第2話 あなたの世界の半分をいただきます

 人は外部の感覚の80%以上を視覚に頼っているという。だから片目を失うことは自分の世界のほぼ半分を失うことに等しい。言われた時は、納得したが、よく考えると、別に半分しか見えなくなるわけではない。おかしな理屈だ。


 1時間ほど前、私は義眼堂を訪れるため、高円寺の駅で降りた。駅を出て高円寺ストリートをしばらく歩く。高架下にあるうさんくさい商店街だ。アジアっぽい雰囲気が私は好きで時々飲みに来る。すでに日は落ち、学生やサラリーマンや自由業っぽい人間が道にせり出したベンチに腰掛けてうまそうにビールを飲んでいる。しかし今日は飲みに来たのではない。「義眼堂」に行かねばならない。

 この道は何度も通ったことがあるが、『義眼堂』など見たことがない。いぶかしく思いながら、グーグルマップ頼りに場所を探すと、小さな看板が道端にあるのが目に入った。「義眼堂」と書いてあり、その横に地下に続く階段がある。確か寺の境内にあると書いてあったはずなのだが、と思いながら階段を降りると寺の境内に出た。

 ぎょっとして振り返るともうそこに階段はなかった。ただ鬱蒼とした森が広がっている。一瞬、自分の正気を疑い、それから夢ではなないかと思った。だが、正気かどうかは自分では判断できないし、手をつねったら痛かったから夢ではない。パニックになりそうだったが、必死にこらえて周囲を確認する。薄汚い祠があり、入り口に「義眼堂」と書かれていた。

「お客さまですね」

 どこからか女性の声が聞こえた。


 気がつくと私は白い内装のきれいな部屋の中央に腰掛けていた。窓はなく、四方の壁が棚になっており、正面には巫女姿の少女が立っている。くりっとした目がかわいい。いったいいつの間に移動したんだ?

「八百万紅蓮と申します。お名前とこちらに来た方法を教えてください」

 少女は曇りのない笑顔で私に質問してきた。

「あの、ここは義眼堂ですよね?」

「はい。間違いございません。お名前と来た方法をどうぞ」

「内山三郎で、ネットで検索して見つけてそこに書いてあった住所で調べました」

「ああ、ということは受験で成功した人のブログですね」

 少女が目を細めてうなずく。その時、きらっと不気味に目が光った。

「そうです」

「あなたのご要望はわかりました。職場でもっと大事にされたい。自分の時間を持って仕事をしていても、誰からも文句を言われず軽く見られないようになりたいってことですね」

 その通りだった。私は昔から要領が悪く、いつもひどい目にあっていた。会社でも上司になんだかんだと文句を言われてばなりだ。さんざん残業させられたあげくに、無能呼ばわりされて残業代を帳消しにされた。こんな生活にはうんざりだった。

「ブログにも書いてあったはずですが、念のため大事なことをおさらいしますね。まず、ひとつ目」

 紅蓮はそう言うと人差し指を立てて私に突き出した。

「望みをかなえる代わりに、あなたの世界の半分をいただきます」

「え? 片目じゃないですか?」

 あのブログには片目を捧げることになると書いてあった。

「目は人の知覚のほとんどを占めます。片目を失うことはその半分を失うってことです。わかってます?」

 紅蓮は腕を組んで私の顔を見る。私は思わず、何度もうなずいて見せた。

「わかってます。でも、代わりの目をくれるんですよね」

「ここは義眼堂ですから、義眼を差し上げます、特別なヤツをね。それを付ければあなたの望みはかない、世界を見ることもでききるようになります」

 視力が戻るなら、音を入れ替えるだけだ。そうはわかっていても不安はあるが、あのブログでは安心していいと書いてあった。なぜならブログの主は何人も相談して成功した人間の記録を確認して義眼堂を訪れたからだ。

「ほんとうにわかってるのかなあ。ふたつ目は、”あなたが思ったような形では望みは達成されない”ということです」

 そうそこがよくわからなかった。望みがかなうならなんでもいいと思ったんだが……

「ああ、わかってないみたい。実際に施術する先生がいらっしゃるまで、ちょっとご説明いたしましょう」

 そう言うと、少女は壁の棚から硝子の瓶をひとつ手に取って、私にかざして見せた。思わず、声をあげそうになる。瓶の中には液体に浸された眼球が浮いていた。

「やだなあ。作り物ですよ」

 少女は笑って眼鏡を棚に戻す。

「ここに来る人って義眼のことをろくに知らないんですよね。あんな丸い義眼なんてないんです」

 そうなのか? 義眼というと眼鏡のように球の形をしていると思い込んでいた。

「眼球を失うと、ぽっかり隙間ができるんだけど、そこに結膜嚢や義眼床を作るの。そこに被せるのが義眼」

 紅蓮は話しながら、義眼の現物を棚からとって見せてくれた。確かに球ではなく、球の上にかぶせる形だ。コンタクトを大きく分厚くしたようなものと言えばいいだろうか。

「まれに球形の義眼台を入れることもあって、これは知らない人がイメージする義眼の形に近いけど、その上に義眼を被せて白目や黒目をつけるんですね」

 知らないことばかりだ。これから義眼をつけるというのに、なにも知らなかった自分が恥ずかしい。しかし、あのブログにはそんなことなにも書いてなかった。

「っていうのはふつうの義眼の話で、ここの義眼はさっき見たみたいにみんながイメージする義眼そのもので、一度付けたら外せない。これが三つ目の大事なこと。死ぬまで外せません」

 そこで紅蓮は少し黙って、私の顔をじっと見た。美少女に見つめられると妙に緊張する。

「では、”あなたが思ったような形では望みは達成されない”実例をご説明します」

 そして紅蓮はさきほどの「どんな問題の回答でもわかる目を持った男の話」を聞かせてくれた。

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