されてはいないが、そうでないものは上演を禁止された。
そういう縛りのなかで評価されるものを作っている身からすると、のびのび好き放題やっているイーリスの演劇がお遊びのように見えて仕方がない。
ジーダはイーリスの反論を許さない。
「求められてないことに時間を費やすのは自慰行為と変わりませんから!」
選択肢が多い方がいい、そんな馬鹿な。
競合相手はいない方がいい。
宗教家は他教の存在を認めない。
多様性はいさかいの種でしかない。
そんなジーダの意見をノロブはよく理解できた。
「わかります、できれば同じものだけが信じられて同じものだけが売れる。それが一番平和で、儲かって、楽なんです、統制する側にとってはね」
二対一の構図になるかと身構えたが、意外にもそれはイーリスへの援護射撃。
「──しかし、ワタシは平凡な女とのセックスに時間を割くくらいなら美女のオナニーが見たいですね!」
それが助け舟になったかは微妙だがジーダはあきれはてて口をつぐんだ。
イーリスは「酔ってる?」と、ノロブをとがめた。
言葉こそ品がなかったが、それは紛れもなく劇団に対する愛着のあらわれだ。
当初は身を隠すための手段として入団し見下していたが、否定されたら腹が立つくらいには真剣に取り組んでいることがうかがえる。
驚くべき変化だった。
一歩引いて二人の口論を聞いていたオーヴィルがつぶやく。
「まさかアイツがリーンみたいになっちまうとは……」
その声をエルフの耳は聞き逃さない。
「心外よ」
イーリスが言い負かされるのに耐えられなくなりジーダを罵倒したことは確かにある。
だが一緒にされるのは納得がいかなかった。
エマはオーヴィルに小走りで近寄ってたずねる。
「なんの話しか分かった?」
イーリスとジーダの口論についてだ。
「分かってなさそうな相手をえらんだだろ……」
説明してもらいに来たわけではなく、仲間を求めて来たというわけだ。
エマは「二人とも楽しそうだね!」と笑い、オーヴィルは「そうか?」と首をひねる。
傍目には意見が合わないことで揉めているようにしか見えなかった。
「うん、ジーダが報われて良かった」
この場を楽しんでいるかはともかく、苦労する姿に寄り添ってきた身としては彼女が確固たる地位を掴んだことに安堵することができた。
もちろん傍目からは一ファンの反応にしか見えていない。
ギュムはその様子を眺めている。
──悪いやつじゃないんだよな。
「ギュムベルトさんはお酒をたしなまれないのですか?」
少年が一人になったことに気づいてニィハは声をかけた。
まだ子供といえたが酒を飲むのに年齢の制限はない、酒場の併設した娼館で働いていたこともあり飲めないわけでもない。
「飲むと眠くなったり意識が朦朧としたりするので……」
いまのギュムはどんな時間にも価値を感じている。
忘れたり、聴き逃したり、考える力が衰えたりした状態で過ごすのはもったいないと考えて酒を断っていた。
「──ニィハさんがお酒を飲んでるの珍しいですね」
「お祝いの場なので」
普段はいっさい飲まないが場の雰囲気を尊重して一杯だけ付き合っている。
それがなかなか減る様子がない。
「なんだか、いまでも夢を見ている感じです……」
ギュムはこの場にどうしようもない居心地の良さを感じていた。
入団してかれこれ二年が経つけれど、いまだに浮き足立っている。
尊敬する人々に囲まれて、努力のしがいがあり、成長を実感できる。
だから苦労を苦労とも感じない。
どうしようもなく楽しく過ごしているだけで、人々から好かれ感謝までされる。
こんなものはもう理想郷としか言いようがない。
娼館で働いていた時期の労働は食うためだけのものだった。
成果を上げても褒められることはなくミスをすれば罵声をあびせられた──。
そんな毎日が死ぬまでつづく、それが人生なんだと思っていた。
野垂れ死なないだけ恵まれていると、それ以上を望む気も起きなかった。
仕事が終わったときにあるのは開放感だけだと思っていたのに、公演期間の終わりには名残惜しさしかない。
そして新しい演目が待ち遠しい。
こんな楽しいだけの毎日がおとずれるだなんて思いもしなかった。
ニィハがたずねる。
「いい夢です?」
生きていて良かったし、産まれてきて良かった──。
「母親を尊敬したりする気にはなれないけど、感謝はできるようになりました」
ニィハに言われてエマの見かたをかえて付き合った。
彼女はいまも他人の成功を喜んでいる。
そんな姿を見ることで悪人や敵ではないということが理解できた。
この過酷な現実できっと上手くやれなかっただけ、憎むほどのことじゃない。
「いまの自分があるのはアイツのおかげでもありますからね」
そう考えられるようになった。
「それは良かったですね」
ギュムははじめての打ち上げのことを思い出す。
皆が酔いつぶれたあとニィハと二人きりで片付けをして、はじめて恋の告白をした。
成就こそしなかったが、先のことは考えてもいなかったから気持ちを伝えたことで満足できた。
彼女が平穏でいてくれたらそれでいい。
「助言をしてくれてありがとうございました」
母親への嫌悪を払拭できたことを感謝し、同時に言葉の使い方について指摘されたことを思い出す。
「──あ、軽々しい感謝の言葉は嫌いでしたっけ?」
ギュムが申し訳なさそうに確認するとニィハはほほ笑む。
「本心からでた言葉は大好きです、ありがとう」
彼女のいる場所は色褪せない理想の景色だ。
幸せすぎていまがピークだなんて考えもしない。
永遠にここで過ごしていたいし、そのためならなんだってできると思っている。
しかし、それを許さないのが時間という概念であり、人間という存在だった──。
千年後の誰かを救うための物語 河童デルタ @ak610
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