第九話 ニィハと。

【公演60日前】


稽古場としてエントランスホールの使用許可が下りてから数日が経過していた。


後任への引き継ぎを終え、ギュムベルトは晴れて雑用係から解放。

演劇の稽古に集中できると胸をなでおろしたが、演目はまだ未定。

演じる役の無いまま、効果的な柔軟体操や筋力トレーニングなど肉体訓練中心の稽古になっていた。



「じゃあ、ニィハとオーヴィルは適当にやっといて。ギュムベルト、おまえはこっち」


ギュムは演出家であるイーリスの手招きに従う。


「なんですか?」


少年はまだイーリスと打ち解けられずにいた。というのも、彼女と顔を合わせるのは初日以来だったからだ。


筋トレ中心の稽古をオーヴィルに一任すると、イーリスは脚本の資料集め、エルフ姉さんの勧誘、その他諸々の準備で駆け回っていた。


今日はあらためてギュムの適正を確認するつもりで稽古に参加していた。



「身体、柔らかい方?」


イーリスはギュムの正面、至近距離で向かい合うと訊ねた。


「いや、まあ、普通っス」


騎士階級やなにかの選手でもない限り、鍛錬の効率化などを学ぶ機会に乏しく、身体能力は環境に依存した。

結果、ギュムの体力は極めて平凡。若さに任せていくらかの無茶が利く健康体だと判断されている。


「じゃあ、こっちは?」


「ちょちょっ、やめろっ!」


おもむろに胸板を撫でられ、ギュムは慌てて後ずさりする。


「おまえは今、一歩下がりました。なんで?」


「えっ?」


どういう意味だろうか、不可解な質問にギュムは困惑した。


仮に自分がイーリスの胸を撫でたとしたら、同様の反応が返ってくるはずだとギュムは考える。

つまりは『当然の反応』としか言い様がない。


しかし、これが試験であるならばそんなありふれた解答を求められたりはしないだろう。


「ええと……、ですね」


ギュムは焦った。


――これで失格と判断されたらどうしよう。


劇団員としての適性が試されているのだとしたら、全てに正答を導き出していかなくてはならない。

あれこれと思考を巡らせてみるが混乱は増すばかり。


「いや、ちょっと質問の意味が……」


イーリスは答える。


「当然の反応として一歩引いたんだよね」


「それで良かったのかよ!?」


それは謎かけでもなんでもない。

ギュムの動作が『意思』によるものだったのか、それとも『反射』によるものだったのかを確認したに過ぎなかった。



「これはもう基礎の基礎なんだけど――」と前振りをしてから本題に入る。


「その反応、つまり肉体の反射を演者はコントロールしなきゃいけない。


役者の仕事は舞台に立ってセリフを言うこと、それを仲間たちと共有して物語を再現することだ。

上演中、客席から名前を呼ばれて振り返ったり、突然のクシャミや咳にビクついたりしてはいけない」


客席と舞台の間に物理的な『壁』は無いが、物語と客席は隔絶されている。


その概念を『第四の壁』と定義した上で、行き来するという行為は没入度に大きく影響するため、非常にデリケートな扱いだ。

コントロール下に置かれるべきであり、反射などに左右されてはならない。


客席でなにが起きたとしても、多くの場合演者はそれに気付いたことを悟られてはならない。

不測の事態に対する肉体の反射で、演劇の進行を滞らせたりしてはならないのだ。


「――それと同時に、共演者の出すサインや舞台上で起こることには神経を張って、敏感に反応しなくてはならない」


ギュムはルールを知らないチェスを打て。とでも言われたような、そんな芳しくない表情を浮かべる。

まだ世界に演劇という実例がないため、イーリスの言う完成図をイメージできずにいた。


イーリスは補足説明を加える。


「客が『わっ!』って言って脅かしたからって、的を外すようじゃあナイフ投げとしては三流って話」


「ああ、なんか難しそうっスね……」


――脅かしたほうじゃなく、驚いた方が悪いのか……。


理不尽にも思えたが、プロとはそういうものかと納得することにした。



「という訳で。今日は心身のコントロールを目的に、ちょっとしたレクリエーションをしてみよう」


イーリスはニィハに向かって呼びかける。


「――そっちの端にスタンバって」


ニィハはイーリスの指示に従い、速やかに対面の壁へと移動した。


「はい、なにかしら?」


「眼を閉じて、そこからボクの所まで歩いてきて。途中、絶対に眼を開けないでね」


「お安い御用よ」


距離にして十五メートル程か、ニィハは視界を封じたままスイスイと直進する。


十メートル。


五メートル。


一メートル。


イーリスが迎え入れるとそこをゴールと判断し、彼女にしがみついて足を止めた。


「これで良かったかしら?」


「はい、よく出来ました」


終了の合図が出されると、その時点で閉じていた眼を開いた。


「ギュムベルト、同じことができる?」


それが見た目以上に難しいことは容易に想像ができた。それでもギュムは即答する。


「やれます」


誰にでも出来ることをわざわざやらせる意味はない。暗闇の中を歩くのにはかなりの抵抗があるのだろう。

同時に特殊な技術は必要ない。つまり、試されるのは度胸だけだ。


自分はこれから数多の難題に直面するだろう。ならば、『度胸』でクリアできる問題にしり込みしている場合じゃない。


知識も無い。技術も無い。ならばせめて『覚悟』くらいは証明出来なくては、この場にいる資格がない。


ギュムは念押しする。


「余裕っスよ!」


入団する為ならば決闘すら辞さなかったのだ。転倒しようが壁に激突しようが、痛みなんてたかが知れてる。


痛みは恐れるに値しない。



ギュムはニィハのスタートした位置に移動すると、目を閉じてスタンバイした。


「いつでも来いッ!!」


頭が少し重く感じ、脛にも違和感を覚えた。引けそうになる腰、前に出そうになる両手をグッと堪える。


――大丈夫、直進して壁にぶつかったって死にゃしないんだ。



「よーい、スタート」


イーリスが手を叩いて開始の合図をだした。

思い切りよく、一歩を踏み出す。


――えっ?


踏み出すと同時、まるで膝から下が存在しないかのような不安を覚えた。

覚えるや否や、無意識のうちに両の手が床を押さえ付けていた。


「…………」


たったの二歩で、ギュムは膝を着き四つん這いの姿勢になっていた。


イーリスが挑戦の失敗を告げる。


「若くて健康で体力に自信のある男子でも、ぜんぜん身体が自由になってないことが分かるね」



――なんでだ!?


「そんな、だって、怪我するのだって怖くなかったんだ――」


こんなはずは無いとギュムは異常を訴える。


「これは、なにかの間違いで……!」


往生際悪く言い訳を繰り返した。


最低限できなければならないことが、まったくできない。それがどうしようもなく恥ずかしかったし、何よりも情けなかった。


身体が自由になっていない。それについてイーリスが補足する。


「意思で本能に抗うのは容易なことではないよね。

そういう意味では、その姿勢が安全だと判断して実行に移した身体は脳よりも正常だと言える」


暴走を制して安全装置が正常に作動したってことだ。


「――ただ、それのオンオフを自在にできないようだとお芝居にはならない訳だけど」


ギュムにとってそれは落選通知のように聴こえた。適性が無いと判断されたのだと。


自分に演劇は向いてない――。



ギュムが失意に塗れていると、オーヴィルが挙手から意見を申し出る。


「俺の場合、介助側を怪我させそうで不安なんだが……。これは必修か?」


二メートル近い巨体を果たして無事受け止めて貰えるかは不安だ。


「んにゃ、別にできなくて構わない。初めての場所ならボクもギュムベルトと大差ないもん」


イーリスの告白にギュムは顔を上げる。


「そうなのか?」


「こういうのって、意気込みじゃなくて慣れだから。

人間、使ってない部分は衰える一方だから頭の中でどんなに覚悟だ、やるんだ、って言っても、できないことはできない」


これができない奴は、カスのゴミの役立たずの雑魚の人間失格だとギュムは思っていた。


――じゃあ、何だったんだよ!! 新人いびりか?!



「逆に、ニィハはなんでできたの?」


イーリスはニィハに確認した。


確かに、彼女の歩みには一点の迷いもなかった。できる人間と、できない人間の違いがなんなのかは気になる。


ニィハの回答はシンプルだ。


「イーリスが先にいるなーと思って」


「狂ってる」


「狂ってないです」


イーリスから不本意な侮辱を受けたので、ニィハはより詳細な説明を試みる。


「ええと、障害物は撤去したので危なくはなかったし。あと、イーリスがわたくしを怪我させる筈がないから安心でしょう?」


それを受けてイーリスはギュムを振り返る。


「どうやら相手を信頼しているから不安が無かったということらしい。

これが演劇においてもっとも重要だとボクは思っている。


ちなみにこの子はイカれているので、後ろ手に縛って目隠しして、直立したまま前のめりに倒れろと言っても実行できる」


「イカれてないです」


ニィハは否定したがオーヴィルは賛同する。


「ああ、うちで一番ヤベーのは姫さんだよな」


「ヤベーくはないです」


実際のところは判らないが、野生動物たるアルフォンスの態度を注視するに、ニィハを上位、オーヴィルを対等、イーリスを下位においていることが分かる。

野生の勘からそう序列付けがされたというのならば、ヤベー説は信憑性は増すばかりだった。



「という訳で、肩に力が入りすぎている少年に言っておきたいことは一つ、一人でやろうとするな!」


共同作業であることを常に意識しろ――。


そうすることで委ねる場面もあれば、支えてやれる部分も出てくる。

その循環こそが『芝居』なのだから。


「相手との関係性で進もうとすれば、あと何歩か前に進めたかもしれない。

それを自分の力だけでなんとかしようとすると、さっきみたいなことになる」


先程、四つん這いを披露したように情けない思いをする。


「――って、ところかな」



イーリスが締め括ると、目指す舞台のイメージをいくつか共有して稽古を終えた。


その夜、ギュムは繰り返し眼を閉じて歩いてみた。

眼を閉じることに集中すると膝が折れ、手脚に意識を割くと、今度は眼を開いてしまう反応に苦しんだ。


一人でやろうとするな――。


言われたことを思い出して、進行方向にイーリスの姿を想像してみる。

なんだかイラついて気が乗らないかったので、次にニィハを想像してやってみた。


一、二、三、四――!?


スっと歩き出せたことに驚いて、五歩で中断してしまった。


――おっ、行けそうな気がしてきたぞ。


再度挑戦。繰り返すうちに十歩でも二十歩でも進めるようになっていく。


「……痛っ!?」


調子が出てきたところで油断したのか、ギュムは障害物に蹴つまづくと派手にすっ転んだ。


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