第39話 焔、覚醒

「逃げますよ。ダージリン君!」


 部屋に戻ったスダップは、ダージリンの手を引っ張りながら駆け出していた。

 ダージリンはわけがわからなかった。

 あの轟音は何だったのか。

 それすらもわからず走っている。


 しかし、強引に掴まれた腕から恐怖が伝わった。

 それは本物で、命の危機を知らせていた。

 これから起きようとする不吉な予感。

 思考が困惑する中でダージリンはスダップに質問した。


「……せ、先生、何があったんですか?」

「説明は後です!」


 ダージリンを無理矢理連れ出したスダップは、周囲を警戒しながら進んで行く。

 質問に答える気は起きなかった。

 今はダージリンを安全な所まで逃げる事だけを考えているからだ。

 男達はダージリンがどういう顔をしているのかをわかっていない様子だった。


 まずは学校を脱出する。

 揺るぎない決意のスダップは、ダージリンの手を離さない様にしっかりと握った。

 いよいよ、この階段を下れば一階に辿り着く。

 後は昇降口などから、外へ出れば良い。

 緊迫感が少し和らぐ――筈だった。


「やっぱりな。さっき覗き込んでいたのはテメェだな?」


 昇降口まであと少しだったが、職員室で物色していた男達が目の前にいた。

 スダップは足を止め、ダージリンを庇う。

 ダージリンも目の前にいる男達が得体の知れない存在である事を察してはいたが、何故この様な状況になってしまったのかは理解出来ず、戸惑いを隠せなかった。

 ――あ、悪人!?


「あ、貴方達は何をしているのです!?」

「教師には関係ねぇ。取り敢えずガキをコッチに寄越せ。なぁに。ちょっとした人探しさ」

「渡しません!」


 こちらが二人に対して、向こうは五人と圧倒的に不利な状況だった。

 スダップの強固さに、男達は苛立つとそれぞれの得物を持った。

 まとめ役と思われる男は腰から鉄の様なものを引き抜き、開いた口を向ける。

 スダップは、それが拳銃である事に気付いた。


 しかも今まで見た事ない形をしている。

 真っ黒でおぞましいが、おそらく最新式か改良型、あるいは世に出回っていない違法ものだ。

 もっと鮮やかな色をしていても良い筈である。

 スダップは生唾を飲み込んだ。


「もう一度言う。大人しくそいつを渡せ。ちょっと調べてぇだけだっつってんだろ」

「もし、この子が目的のものじゃなかったら、どうするおつもりですか?」

「用済みなら始末する。まあ、アレだ。お前らはどちらにしても助からねぇって事だ」


 ニタニタと笑いながら、引き金を引く男。

 同時に左手を数回折り曲げる仕草も見せた。

 仲間達も同じように笑っている。

 スダップは静かに手を離した。


「ダージリン君、私が時間を稼ぎます。その間に逃げてください」


 ダージリンを渡す気など一切なかった。

 それ処か、ダージリンへ逃げるようにと伝えたのである。

 そう、戦う覚悟を固めていたのだ。

 向こうが殺人のプロだという事はわかっているが、ダージリンを守る為ならば怖くなどなかった。

 ――命を懸ける。


「……で、でも」

「私の力では、校舎の壁を破壊する事は不可能です。幻想術を用いてもここは丈夫に作られています。せめて君が逃げ切れる時間を稼ぎたいです。戻って来た道と違う通路を行けば出口が必ずあります。寧ろ窓から脱出しなさい」

「……そうしたら、先生は?」

「私は大丈夫です。とにかく君は逃げなさい!」


 歯を噛み締めながら、ダージリンはスダップの覚悟を受け入れた。

 そして振り返り、走り出した。

 背後から荒々しい音が響き渡る。

 だが、決して後ろを向かなかった。

 無我夢中に走り続けた。


「ハッ!?」


 突然、ダージリンは足を止めた。

 目の前に漆黒の男達がいる。

 奴らの仲間だ。


「残念だったな。逃げ道は完全に無くなった」


 ここまで廊下は一本道だったので逃げる場所はもうない。

 引き返せば、スダップ先生の所へ逆戻りだ。

 ――死にたくない。

 ダージリンは掌を男達に向けた。


「ほう? やる気か? やるって事はなぁ、死んでも文句は言えねぇって事だぞ?」


 男達がジリジリと歩み寄る。

 一緒に動く足がとても怖く、ダージリンは後退りしてしまった。

 状況は益々良くならない。

 この場を乗り切りたいと思った時、更なる悲劇がダージリンを襲った。

 背後から先程の男達が迫って来ている。


 その一人は力が抜けて動けない人間の足を掴み引き摺り回している。

 ダージリンはその姿を見て戦慄した。

 同時に燃え滾る様な感情が交ざり合う。

 蝕む炎が全身を巡る。

 力尽きたスダップを引きずる男達に、ダージリンは強く睨んだ。


 それが、今の自分が出せる全力であった。


「おー。怖い怖い。さぁて、どうする? 俺達とやるか?」


 男達は嘲笑う。

 今にも爆発しそうな勢いだった。

 しかし、激情が強引に抑えられていた。

 全身を怒りで震わせるが、目に写る影が邪魔して上手く爆発出来ないのだ。


 何をされるのか。

 いや、殺されるに決まっている。

 でも、絶対に屈したくない。


「なあ」


 心を掻き乱される中で、男達が突然笑うのをやめた。

 すると、拳銃の男が一瞬でダージリンの首根っこを掴み持ち上げたのだ。

 悪の掌が喉を潰していく。

 足を激しく振りながら、ダージリンは首を絞める手を解こうとするが、その力は一向に変わらない。


「大人を……舐めんじゃねえぞ?」


 打って変わり、ドスの効いた声が耳に囁く。

 反撃も出来ず、そのまま壁に投げつけられた。

 ゲホゲホと咳き込むダージリンに、拳銃の男がゆっくりと歩み寄る。

 狂気な笑みを浮かべながら、壁に叩きつけられた際に落とした生徒手帳に気付き、それを拾い上げて中身を見た。


「ダージリン・アールグレイ。なぁんだテメェだったのか。手間かけさせやがって」


 立ち上がろうとするダージリンの顔を、男は思い切り蹴り上げた。

 あまりの痛さに身体を縮めて顔を手で庇う。

 胸から来る圧迫感は恐怖をより呼び起こし、頭と鼻からは血も流れ出した。

 そして、聞いてもいないのに男は自分達の目的を話し始めた。


「アールグレイ王家である国王とそのガキを殺す事が俺らの任務。お前の親父も、もうすぐぶっ殺されるだろう」


 確信した。

 この悪人達は、反逆か何かを引き起こそうとしている。

 正体がわかるものがないかと、ダージリンは男の服を見た。

 変に刻まれた三文字と、鬼か悪魔の様な印がある。


(……エム、エー、ディー。マッド?)


 『MAD』という組織に身に覚えがあった。

 世間でも度々話題になる極悪の集まりだ。

 そんな奴らが、今度はカメリア王国を狙い始めたんだ。

 しかも国王の暗殺。

 父さんの命を狙っている。

 ――許せない。


「……僕を、殺すくらいならそれでいい。だけど、無関係な人達を巻き込むな」


 崩れそうな腕で、体を持ち上げた。

 額から落ちていく血が目にかかり、その先全てが赤く見えた。


「ほう。王子様らしい威勢ある一言だな」

「僕だけを狙えば良いじゃないか。関係ない人達を巻き込むのは最低だ」

「――俺達は、その最低な連中なんだよ」


 男の手がダージリンの髪を引っ張る。


「そんで助けも来ない。このまま射ち殺すのも良いが、悲劇の王子様にしてやるからもう少し甚振られろ」


 顔へ重い一撃が放たれ、ダージリンの声が漏れた。


「更に教えてやるよ。俺達の他にここへ来た仲間が今、体育館の方で生徒一人ひとりを調べている。まあ、全員死ぬ予定だがな。一緒に逝ってくれるから安心しな。今日を持って、この学校は被害者達の名前が刻まれた記念碑として残るのだ」


 ちっとも面白くない事に悪人達は爆笑した。

 その間に、腹に一撃、顔に一撃と拳を繰り出される。

 滲み出る悔しさを抱き、痛みに耐えるダージリン。

 その様子を、男達は観客として楽しんだ。


「やめろ。それ以上その子に手を出したら、私が許さんぞ!」


 その時、力尽きたはずのスダップが立ち上がり激昂を上げた。

 ダージリンは薄目でスダップを見て安堵する。

 先生、無事で良かった。

 だけどお願い、先生早く逃げて。

 此奴らは敵う相手じゃない。

 強い英雄じゃなきゃ倒せない奴らだ。

 その思いを発したかったが、ダージリンの声は喉の奥から響く事はなかった。


「先公はとっとと逝け。バカ」


 用済みの教師の言い草に腹が立った。

 拳銃の男が銃を構えた時、その引き金は降ろされた。

 弾丸がスダップの胸を貫く。

 倒れていくスダップの様が目に写ると同時に目から絶望が溢れた。


「い、嫌だ……」


 動かなくなったスダップに、ダージリンは手を伸ばした。





 脳裏に浮かぶ光景。

 ある一室のベッドの上で、女性が全身を真っ赤にして倒れている。

 もうすぐ命が消えようとしていた。

 返り血を浴びた幼い自分はただ蹲り、泣き続けた。

 姉と兄が、自分を撫でたり、抱きしめたりするが、慰めにもならなかった。


「だ、大丈夫よ。だぁじ、りん……」


 息絶えそうな女性が無理に口を開いた。

 こちらを見ながら優しく語りかけている。

 女性は最後、自身の息子の名前を呟き、そして


「よろしく、ね」


 と、告げて瞼を閉ざした。





 そしてまた浮かぶ、もう一つの記憶。


「死んじゃダメだよ!!」


 ここでも、真っ赤に染まっていた。

 それは、『あの子』のものだった。

 鋭い刃を、柔らかい両手で止めている。

 刃はもう少しで自分の喉を貫く筈だった。

 死んじゃダメだ。

 それを伝えておきながら……

 どうして先に……





 僕はまた失うのか。

 どうして、皆が死ななきゃならないんだ。

 心の闇が広くなっていき、己の無力さが瞳を強く揺らした。

 涙が次第に増していき、流れていく。

 川や海とか、何かに例えたくないくらい悔しかった。


 聞こえてくるのは男達の笑い声。

 多分、今のダージリンを見て楽しんでいるんだろう。

 男達の蝕む笑い声は、ダージリンの心を深く抉り、その中の闇を広げていった。

 もう、抗いたくなかった。


「だ……じ……りん……くん」


 小さな一声が耳に届いた。

 ずぶ濡れになった目を開くと、スダップが胸を抑えながらこちらを見ていた。

 視線が合わせった時、心が少しだけ光に戻った。

 いつも、見せてくれる笑顔だ。


「なんだこいつ、まだ生きてたのか?」


 男達を無視し、スダップは語りかけた。



 ――き、君は、希望なのです……

 ――君を愛した人達は、決して君を恨んでいません……

 ――何故なら、君を『信じている』からです……

 ――信じるものさえあれば、どんな事にも立ち向かえる……

 ――自分の心を信じる。それが、君のすべき事……

 ――闇の中に必ず光はあります。それを見つけるのです……

 ――短い間でしたが、君と出会えて良かった……

 ――私は、いつまでも、君の力となっていきます……



 その直後、スダップは抜ける様に落ちて、今度こそ動かなかった。


「いい加減にくたばれ。デブ」


 目を開いたままの恩師が蹴られ、ダージリンは震えた。


「せん、せい……」


 右手を開き、その中を見る。

 凛々と輝く『赤』が大きくなっていた。

 掌を赤く染め、顔の全てを照らす炎は、ダージリンの中にあった希望そのものだった。


「うおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 渾身の炎を一旦引かせた。

 ダージリンは思い切り、掌を前に突き出した。

 以前ならば掌からすぐ消えたであろう炎は一直線に伸びてスダップにトドメの弾丸を与えた男を焼き尽くした。


「ぎゃああああああああああああああああ」


 炎上する男を見て、仲間達は思わず声を漏らした。


「こ、このガキ!」


 仲間の一人がダージリンの胸倉を掴み、誰もいない教室へ叩き込んだ。

 窓ガラスが飛び散り、教室全体に広がる。

 激しく転げ回ったダージリンの体に破片が食い込んだが、ダージリンは気にせず男達に強い眼差しをぶつける。

 だが、男達の手には炎が立ち上がっていた。


「おめーも同じ目に遭わせてやる! やれ!」


 男達は一斉に炎を放った。

 炎の海と化す教室。

 その海の中にダージリンの姿はなかった。


「ふん。舐めた真似をするからだ」

「しかしこれで、王子を殺したのは俺達だ。良い手柄が貰えるぞ」


 ひと段落した男達は一斉に喜び合う。

 ゲラゲラと汚い声を響かせ合った。


「ぎゃははははは! ははは、ははは……は?」


 ところが男達の内、一人が固まった。

 そして絶句した。


「お、おい、アレ……」


 燃え盛る教室に、男は立っていた。

 赤と黒、そして群青の布は体を殆ど包み、頭まで届いている。

 布の下から覗く顔は銀色に光り、更に淡く輝く白い瞳もあった。

 頭から左右に伸びるそれは、翼の様である。

 胸に輝く太陽はどこまでも届き、体の一部分を炎と化していく。


「ば、バカな。なんで――なんで『スピルシャン』が!?」


 先程の威勢はどこへとやら、スピルシャンという存在に狼狽える男達。

 ダージリンの勇気が、激しく燃え出す。

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