第33話 悪友の受難

 気が付くと、ダージリンの目にはどこかの天井が写っていた。

 さっきまで外にいたのに、いつの間にか部屋の一室で横になっていたらしい。


(……ここは?)


 天井を呆然と眺めていると聞き覚えのある声が耳に入った。

 訛った口調でもある。


「お。気が付いた様やな」


 首を少し傾いてみるとアクバルが椅子に座っていた。

 その後ろにはブランドンとスティーブが立っている。


「あら? ダージリン君、起きたのね。待ってて。すぐスダップ先生に伝えて来るから」


 ベッドの向こうから女性の先生が顔を出し、安堵する。

 女性の先生はすぐに廊下へ出てしまったが、ダージリンはその先生を見てここがどこなのかに気付いた。


「……何で僕、保健室にいるの?」

「昼休みぶっ倒れていた所を俺らが見つけたんや」

「ああ。そう言えばそうだった――かな?」

「昼間からそのまま気絶しとったで。もう放課後や」


 放課後、その言葉に目を疑い、窓側にある置き時計を確認した。

 チク、タク、と鳴らしながら『オーブ』という青い丸の物質が細い針を動かしている。

 細い針と共に太い針二本が今の時刻を示していた。

 四時七分。

 確かに放課後だった。


「全く、肝が冷えたぜ」

「そうだよね」


 胸を撫で下ろすブランドンに頷くスティーブ。

 丁度その時、扉を強く開ける音がしたので目を向けると、狼狽するスダップがこちらへ駆け込んだ。


「ああ! ダージリン君、目が覚めた様ですね!」

「……先生、すみません。迷惑をおかけしました」

「いいのです。今さっき、お家の方へお伝えしましたのですぐにお迎えが来ると思います」

「……あ、はい。ありがとうございます」


 スダップは相変わらず微笑んでいた。

 何故だか眩しく感じるその笑顔に、ダージリンは顔を曇らせた。








 その後、校門の前に王家所有の馬車が到着した。

 校門の少し向こうに馬車の側で立つセバスティアンもいる。

 鞄を背負って歩くダージリンの後ろにアクバル達が後に続く。

 腕を頭の後ろに交差しながらアクバルが話し掛けた。


「馬車で帰るんか?」

「……うん」

「なななな、俺も乗ってってええか?」

「……は?」


 肩を連続で軽く叩きながら、ウルウルした眼で顔を覗くアクバルに、ダージリンは眉間を寄せた。

 舌を出しておねだりする子犬みたいだ。

 尤も、子犬とは程遠い可愛さだが。


「アホか! 何便乗しようとしてんだ!」

「冗談に決まっとるやろ。そんな怒らんでもええやん。自分だって一度は乗りたいやろ」

「乗りたくなんかない!」


 厚かましく見えたブランドンがアクバルの頭を引っ叩く。

 叩かれた箇所を摩りながらアクバルは反論すると、ブランドンは強く否定。

 しかし少し間を置くと、


「……って言えば、嘘だな」


 本音を吐いた。

 そのやり取りを、スティーブは何とも言えない顔で見つめていた。

 心の声も思わず漏れる。


「は、はははは……」

「……じゃあ、帰るね。アクバル」

「お、おお。ほなまた明日な」


 ダージリンの声に振り向くアクバル達。

 アクバル達に見送られ、スティーブからは手も振られていたが、ダージリンは振り向かずに黙って歩いた。

 ダージリンが馬車までに辿り着いた所で、反応がない事に少々不満を抱いていたブランドンが溜息を吐いた。


「は~……ホントに不貞腐れてるな」

「そないな事言うたらアカン」

「だけどよぉ、もうちょい素直になったって良いんじゃねぇかな?」

「それを俺達が求めるのは違う(ちゃう)やろ」

「まあ、そうだけどよぉ……」


 苦い顔を浮かべるブランドンに、スティーブも鞄を背負い直しながら窘めた。

 それに同調する様にアクバルが腕を組みながら頷く。


「その内、素直になるよ。きっと」

「せやせや」

「じゃあ、僕も帰るね。今日用事あるから」

「おお。また明日な」


 スティーブは軽く手を降りながら校門を駆け出した。


「珍しいな。スティーブいつも俺らと帰るのに」


 頭を傾げるアクバルとブランドンだが、背後から二人に声が掛かる。

 先にアクバルが振り向くと、三人の女子生徒がいた。

 声を掛けたのは他の二人より少し前にいる真ん中の長い髪の女の子だった。


「何や? 自分ら?」

「ダージリン君、何かあったの?」


 風でふわふわした様な髪だが、何よりもその紫色の瞳がとても綺麗だった。

 身長も三人の中で一番高く、アクバルよりもやや高い。

 鹿の様な綺麗な脚に続くくびれたお腹。

 ブレザーでやや目立たないが、スタイルは良い筈だ。


 そんな美人さんを前に、アクバルは立ち尽くす。

 ブランドンも同様に立ち尽くしており、口がアホみたいに開いている。

 そして、アクバルの首に腕を回すと反対側へ回った。

 回った所で、興奮し始める二人。


「なんやこのべっぴんさん!? ダージリン、俺らに内緒でこんな可愛かわええ子と出来とったんか!?」

「確かに可愛いな! 背も高いし」

「隣の女子達も知り合いか?」

「そんなわけあるか。ダージリンだぞ? 女といるにも勇気いる奴だぞ?」

「せやけど一応王子様やし……後、姉ちゃんいるし、メイドも雇っとるから女苦手って事はないやろう……」

「アクバル、ダージリンは『こっち側』だ。何をどう言おうが彼奴は俺達を裏切らない」

「おい自分、さらっと俺を『寂しい連中』に入れんなボケ」


 女子達に背を向けて喋る二人。

 熱中になっているのか、女子達からの奇異な視線には気付いていない。


「しかし……」


 ブランドンは首を振り返した。


「隣の髪短い子もいけるな」

「ロングもええけど、やっぱショートが一番やわ」


 ブランドンから見て右にいる二人目の女の子。

 真ん中とはまた違う魅力を放っている。

 負けず劣らず綺麗な脚をしているがスカートが短めになっているおかげで太ももが完全に露出し、陽の光で照らされている。


 上着の方も着崩しており、ブレザーはきっちりボタンが閉まっているが、首下のリボンは緩くなっており、中のシャツは二つ目まで空いている。

 少し姿勢を下ろせば中が見えてしまいそうだ。

 そしてアクバルは、どうやら髪の短い子が好みらしい。


「ねえ」


 突然降りかかる声。

 その声に二人は肩をギョッと上げた。

 先程の声とは異なる重みを感じるものだった。

 二人の興奮も急に納まってしまい、その声を確認しようと恐る恐る振り向いた。

 向かって左にいる女の子がこちろを見ていた。

 いや、睨んでいた。


「こそこそ喋ってないでハッキリ言いなさいよ。シレットが聞いてんのよ?」


 最後の女の子は一番小さかった。

 その為、見上げる様にこちらを睨んでいる。

 三つに編み込まれた髪に露出したおでこ。

 背丈が小さいおかげで中々の魅力だったが、眼つきが破片の如く鋭い。


 しかも睨んでいるので尚更悪く見えた。

 更に威圧的な声だったので、アクバルとブランドンの反応は当然悪く、眉毛が八の字になっている。

 今度は振り向かず、手で相手の耳元を隠しながら会話を始めた。


「こっちのチビは性格悪いな」

「せやな。絶対モテない奴や」

「なんつーか、他二人はその、脱いだら凄いんだろう的なアレは感じるけど、こっちに限ってはな……」

「ミルク嫌いなんやきっと」

「精々、妹キャラで推し切るとか……」

「いや、それしか取り柄がないんや」


 その時、威圧的な子の顔が真っ黒に染まった。


「フラウア」

「およ?」

「背中の奴取って」


 フラウアという髪の短い子が背後に回る。

 そして、背負っている鞄の中から伸ばす様に何かを取った。


「取ったよ」

「ありがと」


 フラウアに渡されたもの、それは棒状の道具だった。


「て、テレーズ……?」


 真ん中のシレットが困惑し、止めようと手を伸ばすが威圧的なテレーズは気にも留めていない。


「ねえ?」


 小さく喋る二人に、テレーズはじりじりと歩み寄った。

 一歩一歩がしっかりと地に着き、重みを感じる。

 その重みに二人は戦慄した。


「聞こえてんのよ?」

「だあああああああ!? 寄せ! ブラスバンド部ならあっちの校舎だ!」

「今日は休みなの」

「ふ、笛は『鈍器』じゃないぞー!? 『楽器』だぞー!?」

「知ってる」


 ブランドンは片手を突き出して激しく振るが、テレーズは足を止めようとはしない。

 これからぶん殴られる。

 ブランドンは下がろうとするが、アクバルが後ろに隠れてその背を強引に押して来る。


「おめえふざけんな!!」

「こういうのは、自分の役や!!」


 怒号を上げるブランドンに対し、盾にしている事を全く気にしないアクバル。

 前からはテレーズ、後ろからはアクバル。

 挟み撃ちな状態にブランドンは冷静さを失った。



 その時、二人の耳に綺麗な音が流れて来た。

 突然の事態に呆気に取られ、押していた手の力が消えていく。

 アクバルは目をそっと瞑り、音色を楽しんだ。


「何や? 良え(ええ)メロディやな」


 棒を横に持ち、口に付けて指を交互に動かす。

 鋭かった目は優しさが感じてくる。

 テレーズが演奏していた。

 持っていた棒状の道具は笛だったのだ。

 その美しい音を耳にして、下校途中の生徒達が思わず立ち止まり、音の方へ顔を向けた。

 男子や女子がテレーズを指しながら笑顔を浮かべている。


 小さな演奏会だ。


 チップを出したいくらいに心が躍った。

 ところが、テレーズの隣にいるシレットとフラウアはどうも皆と違う顔をしていた。

 額から汗が少し流れ、浮かない顔をするシレット。

 それに対してフラウアは両拳を口元に添え、にやけながらアクバルとブランドンの方を向いた。

 今の演奏会ではなく、これから起こる事を期待している様だ。


「おい自分、いつまで吹いとるんや?」


 演奏が始まって十分くらいが経ち、いい加減しつこい気がしてきた。

 ここが会場ならともかく、校門に続く道路でこれだけ長い演奏をされると迷惑しかない。

 それでにアクバルは続く演奏を楽しんだが、突如ブランドンが苦しい声を出した。


「いや、違うぞアクバル」

「何が違うんや?」

「もうあの子は吹いていない」

「はい?」

「だから、もう『吹いていない』って言ってんだよ」


 何をアホな事を。

 アクバルはテレーズの方を向くと驚くべき光景が待っていた。

 テレーズの口から笛が離れていた。

 今は両手で丁寧に持ちながらこちらを見ている。

 見下す様に。



 アクバルは青ざめた。

 青ざめると同時に、流れて来る音楽が徐々に歪みはじめ、理性を刺激させた。

 騒音とかそういうものじゃない。

 とにかく頭が痛くなる様な不気味過ぎる音だ。


「あ、アカン。良いメロディやのに嫌になってきとったわ」

「み、耳塞いでも何故か流れて来るぞ!」

「鼓膜が破れるわ……!」

「脳も破裂しちまう!」

「し、『質問』が『拷問』に変わっとるうううううう!」


 それは、底が見える程の綺麗な小川が大地を削る濁流となった瞬間だった。

 今、テレーズの目の前で男二人が耳を塞ぎながら縦横無尽に転げ回っている。

 たまに身体を曲げながら、恐ろしい音を堪えようとするが状態は全く変わらず、白目を向く程に苦しんだ。



 そしてテレーズには、慈悲の気持ちなど一切なかった。

 苦しむアクバル達をただ茫然と眺めるだけで、それ以上は何もしてこなかった。

 たまに口元が歪んだが、それを知る者はいない。

 側から見ていたフラウアはお腹を声を漏らし、シレットは相変わらず戸惑っている。


「ぎゃああああああああああああああああああああああああ」


 夕焼けの中、アクバルとブランドンの叫びは学校を越えて王都ステュアートにまで広がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る