日本漫画優越論、「世界に誇る日本の漫画・アニメ」という言説(2)【暫定版】
80年代に日本の漫画と海外の漫画とがどのように語られていたかを見ていきます。
まず、1986年にビズコミュニケーションズ(現ビズメディア)を設立し、米国で本格的に日本の漫画の翻訳出版を始めた掘淵清治の著書から引用しましょう。
70年代前半の空気について掘淵は、次のように書いています。[1]
>>当時の日本では、大学生たちのマンガ愛読がひとつの社会現象として注目を浴びており、学者や評論家たちもマンガを批評の対象とするようになっていたが、それでもマンガの社会的地位はまだまだ低いものだった。現在のように、マンガがアニメと並んで『日本が世界に誇る文化』などと称され、文化輸出の中核を担う日が来るなんて誰も期待していなかっただろう。<<
既に触れたように、鶴見俊輔が「漫画は国境を越えるか」ということを考えてだしていたのは80年代でした。70年代前半には、日本の漫画が海外で評価されるなんていうことは思いもよらないことだったようです。実際にはすでに東アジアやタイでは、日本の漫画が(多くは不正規に)受け入れられつつあったのですが、そうしたことは日本ではほとんど知られておらず、また関心も持たれていなかったと思われます。
1975年から掘淵は米国に在住していたのですが、久しぶりに帰国したときに読んだ日本の漫画に強い印象を受けています。[1]
>>それは、久々に一時帰郷した日本で友人に勧められて読んだ大友克洋の『童夢』(八三年)だった。自分の知らないうちに日本のマンガのレベルがこれほどまでに高くなっていたのかと大変驚いたのをよく覚えている。<<
そして、1985年に米国で日本の漫画の翻訳出版するという話がもちあがります。その当時の日米の漫画についての認識については、以下のようなものでした。[1]
>>当時のアメリカのコミックス市場は日本と比較すると最低でも二十年は遅れているとされ、その未熟さゆえに日本マンガのような質の高い「ストーリーマンガ」を受け入れる土壌はまだできていないと思われていた。<<
この時点で、少なくとも業界においては日本漫画の優越が意識されていたことが読み取れます。「二十年は遅れている」という文言は、日本の漫画が60年代から70年代に大きく発展した一方で、米国の漫画の発展はそれほどではなかったと見做していたことによるのでしょう。
また、ここで「日本の漫画の方が進んでいるからまだ海外では理解できない」という論理が現れていることにも注目しておきます。どうやら「日本の漫画は優れているから海外でも人気がある」という論理よりも、こちらの方が先に現れているようです。「海外で日本の漫画やアニメが人気になったから日本漫画優越論が現れた」という言説は、この点を見落としています。
次に、評論家の呉智英の著した『現代マンガの全体像』(1986年)を見てみましょう。[2]
>>マンガがフレームという統辞装置を精緻に発達させたことと、他ならぬ日本がマンガ先進国になっていることの間には、強い関連性を見出すことができる。<<
>>もちろん、マンガのフレームの自由な工夫は、アメリカマンガのほうが先なのだが、戦後とりわけ60年代以後の日本のマンガの発達は、単なる模倣、継承、発展を超えたものがある。<<
>>少なくとも、何の根拠もなく、
ここで言われている「フレーム」とはコマ割りの技法のことです。このフレームの技術において、日本のマンガは海外を超えていると捉えられています。
その発達は「60年代以後」に顕著だとしていますが、「少女マンガに独得のフレームが使われることはよく知られている」「少女マンガでは、独得のフレーム使用が、コマとコマとの線条的つながりを崩す作用をしている」と、特に少女漫画のスタイルについて触れています。ここでも少女漫画の発展が特別なものとして意識されているのです。
また、「何の根拠もなく、
呉智英は日本がマンガ先進国になった理由として、膠着語としての日本語の文法や漢字仮名まじり文が、マンガの文法と強い類似性を持っていることを挙げています。その類似性ゆえに、日本語話者・日本語の読み書きできる者は、漫画の制作や読解にも優れているという主張です。
また、韓国や台湾で日本の漫画がよく読まれているという事情にも少し触れていますが、その理由は、韓国については朝鮮語が日本語と同じく膠着語であること、台湾については日本と同じく漢字を使うことだとしています。
ちなみに呉の説のほかにも、漫画やアニメと日本語の性質を結び付ける説はいくつかあるのですが、それらについてはいずれ別に書こうと思っています。
どうやら80年代には、日本の漫画は海外のものより進んでいるという考えが、漫画に関心の深い層では広がりつつあったようです。上でも挙げた、いわゆる「花の二十四年組」に代表されるような少女漫画の展開や、大友克洋をはじめとする「ニューウェーブ」と呼ばれた漫画家たちの活躍が、その根拠としてしばしば挙げられています。
1987年には、文學界新人賞を受賞した小説が、吉田秋生の漫画『河よりも長くゆるやかに』からの剽窃なのではないかという疑惑が持ち上がっています。選考委員たち(日野啓三、宮本輝、中上健次など)は気付いていなかった一方で、山田詠美や大塚英志らが類似を指摘しています。どうも、この小説が吉田秋生の漫画を下敷きにして書かれたことは間違いなさそうなのですが、丸写しという訳でもなく、結局この件は有耶無耶に終わったそうです。[3]
盗作疑惑の当否はともかく、漫画で語られる内容が、文学賞をとる小説と変わらないということをこれが図らずも実証してしまったということに着目したいと思います。受賞作と『河よりも』の類似を指摘した作家の山田詠美にしても元漫画家ですし、初期の小説は自身の漫画のリメイクだったと言います。同じ1987年に「キッチン」で海燕新人文学賞を受賞した吉本ばななの作品も少女漫画的としばしば語られました。
80年代は、既存の価値観や権威を相対化していく時代だったこともあり、漫画も表現として文学と変わらない高さの水準にあると考える人も増えていたのです。
しかし世間では漫画は低俗なものという意識がまだ強かったのも事実です。手塚治虫も書いたように、日本では電車の中で大人まで漫画を読んでいて情けないというような論調は継続しています。1986年に石ノ森章太郎の『マンガ・日本経済入門』がヒットして話題になりましたが、日本経済という真面目でいわば“格の高い”題材を描いたことが評価された面が強く、これによって漫画表現そのものの社会的評価が上がったとまでは言えません。
この時代、「日本の漫画は世界に誇れるもの」という言説は、社会全体で見ればやはり一般的ではなかったのです。
ところで、呉智英の『現代マンガの全体像』は90年代以後に改訂版が出ているので、ちょっと先取りして論調の変化を見てみましょう。
1990年に出た増補版のあとがきでは次のように書かれています。[2]
>>昭和が終わり手塚治虫が死去した去年来、再刊の必要性を強く感じ、少しずつ手を入れて、やっと刊行にこぎつけた。<<
>>日本の文化のうち、諸外国に見られないほど特異に発達した民族の遺産というべきものは、たった二つしかない。それは、歌舞伎でもなく、茶の湯でもなく、和歌俳句でもなく、天皇制でもない。それらは、表面的な相違はあっても本質的には類似なものを、どこかの国で見出すことができる。日本の誇るべき文化の二つとは、第一に、膠着語の特性を生かし、表意文字と表音文字を混用する漢字仮名まじり文、第二に、きわめて高度に発達した表現ジャンル、マンガである。第一の漢字仮名まじり文は、朝鮮でも使われていないわけではなく、また、表意文字漢字は本来支那語を表記する文字であり、表音文字仮名もその漢字から派生した文字である。そう考えれば、二つのうちでマンガこそが日本が世界に誇る最高の文化である。むろん、最高の文化とは、俗悪も通俗も高尚も高踏も含んでいるが故に最高なのである。<<
日本の漫画は「諸外国に見られないほど特異に発達」していて、「日本の誇るべき文化」であると言っていますね。旧版よりも強調されているように感じます。
とはいえ、伝統文化一般とは区別し、「俗悪」も含んでいるが故に「最高の文化」としていて、通俗的な“日本すごい論”とは色合いが違っています。
この本は翻訳されていませんでしたが、海外の知識層で読んでいる人がいたという記述がこの増補版あとがきにあります。数としてはごくごく少数だったと思いますが、海外に読者が存在するということが驚きだったようです。
>>予想外だったのは、外国での反響である。コロンビア大学に留学中の英文学者は、同大学の日本近代思想研究科の教授の書棚に『現代マンガの全体像』を見つけた、と知らせてくれた。別の知人も、日本に関心が深い米人ジャーナリストが賞賛している旨を教えてくれた。<<
その後、1997年に文庫版が刊行されました。そのあとがきでは下のようにトーンが変わっています。[3]
>>その一方で、海外からの日本マンガに対する注目は高まっている。91年のアングレーム国際マンガ祭(フランス)のテーマは日本マンガであり、私は評論家として招待を受け同祭に出席してきた。マンガ出版を産業として見た時、フランスの規模は日本の十分の一にも及ばないのに、彼の地ではこのような催物が開かれ、極東の島国のマンガさえ関心を示している。日本ではマンガ隆盛という事実のみが先行し、評論も研究も資料保存も大変に遅れていることを痛感した。<<
日本の漫画を世界に誇る文化として持ち上げていた旧版に対して、文庫版ではフランスと比べて、日本漫画界の遅れを反省し批判しています。これはアングレームに行って刺激を受けたことが直接の原因でしょうが、90年代に入って日本社会において漫画やアニメの評価が高まったおかげで、声高に漫画擁護論を唱える必要性が薄れていたことも背景としてあったかもしれません。
(つづく)
【文中で言及した人物の生年等】
堀淵清治、1952年生。
呉智英、1946年生。
日野啓三、1929年生。ちなみに漫画やアニメについて無理解ではなかった。
中上健次、1946年生。1989年末に連載開始した劇画『南回帰線』の原作を書いている。
宮本輝、1947年生。
吉田秋生、1956年生。
大塚英志、1958年生。
山田詠美、1959年生。
吉本ばなな、1964年生。
[1]掘淵清治[著]、飯干真奈弥[構成]『萌えるアメリカ アメリカ人はいかにしてMANGAを読むようになったのか』日経BP社、2006年
[2]呉智英『現代マンガの全体像』双葉文庫、1997年(オリジナルは1986年)
[3]栗原裕一郎『〈盗作〉の文学史 市場・メディア・著作権』新曜社、2008年
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