◢終幕 完全勝利


――おれは、どうしたらいい?


帝国軍とメディレインの衝突は甚大な損害を産むだろう。戦死者が続出しその家族の人生を破壊し、レイン自身も破滅する。


意思疎通が可能だった唯一の場面で、ラドルは彼女を説得することができなかった。

かと言って、他の誰とて彼女を止める言葉の持ち合わせなどあったはずもない。


――力づくで止めるべきだったのだろうか。


自身の無力を後悔したところで過ぎたことは覆せない。

どうするべきか、人間とエルフどちらの味方をするべきかの結論はでない。


しかし、それ自体が『精霊の通り道』である隠れ家を守ることだけは間違いではないはずだ。


――なにがあっても守り抜かなきゃ。


止血も程々に剣を帯びると、ラドルは使命感に駆られて飛び出していた。

姉妹たちの死を目の当たりにしていないことから、再び帰ってくるかもしれないと根拠のない願望に突き動かされていた。


そこで兄貴分との再会を果たす。



「おおっ、ラドル!」


「アニキ、よく無事で!」


少年は尊敬する兄貴分の帰還に歓喜した。


出発した三人のうち一人が生還したのだ、続いて残りの二人も姿を見せるのではという期待が湧いてくる。


ラドルはシェパドとリーンの間にかけられた『道連れの呪い』がすでに無効であることの報せを受けていなかった。

レインは極端に寡黙で、シェパドは打算により情報を漏らさない性格だ。

何よりラドル自身が『呪い』をある種の絆のように感じていたため解呪の進展について尋ねたりはしなかったのだ。


それゆえにシェパドが生きている以上、リーンも生きているという結論に導かれる。


全てはレインの思い過ごしか、あるいは自分の聴き間違いで、きっとまたこれまでのような生活が送れるに違いないと確信しかけた。


しかし、そうはならない――。



「シエルノーが死んでも魔法が有効で助かったぜ」


シェパドはたしかに次女の死を口にした。


森を立つ際に隠れ家への出入りを自在にするよう打診していたが、その力で隠れ家への帰還を果たしたようだ。


「……まさか、本当に騙し討ちに遭った?」


「あ、何の話だ?」


シェパドの態度はあまりにも平静だ。いつもの調子すぎて、悲劇から現実味を奪っている。


「いや、和平交渉を囮におびき出されたんだってレインが……」


その返答がすべての希望を打ち砕くとも知らずにラドルは尋ねた。


「おまっ、本当に朴念仁つーか……。あのな、騙し討ちに遭ったんじゃねえ。騙し討ちにしてやったんだよ、このオレ様が」


「えっ……」


予想だにしていなかった。即座には受け入れられない。


「エルフどもを心底恨んでるイブラッドが、そう簡単に和平を承知するかよ。森から出しちまえばなんてことねえって言って、オレが入れ知恵してやったんだ」


騙し討ちの首謀者はシェパド――。


イブラッドからすれば無事生還し、成功すれば面子も保てる。彼は全面的にシェパドの作戦を支持した。


「――当初は和平交渉の場でリーンエレを人質に取り、姉たちを森の外におびき出して迎撃する予定だった。

自分たちのフィールドで戦おうとすることはありふれた常套手段だ」


「……待って、待ってアニキ」


悲鳴を噛み殺すラドルにシェパドはただ事実を突き付ける。


「森の外でもまあ、それなりにしぶとかったけどな」


敵地のただ中で、エルフ姉妹は国軍を相手に奮戦した。

罠にハマったと悟った時には既にシエルノーは致命傷を負っており、反撃に転じられたのは僅かばかりのことだった。



「――で、メディレインはどうした?」


「軍隊を迎え撃ちに……」


ラドルは半ば放心状態だ。


「よし、今がチャンスだな。油を持ってきたから撒くのを手伝え、ここを燃やしてエルフへのエネルギー供給を断つんだ」


シェパドが帰還したのはエルフ討伐の駄目押しをする為だった。隠れ家ごと『精霊の通り道』を焼き払う算段だ。


ラドルは反発する。


「何言ってんだよ! 精霊の循環が途絶えたら世界は滅びるんだぞ!」


精霊が現世を行き来する際に生じるエネルギー、それが枯渇すれば全ての生物は死に絶える。当然、人間も例外ではない。


しかしシェパドはどこ吹く風だ。


「おまえこそ何言ってんだ、ここが最後の一つじゃあるまいし。エルフは通り道に集落を作る、つまりその数だけ発生源があるってことだろ」


エルフの集落は世界中に点在している。この場所だっていくつもある『通り道』の一つに過ぎない。

実際、『精霊の通り道』には消失したものもあれば新しく発生するものもあった。


「だとしても、こんな事を続けていたらいつかはその時が来るんだよ!」


ラドルが必死に訴えるも、シェパドは呆れた様子で反論する。


「来ねえよ、少なくともオレたちが生きているうちにはな。


あのな、エルフたちは千年単位の話をしてるんだ。あいつらにとっては千年後の未来も自身の将来の話なんだ。

だがオレたちは違う。数年後にはもう生きてないかもしんねえし、どんなに上手くいったって数十年後には死ぬんだよ。


それをエルフと同じペースで物事考えて、現状維持が一番ですって何もせずに死んでくのか?

馬鹿言え、そんなもんは生きてるとは言わないね。人間は戦って勝ち取って、結果を残さなきゃ産まれてきた意味がねえんだ。

何もしないくらいなら産まれてくるなって話なんだよ」


この森を焼いたところで世界に大した影響はないだろう。

いくつかの自然災害を誘発する可能性はあるが、即座に世界が滅びるはずもない。


ラドルの心配は全くの無駄といえた。



「……自分たちさえ良ければ、未来の人たちのことはどうでもいいの?」


それは自らの意見を正当化したいがための悪足掻きに過ぎない。


「どうでもいいだろ。いま生きてる他人の尊重すらしねえ人間が、なんで未来の他人の心配をする道理があんだよ。

いま生きてるオレたちの幸福こそを優先するべきだね。


そういうのはな、世界中に辞めさせてから考えるんだよ。率先して辞めるって選択肢はねえ、それで他に遅れをとったら馬鹿らしいからな。


で、何百年後かに実際ヤバくなったら、それはその時代の人間が解決すべき問題さ、オレたちには関係ねえ。いったい何の心配をしてんだ?」


エルフたちの道理は人間には当てはまらない。

これだけ言っても納得する素振りのない弟分に、シェパドは不服を訴える。


「――おい、どうしたんだよ、大丈夫か!


思い出せ、オレたちは何をしにこの森に来た。エルフを討伐して、富と名声を手にするためだろ!」


「でも、リーンたちは仲間なんだ!!」


「聴け、聴けラドル! 思い出せ、オレたちは捕縛されて殺される所だった!

呪いのおかげでどうにか生き延びたが捕虜の身だ。無事脱出するため敵と打ち解けた振りをするのに、どれだけ骨を砕いたか!」


「でも、解って貰えたじゃないか! 彼女たちはおれたちにも優しくしてくれた!」


ラドルのそれはもはや駄々を捏ねているに等しい。

エルフたちに情を移してしまっているだけでまっとうな理屈もなく、感情が先行して議論にもならない。



「まあいいや、お前は少し頭を冷やしてろ」


シェパドは説得を諦めると荷物を下ろし、火付けの準備を開始する。


「――なあラドル。作戦が成功した暁には今度こそ正式にオレのことを魔王討伐の功労者として認めてくれるってよ。

そうなれば一躍大出世さ。もう嘘つき野郎じゃあねえ、本物の英雄だ!」


シェパドにとっては徹頭徹尾、これは人間対魔族の戦争だった。

正当な評価を得られずに十年も燻ってきた彼だからこそ、当初の目的を見失うことなく達成することができる。


「頼むよ、アニキ……」


準備を完了して顔を上げるとシェパドは驚愕する。


「……おい、冗談だろ?」


ラドルが剣を抜いて目の前に立ち塞がっていた。


「おれたちの家を焼かないでくれよ!!」


ラドルの選択にシェパドは深く失望した。


「なんでだよ、兄弟!!」


十年前、成果を認められずに理不尽な誹謗中傷に晒され、一度は完全に落ちこぼれた。

勝負することが馬鹿らしくなったし、人間不信に陥り他人の評価からは興味を失っていた。


見栄を張る気も起きなければ、夢を見る気力もない。底辺を這いずりながら、クズにクズを塗りたくってクズらしくクズを重ねて生き足掻いた。

人生なんて、本当はもうどうでも良かった。適当に野垂れ死んでも構わなかった。


「――オレがここまでやったのは、おまえのためなんだぜ!

世間がオレを嘘つき野郎と蔑んでも、お前はアニキと呼んで慕ってくれたじゃねえか!

お前がいなかったら虚勢を張る意味もなかった。不貞腐れて再起する気力だって湧いてなかっただろうさ!」


――自分だけが成功したい訳じゃない。


尊敬する男が世間に認められるところを、一番つらい時に見捨てないでいてくれたおまえに見せたくてやっているんだ。



「でも、レインがまだ戦ってる!」


「森を焼かなかったところであいつは助からねえ! それどころか、早く殺してやった方が被害が少なくて済むんだぞ!」


竜と化したレインによって、帝国軍は想定外の損害を被るだろう。しかし竜一匹に滅ぼされる種族ならば、人間はとっくに死滅していたに違いない。


人間の勝利、エルフたちの敗北はすでに決している。メディレインの戦いは、もはやどこまで記録を伸ばせるかの勝負でしかなかった。


「彼女たちを騙すことに心は痛まなかったのかよ!」


「害獣を駆除するのに躊躇なんかするもんかよ。考え直せ、あいつらは人間とは違うんだ!

暴力が悪い。詐欺が悪い。恫喝が悪い。そんなのは弱者の理屈だ! 成功者はみんなやってるぜ、オレは勝ちたいだけだ!」


――オレは二度と負け犬にはならない。


勝って、おまえの見る目は正しかったんだぜって、誇らせてやりたいんだ。

ざまあみろ! やってやったぜ! って勝ち誇った時、心底それを歓ぶ資格があるのは、この世にオレとおまえだけなんだぜ。


理解を示さない弟分にシェパドは憤りをぶつける。


「――異種族のメスが三匹死のうが、知ったことかよっ!!」



「!!!」


そこに意志があったのかすら曖昧だった。無造作に突き出された刃はシェパドの腹部へと突き刺さった。


「くっそ、ラドルッ!!」


「うわああああああっ!!!」


ラドルは叫んだ。もはや歯止めは効かないと、深手を負ったシェパドを引き倒して伸し掛かる。


あとは振り上げた剣を突き下ろすだけだ。


「おい、やめろ。助けてくれ兄弟……ッ!」


――いったい、なにが正解なのだろう。


今日まで、ラドルはひたすらにそれを悩みながら生きてきた。

ついぞ、何一つ納得のいく答えにたどり着くことはない。


「アニキを殺したいわけじゃないんだ……」


兄貴分の言うことが善なのか悪なのかも判らない。

人間とエルフ、自分がどちらの味方なのかさえ判らない。


「――誰も不幸になんてなって欲しくないし、誰もが幸せになって欲しいと願ってる。……本当さ」


どんなに考えても正解が分からない。


「いいか、ラドル……。これまで通りでいいんだ。悩むな、ただ、オレについてくりゃそれでいいんだよ……!」


だから、自信に満ちた他人の意見を尊重するしかなかったのかもしれない。


長らく自らの知性の低さを恥じ、呪い続けた人生だったが、それも最後だ。

正解を模索することは今、諦めることにした。


「アニキとは行けない。だって、もうここ以外の空気を吸って生きていける気がしないんだ」


ラドルから迷いが消えたことを察し、シェパドは苦し紛れの命乞いをする。


「待て、リーンエレはまだ生きてるんだ。オレを殺せば呪いの力であいつも死ぬぞ! いいのか、あいつが死んでも!」


『道連れの呪い』はすでにその効力を失っているが、ラドルがそれを知らなければ問題はない。

リーンを人質に取れば思いとどまる。そのずだった。


しかし、振り下ろされた切っ先はシェパドの中心を深々と貫いた。


「…………」


「…………」


その結末に二人は驚きを隠せない。


やり合えば間違いなく勝っていたはずのシェパドが、ついぞ剣に手をかけなかったことがそれを表している。

手を下したラドル自身、望まなかった着地点だ。


「くそ、なんでだよ兄弟……。あともう少し、もう少し、で…………」


シェパドが息絶えるのを看取ると、尊敬する兄弟の遺体を見下ろしながら呟く。


「どんな逆境でも常に逆転を狙ってる。そんなアニキが眩しかったし、心底憧れてたよ……」


シェパドがリーンを人質にとったことは逆効果だった。ラドルの感情を逆撫でしたに過ぎなかったし、何より彼女を救う方法を彼はよく知っていたからだ。


それはレインがラドルにかけたはずの呪い。



「本当は、直接謝りたかったけど……」


兄貴分の血にまみれた切先を、ラドルは自らへと向けた。


――おれが死ねば、『代替の呪い』の効果でリーンは生き返る。


自分の命が他ならぬ彼女に還元される。そう考えればまったく惜しいとは思わなかった。

今となれば、喧嘩をしたことすら不思議に思える。何だって許せたはずだ、こんなにも愛しているのだから――。


「どうか、キミが歩む苦難の道のその先に、いつか光が差しますように――」


ラドルはリーンの姿を思い浮かべると、躊躇なく鉄の刃を自らの体に貫通させた。

『代替の呪い』など存在せず、その行為が全くの無意味であることを最後まで知ることは無かった。



同刻、竜となって襲来したメディレインを帝国軍は万全の状態で迎え撃った。


争いは苛烈を極めたが、総力戦により帝国軍はダークエルフの殲滅に成功。種族間戦争は人間側の完全勝利で幕を下ろした。


帝国はこの歴史的勝利を大々的に広めるべく、功労者であるイブラッドを祭り上げると代表的なドラゴンスレイヤーとしてその名を後世へと語り継いだ。


現在、三姉妹の森は跡形もなくなり、エルフと交流した二人の若者について知る者は誰もいない。

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