第十話 松浪剣之介
若槻徹心が創始した若槻一刀流の若き継承者・一馬は去年(享保十六年)、空位になった剣客番付第一席の座を巡って、
場所は蔵前にほど近い鳥越明神の境内である。
季節は初夏。時刻は暮れ六つを半刻過ぎた辺り。
能舞台を
客席は立錐の余地もないほどの満席で両者の人気の高さをうかがわせた。
白のたすきをかけた一馬がまずはじめに剣武台にあがった。
若い娘の間から悲鳴にも似た黄色い歓声が沸きあがる。
一馬は武者絵の売り上げ一位を誇るほどの美丈夫である。
一拍遅れて今度は紅いたすきをかけた剣之介が台上にのぼってきた。
今度は町の若衆や旦那衆、職人たちのだみ声のような声援が響く。
剣之介は男衆の間で評判が高い玄人受けする剣士だ。
一馬が口元に愛想のような微笑を浮かべているのに比べ、剣之介はにこりともしない。
頬は引き締まり、底光りする眼で虚空を見据えている。まるで死地に向かう戦士のようだ。
剣之介は上級旗本の嫡子である。父親は将軍の警護役を務める
松浪家は代々武門の家柄で、家名を背負って立つ剣之介にとってこの試合は絶対に負けられない闘いであった。
互いに向かい合い一礼して木刀を構える。
中央に立った行司の『はじめ!』の合図で試合は開始された。
試合の規則は天下無双武術会に準じている。
首から上は寸止め。首から下は着衣の上を軽くたたく寸当ての、極めて実戦に近い形式だ。
先に仕掛けたのは一馬の方であった。
正眼からの渾身の突きを左に跳んでかわした剣之介は、一馬の両腕の下をくぐるようにして胴斬りを決めた。
確かに着衣をはたくパン! という音がだれの耳にも届いた。
まさしく一瞬の間に勝負は決した。
「一本勝負あり! 赤、松浪剣之介!!」
当然のごとく行司が剣之介の勝ちを宣した。
だが……
次の刹那、一馬は信じられぬ行動にでるのであった。
第十一話につづく
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