4. 「海」「犬」「眼鏡」

 波打ち際で私は座っていた。隣にはマロンが座っている。マロンは栗色の毛並みの愛犬だった。姿勢よく私の隣で海を見つめている。

 風が吹く。塩臭くて生々しい海の匂いが私を襲った。

 両ひざを抱え込んで、私はひざに額をのせた。小さく縮こまって目を閉じる。眼鏡が邪魔くさかった。

 はあ、と息を吐いた。

 私は顔をあげて、眼鏡を外した。一気に世界の輪郭がぼけて、形を失う。ひどく朧な世界が広がった。

 ――見たくなかった。

 ――眼鏡なんてなくてよかった。

 ――私の目が何も映さなければよかった。

 眼鏡を握りしめた。

 淡い髪色のふわふわとした彼女。小柄で可愛らしい彼女。薄く色づく頬。その隣に立つ彼。優しげな彼の目。

 見たくなかった。

 私は眼鏡を海に向かって思いきり投げた。

 隣で何かが動く気配がした。ばしゃりと水が跳ねる音。

 ぼやけた視界の中で、茶色い塊が動く。海に入って、もぞもぞと動いていた。

 やがて、その塊は私の目の前まで戻って来て静止した。

 マロンが私に擦り寄る。かちゃりと、眼鏡が肌に触れる感触がした。

「もう、別に取ってこなくてよかったのに」

 マロンは褒めてとでも言うように、私にまとわりついてくる。多分、尻尾をぶんぶん振っている。

「ばか」

 私はマロンの首元に顔をうずめた。海水に濡れたマロンの毛が顔に張り付いてきた。

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