第2話 復興
「テルテルはさ、ベルリンの壁みたいな巨大な防潮堤には断固反対してるわけ。ベルリンの壁は東西ドイツを分断したけど、あの防潮堤は人間と海、いや自然を分断しているって。単に海が見えないって話じゃないんだ。そこは環境問題専門の優理子さんも一緒なんだよね」
「そうね。私もあんな防潮堤には反対よ。あれじゃ単なるバリケード。波の侵入を防ぐんじゃなくて、海を拒絶しているわ。あれは津波対策じゃなくて、政治献金を提供してくれるゼネコン対策ね、政治家たちの。公共事業の中には、必要性を疑問視されるものも少なくないけど、被災地の防潮堤は誰からも批判されないから都合がいいんでしょ、きっと」
輝輝は苦笑いしながら優理子の話を聞いていた。
「テルテル、ほら黙ってないで。お前は?」
「うん。確かに海を拒絶していると思う。海の恵みとともに生きてきた人々の暮らしを十分に考えているとは到底思えないね。本当に必要かつ有効なら、首都直下型地震対策として、東京湾を囲むように高さ10メートル以上の防潮堤が作られても不思議じゃない。実際、東日本大震災級の津波が来たら、東京は地盤の低い下町を中心に水没する危険が指摘されているよね」
「そんなハザード・マップも公表されてるわね。江東区とか江戸川区、とか」
「あれは基本、避難の手順でしかない。机上の空論」
「だから、巨大な防潮堤なんか議論もされない。景観を損なうことを理解しているから。話違うけど、ちょくちょく東南アジアや太平洋に浮かぶ島々は台風や津波に襲われる。でも、彼らはバカみたいに巨大な防潮堤なんか作ったりしない。リゾート地としても成立しないし、過去も未来も海に依存した暮らしは変えられないと分かってるんだよな、みんな」
建築事務所で設計の仕事をしている鷹志が割り込む。
「津波に襲われて街や生活が滅茶滅茶になっても、すぐ立ち上がる。基本、自然とはケンカしないんだな。風や波に弱い高層建築が少ないのも歴史や文化で学んでいるから。柳と一緒だよ。柳腰っていうヤツ」
なるほど、柳の木は特徴的だ。幹から延びる枝自体しなやかで、風にそよぐ姿は他の樹木には見られない。
「そういう意味では松島も柳腰だな。あの周辺は大震災でも比較的被害が少なかったよね。『八百八島』って言われる松島には実際、大小260余りの島があるんだけど、その島々が当時、巨大な津波のエネルギーを分散させたり、吸収したり。陸地に向かうパワーを減少させたんだ」
「確かに。恐らく海面に出ていない隆起だって結構な数あるんでしょ、きっと。陸地に押し寄せる波の勢いにはかなりの影響があったと思うわ」
「だから、景観を台無しにする無粋な防潮堤じゃなくて、陸地から少し離れた近海に岩礁のような人工物を配置すればいいのかなって思うんだ。個人的には海面から飛び出るくらいの大きさが理想。でも、排他的経済水域の問題や国際法上の問題もあるから海面より低い構造物が現実的だね」
「法的な問題はもちろんだけど、生態系を破壊しないことが一番。そして、漁業関係者の船の航行や漁業そのものに影響を与えないことも大前提ね」
「波の力をどの程度コントロールできるか、低減できるかは実験施設でも試験できる。漁船をはじめとする船の航行の安全対策は、海図に明記したり、ブイで注意喚起できる。問題は生態系への影響だな」
「大震災で陸上にあった家屋や自動車、それに、様々な瓦礫、そして、係留されていた船舶の一部が引き潮に持って行かれたよね。震災後の海中の調査でそうした残骸が海底に沈んだ状態で見つかったけど、海の生き物への影響はほとんどなかったはず。ということは、素材に気をつければ大きな問題はないのかなって思うんだ。専門じゃないけど、テトラポットのお化けをイメージすればいいのか、テルテル」
「そう、テルテル呼ぶなよ。周りにもお客さんいるんだし、ハズいだろ。TPOを考えろよ」
と輝輝。鷹志は相変わらずニヤニヤしている。
「あのね、私、事故で沈没した船とかに魚が棲みついたり、ワカメや水草が根付いたりしている映像を見たことがあるんだけど、骨組みだけの立方体みたいなものをいっぱい重ねるとかできないかな」
「それ、いいアイデアかも。広い海に置くわけだから、全部が骨組みスタイルにすることもないと思うけど。生物が棲みやすくすることは大切だし、できるとも思う」
輝輝は持ってきたノートに骨組みだけの立方体をいくつか書き込む。1個1個が知恵の輪のようにランダムに組み合わされている。次第にイメージが湧いてきた。
「昔、公園にあったジャングルジムだな」
ノートをのぞき込んだ鷹志。
「そんなに規則的じゃない方がいい。それに、人が通り抜ける必要はないから、骨組みの1本1本はできるだけ太く、と。波の勢いに抵抗する必要があるからね。それに、形もどれが効果的なのか検証は必要だし。四角形なのか、三角形なのか、それとも五角形なのか」
気がつくと、太陽が随分傾いている。天然木の床に3人の影が長く伸びていた。
「きょうは謝りたかっただけなんだけど、思ったより深い議論ができてよかったわ」
「誤解も解けてよかったよ。まあ、2人とも基本的には同じゴールを見ているってこと」
「同じゴール?」
「ふるさと、東北の復興ってね」
「さ、そろそろキューピッドはラ・フランスだな」
「ラ・フランス? 何だいきなり」
「“よ・う・な・し”ってことさ。オレ、こう見えて空気は読めるタイプだから。んじゃ、お先」
鷹志は、わざとらしくキーホルダーを握ると、スキップするような不自然なステップで駐車場に向かって席を後にした。
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