◢四幕二場 聴かせて欲しいこと


シェパドとシエルノーが出発の準備を開始すると、ラドルは一人逃げるようにしてその場を離れた。


――この不快感はなんだろう。


抑制の効かない負の感情が思考を苛んでいく。


原因はシェパドとリーンエレが結ばれたことであるのは明白だ。だからといって、いったい誰が悪いものか。

責められる相手などいない。大切な人たちを憎悪しているだなんて考えたくもない。


冷静に思考できる。ただ、腸が煮えくり返ってどうしようもなかった――。



「まって、ラドル!」


足速に去る少年をリーンが追って呼び止めた。


「――ねえ、どうして?」


「どうしてって、何が?」


平静を装ったところで無意味だ。苛立ちが溢れてこぼれ落ちる。


「――べつに気を利かせただけさ、リーンもアニキと一緒の方が嬉しいだろ」


「なぜ?」


――はっ?


出産を控える妊婦には夫が連れ添った方が良いに決まっている。

そんな当たり前のことを確認しに来るだなんて、まるで嫌がらせではないかとラドルは憤った。


「もういいだろ、おれのことは放っておいてくれ……」


そうでなくとも恋愛関係の男女の間に割って入ることがどれほど惨めか、ラドルはリーンを遠ざけようとする。


彼女は聞き入れない。


「ラドルは自発的に偏見を乗り越える努力をしてくれた。種族間の問題を解決するためにより相応しいのはキミの方だ」


何故だろう。疑うことなく理想を共有しあった同士と、話がまるで噛み合わない。


「――どうか、最後まで投げ出さずに全うして欲しい」


リーンはラドルの優位性を説き、同行を願った。

しかし求められるほどに少年は惨めな気持ちになっていった。


「その障害をなんの努力もなく飛び越えられるのがアニキなんだ。おれなんかの出る幕じゃない」


「なぜ怒っているの、いったいなにが気に入らないの?」


――そんなことは決まっている。


「怒ってなんていないさ」


ラドルは嘘をついた。通じるはずもない稚拙で無意味な嘘を。


「人間はなぜ本心を包み隠すの、それにいったいなんの意味が?」


「全てを本心で語るべきだとでも?」


「もちろんだ。そうしなくては議論は正しい結論へと導かれない」


リーンエレが常に本心を伝えてくれていたことはラドルだって知っている。

嬉しかったし、裏表のない彼女に信頼を寄せていた。


しかし感動的だと思えたのは、人間にとってそれが容易なことではないからだ。


人間社会は嘘に塗れすぎていて、全ての真実を詳らかにすることはもはや不可能だろう。

それを強行したが最後、社会を形成することすらままならなくなるに違いない。


人間とエルフが相容れないことの根源はそれなのだと今更になって確信する。

嘘にすがらずにいられない脆弱な人間が、嘘をつかない種族なんかと円滑な関係を築ける訳がなかったのだ。


エルフだって隠し事くらいはするだろうが、人間はもはや虚偽と真実の境目すら曖昧な生物だ。

今回の件はラドルにそれを思い知らせた。


「わたしに落ち度があるなら言って欲しい。改善に務めたい」


「キミは悪くない……」



この不快さは他者への怒りなどではない。自らへの失望だ――。


エルフ族に協力することは世界の秩序を護ることに繋がり、破滅へと突き進む同胞たちを救うことになるのだと知ることができた。


これまで盲目的に憎悪してきた異種族。その声に耳を傾け、理解を示すことができた自分を見直したものだった。


エルフとの和平を推進することに使命感を持ち、誇りに思っていた。

しかしその動機、原動力も所詮は異性に対する興味から来ていたものに過ぎなかったのだ。


今日まで意識したつもりは無い。しかし、彼女が妊娠したことに対する動揺がそれを明確に裏付けていた。


きっと相手がゴブリンやトロールならば、耳を貸すことすら無かった。

女性として愛したからこそ親身になっていた。無意識的に、いつかは自然と彼女が自分のものになると期待していたのだ。


それが叶わなくなるや否や、途端に違和感を覚え、不快感を訴え、エルフと人間の共存が信じられなくなった。


――情けない。情けない。情けない。


いとも容易く信念を瓦解させた自分がどうしようもなく恥ずかしい。



「他の男と交配したことで、わたしへの関心がラドルから失われた。そういうことか?」


「そうじゃないよ」


また嘘をついた。


都合の悪い真実を歪め、惨めさを包み隠し、自らをも誤魔化していかなくては生きていけない。


それが人間だ。


「子供を身篭っているから、わたしはシェパドとしか行動してはいけないのか? わたしは彼個人の所有物ではないし、産まれてくる子供は皆の財産だろう」


「違う、子供の人生は本人のものであって他の誰のものでもない」


例えば、性差が稀薄で美しく、無限の寿命を持ち、十人単位の集落で互いの価値を認め合い、騙さず、奪い合うこともなく生ている。


それを社会の全てとしている種族が、恋に焦がれるこの気持ちを理解できるだろうか。


この弱く、惨めで、心細さのあまり寄り掛かれる相手を切実に求める感情を理解できるのだろうか。



「理解はできない。けど、これまで交してきた議論や互いへの敬意などが容易く失われてしまうことには納得できない……!」


彼女は悪くない。ただ、理屈で感情の問題を解決することを人間は不得意としている。


心根の優しいラドルが恋の問題を、些細なことだと割り切ることは可能だ。

しかし一番の、そして致命的な問題は、人間とエルフがお互いを理解し尊重できる未来を彼が思い描けなくなってしまったこと。


胸を張って『分かり合える』そう言える自信が失われてしまったことだ――。



「じゃあね、交渉が上手くいくことを祈ってる」


信じてはいない。ただ、今更『共存は不可能だ』などとは言えなかった。


「話はまだ終わってない、ラドル!」


切り上げようとする彼の手をリーンが掴み、ラドルがそれを乱暴に払った。


「放っておいてくれよ!!」


最低な自分を自覚しているからこそ醜態を晒すまいと立ち去ったのに、わざわざ追いかけて来て台無しにされた。それが腹立たしかった。


「――――」


「……もう行きなよ。アニキが待ってる」


ラドルはリーンの顔を直視することが出来ず、居たたまれずに背を向けた。


「ねえラドル、約束して。帰ってきたら、ちゃんと話の続きをしてくれるって」


去っていく背中を見送りながら彼女はしばらくその場に立ちすくんでいたが、結局ラドルが振り返ることはなかった。




「――まあ、そんなものだろう」


リーンが去った直後。どこから現れたのか、メディレインがラドルの顔を覗き込んで言った。


「わあっ!?」


「やれやれ、重症みたいだな」


接近に気付かず腰を抜かした彼を彼女は呆れた様子で見下ろした。


あらゆる感情は延々と持続するものでは無い、どんなに怒ろうが悲しもうが緊張は続かないものだ。

消耗しきったラドルは逃げるのをやめるとその場に座り込んだ。


「なんだよ突然……」


先々に登場するエルフ姉妹にラドルはうんざりといった表情だ。


「仲裁に入ってやるつもりで駆け付けたのだが、身体の調子がおもわしくないせいで間に合わなかったな」


「……まさかレインに心配されるとは思わなかった」


三姉妹の中でもっとも取っ付き難いのがこの長女だ。

感情の起伏が極端に乏しく、何を考えていて何を言うのか、行動の予測がまったくつかない。


現在は変化した外見も手伝って、無機質な印象がより強調されている。

白がかった異質な角膜は怪物を連想させ、人間相手には警戒の対象を免れないだろう。



「同感だよ、私も人間とエルフの共存などは不可能だと思っている」


ラドルが任務を放棄した心情を察してか、レインは言った。


民族が違えば皆殺しにし、隣人や家族とさえいさかいが絶えない。そんな人間側が異種族を対等に扱うはずがない。


「なら、なんでリーンのしていることに反対しないんだ?」


和平交渉を無駄だと切り捨てる割に、レインは協力的ですらあった。


彼女の答えは簡潔だ。


「可愛い妹が、終わりの近い姉の身体を気遣ってしていることだ。咎められるものか」


成果を得られるか思案する時期はとうに過ぎ去っている。今しているのは、潰えかけている家族の最後の悪足掻きだ。


レインは付け加える。


「――寂しかった隠れ家をおまえたちが賑やかにしてくれたおかげか、少々浮かれていたのかもしれないな」


小規模とはいえ、確かにそれは人間とエルフが共存した事例だった――。



ラドルが頭を冷やしている間に、リーンたち三人はイブラッド将軍と約束した和平の会場へと出発していた。


見送りをできなかったラドルは複雑な心境ながら、次にリーンと顔を合わせる時には何を置いてもまずは謝ろうと決めた。



それから数日が経過――。


ラドルはレインと共に隠れ家の管理に務めながら三人の帰還を待っていた。


そして事態は急変する。


姉妹の再会を待たずして、帝国本軍が森への進軍を開始したのだ。


イブラッドが無謀な挙兵を行った原因こそ、この大侵攻作戦の決定にあった。

他の誰かがダークエルフ討伐を果たしてしまえば、汚名返上の機会が永遠に失われると先走った結果だ。


今度の軍勢は過去の比ではない。種族間戦争における人間側の完全勝利を目指し、帝国軍が本腰を上げて動き出した。


これが『真の第七回魔王討伐作戦』だ。


最終決戦への覚悟を胸に、列を成して勇壮に進む軍隊。その先頭を磔台を載せた馬車が先導する。

馬車が大きく揺れる度、兵士たちの頭上で宣戦布告の証が踊る――。


磔台に軍旗の如く掲げられているのは首と胴体を分けられ磔にされた、和平交渉へと赴いたはずのエルフの亡骸だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る